鬼のつがい~競売にかけられた没落令嬢は年下の俺様当主に甘く囲われる

 できた――。
 心の中で軽く拳を握った百花は、大きく息を吐いた。それが針仕事をしていた他の者たちの耳にも届いたようで、百花の変化に敏感に気づいた針子が「あら、できたの?」声をかけてきた。
「はい」
「かわいらしい、ぬいぐるみね。犬……狼?」
「はい、狼です」
 すると今度は、その会話を聞いた他の針子たちも「どれどれ?」とぬいぐるみを食い入るように見つめる。
「あら、かわいい。両手で抱っこできるくらいの大きさは、置いても抱いてもちょうどいいわね」
「前のうさぎもよかったけれど、これはまた違ったかわいさがあるわね。私も欲しいかも……」
「作りましょうか?」
 自分で作ったものを欲しいとはっきり言われたのが、思っていたよりも嬉しかったようで、百花の口からは自然とその言葉がこぼれ出た。
「あっ……ううん……旦那様が……じゃなくて、百花さんも忙しいでしょう?」
 なぜか針子は一瞬だけ顔を曇らせたが、「あ、休憩にしませんか?」と明るい声をみんなにかけたため、そこから休憩時間となった。
 百花はみんなとお茶を飲んでいる間も、早く新樹にこのぬいぐるみを手渡したくて、うずうずしていた。式神という概念がよくわからないが、昂焔の魂みたいなものがぬいぐるみからぬいぐるみに移る感じなのだろうか。
 それに、これをきっかけに新樹の機嫌がよくなるといいなという思いもあった。
 近頃、新樹はどこかイライラしているようにも見えるのだ。連日、帝国會舘に詰め、人狩りについての会議を行っているようで、それが終われば真っすぐ現場に駆けつけることもあるらしい。
 そうやって忙しくしているせいか、苛立ちを百花にぶつけているようにも感じられた。航平もそれをわかっており、新樹を宥めているようだが、使用人の百花は黙って彼の言葉を受け止めるしかない。
 悔しいという感情が湧き起こるのは、新樹に言い返せないからではなく、百花では彼のその気持ちを取り除けないからだ。

 その日も、新樹は遅い時間に帰ってきた。といってもまだ十五歳という年齢も考慮され、他の人たちよりは早く帰ってくるようだが、それも新樹の不機嫌な理由の一つにもなっているらしい。
 それでも外はとっぷりと闇に包まれ、人工的な光が灯る時間帯だ。
「新樹様、お時間はよろしいでしょうか?」
「入れ」
 たったひとことであるが、やはり機嫌が悪いというのだけは伝わってきた。
「失礼します」
「用件はなんだ」
 今も机の上には書類が山積みになっており、その隣で航平も書類を手にしては確認し、仕分けをしているようだ。
「はい。昂焔さんの新しい依り代ができましたので」
 ガタガタッと音を立てて新樹が立ち上がったため、ザザッと書類の山が崩れ落ちる。
「あぁ……」
 情けない声をあげたのは航平で、すぐさま床に落ちた書類を拾い上げ、仕分け作業へと移る。
「おい、ここに座れ。それをもっとよく見せてみろ」
 すぐにソファに移動した新樹は、隣に座るよう百花を促した。
「失礼します。こちらになります」
 こわごわと新樹にぬいぐるみを手渡せば、彼の顔が太陽のようにぱっと輝いた。
「これなら、問題なさそうだ……おい、昂焔。新しい依り代はどうだ?」
 何も知らぬ人間からは、男の子がぬいぐるみと遊んでいるようにも見えるだろう。百花だって、昂焔の存在を知るまでは、なぜ新樹がここまでぬいぐるみに執着しているのかがわからなかったのだ。まして百花が幼いときにバザーのために作った、不格好なぬいぐるみなど。
 すると、むくっと狼が動いた。まるで伸びをする猫のように背中をそらしたぬいぐるみは、新樹の膝の上からテーブルの上へとぴょんと飛び跳ねた。
《嬢ちゃん、久しぶりだな》
「ご無沙汰しております、昂焔さん。そちらの身体はいかがでしょうか?」
《おう、どうだ? かっこいいだろ?》
 後ろ足で立ち上がり、昂焔は前足で胸をトンと叩いた。
「うさぎのようなかわいらしい姿も似合いますが、こちらは凜々しいですね。雰囲気がガラッとかわりました」
《だろ? なんかこう、今までよりも力がみなぎってくる気がするぜ》
 昂焔は四つ足でテーブルの上を走り回っているが、何かを思いついたのか新樹の目が大きく見開かれ、その視線がテーブルを走り回る狼から、執務机の上にちょこんと座っているうさぎのぬいぐるみへと移った。
 バサササッ……。
 机の上の書類が見事に散らかったのは、その机の上でいつの間にかうさぎのぬいぐるみが走り回っているからだ。代わりに、狼はテーブルの上で、こてんと横たわっている。
《おい、坊。何するんだ。オレ様の身体を返せ》
