「波多野、メシ食い終わったなら、放送室行くけど」
昼休み。いつものワイヤレスイヤホンを耳に差した犀川くんは、教室以外の場所でお昼を済ませたのか、空のパン袋を手に持っていた。
俺は慌てて食べ終えた弁当箱を片付け、スマホと財布を握りしめて立ち上がる。
「い、今行く……!」
促すようにスッと視線を送って、犀川くんが先に教室を出る。その背中を追いながら、俺は手のひらにじっとりと嫌な汗をかくのを感じていた。
これから向かうのは、旧校舎の三階の突き当たり。光の届きにくい廊下の先にある、狭くて防音完備された放送室だ。
(深呼吸して、落ち着かなきゃ……ただの委員会、ただのクラスメイト。コヨくんに声が似てるだのなんだのは、一旦全部忘れよう……)
けれど、必死に念じれば念じるほど、犀川くんの声が脳内でリピートされ、歩調のリズムと大きな心音は重なっていた。
「波多野? どうした、なんか今日……」
不自然に黙り込み、挙動不審を隠しきれない俺を訝しげに見て、犀川くんが言いかけた――その時だった。
「やばい! 犀川先輩がいる!」
「え、どこ!? 待って、無理無理ぃ……実物、オーラがエグいって!」
渡り廊下に、弾けるような黄色い悲鳴が響き渡った。声の主は、一階から上がってきた一年生の女子たちだ。
犀川くんはその声にあからさまに眉根を寄せ、辟易した表情で視線を正面に戻す。歩く速度がさっきよりも速まった。
「ねぇ、誰か声かけてきてよ。超レアじゃん、廊下で会えるの」
「やだ、無理! お姉ちゃんから聞いたもん。犀川先輩、塩対応なんて通り越してもはや『氷』だって。近づくだけで凍死するってよ」
隠す気のない、剥き出しの好奇心と熱。
立ち止まってその光景を呆然と見守る俺を置き去りにして、犀川くんは重い溜息をつくと、職員室へと足を向けた。
放送室の鍵を受け取りに行く彼の後ろ姿を見送りながら、女子たちの噂話はさらに熱を上げていく。
「あーあ、行っちゃった……。DMだけでも教えてほしかったな」
「何言ってんの。三年のユイ先輩すら、去年の夏に中庭に呼びだしたら、秒で振られたんだってよ?」
「ガチで? あの天使がダメなら、ウチらに望みなんてあるわけないじゃん」
渡り廊下を通り抜ける風に乗って、聞き捨てならない名前が届いた。
ユイ先輩。この進学校でも一際目立つ有名人で、SNSのフォロワー数万を抱えるインフルエンサーだ。学年を越えて男子から「天使」と崇められる彼女の告白を、一蹴したなんて信じられない。
犀川くんとユイ先輩が並び立つ姿を想像すれば、それはまるでラブコメ映画のポスターのように完璧で、ぐうの音も出ないほどお似合いだ。
「……どういう人が好きなんだろうね、犀川先輩って」
「超頭良くて、超可愛くないと無理だよ。大学生になったら、事務所とか入りそうじゃない?」
「えーっ、じゃあ尚更、今のうちに仲良くなりたいんですけど~!」
楽しそうに去っていく一年生たちの背中を見送る。
確かに、気になる。これほどまでに完璧を体現した犀川くんが、一体どんな相手に心を許し、そのクールな壁を溶かして恋に落ちるのか。
上靴のつま先に視線を落とし、ぼんやりとその答えを探してみる。犀川くんには、きっと知的で落ち着いた、凛とした人が似合う気がする。そんな勝手なイメージを膨らませていると……。
「波多野、何してんの。行くぞ」
肩を軽く叩かれて、俺は弾かれたように我に返った。いつの間にか鍵を借りて戻ってきた犀川くんが、俺のすぐ傍に立っている。女子たちに向けていた「氷」のような冷たさはどこへやら、少しだけ困ったように眉を下げた、柔らかな瞳と目が合う。
視線の先でジャラリと鍵の束を揺らし、犀川くんはふっと微かな笑みを浮かべて言った。
「さっきから、ぼーっとしすぎ。機材の説明とかするから、急いで」
「う、うんっ……」
その声に抗えるはずもなく、俺は吸い寄せられるように彼の後を追った。
職員室の角を曲がり、彼が一段飛ばしで階段を上り始める。その背中を見上げながら、俺はスマホを持つ手にぎゅっと力を込めた。
