本番当日、天気はどんよりとした曇りだった。
会場は室内だから、入ってしまえば天気なんて関係ない。
席はクラスごとに振り分けられていて、石神は俺を見つけるなりすぐに隣の席に座らせた。
「とっておいたの?」
「ん、そう。絶対隣がいいじゃん」
嬉しい、口元が思わず緩んでしまう。
言葉にしたほうがいいと思うのに、素直に言葉に出すのが恥ずかしい。
「どうも」
「いーえいーえ」
昨日よりも少しうきうきしているように見えた。
本番だからだろうか。
ステージの上で合わせるのは初めてだ。
石神は、きっと俺のことばれないように見るんだろうな。
指揮者の台から見える景色は知らない。どうやって見えるんだろう。
クラスメイトの顔はたぶん全員みえる。
伴奏者の姿って、結構見えるのだろうか。
グランドピアノなら屋根が開いて顔が隠れないだろうか。
そもそも俺が小柄だし。
あ、でも石神は大きいから除いて見えるのか?
そこでふっと視線を彼の耳に移す。
「ピアス、してない」
「お、気が付いた? 前に立つ指揮者ですから、ちょっと今日は真面目モードにしたよ」
いつも片耳に三つくらいピアスをしているのに、今日は全部つけていない。
いつも着崩す制服だって、しっかり着ている。
「やるときはやるんだ」
「やるわっ。あ、でも一つだけ」
そう言って、石神は彼の学ランを俺の頭にかぶせる。
反射的に学ランを払おうとした。
しかし、それよりもさきに石神も一緒に学ランにもぐりこむ。
目が合うと、にこっと微笑む、そしてもぐってきた勢いに乗ってそのままキスをする。
流れるようなキスだった。しかしキスはすぐに去らない。
強く押し付けられる。すると今度は無造作に口を下でこじ開けられる。
舌が口の中に入ってくる。
舌同士が絡み合う。そのとき口の中でヒンヤリとしたものを感じる。
そのまま五秒間くらい石神の好きなように口の中がいじられる。
恥ずかしいのに、いつもと違って刺激がダイレクトにきて拒むことができない。
目が合うと、満足そうにやっと顔を離す。そのまま今度は耳元でささやく。
「舌ピはいいよね」
息を吐きだしながらささやいたから、余計にぞくぞくする。
初めてのディープキスにまだ頭が追い付かず、言葉が出ない。
学ランの中ということもあり、いつもより周りの温度も熱い。
簡単に熱が引いてくれなさそうだ。
石神だけ学ランから顔を出し、まだ俺のことは隠したままでいる。
「なにやってるの石神君ー」
女子の声が後ろから聞こえる。後ろに座っていた人、まさかばれた?
心臓が激しく鼓動し、声を抑えるのに必死だった。
「んー? 御花が一回寝るっていうから学ランで隠してあげてるの」
「やさしー」
「静かにしてあげてね」
「おっけー、でも話そうよーうるさくしないから」
「それならいいよー」
しばらく女子と石神はしゃべったままだった。
もう俺の存在を女子は忘れているんじゃないかって思うくらい、会話が盛り上がっていた。
それでも石神は、学ランで隠れて見えないがずっと手を握ってくれていた。
開会式がはじまるまで石神は女子たちと話していた。
教頭先生が話し出す前に、石神はゆっくり手を離してから学ランを下す。
真っ暗だった視界から明るい光が差し込んで、しばらくピントが合うまで時間がかかった。
焦点が合うとやはり石神は笑っていた。
「おはよっ」
「おはよ、ありがと」
「いーよいーよ」
さすがに熱は収まりだれがどう見たって、さっきキスしていたなんて分からないだろう。
しばらくは石神を直視できないみたいだ。
***
最初に一年生が合唱をして、すぐに二年生の番が回ってきた。
裏に移動して、最後の確認をする。
北原さんは前に立って、今までの思いを少しだけ語ってからすぐにクラスを明るくする。
「昨日の練習も過去一番に最高だった! みんななら絶対最優秀賞いけるよ! がんばろ!!」
北原さんはクラスの中でカーストが高く、正直俺からしたら怖い人だ。
