とある日、女房達は落ち着かない様子で夕餉を片付けている。
「今日は皆、何か様子がおかしいようだけど」
「今宵、陰陽師達が後宮の様子を見に来るとか」
糸は既に床の用意を始めている。
いつもならまだゆったりとしている時間だ。
照はそんなことより、興味ある言葉を聞かされ前のめりになる。
「陰陽師?
私、見たことが無いわ。糸は?」
「姫様、床の準備が整いました」
「まだ早いわよ」
「今宵、私達は早めに下がるように言いつけられております。
姫様も部屋から出ること無く、お早くお休みになられますよう」
糸は照の言葉を聞き流し、さっさと寝所に押し込んだ。
「明かりはごく僅かにするようにとのことですので、今夜は一つだけに致しますが」
「大丈夫よ、子供じゃ無いんだから」
心配そうに見る糸に、照は笑う。
「何か他にご用は」
「何も無いわ。下がって良いわよ」
「お休みなさいませ姫様」
えぇ、と照が答えれば、糸は平伏したまま衣擦れの音すら立てずに下がると、静かに御簾を下げた。
部屋を糸が離れていく小さな音が、横たわったままの照に聞こえる。
目を閉じると、いつもならまだかすかに感じる女房達の存在すらも感じない。
(陰陽師ってどんな人達なのかしら。
後宮の中に殿方が来るのかしら。
そもそも陰陽師はここで何をするのだろう。
何か儀式でもして、怨霊騒ぎが落ち着けば良いのだけれど)
目を閉じたまま照が考えているのはそんなことばかり。
ゆっくり身体を起こし、御簾の外に視線を向ける。
局は静まりかえったままだ。
照は床から起き上がり、音を立てないように仕舞っていた衣装箱を引っ張り出した。
一番下にある布を小さな明かりの下で探り当て取り出す。
寝ているときに着ている上等な白小袖を脱ぎ、子供の頃、村の童達と遊んでいた時に着ていた、今は色あせた着物に手早く着替えた。
髪に手を伸ばし、適当な紐で後ろに結ぶ。
(子供の頃思わず切ってしまった髪が、こんな時に便利だなんて)
一つに結んだ髪を布でまとめると、草履を胸元に忍ばせ、音をさせないように照は局を抜け出した。
建物をつたい、慎重に歩を進める。
こんな夜に屋敷の外に出るなど子供の時以来だろう。
空を見上げれば月は無い。
月に邪魔されず、星々が瞬いていた。
「星はすばる、か」
照はある一節を思い出し、口ずさむ。
声を出したことに我に返って、慌てて周囲を見たが誰もいない。
再度呼吸を整え、照は歩き出した。
少しして明かりが増えている場所に気づき、急いで大きな柱の陰に照は隠れた。
手燭を持った男が二人、照の隠れている柱の近くに来ると立ち止まった。
照は呼吸していることですら気づかれそうだと、口に手を当てじっとした。
「言われた場所は祓い終えたか」
「そうだな」
そのやりとりだけで、彼らが陰陽師達だと知る。
「今日からは、かの者が来ているらしいぞ」
「加茂帷(かものとばり)殿だろう?」
「適任だ。
冷酷と噂の帷殿のこと、哀れな女御の怨霊すら、気にせず祓うことだろうよ」
嘲笑を含んだ男達の会話に、照は耳をそばだてた。
(そういえば女房達が噂していたような)
陰陽師の中に、桁外れに強い者が一人いると。
美麗だの、取り付く島もないだのと言っていたが、最後は誰も見たことが無いという。
だからこそ、噂話として良いのだろう。
会話が途切れ、明かりが遠ざかっていくのがわかる。
恐怖心より好奇心が上回って、もっとのぞき見られないかと柱から動こうとしたその時。
「何をしている」
突然、低い声が照の後ろから聞こえた。
反射的に振り向けば、そこには手燭を持った、ひときわ背の高い男が立っていた。
立烏帽子に闇に溶けるような濃紺の狩衣。
明かりに照らされている顔は凜々しいが、何の感情も無いかのように冷めている。
切れ長の目は鋭く、照を射貫くように見ている。
ただ立っているだけ、それだけなのに、その男がまとう何かに、照は気圧された。
「何をしていると聞いている」
その声に照は我に返った。
先ほどと同じ重さの声なのに、苛立ちが含まれている。
「申し訳ありません。道に迷いました」
「道にだと?お前は何者だ?」
「見習いです。陰陽寮の。
初めてで、何もわからなくて」
咄嗟だった。
陰陽寮には見習いがいる。
それだけは知っていた照は、そう答えた。
たどたどしい言い方になってしまったが仕方が無い。
「師は誰だ」
「おりません」
