冷酷と噂の最強陰陽師は、男装姫を手放さない


その後も帷とすばるの姿をした照との、夜の仕事は続いた。

すばるは眩しいほどの瞳で帷を見る。
帷は、すばるにさせていることを話してはいなかった。

広い後宮、それも短時間で怪しい場所の穢れを祓うのは大変な行為だった。
後宮である以上、派遣される陰陽師は限られ、その者達で払うしかない。

しかし全て気づけてはいない。
取りこぼしがないか、帷が最後の確認をして回っていた。

冷酷と噂の帷が子供を連れている。
それはすぐに陰陽師達の噂となった。

ある日、すばるがいつも通り待ち合わせの柱に隠れるように待っていると、そこに現れたのは見知らぬ陰陽師二人だった。

突然知らない男達が目の前にいて、すばるは顔をこわばらせる。

「お前が帷殿と一緒にいる子供か?」

すばるは後ずさり、柱に背がぶつかる。

「随分と可愛い顔をしているじゃないか」

「帷殿が引き立てる子供だから能力があるのだろうが、この見た目が一番なのではないか?」

はは、と笑う二人に、すばるは恐怖より帷を馬鹿にされた発言を聞いて眉間に皺を寄せる。

最初は冷たい人だと思った。
何もすばるに話すことも無く、淡々と穢れを祓うだけ。
だがその表情は真摯なものだとすばるは思えた。

(この人達、ようは帷様を羨んでるのよ)

「今宵は帷殿では無く私達と来い。色々と教えてやろう」

腹を立てていたすばるは、男の手が自分に伸びてきていることに気づいていなかった。

弾けるような音が響く。

すばるに届きそうだった手を叩き払ったのは、帷だった。

「これに何の用だ」

「いえ、その」

すばるの前には帷の大きな背中。
一段と低い帷の声に、男達はあからさまに動揺している。

「これは私が預かっている者だ。
私の許可無く、近寄るな。
・・・・・・次は、許さぬ」

低く落とした帷の声は、目の前の男達にだけ聞こえ、すばるはわからない。
男達の返事はすばるには聞こえず、急ぎ立ち去るような二人の足音だけが聞こえた。

「すばる」

「はいっ」

まだ背を向けられたまま、帷から呼びかけられたすばるの声は裏返り気味だ。

「今後、私以外の者に声をかけられてもついていくな」

「はい」

行くぞ、と言われすばるはその背中についていく。
守られるというのはこういうことを言うのだろうか、とすばるは広い背中を見ていた。





「しばらく来なくて良い」

いつものように突然もう帰れ、と帷から言われると、続いたのは意外な言葉だった。

「何かあるのですか?」

すばるを見下ろしていた帷は、顎に手を当てる。

「近日中に儀式を行う。
後宮で大きな騒ぎがあり、それを鎮めるためだ」

すばるはそれを聞いて思い出した。
女房達が大騒ぎしていたのだ、麗景殿の更衣が深夜首を何者かに絞められたと。

叫び声に気づいた女房達が急ぎかけつければ更衣の首には、くっきりと指のあとが残っていたそうだ。
麗景殿の更衣はその後伏せってしまい、梅壺の女御も様子がおかしいという。
二つの局の女房達はもちろんのこと、照の女房達も恐れおののいていた。

