鬼のつがい~競売にかけられた没落令嬢は年下の俺様当主に甘く囲われる

 ざわめきの中、百花は目隠しも手枷も外されることなく腕を引っ張られた。
「こっちへ来い、十九番」
 こっちへ来いと言われても、視界を覆われている百花は引っ張られるほうに足を向けるだけ。
「そこに座っていろ」
 そこがどこなのかがわからないが、手を動かして周囲の状況を確認すれば、ひんやりとした石の壁の感触が手のひらに触れた。そのまま壁を背にしてずるずると腰をおろし、膝を抱えそこに顔を埋める。
(どんな人だろう……)
 どのような人物が百花を買ったのか。それは期待なのか不安なのか、よくわからなかった。
 ふと、人の気配を感じ顔をあげるものの視界も奪われており、暗闇から抜け出すことができない。甘い香りとともに、あたたかな布地が身体を覆う。
「こんな薄着では風邪を引いてしまいます。戻ったら着替えを用意しますから、今はこれで我慢してください」
 男性のやさしげな声が耳に届き、百花がこくりと頷いた瞬間、視界に光が差し込んだ。
「あっ……」
 目の前には、やわらかな眼差しの男性がいる。
「こちらも外しますね」
 後ろ手で拘束された枷を彼が外してくれたため、やっと両手が自由になった。
「あ、ありがとうございます……あなたが、私を?」
 焦げ茶の髪は男性にしては長く、後ろでちょこんと縛ってある。それに、最近流行りの洋装でシャツ一枚に黒のズボン姿。かけてもらった上着からぬくもりが伝わってきたのは、これは今まで彼が着ていたからだ。
「いえ、あなた様を選んだのは暁陽(ぎょうよう)家当主の新樹(あらき)様でございます」
 暁陽家とは、皇帝を守る帝国六家のうちの一つ。そのような人物が、百花を金貨百万枚で落札したと言うのだ。
「あの……では、当主様にお伝えください。このたびは、ありがとうございますと」
「どうかご自分でお伝えください。当主様はあなた様の目の前におりますから」
 男の言葉で周囲を大きく見回す百花だが、目の前のやさしげな男性の他に、当主と呼べるような人物が見当たらない。
「あの……当主様はどちらに……?」
「おい、おまえの目は節穴か? だからおまえの目の前にいると航平(こうへい)も言っているだろ?」
 声の主を視界にとらえ、百花はぎょっと目を見開く。
「もしかして、当主様……?」
「もしかしなくても、俺が暁陽家当主、暁陽新樹だ。そっちは俺の側近、深月(みづき)航平。おまえを金貨百万で買ったのは航平ではなく、この俺だ。何か文句でも?」
 ふるふると首を振って文句はないと訴えるものの、まさか暁陽家当主が自分より年下の子どもだとは思ってもいなかった。商家の娘であった百花が、六家の人間を目にする機会などなかったのだから。
 それでも新樹はきれいな男の子だった。黒い髪は光に当たれば茶色っぽく見えるし、黒曜石のような瞳はくりっとしていて愛らしい。こちらも白いシャツにジャケットを羽織っているが、きちんとネクタイを締めていた。ただ、その見た目に反した言葉遣いが、彼の年齢を曖昧にしている。
 そんな百花の戸惑いすら、彼はお見通しだったらしい。
「ふん。俺の見た目が子どもだからってバカにするなよ?」
「失礼ですが、お年は……」
「おまえ、本当に失礼だな。いや、しかも図々しい。助けてくれた人間に向かって、いきなり年を尋ねるか?」
「それは、当主様がお子様に見えるからです。いえ、実際にお子様ですし、まだお子様ランチを頼んでいらっしゃるではありませんか」
 話に割って入ったのは航平である。
「はぁ? 何を言っている」
 航平をギロリと睨んだ新樹は、もう一度百花に視線を向ける。
「俺はこう見えても十三歳だ。覚えておけ、藤澤百花!」
 覚えておけと威圧的に言われ、コクコクと頷くしかできなかった。
「では、手続きも終わりましたし、お屋敷へと戻りましょう」
