「はぁ?」
俺は反射的に声が出ていた。
放課後の職員室、再来月の合唱コンクールに向けて、指揮者と伴奏者を募集したところ二週間経っても希望者が一人もでない。そんなわけで実行委員である自分が突然ここに呼ばれてきた、信じがたい話を聞いて思わず声が漏れていた。
担任も流石に驚きが顔に出ていた。クラスの学級委員長で『THE 真面目』という肩書きを背負っている自分が先生に対して、はぁ? と苛立ちのこもった声を出せば無理もない。
「だから、石神が、お前とだったら指揮者をやると言ったんだ」
「だから、理解できなくて、はぁ?って言ったんですよ。ピアノが弾ける人ならたくさんいるでしょう。女子の方がクラスに多いのだから、探せば弾ける人絶対にいますよ。それに石神が指揮者って言うなら、なおさらです」
そう、石神紅はクラスの中でも一番のイケメンで、女子からの人気が凄まじい男だ。王子様、というよりはっきり言ってチャラい感じだ。掴みどころがなく誰とでも話せて、話せるだけで幸せとよく女子が盛り上がっているのを耳にする。
それより、不思議なのは、、
「そもそもお前、ピアノ弾けるの? 俺知らないんだけど、別に部活も入ってないよな」
「一応、弾けはするんですけど、絶対他の人がいいですよ。俺は実行委員の仕事もあるのに」
「俺も石神にそう言ったよ? そしたら、『御花以外とならやらない』って」
意味が分からない。そもそもそんなに仲良くないし、適当に絡まれて面倒だから、いつもさっさと話を切り上げて冷たく接してたのに、どうしてだ? むしろ嫌われていると思っていた。
「ピアノが弾けるなら、もうお前がやっちゃえよ。仕事の方はもう一人いるじゃん」
実際もう一人の女子が全く仕事をしないから、全部一人でやっているんだけどな。
あの女、俺がたまたま休んでいた日に面倒なプログラム作成係に立候補しやがって。いざ、準備となった途端手のひら返しだ。俺と二人きりが気まずいのか、作業がつまらないのか知らんが、全部押し付けやがって。
いや、それよりも絶対にピアノを弾きたくない。
「俺が、説得します。一旦待っていてください」
「えー、やりゃいいじゃん」
「すみませんが、ピアノが弾きたくないんですよ。代わりは用意します」
「じゃあいいけど、なるべく早めにな」
不服な時には決まって唇を尖らす担任、いつもは空気を読んでいるが、今回ばかりは譲れない。
絶対に、ピアノは弾きたくない。もう二度と。
***
「石神くんっ、ちょっといいか」
「ん、あー!」
次の日の朝、教室に入ってきた途端すぐに声をかけた
校則禁止のパーカーを毎日着続ける姿、耳には大量のピアス。今しっかり彼を見て、噂通り舌にピアスがあることも確認できた。こんなやつに指揮者が務まるのだろうか。もうちょっとマシな人材がいないか。
俺を見るなり、ニヤッと笑う。スマホをポケットにしまい、そのまま前のめりになって、ぐっと距離が近くなる。反射的にすぐに後ろに下がり、少しだけ睨んでしまった。その様子を楽しそうに笑っているのが腹立たしい。
「御花ちゃんじゃん、先生から話聞いた?」
「あぁ、聞いた。そして断った」
「えーなんでー? いいじゃん俺とやろうよ。絶対楽しいよー」
ヘラヘラしていて、話すだけでイラつく。俺ってこんなに石神のこと嫌ってたんだな。
そこへ、周りの女子が蜂蜜を求めて群がる蜂のように寄ってくる。
「石神くんー、何やるのー?」
「俺が、御花と指揮と伴奏やる話だよ」
「えー、石神くんどっちやるのー」
「俺が指揮者ー、実はピアノ長い間習ってたから音楽わかるんだよ」
「すっごいじゃん」
俺と石神との間にどんどん女子が割り込み一気に離される。本当に人気なんだな、こんなヘラヘラしたやつのどこがいいんだか。
とは言っても、今はチャンスなんじゃないのか? 石神が指揮者をやるなら、伴奏をやってもいいと言う人がいるはずだ。
