正直、友達は少ない方だ。
クラスに雑談ができる友人は二、三人いるが、部活に入っていないからクラス外の友達はゼロだった。
だから、プログラムを作成するにあたり他のクラスの人と連携する場面があるが、それがどうもうまくいかない。
連絡先だって知らないし、顔だって集まりの時に俺が休んでいたからわからない。
もう一人の実行委員に聞くと、誰がどの役割なのかがまとめられたメモ用紙だけ渡された。
どこのクラスもまだ指揮者と伴奏者が揃っていないクラスが多く、書ける情報が少ない。
プログラム作成はそこまで仕事量が多いわけではない。ただ、ここまで苦戦する理由が一つある。
プログラムは冊子だが、そのデザインが全然決まらない。
表紙をいきなり描けだなんて、絵と全く縁のない俺みたいな男子にとって厳しいだろうが。
こういうのは女子の方が向いているから任せようと頼んでみたが、相方は「絵なんて無理」の一言だけメッセージで返答された。
絵心のかけらもないのに、どうしてこの役割なんだと、今更どれだけ嘆いても状況は変わらない。
本番まであと20日。提出期限はあと15日。
自信がなくて、実力も備わっていないのに、無駄に完璧主義で手を抜くことができない面倒な性格だ。
これはしばらく完成しそうにない。
表紙のことを考えるたびに、ため息の回数が本番に近づくにつれて増えていくような気がする。
***
放課後の教室、珍しく石神がいなかった。最初の練習から一週間、毎日石神は放課後にきていた。
練習中は絶対に邪魔をしないで、石神自身も腕を小さく振って指揮の練習をし始めていた。
しかし二人で練習はまだしていない。そろそろ指揮と合わせて練習ができると考えた矢先、石神は教室にいなかった。
残念に思いつつ、今日は表紙のデザインでも考えてみようと、最近買ったばかりのスケッチブックを開いた時だった。
「何それ、もしかしてピアノ?」
後ろには石神が立っていて、スケッチブックを覗いていた。
焦ってすぐにスケッチブックを閉じて急いで鞄の中にしまう。
「なんでいるんだよ、いつから?」
「たった今、なんか珍しく机に座ってたから後ろから驚かそうと思って」
「何してんだよ」
「えー、あ、でもまた泣いちゃうか」
ギロっと睨むと、わざとらしく怖がる石神。今は腹が立つよりもスケッチブックを見られた恥ずかしさが増していて、いつものように怒ることが出来ない。
石神は不思議そうに首を傾げ、すっと目線をスケッチブックに向ける。
「なんでピアノ描いてたの?」
「プログラムの表紙に、文字だけだとつまらないから何か付け足そうと思って。音楽といったらピアノかなって思って色々描いてただけ」
「え、御花が表紙描くの? 絵、描くの好きなん?」
「好きなわけないだろ、たまたま委員会の時に休んでて勝手に決められてただけ。片方の女子もよくわからないけどやりたくないって。本当に意味わからなくて笑えるよ」
ハハハッと感情を込めずに笑ってみせた。石神は全く笑っていない。気まずくて思わず目を逸らす。
何度絵を描いてみても納得できるものなんてできなかった。
この絵を全校生徒に見られるなんて、考えただけでも恐ろしい。
あの時休まなければこんなことで悩まなくてよかったのに。
もう一人の実行委員が描くことを受け入れてくれたら。
せめて話しやすい女子だったら相談できてかもしれない。
いや、俺がつまらないやつだからか。
石神みたいに女子と話せる陽キャだったら、二人で分担して楽しく仕事ができていただろう。きっと苦労せずに済むはず。
嫉妬なのかわからないが、今は石神のことが羨ましくて仕方ない。
「やっぱり文字だけの表紙にする。なんか描けって言われてるけど、こんな下手なものっ出すなら明朝体で綺麗に文字だけ書くほうがよっぽどマシだわ。下手な奴がいくら頑張ったって、下手なものしか書けないし、恥を晒すくらいなら最初から上を目指さなくたっていいのに、なんか一瞬でもできるかもって、ばっかだよな本当に俺」
自分で自分を突き放すように言葉が出ていく。無意識にスケッチブックを握る力が強くなる。
その手を石神は見逃さなかった。
