入学式で【御花紫月】という名前を聞いて、すぐにそいつを確認した。
小柄な男子で思わず目を疑った。
当時は自分よりも全然身長が高かったのに、あれから伸びてないんだ。
今は俺のほうが圧倒的に身長は高い。
当時はずっと身長が低く顔も幼く見えて、おまけに短い髪が好きではなかったから少し長めにしていた。
そのせいか、低学年の時は女子とも間違えられることがかなりあった。
間違えられることはあんまり気にしていなかった。
そもそも性というものに関心がなく、同学年の恋バナには毎回ついていけなかった。
別にあの女子がかわいいとか、どうでもよかった。
それって異性のみなのかー、男子もかわいくねと言ってみても誰も同感しないから、自分一人が置いてきぼりのようだった。
他人の性別を考えるのが面倒になってきた頃、自分のことも別に男らしくても女らしくても大して興味がなく、間違えられてもへらへらしていた。
俺のへらっとした様子を見てすぐに調子を戻す友人たち。それが大半だ。
それなのに、たった一人だけこの世の終わりみたいな表情をしたやつがいた。
そいつはしかも、小学6年生の時に間違えてたのだ。
それが紫月だ。
紫月は俺がへらっとして見せても顔は真っ青なままだった。
初めてのことだった。みんな俺が笑えば許してくれたと解釈する。
自分でもそういう解釈だった。
けれど、紫月が本当に申し訳そうな顔で何度も謝ってくるから、不思議な気持ちになった。
俺は、本当は女子だって勘違いされたくなかったのかもしれない。
俺だって男だ。最初はよく分からなかったけど、次第に性への自覚が芽生えてきて、本当は嫌でも今まで通り平気なふりをした。
俺が平気なふりをしても、それを紫月自身が許さない。
初めての感情に整理が追い付かない。
当時、俺は紫月のことをかなり気になっていた。
もし紫月が俺のことを男であると分かっても受け入れてくれるなら、それは初めて受け入れられたことになる。
だからそのまま紫月に聞いた。
「男なんだけど、それでも大丈夫?」
そのあとの紫月はおもしろかった。
声にならない声で焦りまくって、気が付いたら遠くのほうまで走り去ってしまったのだから。
もっとちゃんと話したい、ちゃんと話して、受け入れてくれるなら、紫月をちゃんと好きになりたい。
再会した時には、今度は自分から伝える、卒業式の時、俺は俺に誓ったんだ。
中学がまさかの別で、もう会えないと思っていたのに、まさか高校が同じだなんて運命だと思った。
早く紫月と会って驚かせたい、式が終わるまで俺はずっとそわそわしたままだった。
***
式が終わると、すぐに紫月のクラスに顔を出す。
しかしクラスの中を見回しても、紫月の姿はどこにもなかった。
「ごめん、御花紫月ってこ、どこにいるか知らない?」
近くの女子に話しかけると、彼女はぽっと頬を赤らめてもじもじしている。
(あー、聞く子ミスった。面倒くさいタイプかも)
「ごめん、入学式だし分からないよね。全然気にしないで大丈夫だから」
適当に作り笑いをして、その場から去ろうとする。
しかし、後ろから腕をつかまれて身動きが取れなくなる。
「えっと」
「あっ、ごめん、つい。あの、連絡先教えてください! その子が来たら連絡してあげる」
その子って、名前もう忘れてたりしない?
まだ俺は君の名前すら知らないし、あんただって名乗ってないのに。
距離詰めるの早すぎないか?
「私も、連絡先交換したい! 一緒に手伝うよー」
「あー、なら私も!」
一気に五人くらいの女子が集まった。
軽いノリで、それぞれ俺が何を頼んでいるか知らないはずなのに、その場のノリで全員寄ってきやがった。
あれ、これじゃあ中学の時と同じじゃないか。
急速に伸びた身長、学年でも身長が高いほうになった。
中三あたりに女子が群がってくるようになった。
休み時間、放課後、部活でも、通る道を妨げてきて正直いって腹が立った。
小学生の時は男女関係なく、友達が大好きだったから仲良くやっていた。
それでもこれは今までと違って仲良くしたくない。
明らかに下心が丸見えで、気持ちが悪かった。
俺は紫月に会いたい、会って話したい。
だから、それまで邪魔をされたくない。どうすればいい?
