(軍人……じゃない。警察? ううん、こんなに怖い人は初めて……)
警察や軍人よりも遥かに硬質で鋭利さを帯びた青年の佇まいに璃千花の肌が粟立つ。その端麗な顔立ちとは裏腹に危険と隣り合わせの中で生きてきた強者特有の圧まで感じられて、ただ呆然と眺めることしかできない。
そんな青年の目が義母から璃千花に移ると不意に目が合ってしまい、咄嗟に顔を伏せてしまう。
今の自分のみすぼらしい姿を思い出し、気恥ずかしさから顔が赤く染まっていくのを感じていると、ようやく我に返ったのか「離しな!」と義母は短く叫んで青年に掴まれた腕を払ったのだった。
「親父殿から連絡がいっていると思っていたのだが、入れ違ったのかな。上海から直接来てしまったから組に寄ってなくてね。驚かせてしまったのなら申し訳ない」
上海に組という単語が続いたことで璃千花はハッとして弾かれたように顔を上げる。降参というように黒手袋を嵌めた両手を挙げて微苦笑を浮かべる青年に向かって、ポツリと言葉を漏らしていたのだった。
「悠磨様……?」
「おやおや。そうやって情熱的に兄上の名前を出されてしまっては妬けてしまうな。嫉妬の炎で身を焦がしてしまいそうだ」
透き通った低い声でクスリと色気のある笑みを向けられたからか、璃千花はますます耳まで真っ赤になってしまう。
悠磨は亡くなったというのに、目の前の青年と混同してしまうとはどうかしている。あまりの恥ずかしさで穴があったら入りたいくらいであった。
そんな目の前の青年に気を取られていると、「立てますか?」と横から声を掛けられる。
「まだ顔色が良くありません。手を貸します。さあ、おれの手を掴んで」
そう言って、璃千花の身体を支えてくれたのは目の前の青年よりも年下の褐色肌の少年だった。短く刈り込んだ黒髪とやや大きめのスーツに身を包んだ少年の手を借りて璃千花は立ち上がったのだった。
「あっ、ありがとうございます……」
乾いた唇を動かして小さく呟いた璃千花に少年は安堵したように微笑を浮かべる。
するとこれまで無視されていた義母が「何なんだい!?」と、眉間に深い皺を寄せながら叫んだのだった。
「いったい誰なんだいっ!? あんたらは?」
「俺の名は鷸原藍羽。亡き悠磨兄上に代わって、璃千花殿の婚約者となった男だ」
「鷸原……青鷸組の組員かい!?」
「そうだな。青鷸組の組員になるのかな。まだまだ若輩者だが、これでも組では若頭の地位を拝命している」
「藍羽さんは青鷸組の次期組長の座に最も近い若頭です。つい先日も組長の命で青鷸組と敵対する一門を潰しました」
少年の言葉に義母の顔に怒気から恐怖が広がっていくが、当の藍羽は「よしてくれ、ヒロ」と短く返しただけであった。
「買い被りすぎだ。あれは運が良かっただけにすぎない。紹介が遅れたが、彼は俺の弟分でな。名はヒロトという。どこに行くにも忠実に従ってくれる懐刀同然の組員だ」
「それこそ買い被りすぎですよ……おれの名前は狗賀ヒロトです。藍羽さんに従って婚約者となられる璃千花様をお迎えに参りました」
ヒロトと紹介された褐色肌の少年は璃千花を支えたまま軽く一礼するが、義母は信じられないと言いたげに顔を引き攣らせたのだった。
「この……璃千花を迎えに来たですって!?」
「それも連絡が行っていないようですまない。ようやく上海での仕事が落ち着いて拠点を日本に戻すことになってな。組内での地盤を固めるためにも早急に璃千花殿を妻として迎え入れたいと思い、青鷸組の組長に頼んで葉盤家のご当主へ面会を申し入れしていた。今日は璃千花殿にご挨拶だけでもと思って立ち寄ったのだが……どうやら想像以上に事態は深刻なようだ」
「青鷸組の若頭様が何を仰っているのかは分かりませんが、何も悪いことはしておりませんわ。今のはこの子が婚約者以外の男に色目を使おうとしたからちょっと叱っていただけですのよ……」
藍羽が青鷸組の人間と知ったからか、急に善人のように嫣然とした笑顔を義母は見せたが藍羽は鼻で一笑しただけであった。
