予定より半日遅れで到着したという塩竈は無数の漁船や商船、そしてカモメが溢れる港町であった。
数日ぶりの陸に降りた璃千花は埠頭で潮風に吹かれながら、地平線に沈む夕陽に照らされた漁港を見渡す。
すぐ近くでは穏やかな波の音とカモメの鳴き声を背に、これから夜の漁に出ると思しき日焼けした頑強な男たちがあちこちで漁の用意をしつつ漁師同士で情報交換をしており、反対に漁から帰ってきたのか魚を入れた籠を持って船から降りてくると者たちが塩竈の町へと消えて行った。
女や子供たちは家路を急いでおり、人力車には観光客なのか身なりの良さそうな年配の夫婦が親しげな様子で乗っていたのだった。
「活気ある港に見えますでしょう。元々塩竈は歴史ある神社の門前町として栄えていましたが、一時期は物流の輸送路が変更されたことで衰退してしまったんです。ですが当時の藩主が着岸を義務付けて、更に台風や水害に強いこの港が注目されてからは、港町として再び賑わいを取り戻しました」
璃千花があまりにも物珍しそうに眺めていたからか、船から降りてきたヒロトが声を掛けてくれる。
「有名な神社なんですか?」
「古くから東北地方の鬼門を守っていたと言われる由緒ある神社です。海の神や武運を司る神を祀っているそうで、漁業で生計を立てているこの町の人々からも厚い信仰を受けています。境内に植えられた桜も有名で、春には多くの参拝客が訪れるとか。桜が咲く頃に璃千花様を連れて観に来たいと、藍羽さんも話していましたよ」
「そうですか……」
藍羽の名前に身体が縮こまってしまう。
船に乗船したその日に話して以降、藍羽とは全く話せていなかった。
船旅の間の食事もヒロトが用意してくれて、それ以外で必要な物も全てヒロトが部屋まで届けてくれた。璃千花も船室からほとんど外に出ず、一日中部屋の窓から外を眺めてヒロトに話し相手になってもらったのだった。
その際に藍羽の様子を尋ねたが何やら忙しくしているとのことだったので話しかけるのを躊躇ってしまい、そうしているうちに塩竈に到着するまで会話らしい会話もできないまま今に至ってしまった。
璃千花の言葉で気を悪くさせてしまったのなら謝罪した上で藍羽の望むお飾りの妻になるつもりだが、どことなく心が落ち着かないのは気のせいだろうか。
「今日は遅いので近くの宿に泊まって、明日の朝に松島行きの船に乗って移動するそうです。もうすぐ組の車が到着しますので、しばらくお待ち下さい」
「ありがとうございます」
埠頭は風が冷たいから場所を移動するように勧められて、璃千花は歩き出す。その最中に船の乗組員と言葉を交わす藍羽の背を見つけるが、無意識のうちに目を逸らしてしまう。
避けたところで状況が変わるわけでもないのに、目の前の状況から逃げ続けている自分の弱さが憎い。
ヒロトが車を誘導すると離れて一人きりになってしまうと、璃千花は懐を探って巾着袋を取り出す。藍羽から渡された色とりどりの金平糖入りの巾着袋も返せないままであった。
ヒロト曰く、中身の金平糖は食べて良いらしいが、どんな食べ物でも一人で食べたところで味気ないのは、あの屋敷に住んでいた頃に幾度となく経験している。
神の血を引く葉盤家は時の権力者からの覚えもめでたく、よく酒宴が催されていた。その時ばかりは璃千花にも普段より豪華な残飯が供されるが、屋敷から漏れ聞こえる賑わいを聞きながら一人で食べる食事ほど不味いものは無かった。
この金平糖が美味しいと思えたのも、きっと璃千花を想う藍羽の真心が詰まっていたからだと今なら理解できる。一人で食べても何も感じられないので、渡されてからというものほぼ口にしていなかった。
(でも返す前に少しくらい減っていないと、また気を使わせてしまうかもしれない……)
そんな巾着袋の中から金平糖を何粒か手に取ったところで、不意に「璃千花様」と声を掛けられて飛び上がりそうになる。
頭を上げると、そこには藍羽やヒロトのような洋装の男が立っていたのだった。
「お待たせしました。車が到着しましたので、こちらにお越し下さい」
「ありがとうございます……でも狗賀さんや藍羽様は?」
「おふたりはすでにお待ちです。あとは璃千花様だけとなります」
巾着袋を仕舞いながら男について行くと、人気がない建物近くに停められた車を見つける。辺りを見渡すが、藍羽どころか車を呼びに行ったはずのヒロトの姿さえ見つけられなかった。
「あの藍羽様や狗賀さんはどこに……?」
「動くな。黙って車に乗れ」
振り返ろうとしたところで、背中に冷たいものが当たる。目だけ動かすと、ここまで案内してくれた男が璃千花の背中に銃口を突き付けていたのだった。
背中を冷たいものが流れる。口の中が乾いて言葉が出てこない。
「あの『兄殺しの藍羽』の婚約者がこんな無能な女だったのは好都合だ。拘耆羅組の敵討ちに丁度良い……」
乗れ、と銃口で背中を押されて車に乗り込むと見せかけて別方向に駆け出すが、男の銃口から火を噴いて弾丸が璃千花の右足を掠める。
ついで燃えるように強烈な痛みが、璃千花の右足に走ったのだった。
「きゃあっ!?」
「ちっ、大人しくしてりゃあ、無傷で済んだのに……おい、今の銃声で青鷸組の者が来る前にずらかるぞ!」
乱暴に男の肩に担がれると、璃千花は車に乗せられる。右足からは血が流れ落ちて、徐々に血の気が引いていく。
(藍羽様……)
痛みと恐怖、そして役立たずの自分を恨みながら、璃千花は気を失ったのだった。
◆◆◆