しかし友達といるときは笑顔が多く、かなり明るい性格のように思えた。
人によって態度が変わるところは怖いけど、実際クラスをまとめるうえで彼女の明るさは役に立っていたと思う。
今も不安な表情を浮かべていたクラスメイトが少しだけ緊張感が緩和しているように見える。
隣には石神が立っている。
俺と石神は列の一番後ろに並んでいる。
ちらっと横目で見ていたら、石神は全然気が付かない。
今度は顔を横に向けて見てみると、さすがに石神が反応する。
すっと顔を近づけてくる。
キスっ!? と身構えたが、石神は耳元に顔を寄せた。
「なにかしゃべってた?」
「え、いや、なにも」
「見てただけ?」
「あ、うん」
いつもなら、からかってくると思う。
それでも今日は「そっか」と言うだけだった。
石神はまたぼーっと前を向いている。
彼らしくない、いや、まさか緊張している。
彼の手元を見ると、わずかに震えていた。
そこで確信に変わり、考えるよりも先に石神の手を握った。
石神が目を丸くさせて驚いているが、彼以上に俺のほうがびっくりしている。
「どうした?」
「石神は、大丈夫だよ」
「……」
「石神の指揮は誰がどう見たって上手だし、堂々と胸張ればいい。もし怖くなったら、俺のことを見ればいい」
言いながら、どこか引っかかっていた記憶の破片がつながりそうになった。
このシチュエーション、昔もあった気がする。
石神は驚いていたのに、徐々にどこか喜んでいる顔になっていった。
「随分イケメンなセリフだね」
「うるさいっ」
「ありがとう、ちょっと緊張してた。でも、もう大丈夫」
そう言うとすっと体を寄せてくる。
ピタッと肩をくっつけてくる。
「このままいさせて」
「いいけど」
かすかにひとつ前のクラスの歌声が聞こえてくる。
クラスメイトはそこまで緊張しているようには見えない。
正直に言うと石神が緊張するなんて意外だと思ってしまった。
いろんな感情を見せてくれるが、緊張というのは、そもそもこういう場面がなかったから見たことがなかったのか。
俺はというと、本番には強いほうでそこまで緊張していない。
元々緊張に強いというのもあるけど、今一番心強いのは石神がいるからだった。
石神にも俺がいる。それでも緊張しているのは、本人が背負うプレッシャーのほうが大きいということか。
石神を見上げると、さっきよりは緊張していないように見える。
もう、大丈夫みたいだ。
「がんばろう」
石神に伝えると同時に、自分にも言い聞かせた。
嬉しそうに微笑むと、ゆっくり体を俺から離して一人で立って見せる。
「がんばろっ」
一緒に頑張りたい、その思いが日に日に強くなっていき、ただのクラスメイトではなくなった。
今日だけは絶対にうまくいかせる。
石神と二人で、ちゃんとやってみせる。
***
ステージは眩しくて、最初は目を細めてしまう。
徐々に視界がクリアになり、ピアノの輪郭がはっきりとして見える。
北原さんと友人が曲紹介をしている。
彼女とも今日を境に全く接点がなくなるのだろう。
石神は指揮台の隣に立って、クラスメイトに綺麗な列を作るよう指示をしている。
俺は楽譜を並べて、椅子の高さを調整する。
椅子に座ってから、音を出さないようにそっと鍵盤をなぞる。
最後は小学六年生だから、もう五年前か。
石神と目が合う。
優しい目をしていて、心の底から幸せそうな笑顔でいた。
その瞬間、欠けていたパズルのピースが綺麗にはまった。
石神が指揮を構える。
目が合う。そして指揮を振る。
石神に合わせて音を奏でる。
空気と一体化しているようで、指先まで滑らかな、まるでダンスを踊っているかのような指揮だった。
声が伴奏に合流して、少しだけピアノの音量を下げて、声を主役にさせる。
石神は本番だからか、いつもより真剣な表情だ。
こっちを見ては、にこっと笑い、すぐにほかの人たちに向き合う。
純粋に指揮に没頭し、クラスが一体になるのを楽しんでいるように見える。
