推しのASMR配信者は、隣の席の犀川くん!?

『はい、じゃあ配信はじめまーす。コヨくんのASMR部屋へようこそ。昨日アップした動画、見てくれました?』

 軽やかな挨拶が響くと同時に、視聴者数は数分で数万人という大台を突破した。
 画面の向こう側は、いつものように色とりどりのハートマークが川となって流れていく。
 「今日もひたすら声が良い」「お休みなのに配信してくれて、ありがとう」と、興奮を隠しきれない文字が、下から上へと物凄い勢いで駆け上がっていく。

『ありがとうございます。……えっと、今日はこちら。飽き性の方々向けに、10種類の音を用意してみました。今から順番に、やっていこうかなと思います』

 イヤホン越しでもわかるくらい、コヨくんの笑い声が優しく響いた。俺はその様子を椅子の上で見つめながら、今にも胸からあふれ出しそうな気持ちを、必死に飲み込む。

(メロすぎて無理。世界一かっこいい。造形が神だし、存在がもはや奇跡でしょ。光り輝く恋人を拝める幸せ……!)

 不意に、膝の上にふわりと温かい重みが伝わった。
 手元のスマホが見えなくなるくらい、白い毛玉で視界を埋め尽くされ、喉を鳴らすゴロゴロという音に包まれる。その拍子に、響也くんから借りている有線イヤホンがスマホ端子から外れてしまった。

「あっ……」

 配信画面から流れる音に、ごくわずかな低いハウリングが混じる。俺は心臓が跳ね上がるのを感じながら、あわててイヤホンを繋ぎ直し、暴れる(ツキ)ちゃんを両腕で抱きとめた。
 ミャウ?と鳴き声を響かせる月ちゃんに、「しーっ」と唇に指を当てて静かにするように伝える。

《今のハウったのは「おとなりさん」のスマホのせい?》
《猫様のご乱入きたwww レア音源助かる》

 配信のコメント欄は、俺のミスを面白がる声で溢れかえっていた。

「あ、ごめんね。ちょっと軽い事故があったみたいで……いま、「おとなりさん」がめちゃくちゃ隣で謝ってるポーズしてます。ははは、かわいー」

 ふと、カメラ越しに響也くんの視線と絡まる。俺が身振り手振りで「早く配信に戻って!」と急かすと、コメント欄には更なる冷やかしが流れた。

《初っ端から惚気全開ww もうすぐコヨくんたち、月記念日だからかな?》
《聞いてるこっちがニヤニヤしちゃう》
《てか『おとなりさん』の顔出し出演はまだですか~》

 スマホの画面に次々と書きこまれる応援コメント。
 嬉しい、嬉しいけれど、なにも口出しできない俺はそれを黙って見守る事しか出来ない。

「……俺と同じで、まだ高校生だし、顔出しはNGです。手元もだめ。手だけで可愛いのがバレちゃうしね」

 響也くんは余裕たっぷりに、俺をからかうような言葉でリクエストをかわしていく。
 「手だけでww」「お腹いっぱいのラブラブをありがとう」というコメントを見ながら、膝の上で月ちゃんを抱え、顔を真っ赤にして口をパクパクさせている俺に気づくと、響也くんは、そんな俺の狼狽えぶりを満足げに眺めていた。
 画面には、コヨくんが片想いを成就させた相手を見たい、カップルチャンネルの開設やVlog(ブイログ)を投稿して欲しいという声で溢れている。

「カップルチャンネルは、やらないかな。Vlogは……『おとなりさん』の許可が出たら、メンバーシップ限定で前向きに検討します。スパチャは変わらず、活動の機材代と材料費にさせてもらうね」

 笑う彼の声を背中に聞きながら、俺は膝に乗せていた月ちゃんをそっと抱えて、配信部屋を抜け出した。
 「隣で見てみる?」という響也くんの提案で、最近は何度かこうして部屋の隅っこで生配信を見守っていたのだけれど、今の月ちゃんの乱入は、さすがに予想外のハプニングだ。

 向かいにある響也くんの勉強机や機材が置かれたスペースへと移動する。そこで月ちゃんにカリカリのオヤツをあげて待っていると、少ししてから、バタンと控えめな音を立ててドアがもう一度開いた。

「……音、お待たせ。うわ、可愛いが大渋滞してる」

 伸びをした腕を下ろしながら、響也くんはそのままの勢いで、俺と月ちゃんごと抱きしめた。
 配信を終えた安堵か、少し疲れた様子の彼が、俺の鎖骨のあたりにぐりぐりと顔を埋める。月ちゃんは「やめてニャ」と言いたげに、彼の腕をすり抜けてドアの隙間へ消えてしまった。

「今日の配信、どうだった?」
「あ……うん、テンポも良かったし、色んなトリガー音が聴けて大満足!」

 嘘じゃない。心からの賞賛だ。なのに、胸の奥に残るモヤモヤはなんだろう。
 それっきり俺が黙り込むと、響也くんは俺の頬に触れて、顔を覗き込んできた。

「……ごめんね。俺、古参リスナーのはずなのに。響也くんが輝けば輝くほど、なんだか遠い人になっていくみたいで……なんか……」

 響也くんとお付き合いを始めて、数か月。リスナーにも二人の関係を公表し、特別にリスナーの皆から、隣の席だったことに由来して「おとなりさん」なんてあだ名までつけてもらった。それなのに。
 願い続けたはずの彼の成功を、なぜか素直に噛み締められない自分がいる。画面の向こうの不特定多数に向けられる彼の「甘い声」に、ざらりとした胸騒ぎを覚えてしまう。