そこからは半ば勢いでピアスを開けた、今まで通りしっかりと制服を着るのをやめて、近寄りがたい姿にした。
急な俺の変化にさすがに周りは心配した。
次第に女子は寄ってこなくなり、成功だと思ったのに。
高校ではあんまり通用しないのだろうか。
全然来るじゃん、あ、そうか。
中学の時は、普通だった奴が急にぐれたらさすがに驚いて、話しかけにくくなるかも。
でも今回は始めからこんなんだから、いや、やっぱり分からない。
「名前なんて言うのー」
「教えて教えて」
高校初日からこれとか終わってるなー。
正直に言って絶対に知らない女子と連絡先とか交換したくないし、面倒くさい未来しか見えてこない。
(どうやって逃げよっかなー)
その時、後ろからとんとんと背中をたたかれる。
振り向くと、そこには間違いなく紫月が立っていた。
嬉しさのあまり、頬が思わずにやけてしまう。
「しづ、」
「どいてほしいです」
はっきりと言われたその言葉には、何も感情がこもっていなかった。
チクリと両耳のピアスがじんじんと痛み出す。
少し遅れてから、あー俺は今扉に立っているから邪魔なんだということに気が付いた。
いやそれよりも、紫月は俺と目が合っているのに全く反応していない。
まさか、気づいていない。いや、そりゃ当たり前だ。
小学生の時から身長がはるかに伸びたし、それにあんなにかわいいと思っていたこーちゃんが、片耳三個くらいピアスしてるとか考えつかないだろう。
「すみません、そこ通りたいので」
他人に対する敬語ほど、知っている人からされるのは気分がよくない。
もう紫月は目を合わさない。
俺はゆっくり体を端に寄せて、紫月を通らせてあげる。
こんなに真正面から見たのに、気づかれなかった。
「紫月っ」
自分で思っているよりも大きいな声が出てしまい、クラスのみんなの視線が集まる。
紫月は怪訝そうな様子でこちらを見据えている。
その表情から察するに、本当に気が付いていないみたいだった。
ショックがあまりにも大きくて、女子が何か騒いでいるのに全く耳に入ってこない。
意識がはっきりする前に、俺は女子たちと連絡先を交換していた。
***
次に話しかけたときは、一年生の時の合唱コンクールだった。
紫月は小学生の時に必ず伴奏者をやっていたから、やるかもしれないと思っていた。
しかし、紫月のクラスの伴奏者は他の人がやっていた。
11月になるまであの日以来、紫月に声をかけるのをやめてしまった。
あの時の紫月の表情、中学の時も片時も忘れていなかった自分にとって相当辛いものとなった。
だから紫月と話すことに気が引けて、あれから話しかけられない。
コンクールが終わり、帰る前にトイレに行って手を洗っている最中に紫月に遭遇した。
紫月は全く気にしないで、目も合わせずにそのまま個室に入っていく。
紫月が出るのをここで待っていても、俺のことを認識していないからまたあの目で見られる。
そう思うと怖くて、トイレからすぐに出てしまった。
「あー、石神君!」
「今から帰り? 一緒に帰ろうよ」
ちょうど女子トイレからクラスの女子が二人出てきてしまった。
タイミング悪い。女子と話しているのを紫月には見られたくない。
「あー、一緒に帰ろ。さささ」
二人を急かして外に出ようとするが、女子が思うように進んでくれない。
その時、すっと後ろから紫月が通り抜けた。
視線もくれず、何も言わず、さっさと行ってしまった。
赤の他人の態度に耐え切れず、無意識に紫月の腕を掴んでしまった。
「えっと、何?」
「あ、その」
「なんか用?」
今の紫月からしたら、俺は見知らぬ人で完全に警戒されている。
紫月は手を振り払い、不審げに見据えている。
俺は何も言えない。何か言いたいのに言葉が出てこなかった。
「石神君? どうしたの」
女子は早くどこかに行ってほしい。
今、言葉を考えているから。静かにしていてほしい。
気づいたら、紫月は女子にも何も言わずそのまま去ってしまった。
自分は【こうちゃん】だ、といえばよかったのに。それがどうしてもできなかった。