「みんな、聞いてほしいんだけどちょっといいかな?」
群がる女子に向けて言ったのに、誰一人振り向かず反応がない。二人くらうちらっと目線を送ったようにも見えたが聞こうとする気はないらしい。流石にこのメンツにもう一度声を張り上げて話そうとするほどメンタルは強くない。
後でホームルームの時に聞いてみよう。女子からやりたいと全体の場で騒がれては否定もしづらいだろう。場の流れで他の誰かに決まってしまえ。足早にその場をさろうとした。
「御花!」
まっすぐな声だった。石神だった。先ほどのヘラヘラとした様子は全くなかった。
周りの女子もざわついた。まっすぐ、というか必死というか、いつもの彼らしくなかった。
「御花が、聞いてほしいことが、あるって、言ってたからさ、みんな聞こうよー」
最初はぎこちなく片言だったのに、ゆっくりいつもの調子に戻る石神。女子たちもさっきの笑顔を取り戻し、俺に全員目線を向ける。俺だけ石神に目線を送る。石神は穏やかに笑っていた。
なんだよ、さっきまで悪く思っていたのが申し訳ないじゃないか。
「い、いや、あんまり扉の前に固まりすぎると、教室に入るのが大変だから、話すなら奥でって。それだけ」
女子たちの反応を見ることが怖くて、すぐに後ろを向いて自分の席に戻った。
教室の中に変な緊張感が走る。言ってしまえば一軍の女子だ。うちのクラスの4分の3は女子で、男子は非力な存在だった。女子のうち半分くらいは学年の中でも特にカーストが高い女子の集団だった。そんな彼女たちに咄嗟に出た言葉、あれは文句ではないか?
言ってからすぐに後悔した。石神には一旦自分で説得しようとしたが、何か話さなければいけない雰囲気で、思いついた言葉があれだった。終わった? 女子からの視線がいつもより強く感じられる。隣の男子の表情も多分俺以上に緊張している。
誰も喋らない。沈黙の時間が流れ、背中がじんわり熱くなる。誰か、一言目を言ってくれ……
「俺寒いから窓際行きたいわ、廊下側って冷たい風入る時あんじゃん? みんなで太陽の光浴びよー」
またしても石神だった。振り向くことはできないが、女子たちの様子も和んでワイワイしている。ゾロゾロと移動し、窓際に移ったようだ。一気に緊張感が解けてホッと息をつく。隣の男子もこちらに向けて握手を求めてきた。
やはり、石神は悪い人、ではないのかもしれない。ちょっとしか話したことがないのに一方的に悪と判断してしまった自分が情けない。時間がある時にお礼くらい言おう。でも、伴奏者は絶対にやらない。
***
「石神くん、朝はありがとう」
「ん、あぁ。てかよくここわかったね」
今、屋上にいる。屋上は立ち入り禁止だ。正直俺はこんなところに許可もなく入るなんてしたくなかったが、しょうがない。
今は一人で昼ごはんを食べているようだ。おにぎりを頬張りながら嬉しそうにこっちを見つめてもぐもぐしてくる。
「ついてったんだよ。石神くんの周りに人がずっといるから話すタイミングがなかったんだよ」
「あー確かに。で、なんで伴奏者やりたくないの?」
かなり直球にこられた。石神も聞きたくて仕方なかったのだろうか。こちらにとっても都合がいい。
「俺は、ピアノを弾きたくない。どうして俺なんだよ? 石神くんが指揮者をやれば伴奏をやりたがる女子は絶対にいる。女子とやる方が、君だって楽しいでしょ」
「んーん、俺は御花とやりたい」
もう一口おにぎりを頬張った。ごっくんと全部食べ切ったらしい。
回答早すぎだろ、いや迷えよ。意味わからなすぎて流石に混乱してくる。
「俺は、御花とやりたいの」
「どうして? そもそもなんで俺がピアノ弾けること知ってるんだよ」
その瞬間、石神の表情が石みたいに固くなった。直感的に何かまずいと言うことはわかった。一歩反射的に後ろに下がる。すると石神も立ち上がり、朝と同じようにぐっと距離を近づけた。また一歩下がろうとしたが、すぐに両手を掴まれた。
