銀髪の王子と聡明な王女

1

霧に包まれた渓谷の中に、仙師として名高い厳岩《げんがん》が、愛弟子の透玉《とうぎょく》と、無口な二人の召使とともに暮らしていた。

その朝、正装した透玉が仙師の部屋に静かにはいってきた。

「では、行ってまいります」
厳岩は近づくように手招きをして、彼の頭に黒い頭巾をかぶせて、その顔をじっと見た。

「どんなに遅くなっても、今日中には帰るのだ」

透玉は頷いて、両手を合わせた。
それは「仙師さま、わかりました」、「ありがとうございます」という挨拶である。

厳岩は透玉の細い首を掴んで、おでこを合わせた。これも、ふたりの挨拶である。
透玉にとって、厳岩は教師であるとともに、父であり、兄であり、時には神であった。

仙師の厳岩は月に一度だけ渓谷を離れて、王都の宮廷にいる王子たちに哲学を教えるために都に行く。
仙学も哲学も学ぶ意欲などない子供を相手に教えるのは望むところではないが、仙師といえども人の子、その報酬がなければ現在のように余裕のある暮らしはできない。

しかし、五日前に、厳岩は考えごとをしながら歩いていて、崖から落ちて大怪我をしてしまい、歩くことができなくなった。仙人が怪我をするなどは大恥であるから、別の理由をつけて、弟子の透玉を代わりに行かせることにした。

それを決めた夜、厳岩は透玉を呼び、その旨を告げ、講義の内容を伝えた。
透玉は両手を合わせた。

すると、厳岩が「後ろを向け」と言った。
透玉が背中を向けると、厳岩はその長い髪を握って、一気に切り落とした。

「なぜですか」
透玉が驚いてと責めるような目をした。

「きみのためだ」
 厳岩が叱るように言った。

「目立ちすぎると、ろくなことがない。危険だ」
「目立ちすぎる?」
「そうだ。世間には、そなたのような髪の者はいない」

その美しい十七歳の髪は、生まれた時から月光のように輝く銀色なのだった。

透玉は仙師の迫力に押されて、両手を合わせた。


2

透玉は子供の頃、二度だけ首都に連れてきてもらったことはあるが、ひとりで訪れるのは初めてである。

時は春。都は渓谷よりも春が早く、空気が華やいでいる。
空が明るく、人々が動く気配がし、声が聞こえる。

「感情で動くな」
と厳岩からは何度も教えられてきたが、透玉は胸が躍るのを止めることができない。

彼は町の入口で、御者に馬車を止めさせ、宮廷まで歩いていくことにした。
「しかし、仙師さまが」

御者は透玉を宮廷まで送り、そこで待ち、宮廷からしっかりと連れて帰るように厳命されているのだ。

透玉は大丈夫だというように頭を小さく振って、顔を上げて、軽やかに歩き始めた。

黒い頭巾を深くかぶっているけれど、その黒い瞳、長い首と姿勢のよい立ち姿は人目を惹いた。

その姿に人々が立ち止まったり、振り返ったりした。
透玉には周囲の様子が見えているはずだけれど、人々を気にしているようには見えない。本を脇に抱えたまま、まっすぐに歩いて行った。

宮廷の門に着くと、ただ一言。
「厳岩先生の代理です」

それだけで、簡単に意味が通じ、彼は中に入るのを許された。

広い宮廷の庭には物音がなく、誰も見ているようには見えないが、透玉が歩き始めると、どこで誰が見て、誰に伝えるのかはわからないが、女官たちがにわかに大騒ぎを始めた。

しかし、彼は女官には、一瞥もくれようとはしなかった。

透玉は二歳の頃に厳岩に引き取られ、彼のもとで「女の愛は理性を狂わせる悪だ」、と教えられて育った。

だから、透玉は仙師の教えを守り、石のように冷たく、完璧に理想的で、誰に対しても心を開かない十七歳の青年に育ったのだった。

3

この「徳」という国には、十五歳の智、十四歳の淳、十一歳の晶の王子と、その上に長女で十七歳の王女の翡翠《ひすい》がいた。しかし、その哲学の講義に参加できるのは男子だけだった。
それは、厳岩が女子の出席を許可しなかったからである。

