翌日も、授業中だというのに、意識は勝手に隣にいる犀川くんの気配を追いかけっぱなしだった。
けれど、彼と目が合うことは一度もない。何事もなかったかのように振る舞う彼に合わせて、俺もまた「普段の自分」を必死に演じ続ける。
それでも集中することは出来ないまま――休み時間になると、すぐに海藤くんが俺の肩を叩いた。
「波多野。今度の休み、ここ行かない?」
見せられたスマホには、スポッチャのクーポン画面。期待に目を輝かせる海藤くんを前に、俺の心は一気に沈む。
(あー……どうしよう。こういう場所、めっちゃ苦手なんだけど……)
断りきれない性格が災いして、心の中では大量の冷や汗が止まらない。海藤くんを傷つけない言い訳を必死に探していると、視界に制服のブレザーが見えて、次の瞬間には手首をぎゅっと握られていた。
「波多野、ちょっと来て。二人で話したい」
週番の仕事で、職員室にワークを提出しに行っていたはずの犀川くんだった。
「え、なんで今? 波多野は俺と話してんだけど。見て分かんねぇ?」
「分かってる。でも俺も、今話したいことがあるから」
犀川くんがぐっと手首を引く。立ち上がりかけた俺の反対側の手を、今度は海藤くんが強く握りしめた。まるで綱引きみたいに、教室の真ん中で俺の両手が宙に浮く。
「波多野はいつから犀川のものになったわけ?」
「お前の物でもないだろ」
いつもは冗談を言い合う二人が、今は冗談抜きに――どこかトゲのある本気の口論を繰り広げている。教室中の「なんだなんだ」という好奇の目が、俺たち三人に一斉に集まった。
「ふ、ふたりとも……喧嘩しないで」
「「してねぇよ」」
見事に重なったハモり声。困り顔でふたりの顔を交互に見ると、海藤くんは「マジでウザい」と一気に不機嫌なオーラを纏って掴んでいた手を緩めた。犀川くんはそれを待っていたとばかりに、俺の手首を強く引き寄せる。
「あの、犀川くん。もうすぐ予鈴が……」
「あと五分あれば済む。いいから来て」
犀川くんは機嫌が悪いのか、ぶっきらぼうな態度で俺を廊下へと連れ出した。人気のない角を曲がったところで、彼はようやく足を止める。
スラックスのポケットに手を突っ込んだまま、じっと俺の目を見つめて言った。
「今度……テストが終わったら、一緒に出掛けてほしいんだけど」
ふいに訪れた沈黙。他クラスの賑やかな声や廊下を走る足音が、どこか遠い世界の出来事のように聞こえる。俺は「えっ」と間の抜けた声を漏らし、あわてて口を閉じた。ここで変なことを口にすれば、また彼を呆れさせてしまう気がしたからだ。
「こういうの、波多野が好きそうだなって思って」
差し出されたスマホの画面には、プラネタリウムのイベントページが開かれていた。タイトルの下に躍るのは『ASMRコラボ』の文字。極限までこだわった音響に、星空と香りを組み合わせた特別上映——。
驚きよりも先に、熱い嬉しさが胸に込み上げてきた。
犀川くんが俺の好みを考えてくれたこと。ASMRに理解のある彼と一緒に楽しめるということが、たまらなく嬉しい。
言葉が詰まって返せそうにない俺の隣で、犀川くんの喉仏が微かに動く。そのとき、ふと昨日のコヨくんの言葉が頭をよぎった。
(犀川くんも……緊張して、誘ってくれてるのかな)
俺は背中の後ろで、自分の指をぎゅっと絡め合わせた。早く返事をしなきゃという焦りと、これが単なる「お出かけ」ではないという確かな予感が、胸の奥で激しく混ざり合う。
「い、行きたいです……!」
「……じゃあ、決まり。詳しくはあとで連絡する」
その瞬間、彼の表情がふっと和らいだ。俺が安堵して頷くのを見届けると、犀川くんは「ふー……」と深く息を吐き出す。
彼は目元を軽く押さえ、ようやく肩の力を抜いて、ほんの少しだけ照れくさそうに笑った。
「波多野、一応言っておくけど。これ、デートだから。……意味、わかるよね? 流石に」
「……っ、あ、ええと……はい! 流石に、わかります……っ!」
面と向かって言い切られる日が来るなんて。言う方も言われる方も、こんなに照れるものなのだろうか。顔から火が出そうなほど熱くて、視線のやり場に困る。
けれど、真っ赤になった俺を見て満足そうに「……ならいい。戻ろう」と背を向けた犀川くんの耳も、どこか赤らんでいるように見えた。
教室へ戻るまでのわずかな時間、数歩先を歩く彼の背中を見つめる。
推しに似ているから、だけじゃない。犀川くんという人を、もっと真っすぐ、彼自身の言葉で知りたい。
