推しのASMR配信者は、隣の席の犀川くん!?

 放送委員、最後の当番の日。俺は朝からずっと、落ち着かない心臓の鼓動を持て余していた。
 六時間目のLHRでも、球技大会のメンバー決めで盛り上がるクラスをよそに、一人スマホを操作する響也くんの横顔を目で追う。
 窓から差し込む午後の光が、彼の睫毛の先に薄い影を落としていた。
 俺を「好きだ」と言ってくれたこと。その繊細な耳に隠された秘密を打ち明けてくれたこと。
 あの日以来、響也くんをただの同級生として意識しないなんて、やっぱり無理な話だった。

「それじゃあ、今日のホームルームは終了。競技別のメンバー表は、下校前に提出して行くようにー」

 放課後のチャイムが鳴り、ようやく訪れる二人きりの時間に期待が跳ねた、その時だった。
 先生に呼ばれた響也くんが席を外した隙を突くように、運動部の男子たちが、わざとらしいほど大きな声で笑い始めた。

「てか、犀川って湊と同じ中学でバスケやってたんだろ? なんで見学なわけ?」
「まあ、あれじゃね。汗だらだらになるのが嫌なんだろ。いっつも体育の時は保健室だしな」
「……必死なツラ見せんのが嫌とか? どんだけカッコつけてんだよ。そんなに女子にモテたいのかね」

 ぴく、と指先が止まる。教科書を詰め込もうとしていた手が、微かに震えていた。
 怒りよりも先に、胸の奥をナイフで削られるような痛みが走る。響也くんがどんな思いでその場をやり過ごしているか。彼が「カッコつけている」のではなく「耐えている」のだと知っているのは、この教室で俺だけだ。

「メッチャわかる~! いっつもイヤホンしてさ、感じ悪いよな」
「頭いいし、ツラいいし。自分に超自信あんだろ。なんなら、俺らのこと見下してんじゃねーのって思う」

 憶測と嫉妬の混じった、好き勝手な言いぶり。
 響也くんが自分の耳にイヤホンを挿す理由を、彼らは何も知らない。だとしても、黙ってはいられなかった。
 ガタン、と大きく椅子が揺れる音が響く。
 顔をこちらへ向けた彼らの目の前まで歩み寄り、俺はぎゅっと胸の辺りを押さえてはっきりと告げた。

「あの……そういうこと言うの、どうかと思う!」

 輪になって喋り込んでいた男子たちは、予想外の反撃に目を丸くして驚いていた。
 下校準備をしていたクラスメイトたちの視線が、教室の中央にいる俺たちに集中するのがわかる。
 もちろん、教卓の横で担任と話していた響也くんの耳にも、それは届いていた。

「え、なんか波多野がいきなりキレてんだけど。てか、お前そんなデカい声出せたんだ?」
「ウケる。さすが優等生、悪口パトロールお疲れ~っす」

 投げかけられる、嘲笑を含んだ視線。担任の「おい、波多野。どうした」という口論を制止するような声が飛んでくる。
 耳が熱かった。視界の端に、響也くんの気配がある。それでも、そのまま引き下がろうとは思わなかった。
 彼の抱える「本当のこと」を、俺が勝手に話す権利なんてない。
 けれど、何も知らない彼らが響也くんを「こういう人間だ」と決めつける陰口だけは、どうしても許せなかった。

「俺のことは何言ってもいい! でも……響也くんのこと、そういう風に悪く言わないで」

 言葉が、涙の予感と一緒にせり上がってきて、途中でつかえた。うまく続きが出てこない。伝えたいことは山ほどあるのに、どれも形にならないまま胸の中でひしめいている。

「何それ。だる絡みすんなって。……ちょい、退いてくんね? フツーに邪魔」
「い、嫌だ。さっき言ったこと、取り消すまで……」

 これほどまでに誰かのために、自分を投げ出すような怒りを覚えたことなんてなかった。
 呆気にとられて黙り込む男子たち。シンと静まり返る教室。その沈黙を破って、自分の席に戻ってきた響也くんが、言葉に詰まる俺の手をそっと引いた。

「……放送室行くぞ。委員の仕事あるだろ」

 低く、凪いだ声。彼は怒るでもなく、困るでもなく、ただひどく穏やかだった。それがかえって、俺の独りよがりな正義感を浮き彫りにするようで、胸が締め付けられる。

「い、嫌だ。……俺が、さっきのはどうしても許せないから」

 納得がいかない。訂正してほしい。もう二度と、憶測で言わないでほしい。
 けれど、響也くんがこれ以上の注目を望んでいないことも分かってしまい、俺は煮え切らない思いのまま、彼を見上げた。
 響也くんの表情は、いつもとほとんど変わらない。
 ただ、その目の奥にだけ、何か薄くて脆いものが揺れているように見えた。 

「……競技に出られない分、クラスの応援スケジュール管理と備品の用意は、俺ができる形で全力でやる。それで許してもらえると嬉しい」

 響也くんは、彼らの方を振り返ってそれだけを淡々と告げた。
 「出られない」という言葉の裏にある、説明できない重みを察したのか、男子たちは気まずそうに「……悪かった」と短く返事をして目を逸らした。
 
「……響也くん、俺……」
「もういいだろ。……こっち来て」

 潮が引くように、教室が元の騒がしさを取り戻していく。
 クラスメイトが興味を失っていく中、俺は響也くんに手首を引かれ、放送室へと向かう。
 廊下を歩く彼の背中は、どこかいつもより強張っているように見えた。
 ずっと、俺の方を振り返らない。引かれた手首に視線を落とし、俺は緊張と恥ずかしさ、そして悲しさに下唇を強く噛んだ。

(なんで俺が泣きそうになってんの……傷ついてるのは、響也くんの方なのに……)

 涙はどうにか堪えたけれど、俺の中の泣き虫がすぐにまた顔を出そうとする。
 独りよがりに対する後悔と情けなさだけが、心の中でずっと渦巻いていた。