しかし、兄弟の中で一番頭の切れる王女翡翠は、こっそりと隣の部屋で聞いていたから、兄弟が何を習っているのかを知っていた。

そして、厳岩のことを「難しいことをこねくり回すが、感情を奪われた空っぽの人間」だと思っていた。

ところが、今日は彼の代理で弟子が教えに来るというので、翡翠は興味を持っていた。いつものように隣の部屋で講義を聞いて、どこかでボロを見つけたら、懲らしめてやりたいものだと思っていた。

しかし、現れた代理仙師は、どこか哀愁が漂う青年だった。厳岩はまさに名前の通り、叩いても割れそうにもない岩だったが、その若いほうは、なんとかなりそうな気がした。おもしろい。

この表情のない青年にも、心はあるはずである。その閉ざされた心の扉を開いてみたいものだと思った。


4

講義の途中で、翡翠はお茶とお菓子を持って現れた。

「少しくつろいではいかがですか」
難しい授業に頭を悩ませていた兄弟王子は救いがきたと喜んで、すぐに茶菓子に手を伸ばした。

「必要ないです」
透玉は無表情で答えた。

「そうですか。失礼いたしました」
翡翠はすぐに部屋を去った。

翡翠が部屋に現れた時、本当のところ、透玉は非常に驚いた。
これまで知っている女性といったら、年寄りばかりだったし、こんなに美しい女子を見たことがなかったからだ。

しかし、そういう驚きは「喜び」ではなく、「自分の平穏な論理を乱す不快な存在」として、冷たく拒絶しなければならないと教えられてきた。

二時間の講義が終わった時、翡翠がまた現れた。今度は庭を案内したいと申し出た。

「庭には美しい花がたくさん咲いています。よろしければ、庭をご案内してさしあげたいのですが」

「感謝します。でも、必要ないです」

「ご存知ですか」
と翡翠が微笑んだ。
「必要のないことのほうが、意味があるということを」

えっ。
彼はそういう教えはあっただろうかと眉をひそめた。

「今朝、私の植えたサボテンに花が咲きました」
と翡翠がまた微笑んだ。
人が微笑むのが、こんなにうれしいことだと透玉は初めて知って、少しおののいた。

「サボテンとは」
「数年前に南の国からいただいたもので、薄紫色のクジャクサボテンは珍しいのですよ。五月になって、ようやく花が咲いたのです。ほら、あそこ」

透玉が案内されて庭に出てみると、庭の奥のひっそりとした場所に、その花は咲いていた。
大輪の花は、まるで誰かの手のひらほどもある。薄紫の花弁が幾重にも重なり、とても艶やかだ。
中心からは、白い雄しべが爆発するように飛び出していて、その先の黄色い花粉が、薄紫の花弁を背景に、宝石のように輝いている。
透玉は知らず知らずに、その花に手を伸ばしていた。

「その南の国とは、どのくらい遠い所ですか」
「船で、二月くらいだと聞いています」
「船ですか」
透玉は船を見たことがないのだった。

彼が庭を見回すと、鮮やかな色の花々が咲いていた。彼は自分が育った渓谷がどこよりも美しいと信じていたが、どうも、そうではないらしい。
彼が歩き回ると、頭巾が桜の木の枝にひっかかり、彼の輝く銀髪が姿を現した。

「あらっ。お髪が銀色なのですね」
透玉はあわてて頭巾を取って、かぶった。

「隠さなくて、よいのに」
翡翠が笑いながら、その頭巾を取って、自分で被った。

「私なら、頭巾をかぶらないし、髪を切ったりもしません。だって、そんなにすてきなんですもの」
「目立つと、ろくなことがない」
と、透他は仙師が言った言葉を繰り返した。

実は、透玉は翡翠の大胆な行動に、思考がついてかかなかった。女子とは、こんな行動をするのか。

翡翠は頭巾を脱いで、後ろ手に隠した。
「お帰りになる時に、お返ししますから、ご心配いりません」
透玉が頷いて、手を合わせた。

中から「ツイジー」と呼ぶ声がした。
「はい。今、行きます」

「ツイジー?」
「私のことです。私の名前はフェイツイですが、兄弟はツイジーと呼びます。透玉さまは何と呼ばれていますか」
「透玉」

「そのままね。つまらなくないですか」
「いいえ。名前は名前です」

「ご両親がつけてくださった名前ですか」
「仙師がつけてくださったと聞いています。以前の名前は知りません」
「親がくれた名前を知りたくないですか」
「親のことは知らないし、知りたくもないです」

