鬼のつがい~競売にかけられた没落令嬢は年下の俺様当主に甘く囲われる

 新樹が帰宅したのは、日がとっぷりと暮れた頃。それでも外灯は闇夜を照らし、自動車もライトをつけて走っているため、大通りはにぎやかなものだ。
 この三十年、異国とのやりとりを始めた稜穂国には、一気に技術革新の波が押し寄せてきた。まして、人よりも能力のある鬼人たちが政治や経済の中心にいるため、あっという間に異国の技術や知識を吸収してしまった。
 だがその変化を面白くないと思っている者も一定数いる。彼らは霊力を持つ鬼人の活躍と能力を疎んでおり、その中でも鬼族と呼ばれる高貴な一族を陥れようと企んでいるらしい。
 その動きが最近になって活発になっているため、鬼族の中でも特に六家の者たちは神経をとがらせピリピリしていた。
 百花が屋敷の中にいても、自動車のエンジン音は空気を震わせて低く響いてくる。その音を聞きつければ、新樹を出迎えるため玄関ホールへと向かった。
「おかえりなさいませ」
「ただいま帰った」
 少し疲れた表情を見せる新樹は、後ろに控える航平をちらりと盗み見る。航平は両手で抱えていた箱のようなものを、百花に手渡してきた。百花は慌ててそれを受け取ったものの、ずっしりとして重い。恐らくこれは辞典。百花が異国の言葉にも興味を持っており、そちらの本を読んでいるのを新樹は知っているのだ。
「土産だ」
「ありがとうございます」
 だがすぐに新樹が奪い返した。
「重いから邪魔になるだろう。後で渡す」
 そのまま新樹がすたすたと自室に向かおうとするため、百花も足早に追いかける。彼は身体は小さいのに歩くのは速いので、百花はいつも大股で歩かなければならない。
「お食事も、お風呂も準備が整っておりますが」
「先に風呂だ。ヤニくさくてかなわん」
 そう言われれば、新樹の服からは微かにたばこのにおいがする。もちろん新樹が吸うわけではなく、会食か会議か、そのときに誰かが吸っていたのだろう。
「承知しました」
 すでに新樹の着替えは浴室に用意してあるから問題ない。百花は急いで厨房へ行き、入浴後の食事になると料理人に伝えた。それから入浴後の新樹の世話をするため浴室前で待機する。
 いくら未成年であろうと、新樹は入浴中の世話は拒んでいるらしい。航平は「逆にそういうところがお子様だと思うんですけどね。当主たるもの、常に堂々としていただかないと」とよく口にしているから、もしかしたら彼は新樹の世話をしたいのだろうか。
 風呂から上がった新樹は、木綿の浴衣姿だ。普段は動きやすいからという理由で洋装を好んでいるが、屋敷内でくつろぐときは和装を好んでいた。そんな彼の髪の毛はびちゃびちゃに濡れているため、それを拭くのも百花の仕事であった。
「今日は何をしていた」
 新樹の髪にタオルをあてると、すぐさま問うてきた。
「はい。頼まれておりました例のぬいぐるみを直していたのですが……」
 そこで百花が言い淀むと、新樹も顔を曇らせる。
「もしかして、もう、直せないのか?」
「いえ、直しました。直しましたが、思うところがありまして……。食事の後にお持ちしますので、そのときに相談させてください」
「わかった」
 話をしている間に新樹の髪も拭き終わる。
 その後、食堂へと向かう新樹の背中が、いつもより寂しそうに見えたのは気のせいだろうか。
 新樹が食事をしている間に、百花も夕食を済ませてしまおうと思っていた。控え室にはちらほらと人が残っていたが、ほとんどの者が食事を終えている。
 それでも誰かがいてくれる事実に、百花は救われていた。両親を失い、見知らぬ人たちに身柄を拘束され、気がついたときにはあの地下室にいて、たくさんの人の前に晒されていたのだ。もう二度と人の尊厳が守れるような生活ができないだろうと思っていた。
 それなのに今、こうやってあたたかな食事を口にしている。あそこから助け出してくれた新樹には感謝しかないものの、それでも百花は、自分のどこに金貨百万枚の価値があるのかわからずにいた。
 さっと食事を済ませた百花は、両腕でうさぎのぬいぐるみを抱きしめながら、新樹に呼ばれるのを控えの間で待っていた。彼が自室にいるときはこの部屋で待機している百花だが、それ以外は地下にある控え室だったり針子部屋だったりと、必要に応じて行き来していた。
 ベルの音が聞こえると弾かれたように立ち上がり、新樹の部屋の扉をノックする。すぐに「入れ」と答えがあり、百花は扉を開けた。