「おいっ」
「そっかー覚えてないか、まあ結構前だし、仕方ない、か」
今までに聞いたことがないくらい低い声だった。息を吐きながら声を出していて、ギロっと俺の目をとらえた。腕を振り払おうとしても、力が強くて抵抗しようとすればするほど手に力が込められる。怖くて思わず足が震えてしまう。
その様子を見た石神はふっと笑い、手を離した。
くくくと笑いを堪える石神に俺はついていけなかった。
「ごめんごめん、悪かったって、泣かないでよ」
「え、泣いて」
石神は素手で俺の目元を優しく擦る。その途端、緊張が一気に解けて地面に膝をついた。そして目の奥がじんわりと熱いことに今気がついた。地面に水滴が数滴落ちる。
「え、まじでごめん。本当にごめん」
石神もしゃがんで何度も手の甲で涙を拭き取ろうとしてくる。だんだん恐怖が薄れてきて羞恥心が強くなると、反射的に石神を手で推し離した。石神は尻餅をつき、焦ったように口をぱくぱくさせる。
「御花っ」
「なんだよ、もうわけわかんない。お前に泣かされるとか最悪。本当になんなんだよ」
「申し訳ない、まさか泣いちゃうとは思ってなかったわ」
「うるさいなっ。お前体でかいしピアスもしてるし怖いんだよ」
石神は身長が180はある、多分クラスで一番身長が高い。逆に自分は身長が160ぴったりくらいで男子の中ではかなり小柄な方だ。高校一年生だから、まだ伸びるとは思うが!
「御花は、小さくてビクビクしてて可愛い」
可愛い? 羞恥心がすうっと薄れる。今、こいつ俺のこと可愛い?
「あ、照れてる」
ニヤッと笑う石神。照れてなんか、否定しようとすると、無意識に頬を触っていた。いつも以上に熱かった。
「お前、俺のこと泣かせたくせに、なに可愛いとか。どの立場が言ってんの?」
「ごめんって。悪気はなかったんだよ。ただ俺のこと忘れられてて悲しくてつい」
ケロッとしているが、どこか寂しさがあるように思えた。石神の顔を見ても、やはりこの人とどこかで会ったようには思えない。ずっと初対面と思っていたのに、石神は俺のことを知り合いとして接してきたのだろうか。それなのに、今まで俺は冷たく接してきて……それって、石神からしたら相当失礼なんじゃないか。
「ごめん、忘れてて。正直言って、まじで覚えてないです」
「いいよいいよ、ずっと遊んでたとかじゃないから」
「でも、ごめん。今までも結構雑に扱ってたりしたから、失礼だったかも」
「んー、確かに結構傷ついたかも」
ふざけて言う様子は子供みたいでやっぱり苛立ってしまう。でも、忘れてしまったことにただ罪悪感でいっぱいだった。
「ごめん」
すると、目の前に手が出された。石神の手は骨格がしっかりしていて、小指の筋肉がかなり発達した。
なぜ目の前に手が出されたのか理解できずにいると、石神は手をヒラヒラさせながら
「俺の伴奏者になってくれるなら、許してあげる。握手だよ」
真剣な表情で彼らしくなかった。いつものふざけた様子は全くなかった。
すぐに手を握れない。過去の出来事がフラッシュバックして自然と眉間に皺がよる。でも、冷静に考えれば、石神と俺の過去には何も関係がない。ただ、弾けばいいじゃないか。昔のことを忘れて。
そして、俺は手を握った。やはりゴツゴツした手だった。
石神は何かが吹っ切れたように満面の笑みだった。
彼の笑顔を見て、俺も心が軽くなった、大丈夫な気がしたから。単純に石神が悪い人に見えなくなったからかもしれない。
***
「それで、昔の石神と俺ってどういう関係だったの? クラスの友達?」
「んーん。俺が失恋したの」
失恋か、それは悲しいな……思考がフリーズする。この話の流れで失恋した。一体誰に? 勢いよく石神の方に顔を向ける。
石神は切なそうに俺のことを見据えながら口を開いた。
「御花紫月のこと好きだったんだよ」
