ふたりで教室に戻ると、ちょうど先生が前のドアから入ってきて、号令がかかる。
俺は真新しい数Ⅱの教科書を開き、頬にかかった髪を耳に掛ける。指先は、心なしか震えていた。
「はい、じゃあ今日は十二ページから……」
チョークが黒板を叩く乾いた音。先生が教壇の上でギシギシと足音を立てて書き連ねていく数式を追いながら、ルーズリーフの行を埋めていく。
けれど、意識は数式の外へと滑り落ちていた。隣に座る犀川くんのせいだ。早く彼と、ASMRの続きの話がしたくて仕方がない。
(一番好きなのはタッピングって言ってたけど……他には、どんな音が好きなんだろう……チャンネル登録してる配信者とかいるのかな……コヨくんのことも、多分知ってる……よね……?)
知りたい、もっと話したい。そんな、胸の奥で芽吹いたばかりの好奇心を視線に乗せるように、隣をそっと盗み見る。
すると、ふいに顔を上げた犀川くんと目が合った。
俺の視線を真っ向から受け止めた犀川くんは、不思議そうに首を小さく傾ける。自分でも分かるほど、あからさまに視線を逸らすけれど、気になってしまって再び彼の方へと顔を向けてしまう。
すると、犀川くんはまだ俺を見つめたまま。彼は机間指導を続ける先生の様子を一度盗み見ると、声には出さず、ゆっくりと唇だけを動かして見せた。
「み」……
「す」……
「ぎ」――
“見過ぎ”。
そう指摘されたのだと気づいた瞬間、俺は咄嗟に口元をブレザーの袖口で隠しながら声を潜めて訴えた。
「ち、ちが……っ」
慌てて弁解しようとする声が、静まり返った教室に予想外に大きく響く。それを目ざとく見つけた先生に「波多野ー、前向けよ」と私語を注意され、クラス中の視線が俺に集まった。高校に入ってから、先生に名指しで指摘されることなんて一度もなかったのに。
(あぁ~~っ、もう! 犀川くんのせいなのに……)
俺は心臓をバクバクさせながら体を正面に戻し、やり場のない恥ずかしさに身悶えしながら、もう一度だけ、勇気を振り起こして隣を見る。
(え……? な、なに……今、俺に向かって、べーってした……!?)
俺が叱られるのを見届けていた犀川くんは、俺と目が合った瞬間、ほんの少しだけ舌先を覗かせた。こんな色っぽい「あっかんべー」なんて、人生で見たことがない。逃れるように、顔を伏せるように視線を教科書へと落とす。
あまりにも予想外のギャップと、底が見えない彼の「素」の断片。頭が真っ白になって、追いつけない感情がパニックを起こしている。
その証拠に、俺のノートに書き殴られた板書は、途中から意味不明な段飛ばしの数式へと変わり果てていた。
俺は真新しい数Ⅱの教科書を開き、頬にかかった髪を耳に掛ける。指先は、心なしか震えていた。
「はい、じゃあ今日は十二ページから……」
チョークが黒板を叩く乾いた音。先生が教壇の上でギシギシと足音を立てて書き連ねていく数式を追いながら、ルーズリーフの行を埋めていく。
けれど、意識は数式の外へと滑り落ちていた。隣に座る犀川くんのせいだ。早く彼と、ASMRの続きの話がしたくて仕方がない。
(一番好きなのはタッピングって言ってたけど……他には、どんな音が好きなんだろう……チャンネル登録してる配信者とかいるのかな……コヨくんのことも、多分知ってる……よね……?)
知りたい、もっと話したい。そんな、胸の奥で芽吹いたばかりの好奇心を視線に乗せるように、隣をそっと盗み見る。
すると、ふいに顔を上げた犀川くんと目が合った。
俺の視線を真っ向から受け止めた犀川くんは、不思議そうに首を小さく傾ける。自分でも分かるほど、あからさまに視線を逸らすけれど、気になってしまって再び彼の方へと顔を向けてしまう。
すると、犀川くんはまだ俺を見つめたまま。彼は机間指導を続ける先生の様子を一度盗み見ると、声には出さず、ゆっくりと唇だけを動かして見せた。
「み」……
「す」……
「ぎ」――
“見過ぎ”。
そう指摘されたのだと気づいた瞬間、俺は咄嗟に口元をブレザーの袖口で隠しながら声を潜めて訴えた。
「ち、ちが……っ」
慌てて弁解しようとする声が、静まり返った教室に予想外に大きく響く。それを目ざとく見つけた先生に「波多野ー、前向けよ」と私語を注意され、クラス中の視線が俺に集まった。高校に入ってから、先生に名指しで指摘されることなんて一度もなかったのに。
(あぁ~~っ、もう! 犀川くんのせいなのに……)
俺は心臓をバクバクさせながら体を正面に戻し、やり場のない恥ずかしさに身悶えしながら、もう一度だけ、勇気を振り起こして隣を見る。
(え……? な、なに……今、俺に向かって、べーってした……!?)
俺が叱られるのを見届けていた犀川くんは、俺と目が合った瞬間、ほんの少しだけ舌先を覗かせた。こんな色っぽい「あっかんべー」なんて、人生で見たことがない。逃れるように、顔を伏せるように視線を教科書へと落とす。
あまりにも予想外のギャップと、底が見えない彼の「素」の断片。頭が真っ白になって、追いつけない感情がパニックを起こしている。
その証拠に、俺のノートに書き殴られた板書は、途中から意味不明な段飛ばしの数式へと変わり果てていた。