「ごめんごめん、伴奏の練習始めるわ。今日から石神が指揮やって伴奏したいんだけどいい? 昨日も早くやりたいって言ってたろ」
「やらない」
静かだけど真のこもった声だった。声だけじゃなく瞳もそうだった。
その目はしっかりと俺のことを捉えていた。
その瞳の奥に吸い込まれてしまいそうで思わず目を背けた。
「今日は邪魔をしたい気分」
「は?」
石神はさっとリュックを背負い、俺の鞄も肩にかけた。
その時、俺が手に持っていたスケッチブックを一瞬で奪い取り、俺の鞄にさっと入れる。
そのまま今度は俺の手を握り、引っ張って廊下の方へ歩いていく。
大股なくせに、さらに早歩きをしているから、ついていくことで精一杯で手を振り払う隙がなかった。
「どこいくんだよ?」
「俺の好きなところ、大丈夫、ちゃんと楽しめるから」
「大丈夫じゃない、練習するんだ」
「練習もできるよ」
どういうことか全くわからない。一人混乱している俺を置いて石神は「大丈夫大丈夫」と言いながら下駄箱まできた。
ここまで強引な姿を見たことがなかった。何か気に触ることを言ってしまったのだろうか。
靴に履き替えても、石神は手を繋いできた。幸いなことに周りに人はいない。
さっきと比べて今度はゆっくり歩いていた。
横になって手を繋いで歩くなんてまるで恋人みたいじゃないか。
石神は俺より身長がかなり高いから、俺が見上げるか、石神がしゃがんで覗かない限り目が合うことはない。
いつも帰る時、石神が結構しゃがんでいたのだと今知った。
***
「ここって」
「そ、カラオケ」
駅の近くにあるカラオケ店、来るのは初めてだった。
石神はさっと受付を終わらせて流れるまま部屋に入る。
「御花ドリンクバー行こ」
「うん」
「御花って何好きなの?」
「カルピス」
「え、可愛い」
「カルピスなんて男子も飲むだろ」
「俺炭酸が好き」
「炭酸飲まない」
「え!?」
あまりに大きな声だったから店内にいる人が全員こちらに注目する。
「馬鹿、声でかいよ」
「ごめんって。炭酸飲まない人初めてあったかも」
「炭酸って喉がくすぐったくなるじゃん」
ポカンとした表情からすぐにニヤッと悪戯な笑みを浮かべる。
絶対馬鹿にしている。カチンときたから先に部屋に戻る。
後ろから石神が追っかけてくるが、その時も「ふーん」と楽しそうに何度も連呼してくる。
端の方へ座ると石神はぴたりと隣に座ってきた。近い、と睨んでも石神はニコッと笑うだけだった。
「で、歌いにきたの?」
「違うよ、絵を描きにきた」
そう言って石神は俺の鞄からスケッチブックを取り出す。
勝手にペラペラとページを捲り出したから、すぐに彼からスケッチ服を奪い取ろうとした。
しかし反対側の手でスケッチブックを持ってグッと伸ばし、一気に距離を取らされた。
前のめりになって腕を伸ばす。その時、バランスを崩し思わず石神の肩に掴みなんとか耐える。
目の前に石神の顔がある。
一気に縮まる距離に驚いて、自分から壁の方に急いで逃げる。石神はそっと俺の頬をまた触る。
「このまま、俺のこと押し倒してもいいよ」
「んなことやらなねーよ」
恥ずかしがるふりをする石神にイラッとして声が大きくなる。
石神は平気で役に入り込んでからかってくる。
人のことをからかうのが好きなようで、帰り道も何回かこういう場面がある。
女子はこんなことされて嬉しいのだろうか。
「帰っていい?」
「ダメダメ、一緒に表紙描こうよ。俺、絵描くの結構好きだよ」
そのことは初耳で驚いた。石神が協力してくれるならそれはいいのかもしれない。
さっきまでお先真っ暗な道に一筋の光が差し込んできたみたいだ。
「じゃあ、お願いします」
「おっけー。スケッチブック借りるよ」
スケッチブックを開くと、余白のページにつらつらと何かを書き始める。
しばらくすると、そこには立派なピアノが描かれていた。鍵盤だけでなく、グランドピアノの全体像だった。
細かい箇所は多少荒くなっているものの、誰が見てもそれは上手と評価されるものだった。
「うまくね?」
「ありがっとー」
想像以上の出来栄えに意表をつかれて言葉が続かない。
