推しのASMR配信者は、隣の席の犀川くん!?

『こんばんは……コヨくんのASMR部屋へようこそ。今日は琥珀糖の咀嚼音を流しながら、ゆるゆると雑談していこうと思いまーす』

 いつも通りの配信時刻に始まった、プレミアムメンバー限定の生配信。画面の向こう、お皿の上にはSNSで一時期爆発的に話題になった「星空のカケラ」と呼ばれる琥珀糖の瓶が置かれていた。それをコヨくんはしなやかな指先で一つ摘み上げ、静かにお皿へ載せる。

『まだ三十秒しか経ってないのに四百人も居る……みんな、ありがとう。 “木のお皿が可愛いです。どこで買いましたか?”……あー、これ。俺、カチャカチャ音鳴るような食器とかスプーンは苦手なんだよね。確か雑貨屋さんで買った気がします。そんな高くないから、お揃いにしたい子は是非。……あ、概要欄に販売元のリンク貼っておこうかな』

 そういえば、放送室で「琥珀糖が好き」だって犀川くんに話したっけ。
 画面越しに聞こえるコヨくんの言葉に全神経を集中させるけれど、あの犀川くんがこんなにも優しい声を出すなんて、どうしても信じられない。

(――やっぱり、声が似ているだけなんだ。きっと)

 そう自分に言い聞かせずにはいられなかった。
 ちょっと意地悪なところは似ているけれど、犀川くんの纏う冷たいオーラと、コヨくんの甘い喋り方。この二人が同一人物だなんて、やっぱり無理がある。

『うん、そうそう。この琥珀糖、全国的に入手困難になってたんですけど……そういえば、最近咀嚼音の動画やってないなーと思って。……うわ、これめっちゃ綺麗じゃない? 色はもちろんだけど、中に……見えるかな? ちっちゃい星が入ってる。金箔ですね、多分』

 コヨくんがカメラのピントを琥珀糖に合わせるように、手のひらをゆっくりと背景にかざしてみせる。俺は配信画面をぼーっと眺めながら、マスク越しに僅かに覗く彼の口元や、その所作に吸い寄せられていた。
 今回はマイクを口元に近づけられるよう工夫が凝らされていて、ファンの期待は最高潮に達している。

《お顔が見たすぎる》
《あーんしてるとこ、見せて~!》

 コヨくんの素顔への渇望をむき出しにしたコメントが、滝のように流れていく。

 ――カリッ………ジュワ、シャクッ……。

 宝石のような色の琥珀糖が砕ける、咀嚼音が両耳から心地よく流れ込んでくる。コヨくんはそのあまりの甘さに、思わず「……あっま」と独り言のように漏らして、クスクスと楽しげな笑みをこぼした。これを何個も食べながら喋り続けるというのも、実は相当ハードなはずだ。案の定、コヨくんはすぐに傍らにあったグラスに手を伸ばし、一口、瑞々しく喉を鳴らして水を飲む。

『うん、めちゃめちゃに甘いです。……(らん)くんとか、この前は机いっぱいに琥珀糖を並べて咀嚼音やってたみたいだけど、俺はちょっと無理かも……』

 コヨくんの先輩にあたる配信者、「嵐くん」の名前が出る。現役大学生で顔出しも行っている彼は、コヨくんとたまにコラボ配信をしては、優秀すぎる次世代だとコヨくんを可愛がっている。二人の会話の端々から、信頼関係と仲の良さは伝わってきていた。
 コメント欄には「コラボまた見たい!」「コヨくん、甘いの苦手なのに大丈夫?」という、ファンの言葉が続いている。

『ん、じゃあ質問回答しよっかなー。……なんでもいいよ、お悩み相談でも、最近あった良いことでも。どしどしコメントしてね』

 その言葉を合図に、百数十文字に凝縮されたリスナーたちの切実な悩みや質問が溢れ出す。中には伝えたい想いが長すぎて、①②と分割して数字を振るリスナーもいた。

『……リスナーネーム、りぼんちゃん。“彼氏が浮気してるっぽいです、でも別れたくありません”……。不安にさせる時点で、男としてナシだと思う。将来ずっと付き合っていくのも考えにくくない? ちょっと距離を置くのをオススメします。……じゃあ、次。リスナーネーム、まるちゃん。“いつも遅刻してくる友達がいます、毎回許してるんだけど……”』