亡くなった女御の怨霊は、若く美しい更衣を今も妬んでいるのだ、自分が亡くなれば次に皇后となるであろう女御を苦しめているのだ、と。

照としてはこうやって二日に一度後宮の穢れを祓うことに加わっていたので、何故酷くなるのだろう、と気にはなっていた。

「こんなに祓っているのにどうしてでしょうか」

思わず疑問をすばるは口にした。

「それだけ、強いのだろう」

「怨霊が、ですか?」

すばるは穢れと思うモヤを見たことはあっても、怨霊やあやかしを見たことはなかった。
もしかして大きな怨霊は、気づかれないよう潜んでいたのかもしれない。

「とにかく」

すばるの額に帷の長い人差し指が当たる。
考え込んでいたすばるは、目を丸くして顔を上げた。

「あやかしを祓う儀式だ、しばらく来なくて良い」

「それが終わればまた来てもよろしいでしょうか」

すばるの真っ直ぐな瞳に、帷は小さくため息をついた。

「全て終われば、私達がここに来る意味は無くなるのだが」

気づいていなかった。
そうだ、陰陽師がここにいるのは怨霊騒ぎがあるからこそ。
それが落ち着けば、陰陽師が後宮に来る必要は無い。

「・・・・・・はい」

すばるはゆっくり返事をした。
顔が俯いていく。
帷とすばるが会う理由はなくなる、良いことなのに良くない事に思える理由がすばるはわからない。

「手を出せ」

帷の言葉の意味がわからないまま、照はおずおずと両手を差し出す。
無造作に置かれたのは包み紙。

「甘い菓子など、私はいらぬ。
もっていけ」

「え」

すばるが顔を上げると、そこに帷はいなかった。

照は部屋に戻って、灯に近づいてこっそりとその包み紙を開ける。
一つ口に入れれば、ただの揚げ菓子ではなく、しっかりと甘さのあるもの。
中流貴族では、滅多にここまで甘い菓子は食べられなかった。

「最後ってことかな」

こんな高級な菓子を突然渡された意味。
もう会うことは無い、そう思うと合点がいく。

照は一つだけ食べると、あとは大切に仕舞った。



*********



「この頃寝不足も無くなり、ようございました」

朝、照の髪にかもじをつけながら、糸が微笑む。

「朝起きるのがお辛そうでしたし、夜眠れないのは怨霊のせいではと」

ただ夜に男装して出歩くことが無くなっただけだ。

「大丈夫よ、単に寝付けない日が多かっただけ」

糸の顔が曇る。

「やはり」

「だから違うって。暇だから眠れないの」

髪を整えていた糸の手が止まり、照が鏡越しに糸を見ると頷いている。

「主上は姫様のことも気になされていたのですね」

「どういうこと?」

急な帝の話に、照は振り向いた。

「明日より一日、物忌みとのことです」

『物忌み』とは、災いや夢見が悪いとのことで陰陽師に相談して、災いを避けるために引きこもることだ。

どうやら糸には、照がここしばらく寝不足だった理由は怨霊によるものであり、それを心配した帝のご配慮と考えたらしい。
そんな訳がない、と答えようとして気づいた。
帷が、儀式があるから来ないで良いと言われていたことを。

(明日やるのね)

「姫様、一人でお静かになさっていて下さいね」

糸の、続くお小言など照の耳には届いていない。
考えてしまうのは、帷の背中。
冷たいと言われ、能力を妬まれる、たった一人だけでいる陰陽師。

恐らく誰よりも強い陰陽師が、いつも闇に溶けるように消えてしまう。
照には、胸が締め付けられる思いがしていた。



*********



物忌みの日、後宮の多くの者達は日中というのに閉じこもっている。
かくゆう照もそうなのだが、几帳の隣には糸が控えていた。
これでは局を抜け出ることは出来ない。

既に酉の刻、夕餉は軽く済ませ、照の側にいるのは糸だけだ。
片付ける糸に照は声をかける。

「もう下がりなさい」

「しかし」

「あとは寝るだけよ、物忌みなんだから」

なんだか静かに思えた照の様子に、糸は勝手に帝の心遣いに感動していると納得する。
入内しても自分が使える姫が帝に放置されていたのに、寝付けない噂を聞きつけて我が姫に帝が気遣われた、糸達女房はそう思って妙に意気込んでいた。

「そうですね、姫のための物忌みですから」

照は糸達の思い込みには気づいていたが、違うというのも面倒だ。
扇を動かして糸を下がらせた。

「さて」

静かになった局を確認すると、照は独り言を言って、男装のための服を仕舞っている箱を引っ張り出した。



*********



既に慣れたように局を抜け、静かに歩く。
儀式の場所は聞かされていないが、亡くなった弘徽殿の女御が怨霊というのなら、弘徽殿に近い庭だろう。

二人の姫がいる局にはなるべく近づかないように慎重に向かう。
澱んだ空気が濃くなった気がして、すばるは口に着物の袖を当てる。
しばらくして、小さなかがり火が見えた。

身をかがめ、そっとそちらの方に目を向ける。
池のある庭に立っていたのは、一人の男。

身軽な狩衣ではあるが、いつも着ていた濃紺ではなく白い狩衣。
澱んだ空気の中でも、その男には近づけないかのように存在が輝いている。

既に儀式は始まっていたようで、帷は何かを呟き、扇を動かしている。
すばるから見えるのは帷の背中だけ。

(顔が、見たかったな)