「俺も手伝うよ、今日下書きは終わらせちゃおうよ」
「いいの?」
「もちろん。一人で抱え込まないでよ。俺暇だからなんでもするよ」
にんまりと笑いながら石神はそう言った。
石神の優しさがじんわりと心の奥に沁みる。一人で抱え込まないでよ、そんなこと最近言われたことがない。
「御花は何描きたい? ……御花どうした?」
不思議そうにこっちを見ている石神、その瞬間、視界がぼやける。
頬に一筋、涙がゆっくりと流れる。
それが最初の合図のようで、涙が両目からぽろぽろと溢れ出す。
「うぅぅ、なんでそんなに優しいんだよぉ。ああぁぁ……」
泣きながらキレているのがおかしい。涙が流れるごとに感情が整理できなくて、今まで耐えてきたものが爆発して体の外に流れ出した。
「表紙が描けないだけでこんなに悩んでるのばっかばかしいしぃぃ、絵を描ける友達とかいないしぃぃ……委員の仕事しないならもっとやりやすい仕事とってこいよあのクソ女ぁぁっっ。仕事しろよぉぉぉ、俺と一緒なのが嫌なのかぁぁもう訳わかんねー……うあぁぁぁー……!」
泣きじゃくる俺を見て石神は目を見開いた。
次の瞬間、強く抱きしめられる。
相手は石神だという理性と、大きな腕に包まれる安心感がせめぎ合っている。
石神は何も言わないで、俺の背中を何度も優しく撫でた。
しばらく何も考えられず、涙が止まるまで俺は石神の胸の中で泣き続けた。
***
「男が泣くなんて、ダサすぎ」
落ち着いて最初に出た言葉だった。
石神は「確かにー」と笑いながらそう言った。
そこでやっと腕をはなし、ポケットからハンカチを取りだして丁寧に俺の涙を拭いとる。
「でも、御花はダサくないよ。こんなになるまで考えてて頑張ってたじゃん」
「やっぱりダサいじゃん」
不貞腐れる俺を石神はもう一度ぎゅっと抱きしめる。さっきよりも力が強い。
「もう少し、このままでいようか」
「もう大丈夫なんだけど」
「俺がこうしてたいの」
石神は静かなこれでそう言った。その声で一気に安心感に包まれる。
自然と自分の手が石神を包み返す。
石神は嬉しそうに笑う。
クラスに雑談ができる友人は二、三人いるが、部活に入っていないからクラス外の友達はゼロだった。
だから、プログラムを作成するにあたり他のクラスの人と連携する場面があるが、それがどうもうまくいかない。
連絡先だって知らないし、顔だって集まりの時に俺が休んでいたからわからない。
もう一人の実行委員に聞くと、誰がどの役割なのかがまとめられたメモ用紙だけ渡された。
どこのクラスもまだ指揮者と伴奏者が揃っていないクラスが多く、書ける情報が少ない。
プログラム作成はそこまで仕事量が多いわけではない。ただ、ここまで苦戦する理由が一つある。
プログラムは冊子だが、そのデザインが全然決まらない。
表紙をいきなり描けだなんて、絵と全く縁のない俺みたいな男子にとって厳しいだろうが。
こういうのは女子の方が向いているから任せようと頼んでみたが、相方は「絵なんて無理」の一言だけメッセージで返答された。
絵心のかけらもないのに、どうしてこの役割なんだと、今更どれだけ嘆いても状況は変わらない。
本番まであと20日。提出期限はあと15日。
自信がなくて、実力も備わっていないのに、無駄に完璧主義で手を抜くことができない面倒な性格だ。
これはしばらく完成しそうにない。
表紙のことを考えるたびに、ため息の回数が本番に近づくにつれて増えていくような気がする。
***
放課後の教室、珍しく石神がいなかった。最初の練習から一週間、毎日石神は放課後にきていた。
練習中は絶対に邪魔をしないで、石神自身も腕を小さく振って指揮の練習をし始めていた。
しかし二人で練習はまだしていない。そろそろ指揮と合わせて練習ができると考えた矢先、石神は教室にいなかった。
残念に思いつつ、今日は表紙のデザインでも考えてみようと、最近買ったばかりのスケッチブックを開いた時だった。
「何それ、もしかしてピアノ?」
後ろには石神が立っていて、スケッチブックを覗いていた。
焦ってすぐにスケッチブックを閉じて急いで鞄の中にしまう。
「なんでいるんだよ、いつから?」