ステージの上に照らされ、自分が主役、そんな誇りは一切なく、純粋に声と伴奏が綺麗にまとまり音楽が完成するのを楽しんでいる。
ステージの上に重なる石神を見て思い出した。
石神は、俺が小学生の時に好きだった女の子に似ているんだ。
必死に忘れようとした女の子に似ているから、石神のことを拒み切れないし、忘れていた記憶をこじ開けてくる。
石神が彼女に似ているから、最初は無意識に意識していたのかもしれない。
けれど、途中から俺は石神本人に惹かれていって、いつしか同じ言葉を思い出していた。
「「独占したい」」
自分が言った言葉と石神が最初に言っていた言葉がもう一度重なる。
間奏に入り、石神がこちらに集中する。
愛おしいものを大切に見つめるような、かつ俺のものだ、と強く願っているようにも見える。
今、俺の姿を独占しているのは石神だけかもしれない。
けれど、同時に俺だった石神を独占できる。
二番が始まる直前、たった二文字を口を動かして伝える。
石神は目を見開いて、腕の動きが一瞬、鈍くなる。
しかし、声が入ると同時にリズムを取り戻し、視線をクラスメイトに戻す。
ちらっとこっちを見ては、すぐに視線を元に戻す。
しっかりまとめようという理性と欲がせめぎあっているように思える。
大丈夫、コンクールが終わったら、ちゃんと言葉にして伝えるから。
***
優しい拍手に包まれて、無事合唱が終了する。
列の最後に指揮者と伴奏者がついていく。
裏の通りを歩く途中、前を歩く石神が振り向かないまま指でピースをして見せる。
無意識にその指をそっと両手で包む。
石神はそこで立ち止まり、振り向いた。
他の人は先に進み、暗い廊下に二人きりになる。
まだ拍手が鳴り響いて、気分が高揚したままだった。
石神もまだ息が少しだけ上がっていて、じんわりとおでこに汗が輝いた。
石神の指揮は本当に大好きだった。
「おつかれ」
「おつかれ、石神さ、誘ってくれてありがとう。楽しかった」
その言葉に驚いたのか、すぐに返答を出せないようだった。
「楽しかったなら、よかった」
安堵した表情で胸をなでおろしてからすっと真剣な表情に戻る。
「さっき、口動かしてたけど、なんて言いたかったの」
直球で聞いてくるとは……
別にからかってる感じじゃないし、少しだけ答えを聞くことを怖がっているようにも見える。
そりゃ、石神だって緊張するんだか、当たり前だ。
「好き」
小さな声が出る。たぶん周りに他の誰かがいたとしても石神だけに聞こえる声だった。
石神はまだ信じられないのか、表情に動きがない。
情報を理解するのに時間がかかっているのだろうか。
俺は、周りに人がいないことをさっと確認する。
石神の肩に両手を置いて初めて、自分から石神にキスをした。
石神の身長が高すぎて、背伸びをしつつ、少しだけ石神にかがんでもらわないと届かなかった。
それでも、自分から、というのは初めてで恥ずかしさが溢れてしまう。
いつ人が来るかわからない、それでも石神に分かってほしくて数秒その体制のままでいる。
大好きだって、伝わってほしくて。
キスの時、目をつぶっていた。
しかし、あまりにも石神の動きがなさ過ぎて不安になりゆっくり目を開く。
ばちっと目が合う。
ーー刹那、強く抱きしめられる。
「あはっ、あー好きだよ俺も。ありがとう」
思いが全部こもったハグだった。
強く抱きしめられて、そのまま体を持ち上げられる。
「こ、こわいこわい。振り回すなバカ」
「いいじゃん、絶対落とさないから! 嬉しいなーー」
俺のことを持ったまま体を回転するなんてどれだけ力持ちなんだよ。
一応高校生の男子だぞ。
「人来るから、マジで一回降ろせ」
「えへ、はいよ」
ゆっくり下ろしてくれたが、すぐにまた抱き着いてくる。
「いい加減にしろー」
「だって嬉しさが爆発してるんだもん! これから御花じゃなくて、紫月って呼ぼうかなー。紫月も俺のこと石神じゃなくて紅って呼んでよ。こうちゃんとかでもいいよ」
【こうちゃん】、え?