俺は反射的に声が出ていた。
放課後の職員室、再来月の合唱コンクールに向けて、指揮者と伴奏者を募集したところ二週間経っても希望者が一人もでない。そんなわけで実行委員である自分が突然ここに呼ばれてきた、信じがたい話を聞いて思わず声が漏れていた。
担任も流石に驚きが顔に出ていた。クラスの学級委員長で『THE 真面目』という肩書きを背負っている自分が先生に対して、はぁ? と苛立ちのこもった声を出せば無理もない。
「だから、石神が、お前とだったら指揮者をやると言ったんだ」
「だから、理解できなくて、はぁ?って言ったんですよ。ピアノが弾ける人ならたくさんいるでしょう。女子の方がクラスに多いのだから、探せば弾ける人絶対にいますよ。それに石神が指揮者って言うなら、なおさらです」
そう、石神紅はクラスの中でも一番のイケメンで、女子からの人気が凄まじい男だ。王子様、というよりはっきり言ってチャラい感じだ。掴みどころがなく誰とでも話せて、話せるだけで幸せとよく女子が盛り上がっているのを耳にする。
それより、不思議なのは、、
「そもそもお前、ピアノ弾けるの? 俺知らないんだけど、別に部活も入ってないよな」
「一応、弾けはするんですけど、絶対他の人がいいですよ。俺は実行委員の仕事もあるのに」
「俺も石神にそう言ったよ? そしたら、『御花以外とならやらない』って」
意味が分からない。そもそもそんなに仲良くないし、適当に絡まれて面倒だから、いつもさっさと話を切り上げて冷たく接してたのに、どうしてだ? むしろ嫌われていると思っていた。
「ピアノが弾けるなら、もうお前がやっちゃえよ。仕事の方はもう一人いるじゃん」
実際もう一人の女子が全く仕事をしないから、全部一人でやっているんだけどな。
あの女、俺がたまたま休んでいた日に面倒なプログラム作成係に立候補しやがって。いざ、準備となった途端手のひら返しだ。俺と二人きりが気まずいのか、作業がつまらないのか知らんが、全部押し付けやがって。
いや、それよりも絶対にピアノを弾きたくない。
「俺が、説得します。一旦待っていてください」
「えー、やりゃいいじゃん」
「すみませんが、ピアノが弾きたくないんですよ。代わりは用意します」
「じゃあいいけど、なるべく早めにな」
不服な時には決まって唇を尖らす担任、いつもは空気を読んでいるが、今回ばかりは譲れない。
絶対に、ピアノは弾きたくない。もう二度と。
***
「石神くんっ、ちょっといいか」
「ん、あー!」
次の日の朝、教室に入ってきた途端すぐに声をかけた
校則禁止のパーカーを毎日着続ける姿、耳には大量のピアス。今しっかり彼を見て、噂通り舌にピアスがあることも確認できた。こんなやつに指揮者が務まるのだろうか。もうちょっとマシな人材がいないか。
俺を見るなり、ニヤッと笑う。スマホをポケットにしまい、そのまま前のめりになって、ぐっと距離が近くなる。反射的にすぐに後ろに下がり、少しだけ睨んでしまった。その様子を楽しそうに笑っているのが腹立たしい。
「御花ちゃんじゃん、先生から話聞いた?」
「あぁ、聞いた。そして断った」
「えーなんでー? いいじゃん俺とやろうよ。絶対楽しいよー」
ヘラヘラしていて、話すだけでイラつく。俺ってこんなに石神のこと嫌ってたんだな。
そこへ、周りの女子が蜂蜜を求めて群がる蜂のように寄ってくる。
「石神くんー、何やるのー?」
「俺が、御花と指揮と伴奏やる話だよ」
「えー、石神くんどっちやるのー」
「俺が指揮者ー、実はピアノ長い間習ってたから音楽わかるんだよ」
「すっごいじゃん」
俺と石神との間にどんどん女子が割り込み一気に離される。本当に人気なんだな、こんなヘラヘラしたやつのどこがいいんだか。
とは言っても、今はチャンスなんじゃないのか? 石神が指揮者をやるなら、伴奏をやってもいいと言う人がいるはずだ。
