君にさよならを告げたとき、愛してると思った。



 年明けから本格的に始まった就活は、想像を絶するほど大変だった。
 特に希望職種が定まっていない、歌うこと以外に趣味も特技もない。自己分析や自己PRや将来設計なんて一番の苦手分野。そんな私はこれでもかというほど厳しい現実を叩きつけられて、満開だった桜が緑に変わっていく頃には早くも心が折れかけていた。
 人生に少しでも余裕を持つためにとりあえず大学へ行っておこうと思っていただけで、将来について深く考えることもなくのらりくらりと大学生活を、いや人生の大半を過ごしてきたのだ。そんな私に『学生時代に頑張ってきたことは?』『その経験から得たことは?』なんて聞かれても困る。
 インターンシップには何度か参加したけれど、どの業種にも興味を惹かれることはなく、やりたいと思える仕事に出会うことはなかった。そんな私に『当社の弱みをどう認識しているか?』『この会社に入社した時、十年後の目標を具体的にどうぞ』なんて言われても困る。
『これまでに最も苦労した経験と、それをどのように解決したか』と聞かれた時、『今まさに最も苦労しているので、御社が内定をくれたら解決します』とでも答えたら内定をくれるだろうか、と考えてしまったほど途方に暮れていた。哀れみでもなんでもいいから、とにかく一社でも内定がほしい。
『back numberの素晴らしさは?』と聞いてくれたら、いくらでもプレゼンできるのに。
『大学 就活 面接』とネットで必死に調べながら面接に挑んでいるというのに、企業からの返事は不採用通知として返ってきた。
 もしかしたら私は、面接でなにか変なことを口走っているのだろうか。それとも人間的になにか欠陥があって、それが全身から滲み出ているのだろうかと被害妄想を始めてしまう。
 そんな私とは裏腹に、郁也はサクサクと就職先の目星をつけて、すでに何社か内定をもらっていた。ギターばかり弾いているくせにずるい。
 就活に専念したいから動画投稿のペースを落としてほしいと言っても頷いてはくれなくて、代わりに面接のコツや自己PRの仕方などを教えてくれた。
 初めて真剣に将来の話をする郁也は、将来設計もしっかりとできていて。
 集中すると周りが見えなくなるとかなんとか言っていたくせに、意外と要領がいいらしい。
 

「フミくんとどうなの?」
 付き合っていないから聞いてくるのだと思っていたけれど、彩乃は今でもこうして定期的に聞いてくる。どうなのもなにも、私たちは付き合い始めてからも相変わらず。
「普通だよ。音楽の話ばっかりしてるし、一緒にいる時もフミはギターばっかり弾いてる」
「ええー、なにそれ。あたし嫌だ、そんなの」
「そう?」
 郁也が『歌って』と言うから私はいつも歌っていて。そのうち『歌って』と言われなくても、郁也がギターを弾き始めたら自然と歌うようになった。言葉にしなくても通じ合っているような空間が好きだった。
 郁也といると時間が経つのがあっという間だったはずなのに、最近の私たちの間に流れている時間は、とてもゆったりとしたものに変わっていた。
「喧嘩とかしないの?」
「あんまりしないなあ」
「そうなんだ。仲良さそうだもんね」
 付き合い始めてからの郁也は、ギターを持っている時でも笑っていることが多くなって、前みたいに怒られることはずいぶんと減った。たまに怒られても私が口答えすることがないので喧嘩にはならない。
 たまに些細なキッカケでくだらない喧嘩をすることもある。でもしばらくすると郁也が何事もなかったかのように話しかけてきて、私もつい普通に答えてしまって、最終的にはふたりで笑い合っていた。
 郁也は付き合う前よりもずっと優しくて、大切にしてくれていることが伝わってくる。
 そう、大切にしてくれていることはわかっている。それでも少し不安になる時もある。なぜなら郁也は、前に彩乃が言っていた通りけっこうモテるからだ。
「あ、噂をすればフミくん……と、サナちゃん」
 今日の午後一は講義がないので、学食が混雑する昼休みを避けて学食へ向かった。
 空いているおかげで目にしたくない光景をたまに見てしまう。
 いつも郁也と一緒にいる、同じ学部の男の子たちと四人でテーブルを囲んでいる郁也と、彩乃いわく今年新しく軽音サークルに入った一年生の女の子たち。