一つの疑問が思い浮かび、急いで石神の顔面を確認する。
髪型やピアス、高身長で雰囲気はイケメンに見えるが、時折見せる幼い子供みたいな表情。
石神の顔は彫が深く、整った顔立ちでパーツが整った典型的なイケメンではなく、どちらかと言えば雰囲気がイケメンだ。しっかりと顔を見れば童顔に見える。
【こうちゃん】、石神の名前を呼んだことはほぼないから全くぴんと来なかった。
「紅ちゃん?」
震える声を何とか口にした。
石神はその様子を見て察したらしく、腕を離して高ぶった気持ちを静めてから、落ち着いた声で口にする。
「紫月、久しぶり。こーだよ」
石神紅、苗字までは当時しっかりと把握していなかった。
ずっと【こうちゃん】と呼んでいた。それでも、どうして気が付かなかったのか。
そんなの考えなくても決まってる。
俺は、【こうちゃん】のことがずっと好きだった。
合唱が終わった後告白をした、人生初めての経験だった。
本気で俺のものにしたい、独占したいと思ったから、その思いを全部伝えた。
そのときは断られた。理由は単純だった。
ずっと、俺は【こうちゃん】のことを女の子だと勘違いしていたのだから。
会場は室内だから、入ってしまえば天気なんて関係ない。
席はクラスごとに振り分けられていて、石神は俺を見つけるなりすぐに隣の席に座らせた。
「とっておいたの?」
「ん、そう。絶対隣がいいじゃん」
嬉しい、口元が思わず緩んでしまう。
言葉にしたほうがいいと思うのに、素直に言葉に出すのが恥ずかしい。
「どうも」
「いーえいーえ」
昨日よりも少しうきうきしているように見えた。
本番だからだろうか。
ステージの上で合わせるのは初めてだ。
石神は、きっと俺のことばれないように見るんだろうな。
指揮者の台から見える景色は知らない。どうやって見えるんだろう。
クラスメイトの顔はたぶん全員みえる。
伴奏者の姿って、結構見えるのだろうか。
グランドピアノなら屋根が開いて顔が隠れないだろうか。
そもそも俺が小柄だし。
あ、でも石神は大きいから除いて見えるのか?
そこでふっと視線を彼の耳に移す。
「ピアス、してない」
「お、気が付いた? 前に立つ指揮者ですから、ちょっと今日は真面目モードにしたよ」
いつも片耳に三つくらいピアスをしているのに、今日は全部つけていない。
いつも着崩す制服だって、しっかり着ている。
「やるときはやるんだ」
「やるわっ。あ、でも一つだけ」
そう言って、石神は彼の学ランを俺の頭にかぶせる。
反射的に学ランを払おうとした。
しかし、それよりもさきに石神も一緒に学ランにもぐりこむ。
目が合うと、にこっと微笑む、そしてもぐってきた勢いに乗ってそのままキスをする。
流れるようなキスだった。しかしキスはすぐに去らない。
強く押し付けられる。すると今度は無造作に口を下でこじ開けられる。
舌が口の中に入ってくる。
舌同士が絡み合う。そのとき口の中でヒンヤリとしたものを感じる。
そのまま五秒間くらい石神の好きなように口の中がいじられる。
恥ずかしいのに、いつもと違って刺激がダイレクトにきて拒むことができない。
目が合うと、満足そうにやっと顔を離す。そのまま今度は耳元でささやく。
「舌ピはいいよね」
息を吐きだしながらささやいたから、余計にぞくぞくする。
初めてのディープキスにまだ頭が追い付かず、言葉が出ない。
学ランの中ということもあり、いつもより周りの温度も熱い。
簡単に熱が引いてくれなさそうだ。
石神だけ学ランから顔を出し、まだ俺のことは隠したままでいる。
「なにやってるの石神君ー」
女子の声が後ろから聞こえる。後ろに座っていた人、まさかばれた?