「みんな、聞いてほしいんだけどちょっといいかな?」
群がる女子に向けて言ったのに、誰一人振り向かず反応がない。二人くらうちらっと目線を送ったようにも見えたが聞こうとする気はないらしい。流石にこのメンツにもう一度声を張り上げて話そうとするほどメンタルは強くない。
後でホームルームの時に聞いてみよう。女子からやりたいと全体の場で騒がれては否定もしづらいだろう。場の流れで他の誰かに決まってしまえ。足早にその場をさろうとした。
「御花!」
まっすぐな声だった。石神だった。先ほどのヘラヘラとした様子は全くなかった。
周りの女子もざわついた。まっすぐ、というか必死というか、いつもの彼らしくなかった。
「御花が、聞いてほしいことが、あるって、言ってたからさ、みんな聞こうよー」
最初はぎこちなく片言だったのに、ゆっくりいつもの調子に戻る石神。女子たちもさっきの笑顔を取り戻し、俺に全員目線を向ける。俺だけ石神に目線を送る。石神は穏やかに笑っていた。
なんだよ、さっきまで悪く思っていたのが申し訳ないじゃないか。
「い、いや、あんまり扉の前に固まりすぎると、教室に入るのが大変だから、話すなら奥でって。それだけ」
女子たちの反応を見ることが怖くて、すぐに後ろを向いて自分の席に戻った。
教室の中に変な緊張感が走る。言ってしまえば一軍の女子だ。うちのクラスの4分の3は女子で、男子は非力な存在だった。女子のうち半分くらいは学年の中でも特にカーストが高い女子の集団だった。そんな彼女たちに咄嗟に出た言葉、あれは文句ではないか?
言ってからすぐに後悔した。石神には一旦自分で説得しようとしたが、何か話さなければいけない雰囲気で、思いついた言葉があれだった。終わった? 女子からの視線がいつもより強く感じられる。隣の男子の表情も多分俺以上に緊張している。
誰も喋らない。沈黙の時間が流れ、背中がじんわり熱くなる。誰か、一言目を言ってくれ……
「俺寒いから窓際行きたいわ、廊下側って冷たい風入る時あんじゃん? みんなで太陽の光浴びよー」
またしても石神だった。振り向くことはできないが、女子たちの様子も和んでワイワイしている。ゾロゾロと移動し、窓際に移ったようだ。一気に緊張感が解けてホッと息をつく。隣の男子もこちらに向けて握手を求めてきた。
やはり、石神は悪い人、ではないのかもしれない。ちょっとしか話したことがないのに一方的に悪と判断してしまった自分が情けない。時間がある時にお礼くらい言おう。でも、伴奏者は絶対にやらない。
***
「石神くん、朝はありがとう」
「ん、あぁ。てかよくここわかったね」
今、屋上にいる。屋上は立ち入り禁止だ。正直俺はこんなところに許可もなく入るなんてしたくなかったが、しょうがない。
今は一人で昼ごはんを食べているようだ。おにぎりを頬張りながら嬉しそうにこっちを見つめてもぐもぐしてくる。
「ついてったんだよ。石神くんの周りに人がずっといるから話すタイミングがなかったんだよ」
「あー確かに。で、なんで伴奏者やりたくないの?」
かなり直球にこられた。石神も聞きたくて仕方なかったのだろうか。こちらにとっても都合がいい。
「俺は、ピアノを弾きたくない。どうして俺なんだよ? 石神くんが指揮者をやれば伴奏をやりたがる女子は絶対にいる。女子とやる方が、君だって楽しいでしょ」
「んーん、俺は御花とやりたい」
もう一口おにぎりを頬張った。ごっくんと全部食べ切ったらしい。
回答早すぎだろ、いや迷えよ。意味わからなすぎて流石に混乱してくる。
「俺は、御花とやりたいの」
「どうして? そもそもなんで俺がピアノ弾けること知ってるんだよ」
その瞬間、石神の表情が石みたいに固くなった。直感的に何かまずいと言うことはわかった。一歩反射的に後ろに下がる。すると石神も立ち上がり、朝と同じようにぐっと距離を近づけた。また一歩下がろうとしたが、すぐに両手を掴まれた。