 航平に穏やかな声をかけられ「はい」と答えると、新樹がそっと手を伸ばしてきた。
 なんだろうと、首を傾げれば「手をつなげ。おまえがはぐれると、こっちが迷惑するんだ」と新樹はまくしたてる。
「申し訳ありません。当主様は思春期真っ盛りの反抗期でございます。どうか、当主様のお望みのとおりに」
 航平が申し訳なさそうに頭を下げるものの、百花は戸惑ってしまう。
「ですが」
「なんだ! 俺と手をつなぐのがそんなに嫌なのか」
 新樹が睨みつけてきたが、慌てた百花は胸の前で両手を軽く振った。
「ち、違います。その……汚れていますので……」
「ふん。汚れているなら洗えばいい。それよりもおまえに迷子になられたほうが迷惑だ」
 百花の手をむんずと握りしめた新樹は、その手を引っ張って百花を立たせ、そのままずんずんと先に進んでいく。
「あっ」
 航平からかけてもらった上着が肩から落ちそうになり、空いている手で慌ててそれを掴んだ。
 階段を上がり鉄製の重い扉を開ければ、どこかの路地裏のように見えたが、太陽の光が届く世界が広がっていた。輝きに目を細くして真っ青な空を見上げると、乾いた風のにおいがする。
「おい、ぼんやりするな。すぐそこに車を用意してある」
 そのまま新樹に引っ張られるようにして、路地裏から騒がしい大通りへと出た。
 この稜穂(りょうほ)帝国が、他国とのやりとりを始めたのは約三十年前。この三十年間、異国の文化も入ってきたせいか、帝国内は目まぐるしく発展し、大きな道路では馬車や自動車も走っている。着物や洋装姿の人々が忙しなく行き交い、些細な日常がそこにはあった。
「おい、こっちだ。いいからさっさと乗れ」
 道路の脇に停められていた自動車に押し込められるようにして乗せられた百花は、今になってこれが現実なのかと疑いたくなってきた。
 そもそも、なぜ新樹は百花を買ったのか。しかも金貨百万枚という大金である。
 振動が伝わってきて、自動車はエンジン音と共に走り出す。
 とにかく百花は落ち着かなかった。こんな立派な自動車に乗ったのは初めてというのもあるし、何よりも隣にいるのが暁陽家の当主である。いくら百花より年下で子どもとはいえ、当主という肩書きは恐れ多いもの。そのような人物と肩を並べている理由がてんでわからない。
「あの……当主様」
「新樹だ。当主は他に五人いる。そこで当主様と呼んでみろ? 他のやつも反応する」
「あの、新樹様はどうして私を? それに……あの場から助けてくださってありがとうございました」
 百花は、航平からも直接、当主に礼を言えと言われていたのを思い出したのだ。
「ふん。俺はおまえを助けたわけじゃない。おまえを買ったんだ。おまえに価値がないとわかれば、また手放すだけだ……おい、航平。笑うな」
 運転席に座る航平が肩を震わせていたのは、笑っていたからだった。
「失礼しました。相変わらず、新樹様は素直ではない」
「ふん」
 鼻息荒く顔を背けた新樹だが、その背けた先で何やらごそごそと取り出した。
「おい、これを作ったのはおまえだな?」
「あっ……は、はい」
 百花は目をぱちくりと瞬き、彼が手渡したうさぎのぬいぐるみを凝視する。見覚えのあるものだが、縫い目が裂け、中から綿が飛び出していた。
「確か……養護院のバザーのために、二年か三年前に作ったものです」
「そうだ。これは藤澤養護院で買ったものだ」
 だから新樹は百花の名前を知っていたのだろう。恐らく、養護院のバザーで顔を合わせていたにちがいない。
「おまえ、これを直せるか?」
「はい。必要な材料と道具があれば……」
 ぼろぼろになったうさぎのぬいぐるみだが、裁縫のできる者であれば誰だって直せるはずだ。わざわざ百花に頼まなくてもと思うのだが、それはあえて口にはしない。
「だったら、これを直せ。これを直したら、おまえを暁陽家に置いてやる」
 そう言った新樹は、よれよれになっているうさぎのぬいぐるみを愛おしそうに両手で抱いた。