なんで言えなかったんだろう。ずっと想ってたんだから、さっさと言ってしまえばよかったのに。
鼓動がやけに速いことに今気が付いた。
あぁ、そうか、俺。怖いんだ。
あの告白のとき、最後の質問にすぐ答えられなくて俺は面白いと感じた。
なんなら慌てて逃げた様子をかわいいとも思っていた。
けれど、冷静に考えてみればあの状況で逃げたということは、【こうちゃん】が男子であることが受け入れられなかったんじゃないか。
今、紫月は俺に気づいていない。
無理に思い出させるよりも、新しく関わってまた始めたほうがいいんじゃないか。
でも、俺は男だし、今頑張ったって無駄足じゃないか。
仮に思い出しても、また逃げられて俺が傷つくんじゃないか。
どうして最初から気が付かなかったんだろう。
なに面白がって、また話そうって期待して。
現実そんなうまくいくわけがない。
もうやめよう。
紫月のことも忘れて、違う好きな人でも作ってしまえばいい。
ピアスだって、このままでいいや。
次の日、辛さを誤魔化したくて再び勢いのままピアスを開けた。
口の中がしばらく痛み続ける。それでも何年もため込み続けた胸の苦しさに比べれば何ともない。
***
転機は二年生のクラス分けが発表された時だった。
まさかの同じクラス、やっぱりまだ諦めたくない。
「やっほー、俺は石神紅。よろしくねー」
すぐに話しかけに言った。
紅って名乗れば思い出すかも。そう期待したが紫月は特に名前に反応しなかった。
「よろしく。御花です」
御花、苗字しか名乗ってもらえなかった。
ってことは、名前で呼ぶのは距離詰めすぎだと思われるかもしれない。
こんなこと気にするなんて、随分弱気になってしまったな。
「御花ねー、何て呼ぼうかなー。御花ちゃんとかー」
「別に何でもいいけど」
「辛辣ー」
会話が途切れる。
あれ、紫月とこんなに会話続かなかったっけ?
昔はどんな会話をしていた?
紫月は気まずそうな表情で目を合わせてくれない。
目の前にいる紫月が気づいてくれないことにも悲しいし、話していても盛り上がらないことも辛い。
紫月の性格が変わった?
時間が空くだけでこんなに変わるものか?
「石神くんだー、同じクラス嬉しーんだけど」
「初めましてー、リアル石神君まじかっこいい」
「あははは、ありがとー。リアル石神って、言い方おもろー」
女子が紫月の席の周りに集まってくる。
明らかに嫌な表情をしている紫月。
こういう分かりやすいところは変わっていない。
紫月の考えていることは顔や、体の動きですぐ分かる。
紫月は何も変わっていない。
じゃあなんで?
「俺どくから、座っていいよ」
「え」
紫月はそそくさと席をどいて廊下のほうへ行ってしまう。
俺は反射的にすぐに腕を掴んで引き留める。
怪訝そうな様子、1年生の時と変わらない目をしている。
「どかないで一緒に話そうよ。どく必要ないよ」
紫月は浮かない表情のまま、ゆっくり腕を離す。
「石神君みたいな明るい人は、明るい人たち同士で話せばいいと思う。俺はそのノリについていけないから」
申し訳なさそうな様子のまま廊下に出て行ってしまう。
その様子を見て俺は確信した。
紫月は何も変わっていない。
変わったのは俺だ。
元々紫月は静かな人と一緒にいて、俺もそうだった。
賑やかな人は嫌いじゃなかったけど、たまに疲れるから紫月みたいに落ち着いて話す人といるほうが楽しかった。
それなのに、俺の周りには賑やかで、当時は苦手意識を持っていたような人が集まっている。
紫月は変わらず、陽のオーラを帯びる人が少し苦手なんだ。
俺だって苦手と言えば苦手だ。
群がってきて、笑顔にならないと余計な心配をするし、適当にあしらうと怒る。
だからへらへらしておけば、勝手に盛り上がって喜んで事がうまく進む。
それに慣れてしまって、今は何も感じない。
きっと紫月から苦手意識を抱かれた。
あぁ、こうなるなんて思わなかった。
どうして身長伸びたんだろ。
どうしてピアスなんて開けたんだろ。
どうして、俺は紫月にここまで執着しているくせに、あと一歩が出せないんだろう。
小柄な男子で思わず目を疑った。
