冷酷と噂の最強陰陽師は、男装姫を手放さない


清涼殿には、夜というのに帝の近臣達が集められていた。
そこに後宮の女官達はいない。

豪奢な屏風の前には、帝が座っている。
側にある灯火がゆらゆらと揺れ、帝の前に並ぶ者達の顔は険しい。

「しかし主上」

「もう決めたのだ」

帝より言い渡されたのは、怨霊騒ぎを全て終わらせるため、大儀式を行うということ。
ただ近臣達は、その内容に愕然とし、ようやく一人が意見しようとした。

それを帝は見透かしたように答える。

「お前達の懸念はわかる。
だが、こうしなくては終わらぬ」

「しかしそれでは」

それでもなんとかならないかと、近臣達はすがるように言う。

「下がれ」

取り付く島もない様子に、近臣達は深く手をついて部屋から下がった。

怨霊を全て消すための大儀式は今度の満月。
その前に、準備をせねばならない。

(おそらくこの話を流せば、来る。
すばるなら、必ず)

帝は、御乳の命婦を呼び、数日後また後宮の者達を早めに下がらせるように伝えた。



*********



その夜は曇り空。
覚えのある池は、時折細い月の光をぼんやり映し出す。
その側で空を見上げていると、人の気配に気づいた。

「ここにいるのは私だけだ」

建物の陰から出てきたのは、すばるだった。
男物の小袖に髪をまとめているが、もう帷には、すばるが娘にしか見えない。

「よく桐壺からここまで来ていたな」

すばる、いや、照は静かに帷の前に出る。

「すっかりここまでの行き方は覚えました」

照は帷の言葉をかわす。

「聞きたかった。
何故、お前はこんな事をしたのだ」

責める口調でも無く、ただの疑問だと照にはわかった。

「私の後宮での立ち位置はご存じなのでしょう?」

帷は答えない。

「人身御供などと言えば聞こえは良いですが、ただ暇を持て余していたのです。
陰陽師という言葉を耳にし、ただの好奇心で外に出ました。
入内などあり得ない家ですので、子供の頃は木に登って、絡まった髪を切ってしまったり。
母君が私の髪を見て倒れたことを、今でも事あるごとに言われております」

子供のような笑顔。
悲壮さは何も無い。

帷は何も言わず、ただすばるを見下ろしていた。
照、と呼ぶのははばかられる。

この姫は目の前にいる陰陽師が、帝だなどと思いもしないだろう。
すばると呼んで良いのは、帷としての特権だ。

しばらく沈黙が続き、木々の葉が軽く音を立てた。

「怨霊騒ぎを全て終わらせる儀式が行われると聞きました。
帷様がされるのですか?」

「そうだ」

「ここで行った儀式でしょうか?」

帷は視線をすばるから外す。

「危険なものなのですか?」

あの怨霊に帷が襲われそうになったことがよぎる。

「そういう儀式では無い。
呪いをかけた本人そのものを使い、怨霊を呼び寄せ、祓う。
これで全ての片がつく」

「呪いをかけた本人を使う?
どういう意味ですか」

「お前が気にすることは無い。
もう戻れ」

きびすを返しかけた帷の袖を、咄嗟に照は掴む。

「呪いをかけた本人とは、どなたですか」

帷を見上げるその瞳は、答え合わせを求めるかのようだ。

「おそらくお前が思う者だ」

「梅壺の女御様、ですね」

強い瞳から帷は逃げない。

そうでは無いかと、照はあの香で確信した。
強い香は、何重もの穢れを含んでいるように思えた。
守るための香では無く、女御を縛っているとさえ。

「女御様の御身は」

「呪いをかけた者は、それが返ってくる覚悟をせねばならない。
当然のことだ」

袖を握っていた照の手が緩む。

(女御様のお命がかかっているというの)