「たった今、なんか珍しく机に座ってたから後ろから驚かそうと思って」
「何してんだよ」
「えー、あ、でもまた泣いちゃうか」
ギロっと睨むと、わざとらしく怖がる石神。今は腹が立つよりもスケッチブックを見られた恥ずかしさが増していて、いつものように怒ることが出来ない。
石神は不思議そうに首を傾げ、すっと目線をスケッチブックに向ける。
「なんでピアノ描いてたの?」
「プログラムの表紙に、文字だけだとつまらないから何か付け足そうと思って。音楽といったらピアノかなって思って色々描いてただけ」
「え、御花が表紙描くの? 絵、描くの好きなん?」
「好きなわけないだろ、たまたま委員会の時に休んでて勝手に決められてただけ。片方の女子もよくわからないけどやりたくないって。本当に意味わからなくて笑えるよ」
ハハハッと感情を込めずに笑ってみせた。石神は全く笑っていない。気まずくて思わず目を逸らす。
何度絵を描いてみても納得できるものなんてできなかった。
この絵を全校生徒に見られるなんて、考えただけでも恐ろしい。
あの時休まなければこんなことで悩まなくてよかったのに。
もう一人の実行委員が描くことを受け入れてくれたら。
せめて話しやすい女子だったら相談できてかもしれない。
いや、俺がつまらないやつだからか。
石神みたいに女子と話せる陽キャだったら、二人で分担して楽しく仕事ができていただろう。きっと苦労せずに済むはず。
嫉妬なのかわからないが、今は石神のことが羨ましくて仕方ない。
「やっぱり文字だけの表紙にする。なんか描けって言われてるけど、こんな下手なものっ出すなら明朝体で綺麗に文字だけ書くほうがよっぽどマシだわ。下手な奴がいくら頑張ったって、下手なものしか書けないし、恥を晒すくらいなら最初から上を目指さなくたっていいのに、なんか一瞬でもできるかもって、ばっかだよな本当に俺」
自分で自分を突き放すように言葉が出ていく。無意識にスケッチブックを握る力が強くなる。
その手を石神は見逃さなかった。
「ごめんごめん、伴奏の練習始めるわ。今日から石神が指揮やって伴奏したいんだけどいい? 昨日も早くやりたいって言ってたろ」
「やらない」
静かだけど真のこもった声だった。声だけじゃなく瞳もそうだった。
その目はしっかりと俺のことを捉えていた。
その瞳の奥に吸い込まれてしまいそうで思わず目を背けた。
「今日は邪魔をしたい気分」
「は?」
石神はさっとリュックを背負い、俺の鞄も肩にかけた。
その時、俺が手に持っていたスケッチブックを一瞬で奪い取り、俺の鞄にさっと入れる。
そのまま今度は俺の手を握り、引っ張って廊下の方へ歩いていく。
大股なくせに、さらに早歩きをしているから、ついていくことで精一杯で手を振り払う隙がなかった。
「どこいくんだよ?」
「俺の好きなところ、大丈夫、ちゃんと楽しめるから」
「大丈夫じゃない、練習するんだ」
「練習もできるよ」
どういうことか全くわからない。一人混乱している俺を置いて石神は「大丈夫大丈夫」と言いながら下駄箱まできた。
ここまで強引な姿を見たことがなかった。何か気に触ることを言ってしまったのだろうか。
靴に履き替えても、石神は手を繋いできた。幸いなことに周りに人はいない。
さっきと比べて今度はゆっくり歩いていた。
横になって手を繋いで歩くなんてまるで恋人みたいじゃないか。
石神は俺より身長がかなり高いから、俺が見上げるか、石神がしゃがんで覗かない限り目が合うことはない。
いつも帰る時、石神が結構しゃがんでいたのだと今知った。
***
「ここって」
「そ、カラオケ」
駅の近くにあるカラオケ店、来るのは初めてだった。
石神はさっと受付を終わらせて流れるまま部屋に入る。
「御花ドリンクバー行こ」
「うん」
「御花って何好きなの?」
「カルピス」
「え、可愛い」
「カルピスなんて男子も飲むだろ」
「俺炭酸が好き」
「炭酸飲まない」
「え!?」
あまりに大きな声だったから店内にいる人が全員こちらに注目する。
「馬鹿、声でかいよ」
「ごめんって。炭酸飲まない人初めてあったかも」