 リスナーの日常に深く根を下ろした、重たい悩み。コヨくんはそれに対し、一切の忖度なしに、短く的確な答えを投げかけていく。
 時には、その回答に対してリスナー同士が背中を押し合うような言葉を添え、コメント欄は一つのグループのような温かさに包まれることもあった。

『俺なら、指摘するかな。自分だから許してるけど、快く思わない人も居るよ、って言う。……耳が痛いかもしれないけどさ。それが本人の為にもなるだろうって思うから』

 コヨくんは毎回、必ずと言っていいほど自分の価値観をバッサリと提示する。白か黒かをはっきりさせ、媚びることのないその強引なまでの誠実さ。それが俺にとっては、時に目から鱗が落ちるような衝撃で、同時に優しい後押しになっていた。

(俺も……犀川くんとのこと、相談してみよっかな……)

 画面の向こうで咀嚼音を立てる彼と、画面の前で呼吸を重ねる俺。質問を自分も送れば、少しだけその距離が近くなるような気がした。

『えーと……あとは……リスナーネーム、はのん……。え、はのんが質問なんて珍しいね。……“仲良くなりたいと思っている人がいます。次の約束も、向こうから誘ってくれたのですが、いつも緊張してしまって、うまく話せません。沈黙するのが怖いです”……』

 コヨくんは親指と人差し指で、紺色と薄紫色が混ざり合った、夜空を切り取ったような琥珀糖を一つ摘み上げ、口元へと運んだ。「んー」と、わずかに眉を寄せながら思案するような間。
 確かに、普段は通り一遍の挨拶やノリの良いコメントを投稿するくらいで、自分のプライベートな悩みを曝け出したのは初めてだ。
 俺のリスナーネームを口にしたコヨくんの声には、ほんの少しの驚きと、親愛が混じっていた。

『……これ、俺は誘う側として経験があるんだけどさ。案外、“はのん”が思っている以上に、相手の方がよっぽど緊張してるっていうパターンもあると思うんだよね』

 まさかのアドバイスに、スマホを持つ指先から力が抜けそうになる。コヨくんは一度、グラスを傾けて、ゴクッ……と水を一口飲んでから、軽く頬杖をついて言葉を紡ぎ始めた。

『少なからず、向こうから誘ってきたっていうのは、相手も“はのん”と親しくなりたいって思ってるからじゃん? だから、沈黙をそこまで怖がる必要って、実は全くないと俺は思ってて。お互いにまだ初々しさがあるっていうか……探り合いになっている時間ごと大事にする、っていうのかな。沈黙が続くのは、悪いことじゃないと思うんだよね』

 俺の中で、沈黙は「嫌われてしまう要素」の代名詞だった。会話を盛り上げ、笑顔で絶え間なく言葉を交わさなければならない――そんな強迫観念が、いつの間にか自分を縛り付けていたことに気づかされる。

『適当な言葉で埋めるより、そういうじれったい時間も含めて、ゆっくり仲良くなる方が絶対いいよ。……いずれは、何も喋らなくてもそこにいるだけで居心地がいい、そんな関係になれるのがベストじゃない? それが例え……友達でも、恋人でも』

 コヨくんの何気ない言葉に、霧が晴れるような気持ちになった。慌てて「コヨくん、ありがとう」と短いコメントを送った頃には、話題は別のお悩み相談や笑い話へと切り替わっている。ずっと欲しかった心の持ちようを、彼が授けてくれたような気がした。

(……もしも、犀川くんが今以上に俺と仲良くなりたくて、あの時も緊張しながら誘ってくれたとしたら……)

 表情に出ていないから分からなかっただけで、本当は彼も、俺と同じくらい胸の奥でドキドキしていたのかもしれない。
 俺も、もっと犀川くんと仲良くなりたいし、いつか――沈黙すら居心地がいいと思えるような関係になれたら。それはどれほど素敵なことだろうと、現実離れした夢を膨らませてしまう。

(なんかちょっと……楽しみになってきた、かも)

 俺は配信の音声をBGMのように聴き流しながら、犀川くんと約束した放課後の勉強会に向けて、数学と物理の教科書を机の上に広げた。
 解き方が分からない難所に一つずつ付箋を貼り、練習問題を繰り返す。
 教室で感じていた、あの張り詰めたような緊張感とは違う、彼と距離を縮められることへの期待で、心が満たされていた。