「その儀式は、女御様でなければなりませんか?」

帷は少しだけ顔を動かした。

「先ほども話した通りだ」

「式神は使えないのですか」

「式神では無理だ。
人間でなければならない。
生きている人間ほど、強いものは無い」

帷は梅壺の女御に何一つ同情していなかった。
入内した以上、覚悟は必要。
それが他の姫を呪うなど。

陰陽師の帷だからこそ、そして帝だからこそこれが最善と結論づけた。

急に空気が変わった気がした。

照のまとう空気が変わったのだ。

「主上は、梅壺の女御様と麗景殿の更衣様とお話しになったことはあるのでしょうか」

急な話だが、帷は照に向き合う。

「あの姫君達が、後宮という籠の中でどんな日々をお過ごしなのか、ご存じなのでしょうか」

帷は答えない。
答えられるはずもない。
帝としてという話の前に、帝は姫達と言葉を交わしたことなど無かったからだ。

「帝は何もなさらなかった。
姫達の思いを聞こうともせず孤独に追い込んだのは、どなたでしょう」

「すばる」

それ以上言ってはならない。
だが照は怯まなかった。

「この呪いは女御様だけが背負うものでしょうか。
帝に、罪はないのでしょうか」

「すばる」

責めるような声を浴びせられても、照の目は怯え一つすら無い。

「弘徽殿の女御様が身罷り、次に梅壺の女御様まで身罷れば、帝の世は荒れます」

わかっている。
そんなことは帷が、帝である自分自身が誰よりもわかっている。
しかし、それしかないのだと。

「ですが」

静かに照は続ける。

「ここに、適役がおります」

照は胸に手を当てた。

急な展開に帷は言葉を失う。

「そもそも私は呪い殺されても仕方が無い、人身御供として後宮に送られました。
暇に思う日々で帷様と出会い、勝手に後宮を手助けしていたなどと思い込んで。
姫二人は待つことしか出来ず、自由も無い。

ですが、私は違います。
こうやって選ぶことが出来る。
幸福だとさえ、思うのです」

照は自分が後宮に来た意味を、初めて理解出来た。
このために私がいる。
そして、それを私が選んだのだと。

慈愛に満ちたすばるの表情に、帷は胸を刺された気がした。
そして気づいた。
すばるの声が、僅かに震えていることを。
その笑みが、まだ若い娘にとって、精一杯の強がりであることも。

自分の考えや決意は正しい、それは今も変わらない。
変わらないはずなのに、すばるは帝を責める。
その上、自分が身代わりになると目の前のすばるは言う。
それが帷の、いや帝としての心を揺るがせる。

(何が幸福だ。
自分を、そんなにも軽く扱っているということに気づいていないのか。
私は、お前が消える未来など、考えたことはない)

帷の腹の底から、怒りとそして味わったことの無い恐怖が湧き上がる。

「幸福などと言うな」

低く、押し殺した声だった。
だが、その奥に潜むものを、帷自身が制御できていない。

怒り。
恐怖。

陰陽師として、帝として、冷酷なまでになったはずの心が、乱れる。

「お前が選ぶと言ったな。
だがそれは自由などではない。
それは、切り捨てられた者が、生け贄になると言っているだけだ。
そんなものを、幸福などと思うな」

もしも、すばるがこの世から消えてしまったならば。

帝であることで、すばるが消えることになる。
ならこの立場に、意味はあるのだろうか。

「お前こそ縛られているのだ。
お前が、苦しみを一人で背負うことなど、私は許さない。
必ず、私の元に連れ戻す」

すばるが、ふわりと笑みを浮かべる。
まるで、もう消えてしまうかのように儚い。

「帷様は最強の陰陽師。
私は、あなた様を心から信じております」

「誓う。
お前がどこにいこうとしても、私が連れ戻す。
お前が心から微笑む場所は、私の元だけだ。

そのためなら私は、築いてきたもの全てを失っても構わない」

絶対に消えさせたりはしない。
もう一度この腕に抱くまでは。

いつの間にか雲は厚くなり、月明かりは消えている。
それは、すばる、いや照を、天が隠していくかのようだった。


*********


広い庭には、すでに白砂の上に陣が敷かれていた。
前には祭壇が用意されている。

かがり火が揺れ、帷の白い狩衣が赤く照らされる。
今宵満月のはずが、厚い雲に覆われ、全ての光を消しているようだ。

帷は陣の縁をゆっくりと歩き、狂いが無いか、見落としが無いかを確認する。
あとは怨霊を呼び寄せ、祓う。
そのための、生きた依り代も決めていた。
そこに、何の迷いも無かった。
だが。

「お待たせ致しました」

済んだ声が、帷の迷いを裂くように響き、帷はゆっくりとそちらを振り向く。

闇の中から、現れた赤。
燃えるような衣に、女御と同じ強い香をまとった照だった。

震えることもなく、真っ直ぐに帷の目の前に照は進み出た。

これから依り代の身代わりとは思えないほど、凜としてそこに立っている。

(やはりお前は来るのだな)

帷は、怯えて来ない照を想像できない。
だが、今だけはその期待を裏切って欲しかった。

自ら選んだ選択で、切り捨てる必要の無いものをここに立たせてしまった。
いや、手放してはならぬ者を手放す危険にさらすことにさせたのは帷だ。

照は真っ直ぐに帷を見上げている。
帷はその目から逃げずに告げた。

「良いか」

「はい」

帷の問いに、照ははっきりと答える。
帷は少しだけ目を伏せ、再度自分に言い聞かせた。

(絶対にこの娘を守る)