そんな柔らかな想いで、俺の胸はいっぱいになっていた。
けれど、彼と目が合うことは一度もない。何事もなかったかのように振る舞う彼に合わせて、俺もまた「普段の自分」を必死に演じ続ける。
それでも集中することは出来ないまま――休み時間になると、すぐに海藤くんが俺の肩を叩いた。
「波多野。今度の休み、ここ行かない?」
見せられたスマホには、スポッチャのクーポン画面。期待に目を輝かせる海藤くんを前に、俺の心は一気に沈む。
(あー……どうしよう。こういう場所、めっちゃ苦手なんだけど……)
断りきれない性格が災いして、心の中では大量の冷や汗が止まらない。海藤くんを傷つけない言い訳を必死に探していると、視界に制服のブレザーが見えて、次の瞬間には手首をぎゅっと握られていた。
「波多野、ちょっと来て。二人で話したい」
週番の仕事で、職員室にワークを提出しに行っていたはずの犀川くんだった。
「え、なんで今? 波多野は俺と話してんだけど。見て分かんねぇ?」
「分かってる。でも俺も、今話したいことがあるから」
犀川くんがぐっと手首を引く。立ち上がりかけた俺の反対側の手を、今度は海藤くんが強く握りしめた。まるで綱引きみたいに、教室の真ん中で俺の両手が宙に浮く。
「波多野はいつから犀川のものになったわけ?」
「お前の物でもないだろ」
いつもは冗談を言い合う二人が、今は冗談抜きに――どこかトゲのある本気の口論を繰り広げている。教室中の「なんだなんだ」という好奇の目が、俺たち三人に一斉に集まった。
「ふ、ふたりとも……喧嘩しないで」
「「してねぇよ」」
見事に重なったハモり声。困り顔でふたりの顔を交互に見ると、海藤くんは「マジでウザい」と一気に不機嫌なオーラを纏って掴んでいた手を緩めた。犀川くんはそれを待っていたとばかりに、俺の手首を強く引き寄せる。
「あの、犀川くん。もうすぐ予鈴が……」
「あと五分あれば済む。いいから来て」
犀川くんは機嫌が悪いのか、ぶっきらぼうな態度で俺を廊下へと連れ出した。人気のない角を曲がったところで、彼はようやく足を止める。
スラックスのポケットに手を突っ込んだまま、じっと俺の目を見つめて言った。
「今度……テストが終わったら、一緒に出掛けてほしいんだけど」
ふいに訪れた沈黙。他クラスの賑やかな声や廊下を走る足音が、どこか遠い世界の出来事のように聞こえる。俺は「えっ」と間の抜けた声を漏らし、あわてて口を閉じた。ここで変なことを口にすれば、また彼を呆れさせてしまう気がしたからだ。
「こういうの、波多野が好きそうだなって思って」
差し出されたスマホの画面には、プラネタリウムのイベントページが開かれていた。タイトルの下に躍るのは『ASMRコラボ』の文字。極限までこだわった音響に、星空と香りを組み合わせた特別上映——。
驚きよりも先に、熱い嬉しさが胸に込み上げてきた。
犀川くんが俺の好みを考えてくれたこと。ASMRに理解のある彼と一緒に楽しめるということが、たまらなく嬉しい。
言葉が詰まって返せそうにない俺の隣で、犀川くんの喉仏が微かに動く。そのとき、ふと昨日のコヨくんの言葉が頭をよぎった。
(犀川くんも……緊張して、誘ってくれてるのかな)
俺は背中の後ろで、自分の指をぎゅっと絡め合わせた。早く返事をしなきゃという焦りと、これが単なる「お出かけ」ではないという確かな予感が、胸の奥で激しく混ざり合う。
「い、行きたいです……!」
「……じゃあ、決まり。詳しくはあとで連絡する」
その瞬間、彼の表情がふっと和らいだ。俺が安堵して頷くのを見届けると、犀川くんは「ふー……」と深く息を吐き出す。
彼は目元を軽く押さえ、ようやく肩の力を抜いて、ほんの少しだけ照れくさそうに笑った。
「波多野、一応言っておくけど。これ、デートだから。……意味、わかるよね? 流石に」
「……っ、あ、ええと……はい! 流石に、わかります……っ!」
面と向かって言い切られる日が来るなんて。言う方も言われる方も、こんなに照れるものなのだろうか。顔から火が出そうなほど熱くて、視線のやり場に困る。
けれど、真っ赤になった俺を見て満足そうに「……ならいい。戻ろう」と背を向けた犀川くんの耳も、どこか赤らんでいるように見えた。
教室へ戻るまでのわずかな時間、数歩先を歩く彼の背中を見つめる。
推しに似ているから、だけじゃない。犀川くんという人を、もっと真っすぐ、彼自身の言葉で知りたい。
そんな柔らかな想いで、俺の胸はいっぱいになっていた。