 うさぎになった昂焔は、そのまま新樹に飛びかかろうとしていたが、新樹は視線をまた狼に移す。すると急に狼が動き出し、百花に向かって飛びついてくる。
《おおっと。なんで嬢ちゃんがここに……?》
「新樹様、これはいったいどういうことですか?」
 狼が動いたりうさぎが動いたりと忙しい状況に、百花も思わず尋ねていた。
「今は、昂焔の依り代が二つある状況だ。だから、その二つをいったりきたりさせることができるんじゃないかと思っただけだ。まさかこんなにうまくいくとは思わなかったが」
 新樹にとっても想定外なのだろう。腕を組んで何やら考えているところに、「そろそろ仕事に戻ってくれませんかねぇ」と航平が情けない声をあげた。
「新樹様の術がうまくいったのはいいですけど、この状況はなんとかなりませんか?」
 航平はしゃがみ込み、落ちた書類を拾っている。
「ならん。書類が多すぎるのが悪い」
「うわぁ。まさかのそっちの発想に飛んだ? 新樹様がさくさく確認してくれればいいんですよ。もしくは、もう少し手伝ってくれる人間を雇うとか……。だけど、できれば式神の存在を受け入れてくれるような人物が理想なのですが。もちろん、しごでき人間でお願いします」
「注文が多いな。そもそも昂焔の存在は公にはできない。しゃべる式神なんて六家の奴らにだって伝えていないはずだ」
 百花が膝の上で身体を丸める昂焔の背を撫でていると、視線を感じる。ゆっくり顔をあげたら航平と目が合い、彼はにっと笑う。
「いるじゃないですか、ここに。式神の存在を受け入れ、仕事もできる人が」
「ダメだ」
「もうあきらめてください。彼女を秘書にしたほうが早いんですよ。ただの女中ではなく秘書。いや、こ――」
「黙れ、航平」
 新樹と航平の口げんかはいつものことではあるものの、そのたびに新樹が乱暴な言葉遣いをするものだから、百花はヒヤヒヤしてしまうのだ。いつかは航平が愛想を尽かしてしまうのではないかと。
《オレ様もいい加減、嬢ちゃんをそばに置いたほうがいいと思う。人狩りの件もそうだが、嬢ちゃんを狙うような男だって出てくるんじゃないのか?》
「秘書にすれば、会議に連れていく必要があるだろ?」
「そのための秘書ですからね」
「航平がいればいいじゃないか」
「私の立場って微妙なんですよ。どちらかといえば、保護者的扱いですから。新樹様が成人するまでのあと三年は保護者です。その後、秘書に立候補してもいいですけど、それまで秘書なしで事務仕事をさばけますか?」
 航平に詰め寄られた新樹は、うぅっと情けない声をあげるが、百花はこの状況が飲み込めていない。
「……わかった。百花に頼む」
「あぁ、よかった。これで私の仕事も楽になる」
《オレ様も、坊の右腕になるような人物は嬢ちゃんしかいないと思ったんだよ》
 項垂れる新樹に、喜んでいる航平と昂焔、そして百花は困惑するだけ。
「では、百花さん。状況を説明しますね」
 彼らの会話を聞いていたけれど、百花にはなんのことやらさっぱりわからなかった。
 航平が説明してくれたが、当主は秘書をつけるのが通例らしい。秘書になれば、帝国會舘の出入りも可能となるし、当主について会議に参加、補佐をすることもあるらしい。とにかく、当主の仕事を助けるのが秘書なのだが、それに求められるのは十八歳以上という条件のみで、あとは当主が認めればいいだけ。
 新樹の場合は、まだ未成年であるため後見人が皇帝であるもののそれは名ばかりのもので、皇帝が何かを助けてくれるわけではない。実際、保護者が必要な場合は航平がその役を担っているらしく、航平は新樹の代理人的な扱いになっている。六家会議においても、新樹は当主として出席しているが、暁陽家としての決定権を持つのは航平なのだ。彼が新樹の意見を聞いたうえで、最終的な答えを出すという役割らしい。
 そして百花に求められるのは、新樹と航平の補佐である。資料の整理からスケジュール管理など、とそれを聞いたとき、今、やっている仕事とさほどかわりはないのでは? と思ってしまったのは内緒だ。女中か秘書かという肩書きの違いだけのようにも感じられた。
 ただ、秘書になれば新樹と一緒に帝国會舘へ向かう必要も出てくるため、新樹はそれを嫌がっていたらしい。つまり、百花を帝国會舘へ連れていき、他の六家の関係者に会わせたくないというのだ。
 航平は、百花が十八歳になったときに秘書の打診をしようとしていたらしいが、新樹が頑なに拒んだため、その話を一切しなかったが、やはり最近の忙しさは、新樹と航平の二人でさばけるものではない。
 そんな紆余曲折もあり、百花は女中から秘書という職に変更となった。といっても、屋敷の中では今までと変わらない。ただ、秘書として六家会議に名前を登録されたようなもの。