「それでは、私がつけてさしあげましょう。透子(トウシ)はどうですか」
「必要ないです」
「また、それですか。トウシとツイジー、似ていませんか」
「そうでしょうか」
「似ていますよ」
翡翠が微笑んだ。

「私たち、年も同じですし、トウシさまとツイジー、仲良くしてくださいね」
「どうして」
「私、あなたのことが気にいりましたから。あなたは」
「ないです」


5

その日、透玉は国王に招待されるままに、夕食をともにし、翌日に帰ることになった。
食事の席は決して静かではなかった。王子たちの食欲は旺盛で、第三王子はスープが熱すぎると手であおいだり、また好きなものを手あたりしだい食べていたが、そのマナーは不愉快ではなかった。

透玉はいつも、厳岩とふたりで向き合って、食事をした。
食事中は会話をすることはなかったが、厳岩は音を立てた。その食べ方が、好きではなかったが、そういうものだと思っていた。

翡翠は彼が海の幸を知らないことがわかっていたので、それとなく、説明した。
「第一兄はエビ、第二兄は蟹、絵弟はミル貝が大好物なのです。海岸地方から、新鮮な海産物が届いたので、みんな、興奮しているのです」

透玉はミル貝を食べてみて、昔、どこかで、食べたことがあるような気がした。この第三王子のように、手が殻を広げて、中身を出して食べると、「なんてかわいいのでしょう。この子は食べ方を知っています」
そう言ってじっと見つめていた優しい人がいたことを思い出した。
その人は誰だったのだろうか。


翌日、透玉が渓谷の館に帰ってくると、厳岩は見たこともないくらい怒っていた。

「約束を破るというのは、何よりも悪である」

透玉は仙師がどうしてそんなに激怒しているのか、理解ができなかった。

「国王陛下から招待されたのですから、どうして断ることができるでしょうか。それに、先生もそのようにされていると聞かされました。その旨の伝言は送りましたから、届いたと思います。私のどこが、いけないのでしょうか」

初めて反論された厳岩は取り乱して、口惜し涙さえ流した。

そんな仙師の姿を初めて見たので、透玉は申し訳ない気持ちがあふれ、二度と約束は破らないと誓った。

「そもそもそなたを信じて、外に出したのが間違いだった。宮廷には二度と、行かせない。許可を出すまで、部屋から一歩も出てはならない。部屋で、私の著『仙人原書』を百回書写しなさい」

透玉は両手を合わせて、仙師の部屋を出た。

自室に帰る途中、透玉は何か腑に落ちない思いがした。そして、見慣れている庭の景色には、色も表情もなく、つまらなく思えた。

一方の厳岩は、「感情は悪だ」と教えながら、透玉の前で涙を見せてしまったことを悔やんだ。しかし、それは彼の本心だった。

二歳であの子を連れて来てから、出張にいく時以外は、いつも同じ屋根の下で暮らしてきた。それだけで、どれほど満ち足りていたことか。

昨晩、久しぶりに深い孤独を感じた。
夜がこんなに長かったことを、透玉は今まで知らなかった。


厳岩のほうは、透玉が近くにいるだけで、その心は明るくなり、やる気が出てくるのだった。
厳しい修行に打ち込めたり、五冊の本が書けたのも、透玉の存在があるからだと彼は知っていた。

あまり叱りすぎたかとかわいそうな気になって、厳岩は松葉杖をつきながら、彼の部屋をそっと覗いてみた。

透玉は机に向かい、写本をしていたが、時折、その美しい顔を上に向けて、考えごとをしているようだった。

厳岩は彼が深く反省しているのだろうと満足し、すぐに許してやりたいという気持ちと、それと同時に、年頃の彼を甘やかしてはならない、という気持ちが湧いてくるのだった。

しかし、透玉は反省しているわけではなかった。
ただ、なぜか、思考がまとまらず、風の音がざわついて聞こえるので、それについて考えていたのだった。

「トウシとツイジー、似ていませんか」
という翡翠の声が聞こえてきて、思わず微笑んでしまった。

しかし、もう二度と会うことはないだろう。

6

次の宮廷の講義には、厳岩が無理をして出かけることにした。
二度と、透玉を行かせたくなかったからである。

厳岩が宮廷に現れたのを見た翡翠は、ついに実行の日が来たと思った。翡翠はそのことを想定して、さまざまな調査をし、計画を立てていた。

前回、家来に後をつけさせて居場所を知っているので、その渓谷に、男装の姿をし、金貨を持って、出かけていくことにした。
男性なら、仙師の館の中に入れるかもしれないと思ったのである。