「それ、もしかしてヤキモチ?」
「……っ、え」
「自覚なかったの? 『響也くんが他の誰かに囁いているみたいで嫌だ~』って顔に書いてあるよ」

 あまりに真っ直ぐな指摘に、言い訳を探して言葉を濁そうとした。けれど、響也くんは俺の思考を止めるように軽々と抱え上げると、ベッドの上に座らせて、真っ直ぐに俺の瞳を見つめた。

「音が推し続けてくれるなら嬉しいけれど、妬いたならいくらでも甘やかす。……俺は欲張りだからさ。音の『推し』も『恋人』も、どっちの座も独り占めしたいんだよね」

 そのまま、唇に柔らかい熱が触れた。
 ぎゅ、と反射的に瞼を閉じる俺に、彼は愛おしそうに「まだ照れちゃう?」と鼻先を寄せて囁く。

「……あ、あの……推しが恋人で、恋人が推しで……そんなの、照れない訳がないといいますか……」
「あはは、確かに。心臓、壊れそうなくらい鳴ってんね」

 彼が胸元に耳を押し付けるようにして、擦り寄ってくる。普段のクールな彼からは想像もできないほど、俺の懐に入るのが上手だ。未だに「音は超鈍い」「信じられないくらい抜けてる」とからかわれる日々だけれど、目の前の響也くんが向けてくれる愛情表現は、いつだって供給過多で、俺のキャパを簡単に超えていた。

「もう一回、キスしていい?」
「……うん」

 響也くんの手が、俺の両耳を塞ぐようにそっと添えられる。俺も同じように彼の耳に触れると、掌を通じて微かな脈動が伝わり、二人の心音が溶け合うように同期していった。
 見つめ合い、どちらからともなく寄せられた唇。こみ上げる熱を隠すように顔を伏せる。
 部屋の空気は二人分の体温を帯びたまま。目が合うだけで、指先がかすめるだけで、胸の奥が震えるほど幸せだった。

「ちょっと、足りない……かも、です」
「そうだね。俺も、全然足りないよ」

 少しだけ茶化すように微笑む響也くんの体温が、服越しにふわりと伝わってくる。離れるのが名残惜しくて、俺は彼のシャツの裾をぎゅっと掴んでしまった。彼はそれを「おねだり」だと受け取ったのか、逃がさないとばかりに俺の腰を引き寄せる。
 視線が至近距離で重なり、最後にもう一度だけ。あどけなさと切実さが混ざり合うような口づけを、額へ、そして鼻筋へと落としていく。
 ちゅ、という小さな、けれど耳の奥まで痺れるような音が、全身へととろけるように広がった。
 たったそれだけの音に、こんなにも翻弄されるなんて。彼がくれる音の世界を、俺は一つも零さないように耳を澄ます。

「このまま、一緒に添い寝しよっか」
「えっ!? なっ、なんで……?」
「寒いし……せっかくの休みだし。俺の部屋でいっぱいイチャイチャしたいんですけど」

 なんて言いながら、背中をぽんぽんと子どもをあやすように優しく叩かれて、顔から火が出るほど恥ずかしくなる。それなのに、嫌だとは一ミリも思わないのだから、もう完全に敵わない。
 配信者・コヨくんとしてのシチュボは、相変わらず最高だ。あの声に何度救われたかわからないし、今でもそれは変わらない。
 けれど、今この瞬間、俺が響也くんから貰っている恋人としての「特別」は、もう声だけじゃない。
 これまではずっとイヤホン越しに夢見ていたものが、今ここにある。
 隣に横たわった時の布の擦れる音。混じり合う吐息。肌から直接伝わってくる、じんわりとした温かさ。そのすべてを、俺だけが独り占めできてしまうなんて、まだ少し信じられない気持ちがある。

「期末試験も終わって、頑張ったねーってヨシヨシして欲しくない?」
「……な、なんでそんなに、俺の考えてること分かるの?」

 響也くんはさらに声を潜めて、俺の耳元でいたずらっぽく囁いた。

「彼氏として、音のことを甘やかしてあげたい……って常に思ってるからかな」

 鼓膜をそっと揺らす、彼だけの特別な低音。配信のデバイスを通さない響也くんの声が、するりと胸の最奥まで落ちてくる。どんな高音質のマイクも、きっとこの温度だけは拾えない。
 応えるように絡めた指先にそっと力を込めれば、彼もまた、愛おしさを確かめるようにぎゅっと握り返してくれた。

(ずるい。こんなの、もっと好きになっちゃう……)

 響也くんが笑う時、俺も笑っている。言葉がなくても、ただ隣にいるだけで、お互いがゆっくりと満たされていくのがわかる。
 二人だけの秘密の周波数に合わせるように、俺たちの気持ちはこの先もきっと、ずっと響き合っていく。
 冬の柔らかな光が差し込む部屋のなかで、足首を絡め合う。
 重なりあう二つの心音。
 その優しい共鳴は、響也くんの腕の温もりとともに、俺の耳も心も満たしてくれた。





<end.>