当時は自分よりも全然身長が高かったのに、あれから伸びてないんだ。
今は俺のほうが圧倒的に身長は高い。
当時はずっと身長が低く顔も幼く見えて、おまけに短い髪が好きではなかったから少し長めにしていた。
そのせいか、低学年の時は女子とも間違えられることがかなりあった。
間違えられることはあんまり気にしていなかった。
そもそも性というものに関心がなく、同学年の恋バナには毎回ついていけなかった。
別にあの女子がかわいいとか、どうでもよかった。
それって異性のみなのかー、男子もかわいくねと言ってみても誰も同感しないから、自分一人が置いてきぼりのようだった。
他人の性別を考えるのが面倒になってきた頃、自分のことも別に男らしくても女らしくても大して興味がなく、間違えられてもへらへらしていた。
俺のへらっとした様子を見てすぐに調子を戻す友人たち。それが大半だ。
それなのに、たった一人だけこの世の終わりみたいな表情をしたやつがいた。
そいつはしかも、小学6年生の時に間違えてたのだ。
それが紫月だ。
紫月は俺がへらっとして見せても顔は真っ青なままだった。
初めてのことだった。みんな俺が笑えば許してくれたと解釈する。
自分でもそういう解釈だった。
けれど、紫月が本当に申し訳そうな顔で何度も謝ってくるから、不思議な気持ちになった。
俺は、本当は女子だって勘違いされたくなかったのかもしれない。
俺だって男だ。最初はよく分からなかったけど、次第に性への自覚が芽生えてきて、本当は嫌でも今まで通り平気なふりをした。
俺が平気なふりをしても、それを紫月自身が許さない。
初めての感情に整理が追い付かない。
当時、俺は紫月のことをかなり気になっていた。
もし紫月が俺のことを男であると分かっても受け入れてくれるなら、それは初めて受け入れられたことになる。
だからそのまま紫月に聞いた。
「男なんだけど、それでも大丈夫?」
そのあとの紫月はおもしろかった。
声にならない声で焦りまくって、気が付いたら遠くのほうまで走り去ってしまったのだから。
もっとちゃんと話したい、ちゃんと話して、受け入れてくれるなら、紫月をちゃんと好きになりたい。
再会した時には、今度は自分から伝える、卒業式の時、俺は俺に誓ったんだ。
中学がまさかの別で、もう会えないと思っていたのに、まさか高校が同じだなんて運命だと思った。
早く紫月と会って驚かせたい、式が終わるまで俺はずっとそわそわしたままだった。
***
式が終わると、すぐに紫月のクラスに顔を出す。
しかしクラスの中を見回しても、紫月の姿はどこにもなかった。
「ごめん、御花紫月ってこ、どこにいるか知らない?」
近くの女子に話しかけると、彼女はぽっと頬を赤らめてもじもじしている。
(あー、聞く子ミスった。面倒くさいタイプかも)
「ごめん、入学式だし分からないよね。全然気にしないで大丈夫だから」
適当に作り笑いをして、その場から去ろうとする。
しかし、後ろから腕をつかまれて身動きが取れなくなる。
「えっと」
「あっ、ごめん、つい。あの、連絡先教えてください! その子が来たら連絡してあげる」
その子って、名前もう忘れてたりしない?
まだ俺は君の名前すら知らないし、あんただって名乗ってないのに。
距離詰めるの早すぎないか?
「私も、連絡先交換したい! 一緒に手伝うよー」
「あー、なら私も!」
一気に五人くらいの女子が集まった。
軽いノリで、それぞれ俺が何を頼んでいるか知らないはずなのに、その場のノリで全員寄ってきやがった。
あれ、これじゃあ中学の時と同じじゃないか。
急速に伸びた身長、学年でも身長が高いほうになった。
中三あたりに女子が群がってくるようになった。
休み時間、放課後、部活でも、通る道を妨げてきて正直いって腹が立った。
小学生の時は男女関係なく、友達が大好きだったから仲良くやっていた。
それでもこれは今までと違って仲良くしたくない。
明らかに下心が丸見えで、気持ちが悪かった。
俺は紫月に会いたい、会って話したい。
だから、それまで邪魔をされたくない。どうすればいい?