数日ぶりの陸に降りた璃千花は埠頭で潮風に吹かれながら、地平線に沈む夕陽に照らされた漁港を見渡す。
すぐ近くでは穏やかな波の音とカモメの鳴き声を背に、これから夜の漁に出ると思しき日焼けした頑強な男たちがあちこちで漁の用意をしつつ漁師同士で情報交換をしており、反対に漁から帰ってきたのか魚を入れた籠を持って船から降りてくると者たちが塩竈の町へと消えて行った。
女や子供たちは家路を急いでおり、人力車には観光客なのか身なりの良さそうな年配の夫婦が親しげな様子で乗っていたのだった。
「活気ある港に見えますでしょう。元々塩竈は歴史ある神社の門前町として栄えていましたが、一時期は物流の輸送路が変更されたことで衰退してしまったんです。ですが当時の藩主が着岸を義務付けて、更に台風や水害に強いこの港が注目されてからは、港町として再び賑わいを取り戻しました」
璃千花があまりにも物珍しそうに眺めていたからか、船から降りてきたヒロトが声を掛けてくれる。
「有名な神社なんですか?」
「古くから東北地方の鬼門を守っていたと言われる由緒ある神社です。海の神や武運を司る神を祀っているそうで、漁業で生計を立てているこの町の人々からも厚い信仰を受けています。境内に植えられた桜も有名で、春には多くの参拝客が訪れるとか。桜が咲く頃に璃千花様を連れて観に来たいと、藍羽さんも話していましたよ」
「そうですか……」
藍羽の名前に身体が縮こまってしまう。
船に乗船したその日に話して以降、藍羽とは全く話せていなかった。
船旅の間の食事もヒロトが用意してくれて、それ以外で必要な物も全てヒロトが部屋まで届けてくれた。璃千花も船室からほとんど外に出ず、一日中部屋の窓から外を眺めてヒロトに話し相手になってもらったのだった。
その際に藍羽の様子を尋ねたが何やら忙しくしているとのことだったので話しかけるのを躊躇ってしまい、そうしているうちに塩竈に到着するまで会話らしい会話もできないまま今に至ってしまった。
璃千花の言葉で気を悪くさせてしまったのなら謝罪した上で藍羽の望むお飾りの妻になるつもりだが、どことなく心が落ち着かないのは気のせいだろうか。
「今日は遅いので近くの宿に泊まって、明日の朝に松島行きの船に乗って移動するそうです。もうすぐ組の車が到着しますので、しばらくお待ち下さい」
「ありがとうございます」
埠頭は風が冷たいから場所を移動するように勧められて、璃千花は歩き出す。その最中に船の乗組員と言葉を交わす藍羽の背を見つけるが、無意識のうちに目を逸らしてしまう。
避けたところで状況が変わるわけでもないのに、目の前の状況から逃げ続けている自分の弱さが憎い。
ヒロトが車を誘導すると離れて一人きりになってしまうと、璃千花は懐を探って巾着袋を取り出す。藍羽から渡された色とりどりの金平糖入りの巾着袋も返せないままであった。
ヒロト曰く、中身の金平糖は食べて良いらしいが、どんな食べ物でも一人で食べたところで味気ないのは、あの屋敷に住んでいた頃に幾度となく経験している。
神の血を引く葉盤家は時の権力者からの覚えもめでたく、よく酒宴が催されていた。その時ばかりは璃千花にも普段より豪華な残飯が供されるが、屋敷から漏れ聞こえる賑わいを聞きながら一人で食べる食事ほど不味いものは無かった。
この金平糖が美味しいと思えたのも、きっと璃千花を想う藍羽の真心が詰まっていたからだと今なら理解できる。一人で食べても何も感じられないので、渡されてからというものほぼ口にしていなかった。
(でも返す前に少しくらい減っていないと、また気を使わせてしまうかもしれない……)
そんな巾着袋の中から金平糖を何粒か手に取ったところで、不意に「璃千花様」と声を掛けられて飛び上がりそうになる。
頭を上げると、そこには藍羽やヒロトのような洋装の男が立っていたのだった。
「お待たせしました。車が到着しましたので、こちらにお越し下さい」
「ありがとうございます……でも狗賀さんや藍羽様は?」
「おふたりはすでにお待ちです。あとは璃千花様だけとなります」
巾着袋を仕舞いながら男について行くと、人気がない建物近くに停められた車を見つける。辺りを見渡すが、藍羽どころか車を呼びに行ったはずのヒロトの姿さえ見つけられなかった。
「あの藍羽様や狗賀さんはどこに……?」
「動くな。黙って車に乗れ」
振り返ろうとしたところで、背中に冷たいものが当たる。目だけ動かすと、ここまで案内してくれた男が璃千花の背中に銃口を突き付けていたのだった。
背中を冷たいものが流れる。口の中が乾いて言葉が出てこない。
「あの『兄殺しの藍羽』の婚約者がこんな無能な女だったのは好都合だ。拘耆羅組の敵討ちに丁度良い……」
乗れ、と銃口で背中を押されて車に乗り込むと見せかけて別方向に駆け出すが、男の銃口から火を噴いて弾丸が璃千花の右足を掠める。
ついで燃えるように強烈な痛みが、璃千花の右足に走ったのだった。
「きゃあっ!?」
「ちっ、大人しくしてりゃあ、無傷で済んだのに……おい、今の銃声で青鷸組の者が来る前にずらかるぞ!」
乱暴に男の肩に担がれると、璃千花は車に乗せられる。右足からは血が流れ落ちて、徐々に血の気が引いていく。
(藍羽様……)
痛みと恐怖、そして役立たずの自分を恨みながら、璃千花は気を失ったのだった。
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