門番は、翡翠を男子だと信じて疑うことはなかったが、こう言った。

「約束のない人を、中にいれるわけにはいかない」
「私は仙人になりたいので、相談がしたいだけです」

「ここでは、弟子はただひとり。他には取りません」
「ここでなくてもよいのです。その相談をしただけです」
と翡翠は隠して持ってきた金貨を取り出した。

計画は成功し、翡翠はついに、透玉に面会することができた。

「わかりますか、私です。ツイジーです」
彼の部屋にはいると、翡翠はすぐに正体を明かした。

「どうして来たのですか」
彼が冷たい声で言った。
女子がここまで会いに来たことに、恐怖を感じたのである。

「トウシさま、あなたに会いたいから来ました」
「会いたいから?」
「それだけではだめですか」
「そういう不確かな感情に、価値は見いだせない」
彼は冷酷に言った。

「理由もなく、誰かに会いたい。これより確かな感情がありますか」
彼は翡翠の言葉が理解できず、顔をしかめた。

「トウシさま、あなたは愛を怖れているのですか」
「私は何も怖れてはいない。とうして、目に見えない愛を怖れる必要がありますか」

「見えるものより、見えないものの方が怖くはないですか。不安ではないですか」
「言っていることが、わかりません」

「私はあなたの中に、孤独を見ることができます。その孤独は、あなたが愛を遠ざけいるからではないですか」
「どういう意味ですか」

彼にとって、突然現れた翡翠は「愛の対象」ではなく、「侵入者」であり、「敵」なのだ。


7

「女は理性を乱す嵐の元であり、愛は魂を腐らせる毒である」
と透玉が言った。

「それが、本に書いてあるのですか」
「そうです。真実はすべて仙師の本に書かれている」

「まったく。やれやれ」
と翡翠がため息をついた。

「あなたときたら、仙師とやらにより、『純粋な玉』という名前を勝手につけられて、味気ない毎日を送っています。それでよいのですか」
「あなたは私の平穏を乱す不純物です。どうぞ、お帰りを」

「トウシさま、この世界には、数式や論理では説明できない『色』や『感動』があるはずです。そうは考えませんか」
「考えません」

翡翠が一歩近づいた。
「あなたは自分が生きている世界がどれだけ無機質であるのか、気づいていますか」
「それは必要がないことです」

「あなたが信じている哲学は、一見高潔ですが、実は『傷つくことへの恐怖』から生まれた逃避ではないですか」
「何を言っているのか、わからない。我々は、そもそも、信じているものが違うのだ」

「透玉さま」
翡翠が真剣な目で彼を見た。
「あなたが信じているのは、真理ではなくて、『安全』に過ぎません。嵐を避けて部屋に閉じこもることは賢明かもしれないけれど、それでは一度も空の青を知ることはできない。傷つくことを恐れて愛を捨てるのは、死を恐れて生きることをやめるのと同じです」

透玉はその言葉を頭の中で反復すると、教えられてきた哲学が根底から揺さぶられているような気がした。

「私は厳岩仙師の本を読んでみました。でも、彼が考えた『完璧な理性』など、人間には不可能です。石や機械なら、あなたのいう通り完璧でいられるでしょう。でも、あなたの胸は、今、私の言葉を聞いて騒がしく波打っていませんか。その『震え』こそが、あなたが人間である証拠です」

「……」

「どんな精緻な哲学書も、たった一粒の涙の理由を説明することはできないのではないですか」

透玉の目に、戸惑いの色が浮かんだ。

「愛は、理性を狂わせる毒です」
「いいえ」
翡翠が首を横に振った。

「愛は、世界をより深く理解するための力です。愛は目を狂わせるものではなくて、むしろ、今まで見えていなかった他者の痛みや世界の美しさを鮮明に映し出す『新しい目』なのです」
「それは、どういうことですか」