「そんな者がここに来たというのか」
見習いは学ぶために師を見つけ、教えを請う。
そんなことを照は知らない。
じっと、男は目の前にいる見習いと称する子供を見つめる。
小袿は古そうだが物は良い。
裾絞りの小袴からは、真っ白な足が伸びている。
男の子供にしてはあまりに細い。
だが帷は、すぐに視線を外す。
見るからに不安そうな子供に、男は小さなため息をつく。
「着いてこい」
照の答えも聞かず、男はきびすを返して歩き出す。
訳もわからず、照は急いで男のあとを追った。
照はどこを自分が歩いているのかわからなかった。
ただ静まりかえった後宮の廊下であることはわかる。
庭には最小限にかがり火がともされ、かろうじて歩いている場所に明かりが届いていた。
男は歩いているのに一切音がしない。
足音も衣擦れの音すらも。
照も必死に静かに歩こうとするが、どうしても床のきしみなどが大きく響いているような気がして落ち着かない。
ふと、歩きながら照は立ち止まった。
向かう廊下の反対側にある廊下の陰。
何かが気になった。
「どうした?」
小さな声だがはっきりとした男の声。
前を歩いていた男が少しだけ顔を後ろに向ける。
「申し訳ありません、気のせいです」
「言ってみよ」
男の声は責めるものでも何も無く、静かなものだった。
照は覚悟を決めて指を指した。
「あの場所が、何故か気になるのです」
「どのように」
「なんというか、もやがかかっているような。
上手く言えず、申し訳ありません」
「ほぉ」
男が何を呟いたが、照には届いていない。
頭を下げた子供に、男は少しだけ目を細める。
異様な緊張感を照は感じていた。
陰陽師とはこういう恐ろしいものなのか、と。
男が動いたのに気づき照が顔を上げると、男は照が指さした方に手を伸ばす。
指を二本だけ伸ばすと、素早く横へ空を切った。
照はただじっと男を見ていた。
美しい舞に魅了されたかのように。
「どうだ」
その問いが、照が指さした場所のことを言っているとわかり、再度その場を見る。
「もやが、ありません」
不思議なもやは消え、その場所の視界がすっきりしているようにさえ思えた。
驚き、横にいる男を見上げる。
「良い目を持っているようだ。
また気づいたら声をかけよ」
また歩き出す男に、照ははい、と小さく返す。
緩みそうになる唇を、照は引き締めた。
しばらく歩いては、照が指を指し、そこを男が祓うということを続けた。
すばるは久しぶりの外歩きのせいか、疲れを感じだしていた。
「もう、ここでよい」
照は、急に止まった男の背にぶつかりそうになり、急いで男を見上げる。
「疲れたであろう、もう戻れ」
「また、来てもよろしいでしょうか」
これでもうこの陰陽師と別れてしまうのがただ照は惜しかった。
ほとんど話すことも出来ず、今していたこともよくわかってはいない。
「・・・・・・では、明日も隠れていた柱のところに来ると良い」
そう答えてしまった帷は、何故自分がそう言ったのか、わからなかった。
照は嫌みだとわかったが、素直にはい、と答えた。
男が立ち去ろうとして立ち止まり、ゆっくりと振り返る。
「お前、名は?」
急に振られた照は慌ててしまった。
陰陽師をのぞき見たいだけだったので、名前を聞かれることなど考えてはいなかったのだ。
「すばる、と申します」
「すばる、か。
面白い名だな」
さっき、星はすばる、と口ずさんだせいか咄嗟に出た名前だったが、面白いと言われるとは思わなかった。
暗くて見えにくい男の口元は、名を聞いて口の端を上げた。
「歳は?」
「十五になります」
男の目が見開いた。
烏帽子もつけてない、てっきり元服前の子供だと思っていたがそれなりの歳だとは。
流石に子供扱いされていることに気づいた照が不満げな顔をしつつ、大切なことを聞き忘れていたことに気づいた。
「あの、陰陽師様のお名前は」
「お前、私の名を知らないのか?」
呆れた声に、申し訳ありませんと照は頭を下げる。
まさか陰陽寮に入りたてとはいえ、自分を知らない者がいようとは男は思わなかった。
「加茂帷(かものとばり)だ」
不思議そうに照は見上げ、帷は目を細めた。
一瞬だけ目が合ったのか、照にはわからないまま、帷は立ち去った。
「帷、様」
名を、ゆっくりと照は呟く。
大きな背は既に夜の闇に溶けてしまった。
不思議な陰陽師との出会いに、照はしばらくその場に立ち尽くしていた。