昼休み。いつものワイヤレスイヤホンを耳に差した犀川くんは、教室以外の場所でお昼を済ませたのか、空のパン袋を手に持っていた。
俺は慌てて食べ終えた弁当箱を片付け、スマホと財布を握りしめて立ち上がる。
「い、今行く……!」
促すようにスッと視線を送って、犀川くんが先に教室を出る。その背中を追いながら、俺は手のひらにじっとりと嫌な汗をかくのを感じていた。
これから向かうのは、旧校舎の三階の突き当たり。光の届きにくい廊下の先にある、狭くて防音完備された放送室だ。
(深呼吸して、落ち着かなきゃ……ただの委員会、ただのクラスメイト。コヨくんに声が似てるだのなんだのは、一旦全部忘れよう……)
けれど、必死に念じれば念じるほど、犀川くんの声が脳内でリピートされ、歩調のリズムと大きな心音は重なっていた。
「波多野? どうした、なんか今日……」
不自然に黙り込み、挙動不審を隠しきれない俺を訝しげに見て、犀川くんが言いかけた――その時だった。
「やばい! 犀川先輩がいる!」
「え、どこ!? 待って、無理無理ぃ……実物、オーラがエグいって!」
渡り廊下に、弾けるような黄色い悲鳴が響き渡った。声の主は、一階から上がってきた一年生の女子たちだ。
犀川くんはその声にあからさまに眉根を寄せ、辟易した表情で視線を正面に戻す。歩く速度がさっきよりも速まった。
「ねぇ、誰か声かけてきてよ。超レアじゃん、廊下で会えるの」
「やだ、無理! お姉ちゃんから聞いたもん。犀川先輩、塩対応なんて通り越してもはや『氷』だって。近づくだけで凍死するってよ」
隠す気のない、剥き出しの好奇心と熱。
立ち止まってその光景を呆然と見守る俺を置き去りにして、犀川くんは重い溜息をつくと、職員室へと足を向けた。
放送室の鍵を受け取りに行く彼の後ろ姿を見送りながら、女子たちの噂話はさらに熱を上げていく。
「あーあ、行っちゃった……。DMだけでも教えてほしかったな」
「何言ってんの。三年のユイ先輩すら、去年の夏に中庭に呼びだしたら、秒で振られたんだってよ?」
「ガチで? あの天使がダメなら、ウチらに望みなんてあるわけないじゃん」
渡り廊下を通り抜ける風に乗って、聞き捨てならない名前が届いた。
ユイ先輩。この進学校でも一際目立つ有名人で、SNSのフォロワー数万を抱えるインフルエンサーだ。学年を越えて男子から「天使」と崇められる彼女の告白を、一蹴したなんて信じられない。
犀川くんとユイ先輩が並び立つ姿を想像すれば、それはまるでラブコメ映画のポスターのように完璧で、ぐうの音も出ないほどお似合いだ。
「……どういう人が好きなんだろうね、犀川先輩って」
「超頭良くて、超可愛くないと無理だよ。大学生になったら、事務所とか入りそうじゃない?」
「えーっ、じゃあ尚更、今のうちに仲良くなりたいんですけど~!」
楽しそうに去っていく一年生たちの背中を見送る。
確かに、気になる。これほどまでに完璧を体現した犀川くんが、一体どんな相手に心を許し、そのクールな壁を溶かして恋に落ちるのか。
上靴のつま先に視線を落とし、ぼんやりとその答えを探してみる。犀川くんには、きっと知的で落ち着いた、凛とした人が似合う気がする。そんな勝手なイメージを膨らませていると……。
「波多野、何してんの。行くぞ」
肩を軽く叩かれて、俺は弾かれたように我に返った。いつの間にか鍵を借りて戻ってきた犀川くんが、俺のすぐ傍に立っている。女子たちに向けていた「氷」のような冷たさはどこへやら、少しだけ困ったように眉を下げた、柔らかな瞳と目が合う。
視線の先でジャラリと鍵の束を揺らし、犀川くんはふっと微かな笑みを浮かべて言った。
「さっきから、ぼーっとしすぎ。機材の説明とかするから、急いで」
「う、うんっ……」
その声に抗えるはずもなく、俺は吸い寄せられるように彼の後を追った。
職員室の角を曲がり、彼が一段飛ばしで階段を上り始める。その背中を見上げながら、俺はスマホを持つ手にぎゅっと力を込めた。



