冷厳な若頭の密かな寵愛〜亡き婚約者の弟と婚約をした神子は一途な愛に隠された真実を知らない〜

「元から筆不精なところはあったが、阿片に溺れていた兄上は手紙を読み書きできる状態ではなく、代わりに俺が読んで兄上の名前で返事を書いていた。一度だけのつもりが手紙からは君の喜ぶ姿が見えるようで、返信を書く手が止まらなかった。特に懐中時計を贈った時のお礼の手紙は俺が言われているようで嬉しかったものだ」
「懐中時計も藍羽様が選んだものだったのですね……」

 璃千花の懐には今も藍羽から返された懐中時計がある。璃千花がジルコンから返された傷だらけの懐中時計は藍羽の手に戻り、時計はそれぞれの持ち主の元に返されたのだった。
 
「ヒロには懐中時計なんて無骨なものより、華やかな宝飾品の方が女人は喜ぶと後から指摘を受けたがな。そんな君が兄上亡き後に他の男のものになるのは許せなかった。それで俺は拘耆羅組の残党を追いかけて西の果てまで行った」

 英国や印度にも足を運び、最後に辿り着いたシチリア島でジルコンのファミリーも交えて、激しい抗争の末に拘耆羅組を再起不能なまで追い詰めた。
 その功績を認められた藍羽は青鷸組の次期組長となる若頭に命じられて、正式に璃千花の婚約者として日本に凱旋したのだった。

「あとは君も知っている通りだ。拘耆羅組の残党は俺への恨みを募らせて夜な夜な刺客を送り込み、遂には黒幕であるジルコンら外つ国の極道一家まで俺の命を狙って来日している。君まで危険な目に遭わせてしまった」
「そんなことはありません! 藍羽様には感謝しています。何の役にも立たない私をここまで連れてきて下さって……」
「君を松島に送り届けたら、しばらくは拘耆羅組の残党狩りで各地を転々とするつもりだ。俺から離れていれば君は安全だろう。松島の兄貴分なら実力も問題ない。落ち着いたら迎えに行くから、それまで待って……」
「私も連れて行って下さい!」

 火の点いていない煙草を手にする藍羽を両手で掴むと、璃千花は懇願するように握り締める。

「お役に立てないのは分かっています。今回のように足を引っ張ることもあるかもしれません。それでももう遠くから無事を祈るだけなのは嫌なのです。私が海を隔てた上海から届けられる藍羽様の手紙に救われていたように、私も藍羽様を助けたいのです!」
「璃千花殿……」

 手紙の送り主が悠磨ではなく藍羽だったことには驚嘆したが、藍羽との会話で覚えた違和感がこれで解消された。
 璃千花があいすくりんを食べたがっていたことや海を見たがっていたことも、璃千花が送った手紙を読んでいた藍羽は全て知っていたのだ。
 璃千花が気付かないところで藍羽は璃千花を守り、愛おしく想ってくれていた。

(私が悠磨様にどんな想いを寄せているか知っていたからこそ、『愛することはない』と言ったのね……)
 
 手紙を読んでいた藍羽なら、璃千花が悠磨を恋慕っていたのも見抜いていたはず。
 それで璃千花の恋心を守るために身を引いて、遠くから見守ることを選んだのだろう。
 無理に自分を愛さないように、「君を愛することはない」と言って、璃千花を遠ざけようとした。
 なんて優しくて――残酷な人なのだろう。

「悠磨兄上の名を騙っていたことを、君は怒らないのか?」
「困惑はしていますが怒りはしません。私の味方は手紙越しの悠磨様……藍羽様だけでしたから。いつも私を気に掛けて、愛おしむ言葉の数々を送ってくれたのは」
 
 これまで藍羽が心を砕いてくれていたように、今度は璃千花が藍羽を支えて慈しみたい。
 大切な人たちのために批難を浴びようとも、身を粉にして戦い続ける藍羽を守る存在として共にありたい。
 死が二人を分かつ時まで。たった一人で戦い続ける藍羽が心を許せる存在になれるのなら。

「私、藍羽様と行ってみたい場所があるんです。食べてみたいものだって。海に来てあいすくりんを食べたので、もう充分だと思われるかもしれませんが……」
「大時化の海の上であいすくりんを食べた()()だろう。俺だって君を連れて行きたい場所があって、食べてもらいたいものがある。時間は掛かるかもしれないが、外つ国にも連れて行きたい。君には世界があの屋敷だけじゃないと伝えたかった。まだ見ぬ世界が待っていると俺が案内したい」

 諸外国を回っていた藍羽はきっと璃千花が知らない美しい場所や素敵なものを知っている。そんな藍羽と各地を回れたらどんなに楽しいだろう。
 拘耆羅組やジルコンとの戦いが続いている今は難しいだろうが、全てが終わった時に二人で行けるだろうか。

「いつか連れて行って下さい。そのためにも私も『癒しの手』でお手伝いします」
「璃千花殿の場合は、『癒しの唇』のようだがね……おや、ヒロが呼びに来たな。迎えの車が到着したらしい」

 結局、煙草を吸わないまま懐に戻すと、藍羽は遠くで手を振っているヒロトに手を振り返す。
 そんな藍羽に璃千花は勇気を出すと声を掛けたのだった。

「船で藍羽様は仰っていましたよね? 私の望みは出来る限り叶えてくれると」
「そうだが?」
「それなら私のことは璃千花と呼んでいただけませんか? 手紙ではずっと『璃千花』と書かれていましたし、先程も『璃千花』と呼ばれて嬉しかったのです。藍羽様が手紙の送り主なら同じように接して欲しくて……」
 
 おかしなことを言ってしまったかもしれないと、だんだん自信が無くなって尻すぼみになってしまう。
 羞恥で両目を瞑っていると、「分かった」と端的な返事が耳を打ったのだった。

「これからは兄上の名を騙る俺ではなく、藍羽と璃千花として良い関係を築いていこう。おいで、璃千花」
「……っ! はいっ!」

 そうして藍羽が差し出した黒手袋の手を掴んで後について行こうとした璃千花だったが、その手を引かれると、あっという間に藍羽の腕に抱え上げられてしまう。

「きゃあ!?」
 
 璃千花が短い悲鳴を上げたものの、藍羽は何食わぬ顔をしてヒロトの元に向かったのだった。

「藍羽様、自分の足で歩けますから……っ!」
「君は怪我しているだろう。ここは俺に任せてくれないか」
「できませんっ! 恥ずかしいです……っ!」
「璃千花は初々しいな。これは可愛がり甲斐がありそうだ」

 そんな話をしながら、藍羽は白波が寄せては返す埠頭をすたすたと歩いていく。
 あんぐりと口を開けたヒロトを含めて、組員たちは藍羽の行動に唖然としていてそれどころではなかったが、唯一藍羽だけは気付いていた。
 笑えないと言っていた腕の中の璃千花が、今は照れながらも嬉しそうに頬を緩めて笑みを浮かべていたのだった。