「儀式を始める」


*********


帷は照を陣の中心へ導く。

「目を閉じろ。
儀式が終わるまでずっとだ」

照が静かに目を閉じると、帷は呪を口の中で唱えそっと額に口づける。

「加護だ。お前を守る」

照は小さく頷いた。

帷は陣の外に出て、手印を結び、呪を唱え出す。
すぐに庭の空気が変わり、濁ったような、腐ったような臭いがする。

依り代に呼ばれるように、呪いと怨念が陣にぶつかっては消えはじめた。

(このままでいけば終わる)

予想通りの展開、のはずだった。

突然、怨霊が増え上がり、人の形をして陣へと向かい出す。
照を守る陣の中、いや、地面からも黒い何かが立ち上がり、照を覆い始めた。

(照に感化されたか)

優しい照に、怨霊達がつけ込み始めた。
このままでは呪い殺される末路があるだけ。

ゆっくり照が倒れかかる。
次の瞬間、帷は手印を解き、陣の内へ踏み込んでいた。

結界が、音を立てて軋む。
術中の放棄など、してはならない。
しかし、帷にはそんな余裕はなかった。
倒れる前に照を抱き留める。

『なぜ』

照から見知らぬ女の声がした。
それも何重にも違う声が重なっている。

閉じていたはずの照の目は開いている。
しかし、うつろでなにも映していない。

『どうしてなのですか、主上』

後宮で苦しんできた数え切れない女達の声が、照にすがり、取り込もうとしていた。

「照!」

肩を揺するが、目はうつろなまま。

「飲み込まれるな、戻れ!」

手印を結んでも、照は反応しない。
額につけた加護はほとんど消えかけている。

白い手が、帷の袖を掴む。

『この者だけ、ずるい』

照のその手は異様に冷たい。
帷は唇を引き結ぶ。

このままでは照は命を落とす。
その考えがよぎったとき、帷の心が冷え渡る。

この娘を失ったならば。
自分が帝として立っている、そんな未来など思い描けない。

時間が無い。
帷は目を閉じ、決めた。
この術は一方だけでは意味が無い。

(信じると、言った)

その言葉で、帷はある術を行うことを決める。

帷は照の顎を指でゆっくり上を向かせる。
本来眩しいほど真っ直ぐな目は、自分を見ていない。

「許せ、照」

帷はそっと照の唇に自分の唇を重ねる。
氷のように冷たい唇に、熱を渡すように。

その時。

照は闇の中にいた。
足に沢山の手が絡み、照の前に代わる代わる見知らぬ姫が現れる。

『なぜ、ずるい、寂しい』

照はその苦しみに押しつぶされそうになっていた。
闇は冷たく、照の体温を奪っていく。

(これが私の役目だったのね)

涙が流れ続けるのに、何故か心は穏やかだった。

(もし死んでしまったら、帷様、悲しんでくれるかしら)

酷い女だと思いつつ、考えることすら出来なくなる。
冷たい闇に沈む中、自分の唇だけが温かいことに気づく。

ふと顔を上げれば、何かが自分に向かっている。

(あの人だ)

無意識に照は手を伸ばし、その手を掴んだ。

その瞬間、照の周りに光が走り、闇が弾ける。
照に群がっていたあれだけの怨霊が消え去り、静かに庭の空気が変わっていく。

術は成功した。
それは照が帷を受け入れたからこそ、出来たことだった。

帷は、照の唇の温かさを確かめるようにして、ゆっくりと離れる。

抱きしめている照の身体が少しだけ動き、目が帷に向く。
その目は、帷の知っている美しい目だった。

「儀式は・・・・・・」

「無事終わった」

「良かった・・・・・・」

安心したように照は少しだけ微笑むと、目を閉じてしまった。
唇は少しだけ空き、規則正しい呼吸をしている。

帷は再度優しく抱きしめ、慈しむように照の額に額を寄せる。
そして心の底にある、執着という初めての感情を知った。

この腕の中にいるものを守る為なら、地位も名誉も、何も惜しくはない。

この感情は、なんと恐ろしいものだろうか。
そう思いながらも、胸の奥は温かかった。

「二度と、私の前から消えることは許さない。
お前は、私のものだ」

厚い雲に覆われていた満月が、いつの間にか庭を照らしている。
帷はただ、月光の下、照を抱き続けていた。