「おいっ」
「そっかー覚えてないか、まあ結構前だし、仕方ない、か」
今までに聞いたことがないくらい低い声だった。息を吐きながら声を出していて、ギロっと俺の目をとらえた。腕を振り払おうとしても、力が強くて抵抗しようとすればするほど手に力が込められる。怖くて思わず足が震えてしまう。
その様子を見た石神はふっと笑い、手を離した。
くくくと笑いを堪える石神に俺はついていけなかった。
「ごめんごめん、悪かったって、泣かないでよ」
「え、泣いて」
石神は素手で俺の目元を優しく擦る。その途端、緊張が一気に解けて地面に膝をついた。そして目の奥がじんわりと熱いことに今気がついた。地面に水滴が数滴落ちる。
「え、まじでごめん。本当にごめん」
石神もしゃがんで何度も手の甲で涙を拭き取ろうとしてくる。だんだん恐怖が薄れてきて羞恥心が強くなると、反射的に石神を手で推し離した。石神は尻餅をつき、焦ったように口をぱくぱくさせる。
「御花っ」
「なんだよ、もうわけわかんない。お前に泣かされるとか最悪。本当になんなんだよ」
「申し訳ない、まさか泣いちゃうとは思ってなかったわ」
「うるさいなっ。お前体でかいしピアスもしてるし怖いんだよ」
石神は身長が180はある、多分クラスで一番身長が高い。逆に自分は身長が160ぴったりくらいで男子の中ではかなり小柄な方だ。高校一年生だから、まだ伸びるとは思うが!
「御花は、小さくてビクビクしてて可愛い」
可愛い? 羞恥心がすうっと薄れる。今、こいつ俺のこと可愛い?
「あ、照れてる」
ニヤッと笑う石神。照れてなんか、否定しようとすると、無意識に頬を触っていた。いつも以上に熱かった。
「お前、俺のこと泣かせたくせに、なに可愛いとか。どの立場が言ってんの?」
「ごめんって。悪気はなかったんだよ。ただ俺のこと忘れられてて悲しくてつい」
ケロッとしているが、どこか寂しさがあるように思えた。石神の顔を見ても、やはりこの人とどこかで会ったようには思えない。ずっと初対面と思っていたのに、石神は俺のことを知り合いとして接してきたのだろうか。それなのに、今まで俺は冷たく接してきて……それって、石神からしたら相当失礼なんじゃないか。
「ごめん、忘れてて。正直言って、まじで覚えてないです」
「いいよいいよ、ずっと遊んでたとかじゃないから」
「でも、ごめん。今までも結構雑に扱ってたりしたから、失礼だったかも」
「んー、確かに結構傷ついたかも」
ふざけて言う様子は子供みたいでやっぱり苛立ってしまう。でも、忘れてしまったことにただ罪悪感でいっぱいだった。
「ごめん」
すると、目の前に手が出された。石神の手は骨格がしっかりしていて、小指の筋肉がかなり発達した。
なぜ目の前に手が出されたのか理解できずにいると、石神は手をヒラヒラさせながら
「俺の伴奏者になってくれるなら、許してあげる。握手だよ」
真剣な表情で彼らしくなかった。いつものふざけた様子は全くなかった。
すぐに手を握れない。過去の出来事がフラッシュバックして自然と眉間に皺がよる。でも、冷静に考えれば、石神と俺の過去には何も関係がない。ただ、弾けばいいじゃないか。昔のことを忘れて。
そして、俺は手を握った。やはりゴツゴツした手だった。
石神は何かが吹っ切れたように満面の笑みだった。
彼の笑顔を見て、俺も心が軽くなった、大丈夫な気がしたから。単純に石神が悪い人に見えなくなったからかもしれない。
***
「それで、昔の石神と俺ってどういう関係だったの? クラスの友達?」
「んーん。俺が失恋したの」
失恋か、それは悲しいな……思考がフリーズする。この話の流れで失恋した。一体誰に? 勢いよく石神の方に顔を向ける。
石神は切なそうに俺のことを見据えながら口を開いた。
「御花紫月のこと好きだったんだよ」