心臓が激しく鼓動し、声を抑えるのに必死だった。
「んー? 御花が一回寝るっていうから学ランで隠してあげてるの」
「やさしー」
「静かにしてあげてね」
「おっけー、でも話そうよーうるさくしないから」
「それならいいよー」
しばらく女子と石神はしゃべったままだった。
もう俺の存在を女子は忘れているんじゃないかって思うくらい、会話が盛り上がっていた。
それでも石神は、学ランで隠れて見えないがずっと手を握ってくれていた。
開会式がはじまるまで石神は女子たちと話していた。
教頭先生が話し出す前に、石神はゆっくり手を離してから学ランを下す。
真っ暗だった視界から明るい光が差し込んで、しばらくピントが合うまで時間がかかった。
焦点が合うとやはり石神は笑っていた。
「おはよっ」
「おはよ、ありがと」
「いーよいーよ」
さすがに熱は収まりだれがどう見たって、さっきキスしていたなんて分からないだろう。
しばらくは石神を直視できないみたいだ。
***
最初に一年生が合唱をして、すぐに二年生の番が回ってきた。
裏に移動して、最後の確認をする。
北原さんは前に立って、今までの思いを少しだけ語ってからすぐにクラスを明るくする。
「昨日の練習も過去一番に最高だった! みんななら絶対最優秀賞いけるよ! がんばろ!!」
北原さんはクラスの中でカーストが高く、正直俺からしたら怖い人だ。
しかし友達といるときは笑顔が多く、かなり明るい性格のように思えた。
人によって態度が変わるところは怖いけど、実際クラスをまとめるうえで彼女の明るさは役に立っていたと思う。
今も不安な表情を浮かべていたクラスメイトが少しだけ緊張感が緩和しているように見える。
隣には石神が立っている。
俺と石神は列の一番後ろに並んでいる。
ちらっと横目で見ていたら、石神は全然気が付かない。
今度は顔を横に向けて見てみると、さすがに石神が反応する。
すっと顔を近づけてくる。
キスっ!? と身構えたが、石神は耳元に顔を寄せた。
「なにかしゃべってた?」
「え、いや、なにも」
「見てただけ?」
「あ、うん」
いつもなら、からかってくると思う。
それでも今日は「そっか」と言うだけだった。
石神はまたぼーっと前を向いている。
彼らしくない、いや、まさか緊張している。
彼の手元を見ると、わずかに震えていた。
そこで確信に変わり、考えるよりも先に石神の手を握った。
石神が目を丸くさせて驚いているが、彼以上に俺のほうがびっくりしている。
「どうした?」
「石神は、大丈夫だよ」
「……」
「石神の指揮は誰がどう見たって上手だし、堂々と胸張ればいい。もし怖くなったら、俺のことを見ればいい」
言いながら、どこか引っかかっていた記憶の破片がつながりそうになった。
このシチュエーション、昔もあった気がする。
石神は驚いていたのに、徐々にどこか喜んでいる顔になっていった。
「随分イケメンなセリフだね」
「うるさいっ」
「ありがとう、ちょっと緊張してた。でも、もう大丈夫」
そう言うとすっと体を寄せてくる。
ピタッと肩をくっつけてくる。
「このままいさせて」
「いいけど」
かすかにひとつ前のクラスの歌声が聞こえてくる。
クラスメイトはそこまで緊張しているようには見えない。
正直に言うと石神が緊張するなんて意外だと思ってしまった。
いろんな感情を見せてくれるが、緊張というのは、そもそもこういう場面がなかったから見たことがなかったのか。
俺はというと、本番には強いほうでそこまで緊張していない。