 もともとSNSでギター演奏の動画投稿をしていた郁也には特定のファンがついていると彩乃から聞いていたけれど、動画配信サイトへの投稿を始めてからさらにファンが増えたらしい。
 真ん中で積極的に郁也に話しかけている女の子は、彩乃いわく『斉藤(さいとう)サナ』さん。郁也は隣に立っている斉藤さんを椅子に座ったまま見上げていて、私に背中を向けた状態だから、そろりそろりと少しずつ近付いている私の存在には気付いていない。
「フミ先輩、今日はなに食べますか?」
「奢り?」
「違いますよ! でも、デートしてくれるなら奢ります」
「デートはしないけど、買ってきて。B定食」
 言いながら、財布からプリペイドカードを出して斉藤さんに渡した。
 いやいやいや、自分で動けよ。『フミ先輩』とか呼ばれちゃってるじゃん。『デートしてくれるなら』とか言われちゃってるじゃん。絶対郁也に気あるじゃん。『デート』なんて単語が出なくても丸わかりなくらい、めちゃめちゃ狙われてるじゃん。
「ユズ、落ち着いて。深呼吸、深呼吸」
 彩乃が、いつの間にか拳を握り締めていた私の肩に手を乗せる。
「フミくん、前にも増してモテてるから……。でもちゃんと断ったんだし、心配することないよ」
 わかってる。郁也は浮気なんてする人じゃない。なにより彼女は私なんだからなにも心配することはない。
 郁也はいつも誰かに囲まれている。そんな郁也を羨ましくも思うし、憧れでもあるし、誇りでもある。なんとなく人を惹きつけるような雰囲気もある。私はまさになんとなく惹きつけられてしまったうちのひとりだからよくわかる。
 郁也からプリペイドカードを受け取った斉藤さんは、ルンルンとスキップをしながら友達を連れて券売機へと向かった。
 実際には学食でスキップなんてしているわけがないのだけれど、私にはそう見えた。なんなら彼女の周りには小花が舞っているようにも見えた。私はいつから幻覚が見えるようになってしまったのか。
 くるりと振り返って友達の方に体を向けた郁也は、その奥にいる私に気付いた。目が合うと、なぜ身体がピクリと強ばった。
「ユズ」
 大きな手をひらひらと振る郁也に、小さく手を振り返した。
 郁也とは練習日以外に大学内で話すことはあまりない。たまに見かけても郁也は友達といるし、私も私で彩乃や他の子といるから、今みたいに手を振り合って終わり。夜になれば会えるから、わざわざ大学内で話しかけることもないかなと思っていた。
 だからいつものようにそのまま彩乃と別の席に座ればいいのに、混雑を避けてきたおかげで席は選び放題なのに、なぜか私は金縛りに遭ったみたいに動けない。
 ……違う。身体が動かないなんて言い訳で、私はその先を見たいだけだ。自分のことを狙っている女の子に対して、郁也がどういう対応をするのかが気になるんだ。
 B定食が乗っているお盆を手に戻ってきた斉藤さんも私に気付いて、そのまま三秒ほど停止した。ぺこりと頭を下げた私に返してくれることはなく、郁也に顔を向けてにっこりと微笑んだ。
「これ、奢りです。デートしてくれますか?」
 おいおいおい。目の前に彼女がいるのに、よくそんなこと言えるな。
 ……待て待て私。なにを自惚れているんだろう。私たちは人前で一緒にいることなんてないに等しいのだから、私が彼女だということを斉藤さんが知らない可能性だってじゅうぶんにある。
 私が頭を下げたことに気付かなかったのかもしれないし、自分にそうしていると思わなかったのかもしれないし、単に知らない相手だから無視したのかもしれないし。
 あらゆる可能性があるのに、なかなか就職先が決まらないストレスで卑屈になっているのだろうか。
「お前が勝手に金出しただけだろ」
「ええーっ」
「優しい後輩持って良かったよ。いただきます」
 デートをキッパリと断ったのはハナマルだけれど、できればもう少し言葉を足してほしい。『彼女に悪いから』とか『彼女を不安にさせたくないから』とか『彼女としかデートしたくないから』とか。とにかく、なんでもいいから『彼女』というキーワードを出してほしい。
 斉藤さんほど積極的ではないものの、郁也のことを狙っているらしい後輩の女の子は他にもいる。だから最近はこういう場面を見る度にこんなことばかり考えてしまう。そしてその度に、私って面倒な女だったんだな、と軽い自己嫌悪に陥ってしまっていた。