「俺が屋敷に到着してから随分と時間が経っているが、その時にはすでに折檻が始まっていたようだがね。待つついでに他の使用人から詳細を聞いて、璃千花殿が色目を使ったという郵便夫をヒロに探させて事情を伺ったが、声を掛けたのは郵便夫からで、その郵便夫も璃千花殿が毎日郵便の配達を待ち焦がれている様子だったから、気になって葉盤家宛の手紙を預けただけに過ぎないという話だったよ」
「この子宛の手紙なんて届くわけがありませんわ。だってこの子の両親はとっくに亡くなっていますし、親類だって私どもしかおりませんもの」
「ご冗談を。彼女には婚約者がいたのをお忘れかな。上海から差し出していた悠磨兄上の手紙が遅れて届くことだって考えられる。彼女が兄上と頻繁に文通していたことは異父弟の俺だって知っている。その内容が時折改ざんされていたこともね」
改ざんの一言に璃千花の背筋が冷たくなる。璃千花が悠磨宛に出した手紙は全て届けられる前に義母の目を通っているが、内容を改ざんされていたことまで知らなかった。
悠磨と婚約者になった際に璃千花の義父である葉盤家の当主から、『婚約者が手紙の一つくらい送らなければ、青鷸組の組長から不審に思われて婚約を破棄されてしまうかもしれない』と言われたこともあって、璃千花は悠磨との文通のみ許されていた。
文字の読み書きがおぼつかない璃千花に付けられた教育係の女中に教わりつつ、最初こそ義父の命で渋々悠磨に手紙を書いていたが、それが悠磨からの返事が来たことでいつしか璃千花の生き甲斐になっていた。
だがある時から璃千花が送った手紙の内容と悠磨からの返事に齟齬が生まれるようになり、気になった璃千花が自分が送った手紙の行方を探したところ、手紙を託していた教育係の女中が義母に手紙を届けている姿を目撃したのだった。
義母にとって都合が悪いことを璃千花が悠磨に教えてしまわないよう、送る前に手紙の内容を確かめられていたことを知ってからというもの、璃千花は他愛ない日々の出来事や季節の話だけを書くようにしていたが、それさえも書き換えられていたのだろうか。
自分が悠磨に伝えたかったことが、本当は何一つとして届いていなかったことに落ち込んでしまう。
警察や軍人よりも遥かに硬質で鋭利さを帯びた青年の佇まいに璃千花の肌が粟立つ。その端麗な顔立ちとは裏腹に危険と隣り合わせの中で生きてきた強者特有の圧まで感じられて、ただ呆然と眺めることしかできない。
そんな青年の目が義母から璃千花に移ると不意に目が合ってしまい、咄嗟に顔を伏せてしまう。
今の自分のみすぼらしい姿を思い出し、気恥ずかしさから顔が赤く染まっていくのを感じていると、ようやく我に返ったのか「離しな!」と義母は短く叫んで青年に掴まれた腕を払ったのだった。
「親父殿から連絡がいっていると思っていたのだが、入れ違ったのかな。上海から直接来てしまったから組に寄ってなくてね。驚かせてしまったのなら申し訳ない」
上海に組という単語が続いたことで璃千花はハッとして弾かれたように顔を上げる。降参というように黒手袋を嵌めた両手を挙げて微苦笑を浮かべる青年に向かって、ポツリと言葉を漏らしていたのだった。
「悠磨様……?」
「おやおや。そうやって情熱的に兄上の名前を出されてしまっては妬けてしまうな。嫉妬の炎で身を焦がしてしまいそうだ」
透き通った低い声でクスリと色気のある笑みを向けられたからか、璃千花はますます耳まで真っ赤になってしまう。
悠磨は亡くなったというのに、目の前の青年と混同してしまうとはどうかしている。あまりの恥ずかしさで穴があったら入りたいくらいであった。
そんな目の前の青年に気を取られていると、「立てますか?」と横から声を掛けられる。
「まだ顔色が良くありません。手を貸します。さあ、おれの手を掴んで」
そう言って、璃千花の身体を支えてくれたのは目の前の青年よりも年下の褐色肌の少年だった。短く刈り込んだ黒髪とやや大きめのスーツに身を包んだ少年の手を借りて璃千花は立ち上がったのだった。
「あっ、ありがとうございます……」
乾いた唇を動かして小さく呟いた璃千花に少年は安堵したように微笑を浮かべる。
するとこれまで無視されていた義母が「何なんだい!?」と、眉間に深い皺を寄せながら叫んだのだった。
