冷酷と噂の最強陰陽師は、男装姫を手放さない


春の昼下がり、邸はいつものように穏やかだった。
部屋の中では乳母の娘である女房、糸が、いつもながら見事な琴を奏でている。
若葉を渡る風とゆるやかな調べが溶け合って、室内に満ちていた。

その音に身を委ねながら、照(てる)は脇息に肘をかけ、だらりとした姿で菓子をつまんでいた。
父君からは、姫君らしく座らぬか!と毎度叱られているが、この方が性に合う。
そう思いながら次の菓子に手を伸ばそうとした、その時だった。

渡殿から慌ただしい足音が聞こえる。
いつもなら、この屋敷でこのような足音を立てる者などいないはずだ。
しいていえば叱られる時だろうか。
何かしただろうか、どれだろうかと考える。

既に心地よい琴の音は止まり、糸が少し緊張した面持ちで音の方を向いている。
その音は母屋に近づいてきたかと思うと、飛び込んできたのは血相を変えた父君。

「決まった!」

「何が?」

いつもなら身なりにうるさい父君の着物は乱れ、肩で息をしている。
一拍おいて父君の顔が引き締まった。

「お前の入内が決まったのだ!」

照はぽかんと口を開けた。
菓子は指からこぼれ落ち、畳の上へ転がり落ちる。

「・・・・・・は?」

間の抜けた声だけが部屋に響いた。


部屋には興奮冷めやらぬ父君。
優秀な糸はすぐに白湯を用意し、その白湯を父君は一気に飲み干した。

「それで、私の入内がどうこうと聞こえたのだけど」

落ち着いた父君を見て、照が切り出す。

「そうだ。陰陽道で良き日が決まり次第の入内だ」

「おかしいでしょ、なんでうちなんかに入内の話が来るの。
お父様は中納言という、所詮は中ほどのお役目。
入内させたい姫がいる、高位の貴族は沢山いるでしょうに」

これ、所詮はなどと言わない、という父君の言葉に、照は視線だけ斜め上を向く。

「弘徽殿(こきでん)の女御様が身罷られたことは知っているな?」

「えぇ。皇后になられるのではと噂されていた方でしょう?お可哀想に」

「今、宮中は、特に後宮では、その、だな。
女御の怨霊が出て、後宮にいる姫達を狙っていると、もっぱらの噂なのだ・・・」

言いにくそうに区切って、話ながらも小さくなっていく父君の声。
それを聞いて、突然の入内話と女御の怨霊騒ぎ。
繋がりに感づいた。

「なるほど、上の貴族達はそれが怖くて娘を入内させたくても出来ないと。
そこで、うちなんかに話が回ってきたのね」

父君は俯いて答えない。
それが答えなのだろう。

「誰か一人入内させて無事なら、安心して次はいけるという訳だ。
上の者達が考えそうなことね」

「すまぬ、力が及ばなかった」

「いいのいいの。
お父様は必死に頑張ってくれたのでしょう?
立場上断れないようにされたら、仕方が無いわよ」

すまぬ、と再度言って肩を落とす父君に照は明るく声をかける。
真面目な父君が必死に抵抗したところで、貴族社会で圧力をかけられれば応じるしか無い。
父親の立場のおかげでここにいられるのだ。
照は、自分がそういう貴族の姫であることを十重に承知していた。

「それに。
そもそも帝が私なんかに手を出したりしないでしょ、この髪だし」

照は今年十五になったが、その年で腰あたりまであっていいはずの髪は、何故か肩下までしかない。

「髢(かもじ)を用意するに決まっているだろう!」

父君が強い声で言い切る。

「姫様の美しい御髪に合う美しい物を見立てましょう!」

糸も頷く。
どうやら付け毛で乗り切るらしい。

(弱気な父君はどこにいってしまったのよ)

照は既にやる気になっている父親と女房を横目に、扇を開いてため息をついた。



*********



照にあてがわれたのは淑景舎(しげいしゃ)と呼ばれる小さな局だった。
後宮でも端にある場所で、照の家柄からすれば当然の扱いである。

そんな小さな局だが、照が寄りかかっている脇息も、周囲を囲む几帳も傷一つ無い真新しい物ばかり。

「お父様は随分と張り切ったわね。家のお金が空になってないといいけれど」

「何をおっしゃいますか。
入内なのですから、これくらいは当然にございます」

糸の言葉には、これでも不足だという不満が垣間見えた。

入内の日取りは早かった。
考える暇も無いまま、ここで過ごしている。

長い付き合いの糸を初め、選りすぐりの女房達を引き連れてきてはいるが、最低限の人数だ。
後宮は入るのも居るのも金がかかる。
照はここまでしてくれた父君に感謝しているが、後宮に入る際にすら何も帝からお声がけも無かったことに、なんだか申し訳ない心持ちだった。

既に女御の喪は明け、せめて二人の姫のどちらかに帝からのお渡りがあるのかと思えばそれもない。
代わりに聞こえてきたのは、女房達の噂話だった。
夜な夜な女御の霊が歩いているとか、女房が泣いている女御を見たとかだ。

今、後宮には二人の姫がいる。
一人は梅壺の女御で、大臣家の姫君。
身罷られた女御とさほど変わらない時期に入内した。
和歌がとても上手く、歌会にはいつも呼ばれては人々を唸らせる歌を披露する。

もう一人は麗景殿の更衣。
梅壺の女御よりは地位が低いものの、公達が入内したあとも垣間見られないかと思われる美しい姫。
どちらも皇后として申し分ない立場だ。

後宮は華々しいところばかり思っていたが、照には澱んだ空気が広がっているように思えて、まだこの端の局は息がしやすい。
こんな状態では、楽しく宴、という雰囲気にならないのも無理は無い。


しばらく何も無い日が続く。
貝遊びも双六にも照は興味が無い。
女房達の噂話は、ますます増えているようだった。

「・・・・・・それにしても暇」

照は扇を左右に揺らした。

「またでございますか」

「だって」

扇の動きが止まる。

「ここに来て、一月よ。
帝が来ないのは当然だろうけど、聞こえるのは嫌な噂ばかり」

糸は何も言わない。
言わなくても、他の女房達がそれなりにいるのだから、自然と耳に入ってくる。

照は天井を見上げる。
帝から忘れ去られれば、里帰りと称して家に戻り、そのまま後宮に戻らないこともある。
その為には時が必要だ。
後宮に来たはいいが、自分がここにいる意味を見つけられない。
あとどれだけこの暇な時間を、もてあそべば良いのだろうか。

(ここから出るには里帰りか、呪いに捕らわれるかだけ。
まぁ、どちらだっていい。
早くここから出られるのならば)

それが、ここに来てから一番よく考えることだった。