「愛は時には毒ですが、その愛を知って初めて、人は本当の意味で、賢くなれるのです。私はあなたを狂わせに来たのではなく、あなたを目覚めさせるためにやって来たのです」

「どうしてですか」
「あなたは歪んだ教育により心を閉ざしてしまいました。でも、そんなあなたを見て、私は真実の愛を感じたのです」

翡翠は懐から、しおれかけた野の花を取り出した。
「これを見てください。外から持ってきた『野に咲く名もない花』です。これをあなたと庭に咲く完璧な花と比べてください」

透玉が花を見た。
「この野の花は、もうすぐ枯れます。でも、だからこそ美しい。変化も衰えもない完璧な庭の花は、ある意味で死んでいるのです。愛も同じ。傷つき、枯れる可能性があるからこそ、今この瞬間の輝きに価値があるのです」
透玉の中で、何かが崩れ始めていた。


8

ふたりの討論の途中で、厳岩が現れた。

「おまえは、低俗な感情で若者を汚す悪魔だ。すぐに去れ」
厳岩が翡翠をののしった。

透玉は仙師と翡翠の言葉の間で激しく揺れ動いたが、しかし、ついに透玉が言った。

「先生、私はあなたの理論に従って生きてきました。けれど、今、気づいたのは、彼女の言葉があたたかいということです。私は凍り付いた賢者でいるより、傷ついた人間として生きたい」

「弱き者よ。おまえは、ここまで何よりも大切に育てた私の恩を忘れたのか」

「厳岩先生」
翡翠が深く息を吸った。
「私は調べてみました。あなたは十五年前、東にある大耀国という国に動乱が起きた時、そこの二歳になる王子を誘拐して逃げませんでしたか。その王子の名前は唯愛(ユイアイ)。あなたは自分のために、唯愛王子を連れ去り、洗脳した」

「ユイアイ……」
透玉が呟いた。

「そうです。何か思い出しませんか」
「……そう呼ばれていた気がする……」

「何を夢みたいなことを話しているのだ。そんなはずがないではないか」
厳岩が叫んだ。

「今、大耀国の王妃が、確認のために、こちらに向かわれています」
と翡翠が言った。

「何の証拠があるというのか。透玉は道端で泣いていた孤児で、私が拾って、ここまで育てたのだ」

「唯愛王子は生まれた時から銀髪で、生きていれば十七歳。そして、背中の右下に、星型の印があります」
厳岩の顔が青くなった。

透玉が上着を脱いで、少し恥ずかしそうにしながら、翡翠に背中を見せた。
「あります。あなたは唯愛王子です」

「たとえそうだとしても」
と厳岩が言った。
「そなたは永遠に私の透玉だ。さあ、行こう。誰にも邪魔されない遠くの地に行って、これまでのように、ふたりで幸せに暮らそう」

彼は透玉の首を掴んで引き寄せ、おでこを合わせようとした。
しかし、透玉がその手を払った。

「私はあなたとは行きません。どうぞ、ひとりで行ってください」
透玉は翡翠と並んで立った。
「私はここに残ります」

厳岩は透玉に近づいて、その腕を強く掴まえた。
しかし、透玉はその腕を払った。

「礼儀も忘れたのか。だから、女の愛は理性を狂わせる悪だと言ったんだ」

厳岩は舌打ちをして、足を引きずりながら、屋敷の奥へ入って行った。


9

「トウシさま、何が起きるかわかりませんから、急いで、ここを出ましょう」

透玉が頷き、ふたりは顔を見合わせて微笑んだ。

渓谷を出て、都へ向かう道すがら、透玉は頭巾を脱いだ。
銀色の髪が風になびき、陽光を受けて輝いた。
「なんて、美しい」
と翡翠が言った。
「その髪をもう二度と、隠す必要はありません」

「そうだね」
透玉は初めて、自分の意志で笑った。

「でも、ツイジー、私は世の中のことを何も知らない」
「ええ、でも、知らないことを知っているので、大丈夫です。私がそばにいます。これから一緒に学びましょう」

「ありがとう」
彼は両手を合わせずに、言葉で言った。

傷つくということは、生きているということだから。
恐れないで生きていこう、と透玉は思った。


              了