そこからは半ば勢いでピアスを開けた、今まで通りしっかりと制服を着るのをやめて、近寄りがたい姿にした。
急な俺の変化にさすがに周りは心配した。
次第に女子は寄ってこなくなり、成功だと思ったのに。
高校ではあんまり通用しないのだろうか。
全然来るじゃん、あ、そうか。
中学の時は、普通だった奴が急にぐれたらさすがに驚いて、話しかけにくくなるかも。
でも今回は始めからこんなんだから、いや、やっぱり分からない。
「名前なんて言うのー」
「教えて教えて」
高校初日からこれとか終わってるなー。
正直に言って絶対に知らない女子と連絡先とか交換したくないし、面倒くさい未来しか見えてこない。
(どうやって逃げよっかなー)
その時、後ろからとんとんと背中をたたかれる。
振り向くと、そこには間違いなく紫月が立っていた。
嬉しさのあまり、頬が思わずにやけてしまう。
「しづ、」
「どいてほしいです」
はっきりと言われたその言葉には、何も感情がこもっていなかった。
チクリと両耳のピアスがじんじんと痛み出す。
少し遅れてから、あー俺は今扉に立っているから邪魔なんだということに気が付いた。
いやそれよりも、紫月は俺と目が合っているのに全く反応していない。
まさか、気づいていない。いや、そりゃ当たり前だ。
小学生の時から身長がはるかに伸びたし、それにあんなにかわいいと思っていたこーちゃんが、片耳三個くらいピアスしてるとか考えつかないだろう。
「すみません、そこ通りたいので」
他人に対する敬語ほど、知っている人からされるのは気分がよくない。
もう紫月は目を合わさない。
俺はゆっくり体を端に寄せて、紫月を通らせてあげる。
こんなに真正面から見たのに、気づかれなかった。
「紫月っ」
自分で思っているよりも大きいな声が出てしまい、クラスのみんなの視線が集まる。
紫月は怪訝そうな様子でこちらを見据えている。
その表情から察するに、本当に気が付いていないみたいだった。
ショックがあまりにも大きくて、女子が何か騒いでいるのに全く耳に入ってこない。
意識がはっきりする前に、俺は女子たちと連絡先を交換していた。
***
次に話しかけたときは、一年生の時の合唱コンクールだった。
紫月は小学生の時に必ず伴奏者をやっていたから、やるかもしれないと思っていた。
しかし、紫月のクラスの伴奏者は他の人がやっていた。
11月になるまであの日以来、紫月に声をかけるのをやめてしまった。
あの時の紫月の表情、中学の時も片時も忘れていなかった自分にとって相当辛いものとなった。
だから紫月と話すことに気が引けて、あれから話しかけられない。
コンクールが終わり、帰る前にトイレに行って手を洗っている最中に紫月に遭遇した。
紫月は全く気にしないで、目も合わせずにそのまま個室に入っていく。
紫月が出るのをここで待っていても、俺のことを認識していないからまたあの目で見られる。
そう思うと怖くて、トイレからすぐに出てしまった。
「あー、石神君!」
「今から帰り? 一緒に帰ろうよ」
ちょうど女子トイレからクラスの女子が二人出てきてしまった。
タイミング悪い。女子と話しているのを紫月には見られたくない。
「あー、一緒に帰ろ。さささ」
二人を急かして外に出ようとするが、女子が思うように進んでくれない。
その時、すっと後ろから紫月が通り抜けた。
視線もくれず、何も言わず、さっさと行ってしまった。
赤の他人の態度に耐え切れず、無意識に紫月の腕を掴んでしまった。
「えっと、何?」
「あ、その」
「なんか用?」
今の紫月からしたら、俺は見知らぬ人で完全に警戒されている。
紫月は手を振り払い、不審げに見据えている。
俺は何も言えない。何か言いたいのに言葉が出てこなかった。
「石神君? どうしたの」
女子は早くどこかに行ってほしい。
今、言葉を考えているから。静かにしていてほしい。
気づいたら、紫月は女子にも何も言わずそのまま去ってしまった。
自分は【こうちゃん】だ、といえばよかったのに。それがどうしてもできなかった。
