冷厳な若頭の密かな寵愛〜亡き婚約者の弟と婚約をした神子は一途な愛に隠された真実を知らない〜

「……それで、大切な人質に傷を付けたのはどういうことかな。ボクに説明してくれる?」
 
 次に璃千花が意識を取り戻したのは、そんな若い男の話し声だった。
 璃千花の目の前に置かれた椅子に腰掛ける若い男は黄金色の短髪をしており、見たことが無い半円形を耳に当てて会話をしている様子であった。その半円形は男が腰掛ける足元の箱と紐で繋がっているようで、話し相手はその箱の中にいるらしい。
 噂で聞いたことがある。電話機と呼ばれるものだろう。

「たとえ異能を持っていなくても、彼女は神の血を引く葉盤家のお嬢さん。そんなお嬢さんを傷付ける行為は神に弓引く行為だって、なんで分からないのかな。それに傷なんて付けたら人質としての価値も下がると思わない? こんな子を連れてシチリア島に高飛びなんてできないよ……」

 男がそんな話をしている間に逃げられないか試すが璃千花の身体は後ろ手で縛られているようで上手く抜け出せず、使用されている縄も漁業用の縄なのか頑丈で璃千花の力では解けそうになかった。
 弾丸が掠めた足の怪我は手当てされているようだが、力を入れるとずきずきと痛むので隙を見て逃げ出せそうになかった。
 そうやって藻掻いているうちに気付かれてしまったのか、半円型を手に男は振り返ると碧色の瞳を細めて嫌らしい笑みを浮かべたのだった。

「じゃあ君たちは引き続き青鷸組を追い詰めてよ。あの『兄殺しの藍羽』も婚約者を盾にされたら本気なんて出せないでしょ。その間に少しでも青鷸組の勢力を削いで、拘耆羅組の威信を示しちゃって」

 それじゃあね、と付け加えて男が半円形を箱に戻してしまうと、くるりと立ち上がって璃千花に近付いてくる。稲穂を思わせる黄金色の髪と快晴の空に似た碧色の瞳。雪のように白い肌も合わせて、日本人ではまず見たことが無い見た目。そして目鼻立ちが整った顔立ちと、藍羽と似た他者を圧倒するような覇気。
 日本の外の国からやってきた人間にして、間違いなく藍羽と同じように裏社会に生きる者だと分かる。

「こんばんは、お嬢さん。うちの組が手荒な真似をしたようで悪かったね」
「貴方は誰ですか? どうして私を攫ったのですか?」
「ボクの名前はジルコン。拘耆羅(くきら)組に出向中のマフィアの幹部でね。大事な取引先だった拘耆羅組を君の婚約者に潰されちゃって、組とファミリーの威信をかけて君の婚約者の首を持ち帰ろうとしているのさ。ついこの間向かわせた組員は、全員返り討ちにされちゃったからね」
「じゃあ数日前の夜に屋敷を襲ってきた人たちというのは……」
「そう、ボクたち。ボクとしては拘耆羅組に卸していた商品の代金さえ受け取れれば、後はどうでもいいんだけどね。君たち組同士の争いは、君たちだけでやってって感じ」

 ジルコンと名乗った男は笑みを浮かべたが、どこか温度を感じられない笑みにゾッと鳥肌が立つ。
 どうにかして距離を取ろうとするが、ジルコンは「無駄だよ」と一笑したのだった。

「紳士たるもの女性(レディー)に傷を負わせるのは主義に反していてね。大人しくしていたら君はこのまま解放してあげるよ。もっとも藍羽の首と引き換えでの解放になるだろうけど」
「藍羽様がここに来るはずがありません。異能さえ持たない私には何の価値も無くて、あの人の心にはすでに別の方がいますから……」
「藍羽も可哀想だね。ずっと心を砕いていた女性(レディー)から否定されて……それに君にとっても悪い話じゃないんじゃない? 藍羽は君の婚約者だった男を殺した犯人なんだよ。ここで藍羽が死んじゃえば、君は愛しの婚約者の仇を打てる。婚約者を殺した憎き相手と政略結婚せずに済むんだよ」
「藍羽様は理由もなく悠磨様を手に掛ける人ではありません。何か理由があったはずです」

 藍羽と過ごした時間は短いが、藍羽が傍若無人の恐ろしい人ではないことを璃千花は知っている。
 牢屋のようなあの家から連れ出して、美味しいものを用意してくれて、憧れの海にも連れて行ってくれた。政略結婚とはいえ、ただの冷たく厳しい人が何の役にも立たない璃千花に優しくするはずがない。
 もっと酷い扱われ方をしても――それこそ異能持ちの子を産むだけの道具としか思われなくても、おかしくなかったはずである。
 
「私は藍羽様を信じます。異能なんて持っていなくても、ただ隣に居るだけで良いと言ってくれた藍羽様の言葉を信じたいです」
「いいね。そういう美談は嫌いじゃ無いよ。でもどのみちこのままだと君はこの建物ごとドカンさ。君の縄はあそこに設置している爆薬と繋がっているからね。火を点けたらそれでお終い。藍羽が君を見捨てたとしても、ボクの顔を見た君はこの世から消さないとね。それがファミリーの流儀だから」

 慌てて首を向けると、璃千花の身体を結んだ紐は建物の片隅にある茶色の筒と繋がっていた。筒は数十本あり、花火のように一つに着火したのなら全て火が点く仕組みになっているのだろう。
 するとジルコンはポケットから何かを取り出すと、璃千花に放り投げる。足元まで転がったところで、「それは返しておくよ」と背を向けられたのだった。

「君の身体を縛る際に預かったんだ。女人が持つにしては随分と無骨な懐中時計だね。でも爆薬を仕掛けるのに役立ったよ」

 璃千花の爪先に当たったのは悠磨から贈られた懐中時計であった。転がった弾みで蓋が開いたのか、針はまもなく頂点に達するところであった。

「暮六つになったら、その爆薬は爆発するから。藍羽にはそれまでにここに来るように伝えたけど、この時間で来なかったらもう来ないのかな。ボクもそろそろ退散するから。残りの時間は辞世の句でも読んで……」
「その必要は無い」

 その声が建物内に響いたかと思えば、息せき切って現れたのは刀を抜いた藍羽であった。肩を上下させながらも、ジルコンをきつく睨み付けたのだった。