元々緊張に強いというのもあるけど、今一番心強いのは石神がいるからだった。
石神にも俺がいる。それでも緊張しているのは、本人が背負うプレッシャーのほうが大きいということか。
石神を見上げると、さっきよりは緊張していないように見える。
もう、大丈夫みたいだ。
「がんばろう」
石神に伝えると同時に、自分にも言い聞かせた。
嬉しそうに微笑むと、ゆっくり体を俺から離して一人で立って見せる。
「がんばろっ」
一緒に頑張りたい、その思いが日に日に強くなっていき、ただのクラスメイトではなくなった。
今日だけは絶対にうまくいかせる。
石神と二人で、ちゃんとやってみせる。
***
ステージは眩しくて、最初は目を細めてしまう。
徐々に視界がクリアになり、ピアノの輪郭がはっきりとして見える。
北原さんと友人が曲紹介をしている。
彼女とも今日を境に全く接点がなくなるのだろう。
石神は指揮台の隣に立って、クラスメイトに綺麗な列を作るよう指示をしている。
俺は楽譜を並べて、椅子の高さを調整する。
椅子に座ってから、音を出さないようにそっと鍵盤をなぞる。
最後は小学六年生だから、もう五年前か。
石神と目が合う。
優しい目をしていて、心の底から幸せそうな笑顔でいた。
その瞬間、欠けていたパズルのピースが綺麗にはまった。
石神が指揮を構える。
目が合う。そして指揮を振る。
石神に合わせて音を奏でる。
空気と一体化しているようで、指先まで滑らかな、まるでダンスを踊っているかのような指揮だった。
声が伴奏に合流して、少しだけピアノの音量を下げて、声を主役にさせる。
石神は本番だからか、いつもより真剣な表情だ。
こっちを見ては、にこっと笑い、すぐにほかの人たちに向き合う。
純粋に指揮に没頭し、クラスが一体になるのを楽しんでいるように見える。
ステージの上に照らされ、自分が主役、そんな誇りは一切なく、純粋に声と伴奏が綺麗にまとまり音楽が完成するのを楽しんでいる。
ステージの上に重なる石神を見て思い出した。
石神は、俺が小学生の時に好きだった女の子に似ているんだ。
必死に忘れようとした女の子に似ているから、石神のことを拒み切れないし、忘れていた記憶をこじ開けてくる。
石神が彼女に似ているから、最初は無意識に意識していたのかもしれない。
けれど、途中から俺は石神本人に惹かれていって、いつしか同じ言葉を思い出していた。
「「独占したい」」
自分が言った言葉と石神が最初に言っていた言葉がもう一度重なる。
間奏に入り、石神がこちらに集中する。
愛おしいものを大切に見つめるような、かつ俺のものだ、と強く願っているようにも見える。
今、俺の姿を独占しているのは石神だけかもしれない。
けれど、同時に俺だった石神を独占できる。
二番が始まる直前、たった二文字を口を動かして伝える。
石神は目を見開いて、腕の動きが一瞬、鈍くなる。
しかし、声が入ると同時にリズムを取り戻し、視線をクラスメイトに戻す。
ちらっとこっちを見ては、すぐに視線を元に戻す。
しっかりまとめようという理性と欲がせめぎあっているように思える。
大丈夫、コンクールが終わったら、ちゃんと言葉にして伝えるから。
***
優しい拍手に包まれて、無事合唱が終了する。
列の最後に指揮者と伴奏者がついていく。
裏の通りを歩く途中、前を歩く石神が振り向かないまま指でピースをして見せる。
無意識にその指をそっと両手で包む。
石神はそこで立ち止まり、振り向いた。