なんで言えなかったんだろう。ずっと想ってたんだから、さっさと言ってしまえばよかったのに。
鼓動がやけに速いことに今気が付いた。
あぁ、そうか、俺。怖いんだ。
あの告白のとき、最後の質問にすぐ答えられなくて俺は面白いと感じた。
なんなら慌てて逃げた様子をかわいいとも思っていた。
けれど、冷静に考えてみればあの状況で逃げたということは、【こうちゃん】が男子であることが受け入れられなかったんじゃないか。
今、紫月は俺に気づいていない。
無理に思い出させるよりも、新しく関わってまた始めたほうがいいんじゃないか。
でも、俺は男だし、今頑張ったって無駄足じゃないか。
仮に思い出しても、また逃げられて俺が傷つくんじゃないか。
どうして最初から気が付かなかったんだろう。
なに面白がって、また話そうって期待して。
現実そんなうまくいくわけがない。
もうやめよう。
紫月のことも忘れて、違う好きな人でも作ってしまえばいい。
ピアスだって、このままでいいや。
次の日、辛さを誤魔化したくて再び勢いのままピアスを開けた。
口の中がしばらく痛み続ける。それでも何年もため込み続けた胸の苦しさに比べれば何ともない。
***
転機は二年生のクラス分けが発表された時だった。
まさかの同じクラス、やっぱりまだ諦めたくない。
「やっほー、俺は石神紅。よろしくねー」
すぐに話しかけに言った。
紅って名乗れば思い出すかも。そう期待したが紫月は特に名前に反応しなかった。
「よろしく。御花です」
御花、苗字しか名乗ってもらえなかった。
ってことは、名前で呼ぶのは距離詰めすぎだと思われるかもしれない。
こんなこと気にするなんて、随分弱気になってしまったな。
「御花ねー、何て呼ぼうかなー。御花ちゃんとかー」
「別に何でもいいけど」
「辛辣ー」
会話が途切れる。
あれ、紫月とこんなに会話続かなかったっけ?
昔はどんな会話をしていた?
紫月は気まずそうな表情で目を合わせてくれない。
目の前にいる紫月が気づいてくれないことにも悲しいし、話していても盛り上がらないことも辛い。
紫月の性格が変わった?
時間が空くだけでこんなに変わるものか?
「石神くんだー、同じクラス嬉しーんだけど」
「初めましてー、リアル石神君まじかっこいい」
「あははは、ありがとー。リアル石神って、言い方おもろー」
女子が紫月の席の周りに集まってくる。
明らかに嫌な表情をしている紫月。
こういう分かりやすいところは変わっていない。
紫月の考えていることは顔や、体の動きですぐ分かる。
紫月は何も変わっていない。
じゃあなんで?
「俺どくから、座っていいよ」
「え」
紫月はそそくさと席をどいて廊下のほうへ行ってしまう。
俺は反射的にすぐに腕を掴んで引き留める。
怪訝そうな様子、1年生の時と変わらない目をしている。
「どかないで一緒に話そうよ。どく必要ないよ」
紫月は浮かない表情のまま、ゆっくり腕を離す。
「石神君みたいな明るい人は、明るい人たち同士で話せばいいと思う。俺はそのノリについていけないから」
申し訳なさそうな様子のまま廊下に出て行ってしまう。
その様子を見て俺は確信した。
紫月は何も変わっていない。
変わったのは俺だ。
元々紫月は静かな人と一緒にいて、俺もそうだった。
賑やかな人は嫌いじゃなかったけど、たまに疲れるから紫月みたいに落ち着いて話す人といるほうが楽しかった。
それなのに、俺の周りには賑やかで、当時は苦手意識を持っていたような人が集まっている。
紫月は変わらず、陽のオーラを帯びる人が少し苦手なんだ。
俺だって苦手と言えば苦手だ。
群がってきて、笑顔にならないと余計な心配をするし、適当にあしらうと怒る。
だからへらへらしておけば、勝手に盛り上がって喜んで事がうまく進む。
それに慣れてしまって、今は何も感じない。
きっと紫月から苦手意識を抱かれた。
あぁ、こうなるなんて思わなかった。
どうして身長伸びたんだろ。
どうしてピアスなんて開けたんだろ。
どうして、俺は紫月にここまで執着しているくせに、あと一歩が出せないんだろう。