「炭酸って喉がくすぐったくなるじゃん」
ポカンとした表情からすぐにニヤッと悪戯な笑みを浮かべる。
絶対馬鹿にしている。カチンときたから先に部屋に戻る。
後ろから石神が追っかけてくるが、その時も「ふーん」と楽しそうに何度も連呼してくる。
端の方へ座ると石神はぴたりと隣に座ってきた。近い、と睨んでも石神はニコッと笑うだけだった。
「で、歌いにきたの?」
「違うよ、絵を描きにきた」
そう言って石神は俺の鞄からスケッチブックを取り出す。
勝手にペラペラとページを捲り出したから、すぐに彼からスケッチ服を奪い取ろうとした。
しかし反対側の手でスケッチブックを持ってグッと伸ばし、一気に距離を取らされた。
前のめりになって腕を伸ばす。その時、バランスを崩し思わず石神の肩に掴みなんとか耐える。
目の前に石神の顔がある。
一気に縮まる距離に驚いて、自分から壁の方に急いで逃げる。石神はそっと俺の頬をまた触る。
「このまま、俺のこと押し倒してもいいよ」
「んなことやらなねーよ」
恥ずかしがるふりをする石神にイラッとして声が大きくなる。
石神は平気で役に入り込んでからかってくる。
人のことをからかうのが好きなようで、帰り道も何回かこういう場面がある。
女子はこんなことされて嬉しいのだろうか。
「帰っていい?」
「ダメダメ、一緒に表紙描こうよ。俺、絵描くの結構好きだよ」
そのことは初耳で驚いた。石神が協力してくれるならそれはいいのかもしれない。
さっきまでお先真っ暗な道に一筋の光が差し込んできたみたいだ。
「じゃあ、お願いします」
「おっけー。スケッチブック借りるよ」
スケッチブックを開くと、余白のページにつらつらと何かを書き始める。
しばらくすると、そこには立派なピアノが描かれていた。鍵盤だけでなく、グランドピアノの全体像だった。
細かい箇所は多少荒くなっているものの、誰が見てもそれは上手と評価されるものだった。
「うまくね?」
「ありがっとー」
想像以上の出来栄えに意表をつかれて言葉が続かない。
「俺も手伝うよ、今日下書きは終わらせちゃおうよ」
「いいの?」
「もちろん。一人で抱え込まないでよ。俺暇だからなんでもするよ」
にんまりと笑いながら石神はそう言った。
石神の優しさがじんわりと心の奥に沁みる。一人で抱え込まないでよ、そんなこと最近言われたことがない。
「御花は何描きたい? ……御花どうした?」
不思議そうにこっちを見ている石神、その瞬間、視界がぼやける。
頬に一筋、涙がゆっくりと流れる。
それが最初の合図のようで、涙が両目からぽろぽろと溢れ出す。
「うぅぅ、なんでそんなに優しいんだよぉ。ああぁぁ……」
泣きながらキレているのがおかしい。涙が流れるごとに感情が整理できなくて、今まで耐えてきたものが爆発して体の外に流れ出した。
「表紙が描けないだけでこんなに悩んでるのばっかばかしいしぃぃ、絵を描ける友達とかいないしぃぃ……委員の仕事しないならもっとやりやすい仕事とってこいよあのクソ女ぁぁっっ。仕事しろよぉぉぉ、俺と一緒なのが嫌なのかぁぁもう訳わかんねー……うあぁぁぁー……!」
泣きじゃくる俺を見て石神は目を見開いた。
次の瞬間、強く抱きしめられる。
相手は石神だという理性と、大きな腕に包まれる安心感がせめぎ合っている。
石神は何も言わないで、俺の背中を何度も優しく撫でた。
しばらく何も考えられず、涙が止まるまで俺は石神の胸の中で泣き続けた。
***
「男が泣くなんて、ダサすぎ」
落ち着いて最初に出た言葉だった。
石神は「確かにー」と笑いながらそう言った。
そこでやっと腕をはなし、ポケットからハンカチを取りだして丁寧に俺の涙を拭いとる。
「でも、御花はダサくないよ。こんなになるまで考えてて頑張ってたじゃん」
「やっぱりダサいじゃん」
不貞腐れる俺を石神はもう一度ぎゅっと抱きしめる。さっきよりも力が強い。
「もう少し、このままでいようか」
「もう大丈夫なんだけど」
「俺がこうしてたいの」
石神は静かなこれでそう言った。その声で一気に安心感に包まれる。
自然と自分の手が石神を包み返す。
石神は嬉しそうに笑う。