他の人は先に進み、暗い廊下に二人きりになる。
まだ拍手が鳴り響いて、気分が高揚したままだった。
石神もまだ息が少しだけ上がっていて、じんわりとおでこに汗が輝いた。
石神の指揮は本当に大好きだった。
「おつかれ」
「おつかれ、石神さ、誘ってくれてありがとう。楽しかった」
その言葉に驚いたのか、すぐに返答を出せないようだった。
「楽しかったなら、よかった」
安堵した表情で胸をなでおろしてからすっと真剣な表情に戻る。
「さっき、口動かしてたけど、なんて言いたかったの」
直球で聞いてくるとは……
別にからかってる感じじゃないし、少しだけ答えを聞くことを怖がっているようにも見える。
そりゃ、石神だって緊張するんだか、当たり前だ。
「好き」
小さな声が出る。たぶん周りに他の誰かがいたとしても石神だけに聞こえる声だった。
石神はまだ信じられないのか、表情に動きがない。
情報を理解するのに時間がかかっているのだろうか。
俺は、周りに人がいないことをさっと確認する。
石神の肩に両手を置いて初めて、自分から石神にキスをした。
石神の身長が高すぎて、背伸びをしつつ、少しだけ石神にかがんでもらわないと届かなかった。
それでも、自分から、というのは初めてで恥ずかしさが溢れてしまう。
いつ人が来るかわからない、それでも石神に分かってほしくて数秒その体制のままでいる。
大好きだって、伝わってほしくて。
キスの時、目をつぶっていた。
しかし、あまりにも石神の動きがなさ過ぎて不安になりゆっくり目を開く。
ばちっと目が合う。
ーー刹那、強く抱きしめられる。
「あはっ、あー好きだよ俺も。ありがとう」
思いが全部こもったハグだった。
強く抱きしめられて、そのまま体を持ち上げられる。
「こ、こわいこわい。振り回すなバカ」
「いいじゃん、絶対落とさないから! 嬉しいなーー」
俺のことを持ったまま体を回転するなんてどれだけ力持ちなんだよ。
一応高校生の男子だぞ。
「人来るから、マジで一回降ろせ」
「えへ、はいよ」
ゆっくり下ろしてくれたが、すぐにまた抱き着いてくる。
「いい加減にしろー」
「だって嬉しさが爆発してるんだもん! これから御花じゃなくて、紫月って呼ぼうかなー。紫月も俺のこと石神じゃなくて紅って呼んでよ。こうちゃんとかでもいいよ」
【こうちゃん】、え?
一つの疑問が思い浮かび、急いで石神の顔面を確認する。
髪型やピアス、高身長で雰囲気はイケメンに見えるが、時折見せる幼い子供みたいな表情。
石神の顔は彫が深く、整った顔立ちでパーツが整った典型的なイケメンではなく、どちらかと言えば雰囲気がイケメンだ。しっかりと顔を見れば童顔に見える。
【こうちゃん】、石神の名前を呼んだことはほぼないから全くぴんと来なかった。
「紅ちゃん?」
震える声を何とか口にした。
石神はその様子を見て察したらしく、腕を離して高ぶった気持ちを静めてから、落ち着いた声で口にする。
「紫月、久しぶり。こーだよ」
石神紅、苗字までは当時しっかりと把握していなかった。
ずっと【こうちゃん】と呼んでいた。それでも、どうして気が付かなかったのか。
そんなの考えなくても決まってる。
俺は、【こうちゃん】のことがずっと好きだった。
合唱が終わった後告白をした、人生初めての経験だった。
本気で俺のものにしたい、独占したいと思ったから、その思いを全部伝えた。
そのときは断られた。理由は単純だった。
ずっと、俺は【こうちゃん】のことを女の子だと勘違いしていたのだから。