「いったい誰なんだいっ!? あんたらは?」
「俺の名は鷸原藍羽。亡き悠磨兄上に代わって、璃千花殿の婚約者となった男だ」
「鷸原……青鷸組の組員かい!?」
「そうだな。青鷸組の組員になるのかな。まだまだ若輩者だが、これでも組では若頭の地位を拝命している」
「藍羽さんは青鷸組の次期組長の座に最も近い若頭です。つい先日も組長の命で青鷸組と敵対する一門を潰しました」
少年の言葉に義母の顔に怒気から恐怖が広がっていくが、当の藍羽は「よしてくれ、ヒロ」と短く返しただけであった。
「買い被りすぎだ。あれは運が良かっただけにすぎない。紹介が遅れたが、彼は俺の弟分でな。名はヒロトという。どこに行くにも忠実に従ってくれる懐刀同然の組員だ」
「それこそ買い被りすぎですよ……おれの名前は狗賀ヒロトです。藍羽さんに従って婚約者となられる璃千花様をお迎えに参りました」
ヒロトと紹介された褐色肌の少年は璃千花を支えたまま軽く一礼するが、義母は信じられないと言いたげに顔を引き攣らせたのだった。
「この……璃千花を迎えに来たですって!?」
「それも連絡が行っていないようですまない。ようやく上海での仕事が落ち着いて拠点を日本に戻すことになってな。組内での地盤を固めるためにも早急に璃千花殿を妻として迎え入れたいと思い、青鷸組の組長に頼んで葉盤家のご当主へ面会を申し入れしていた。今日は璃千花殿にご挨拶だけでもと思って立ち寄ったのだが……どうやら想像以上に事態は深刻なようだ」
「青鷸組の若頭様が何を仰っているのかは分かりませんが、何も悪いことはしておりませんわ。今のはこの子が婚約者以外の男に色目を使おうとしたからちょっと叱っていただけですのよ……」
藍羽が青鷸組の人間と知ったからか、急に善人のように嫣然とした笑顔を義母は見せたが藍羽は鼻で一笑しただけであった。
「俺が屋敷に到着してから随分と時間が経っているが、その時にはすでに折檻が始まっていたようだがね。待つついでに他の使用人から詳細を聞いて、璃千花殿が色目を使ったという郵便夫をヒロに探させて事情を伺ったが、声を掛けたのは郵便夫からで、その郵便夫も璃千花殿が毎日郵便の配達を待ち焦がれている様子だったから、気になって葉盤家宛の手紙を預けただけに過ぎないという話だったよ」
「この子宛の手紙なんて届くわけがありませんわ。だってこの子の両親はとっくに亡くなっていますし、親類だって私どもしかおりませんもの」
「ご冗談を。彼女には婚約者がいたのをお忘れかな。上海から差し出していた悠磨兄上の手紙が遅れて届くことだって考えられる。彼女が兄上と頻繁に文通していたことは異父弟の俺だって知っている。その内容が時折改ざんされていたこともね」
改ざんの一言に璃千花の背筋が冷たくなる。璃千花が悠磨宛に出した手紙は全て届けられる前に義母の目を通っているが、内容を改ざんされていたことまで知らなかった。
悠磨と婚約者になった際に璃千花の義父である葉盤家の当主から、『婚約者が手紙の一つくらい送らなければ、青鷸組の組長から不審に思われて婚約を破棄されてしまうかもしれない』と言われたこともあって、璃千花は悠磨との文通のみ許されていた。
文字の読み書きがおぼつかない璃千花に付けられた教育係の女中に教わりつつ、最初こそ義父の命で渋々悠磨に手紙を書いていたが、それが悠磨からの返事が来たことでいつしか璃千花の生き甲斐になっていた。
だがある時から璃千花が送った手紙の内容と悠磨からの返事に齟齬が生まれるようになり、気になった璃千花が自分が送った手紙の行方を探したところ、手紙を託していた教育係の女中が義母に手紙を届けている姿を目撃したのだった。
義母にとって都合が悪いことを璃千花が悠磨に教えてしまわないよう、送る前に手紙の内容を確かめられていたことを知ってからというもの、璃千花は他愛ない日々の出来事や季節の話だけを書くようにしていたが、それさえも書き換えられていたのだろうか。
自分が悠磨に伝えたかったことが、本当は何一つとして届いていなかったことに落ち込んでしまう。