「お呼びでしょうか」
「いつものやつ。直せたのか?」
 ソファに座る新樹の視線は、百花が抱くぬいぐるみに注がれる。
「はい」
 百花がそれを新樹に手渡せば、彼はその出来栄えを確認するかのようにじっくり見つめる。
「あの、新樹様」
「なんだ」
「そちらのぬいぐるみですが……新しく作り直すというのはダメでしょうか?」
 新樹の身体が大きく震えた。彼がこのように動揺する姿を見せるのは珍しい。
「布地もすり減っていますし、何度も縫い直しています。それに中の綿も……同じようなうさぎのぬいぐるみでしたらすぐに作れますから」
 新樹は手の中のぬいぐるみをいじっているものの、何も言わない。百花の言葉に対してどう答えようかと悩んでいるようにも見える。
《どうせ新しくするなら、こんなかわいらしい姿じゃなくて、かっこいいほうがいいんだが?》
 新樹の声とは違い、低く響くような男性の声が聞こえ、百花は大きく周囲を見回して声の主を探す。この声は航平のものとも違う。
《嬢ちゃん、オレ様はそんなところにいないって。あんたの目の前にいるんだから》
 百花の目の前にいるのは新樹だが、彼の声はもう少し高い。
「新樹様の腹話術か何かでしょうか」
「違う、俺じゃない……」
 新樹は悔しそうな表情を浮かべ「なんでおまえ、静かにできないんだよ」とうさぎのぬいぐるみに向かってぼやく。
《ひどい。そうやってオレ様に嬢ちゃんを会わせようとしなかったんだろ? あ、痛い。都合が悪くなるとオレ様を殴るのが坊の悪いところだ。だからすぐにオレ様の依り代がボロボロになるんだろうが。あ、嬢ちゃん。いつも直してくれてありがとな!》
 先ほどから、新樹の膝の上でうさぎのぬいぐるみが動きながらしゃべっていた。もちろんそれは、今日の昼間に百花が縫い直したものだとわかっているのに「これは、異国から輸入された自動人形でしょうか?」と新樹に尋ねていたのだ。
「ったく。おまえが勝手に出てくるから、百花だって困惑してるだろ?」
《それは坊がいつまでたっても嬢ちゃんを紹介してくれないからだ》
 そんな一人と一匹のやりとりを、百花はただ突っ立って見ていることしかできない。いったい、目の前のこれは現実なのだろうか。
「百花、座れ」
 新樹は百花の動揺を敏感に感じ取ってくれたようで、彼の隣の空いている場所をポンポンと手で叩きながら座るようにと促した。
「はい。失礼します」
 新樹の隣に座れば、彼の膝の上にいるうさぎのぬいぐるみとの物理的な距離が近づき、ついつい見入ってしまう。見た目はうさぎのぬいぐるみだというのに、その動きは人と変わらない。
「これは、俺の式神の昂焔(こうえん)。見た目はうさぎのぬいぐるみだが、立派な式神だ」
《そうそう。この坊、霊力は強いくせに式神を使役できなくてね。それなのに、このぬいぐるみを手に入れたとたん、オレ様を呼び出して定着させたってわけ》
 式神とは鬼人の霊力によって作られた存在で、作った者の命令に従うものである。式神を従えられる鬼人は鬼族に限られており、むしろ式神を持たぬ鬼人は鬼族ではないといってもいい。
《つまりこの坊は、ぬいぐるみがないと式神を使えないっていうわけだ》
「昂焔。おまえは余計なことを言うな。おしゃべりがすぎるようなら、その口を縫い付けてやる」
 端から見れば、新樹がぬいぐるみとじゃれているようにしか見えない。いや、そのぬいぐるみは動いているから遠くから見たら動物にも見えなくもない。
《だけど、嬢ちゃんが言うように、この依り代はボロボロ。新しいものに変えたっていいんじゃないのか?》
「それでは俺の霊力が定着するかがわからない」
《っていうへたれなわけでよ。やっぱり、新しい依り代を作ってくれ。できればもっとこう、かっこいいものがいい》
「えぇと……狼とかですか?」
 百花の提案に昂焔は、新樹の膝の上で飛び跳ねるものだから、「いてっ、動くな」と新樹がまた文句を言い始める。
《いいねぇ、狼。かっこいいし、強そうだ。ほら、今はこの見た目だからね。他の式神に舐められるっていうわけよ》
 百花から見れば、かわいらしいうさぎのぬいぐるみに似合わぬ口調のほうが気になって仕方ない。
「……わかった。百花、もう一つ、ぬいぐるみ……いや、依り代を作ってくれないか?」
「わかりました」
《できれば、見た目からかっこよくて強い感じにしてくれよ!》
 となれば、先ほども言ったように狼あたりが無難かもしれない。