最後に一度、すばるは帷の顔が見たかった。

いつも広い背中について行ってただけだが、時折見る帷の顔をすばるは覚えている。
あまり明かりが無くても、その存在感は他の陰陽師とは別格。

尊敬していた。
憧れていた。
すばるの知らない世界が、そこにあった。

いつの間にか、帷の存在がすばるの中で大きくなっている。

怨霊がまだいればいいのに。

そんなことがよぎり、すばるは首を振ってその思いを消す。
再度帷の背中を見ていて、すばるは目をこする。
帷のすぐ後ろ、煙のようなものが集まって、段々と人の形のようになっていく。

気づくと走り出していた。

砂利を人が走る音に気づいた帷が振り向き、すばるはその身体を強く抱きしめる。
帷は左腕で照を抱えたまま印を結び、背後から帷を狙ったあやかしを祓った。
後ろのあやかしに気づいていなかった帷は、自分が庇われたことを知る。

だがすばるが飛び込んできた反動で帷の身体が傾く。

(まずい)

斜めに見えるのは池。
帷はすばるを抱きしめ、自分の背から池に落ちた。
池の水は思ったより冷たく、深い。

離れないようにすばるの身体を引き寄せた。

(なんだ?)

一瞬、帷の頭が止まる。

引き寄せた身体は小さく、細く、そして布越しでも柔らかい。
抱き上げれば、すばるが髪をまとめていた布が取れ、髪がほどける。
闇夜に浮かぶのは、白い首筋、濡れた黒髪。
寒さに震えながら、帷にすがりついている。

帷はすぐさま池からあがり、震えるすばるに視線を落とした。
濡れた着物が、すばるの身体の線に沿っている。
見上げてくるのは、真っ黒で真っ直ぐな瞳。

こんな状況でも不安を感じさせない強い瞳に、帷は引き込まれそうになった。

ゆっくりとすばるを下ろす。
細い足がしっかりと立ってるのを確かめて、手を放す。

「お前は、こんな時期に水浴びがしたいのか」

知らずに声が掠れていた。
すばるには帷が怒っていると思い、萎縮する。

「そんな趣味はありません」

手をこすりながら、すばるはなんとか答えた。
まだ夏前というのに、池の水はすばるが思うより冷たく、衣から冷たさが伝わって体温が奪われていくようだ。

真横に男がいることに気づき、すばるは咄嗟に帷の袖を掴む。
濡れた衣から水がしたたり落ちた。

「私の式神だ」

表情の無い式神から乾いている単衣を受け取り、すばるへ無造作にかけた。

「無駄口が叩けるのなら帰れるな?」

すばるは頷く。

「帷様」

「人が来る。もう行け」

帷はすばるに背を向けた。
すばるは言葉を続けることが出来ず、その背とは反対に歩き出した。

既に足音は何も聞こえない。
帷は自分の手を見ていた。
そして握りしめた、考えることを止めるかのように。



すばる、照は無事に局に帰り着いた。
急いで着物を着替え、一息つく。
横には朱色の単衣。
大きな単衣からは帷の香がふわりとする。
衣を着ているときは、帷の香に包まれ安心できた。
白檀を主にした香りは、邪気を祓う陰陽師が好んでいるようだが、帷の調合は怨霊に刃を刺すかのような冷たさを感じさせた。
なのに今はこれ以上無く安心出来る。

濡れてしまったが、干すわけにはいかない。
とりあえず男装用の衣の中に見つからないように紛れさせた。



*********



翌日、照は熱を出した。
そこまで高い熱ではなかったが、糸はじめ女房達はまだ怨霊がと騒ぎ立てだしたので照が一喝した。

「これは単に風邪。
昨日物忌みがあったのに、熱だの呪いだの騒いでいるなんて知れたら、他の方々がまた怨霊なのではと怯えられるわ」

「しかし」

「いい?うちは後宮で一番格下。
こんな形で主上の気を引こうとしてる、なんて誤解されたら大変なのよ。
父君が上の人達に嫌みを言われて倒れてしまうわ。
それでもいいと?」

糸や女房達は口惜しそうにしているが、仕方なく照の言うことを聞いた。
騒ぎ立てるのは得策では無い。
父君のことも当然だが、あんな危険な儀式一人で成し遂げた、帷の立場が悪くなることはしたくはなかった。

もう二度と会うことは無いのだろう。
今もあの大きな身体に抱きしめられた感触を覚えている。
男に抱きしめられたことなど照は初めてだ。
あれが殿方なのだと、帷は男なのだと思い知った。

「まぁ、姫様!顔が真っ赤ではありませんか!
やはりお熱が高く!」

「違う!違うから!!」

糸が騒ぐのを、照は必死になだめるしか無かった。