その日、マフィアさんはヘトヘトであった。
やっかいな仕事があったのだ。自分が直接あれこれ"詳しいお話し合い"をし、流れた血の後処理だとか、細々とした片付けとか、その他面倒なアレコレをする必要はなかったのだが、酷く精神をすり減らした。
昨日遅くまで作成したあれこれは、結局全てが水の泡どころか、お相手にドブへ投げ捨てられることになった。結局、お話し合いに発展したのだ。
ぶっちゃけげんなりである。
まっすぐ帰る気にもなれず、気分転換にふらふらと散歩をしながら帰ることにした。部下には少し止められたが、疲れきった顔のマフィアさんを咎めるのは忍びなかったらしい。よくできた部下達である。
ありがとう、給料は上乗せしておくよ。
治安が悪すぎるエリアを抜け、カタギの人達が生きる暖かなエリアへ足を踏み入れる。日差しが眩しい。
ぽかぽかと暖かな日光は、冷えきった体を溶かすようで、ようやく静かに息を吐いた。
しばらく宛もなくあっちへふらふらこっちへとことこと歩いていると、暖かな日差しが降り注ぐ脇道に、白い枠の看板らしき物がぽつんと置かれているのが目に付いた。
光に吸い寄せられる蛾のようにふらふらと近寄ってみると、どうやら珈琲屋の看板らしかった。記憶を手繰り寄せても、この辺りに珈琲屋はなかったはずだ。新しくオープンしたんだろう。
最近、好みの珈琲店を見かけないなぁ、とぼんやり考えながら、看板の文字へ視線を下ろし……――
――……固まった。
全体的に丸っこいフォルムをし、たれた糸目のクジラが描かれている。淡い色で塗られたそれは、木陰から零れた陽だまりを受けてキラキラと黄色く染まっていた。
――可愛い……!――
マフィアさん衝撃である。
好みドンピシャの可愛いクジラさんが、ケーキとコーヒーらしきイラストと共に描かれている。可愛いがすぎる。可愛い。
「2つ目の角を右」という案内に従い2つ目の角を右に曲がると、白い壁に青い屋根、淡い色の木枠の窓に水色の看板に白い線であのクジラさんが描かれた店が姿を見せた。
御伽噺にでも出てきそうな柔らかい空気感の店の脇には紫陽花が植えてある植木鉢や、多種多様のハーブが植えられたオシャレなプランターがお行儀よく並んでいる。
店の中も白やそれに近い色で統一されているが、無機質さや冷たさはなく、バニラアイスのような暖かさを漂わせていた。
ショーケースの中のケーキはどれもシンプルで、なのに田舎のおばあちゃんが握ったおにぎりような安心感と親しみやすさを兼ね備えている。バスケットにはクッキーなどの焼き菓子がラッピングされ、ちょこんっとその存在を愛らしくアピールしつつも、店内の小物としてその店の良さを演出する一要因として遺憾無く魅力を発揮していた。
――可愛い……!!――
マフィアさん2回目の衝撃である。
好みドストライクなお店が、可愛いクジラさんがいるお店が、素敵なケーキがあるお店が、こんな所でひっそりと経営しているだなんて素敵過ぎてテンションが上がってしまう。
さっきまでの憂鬱さは空の彼方へホームランである。が、ガラスに写った自分の姿を見て現実に引き戻される。
ヤクザ者、といった風貌ではないが、あきらかカタギの人間ではないのだ。
清く明るく、クリーンでフレッシュなマフィアを目指し、自称し、可能な限り気を配ってはいる。それでも、内面のはみだし者特有の空気は消すことができない。おまけに本日は仕事帰りなためスーツ姿である。
マフィアか、よくてホストか……与える印象はおおよそプラスのものではなかった。
あまりにも場違いな自分に、心の中の喜びゲージは小さくなっていく。
すると店の奥から、パタパタと店員らしき人物が近寄ってくる。
一瞬少年にも見えるほどに幼く中性的な容姿のその人は、紺色のエプロンの上から白いパーカーを羽織っており、親しみやすくも愛らしい雰囲気を纏っていた。大きめな赤フレームのメガネも、遠回しにその人の魅力を引き立てていた。
あ、エプロンにクジラさんのブローチつけてる可愛い……じゃなくて。こんな男が店の前にいられてさぞ迷惑だったんだろう。叱られるだろうかと憂鬱ゲージが蓄積していくのと裏腹に、かちゃんっと扉を開けたその人は人懐っこく笑いながら「いらっしゃい、一名様ですか?」と尋ねてきた。
…………今なんと?
「え?」
「え?」
「は、入っていいので?」
「?はい。あ、開いてるってわかりずらいですか?!」
わーごめんなさい!もっと分かりやすい看板出しときますね!とわたわた謝る店員さんの姿に、マフィアさんは思わず停止する。
脳内ではナイトフィーバーなカーニバルが開催されたばりにテンションがぶち上がっていた。それはそれはもう大盛り上がりである。うなぎ登りひつまぶしとはこのこと。
今にも全身ゲーミングに輝きながらブレイクにダンスをキメたいところだ。
「あ、なら一人で 」
「はい、お好きな席へどうぞ 」
やわらかく細められたアーモンドの目が、マフィアさんのしり込みしそうな背中を優しく押してくれた。
店内には控えめな音量で、ピアノとアコースティックギターの爽やかな音楽がゆったりと流れている。歌詞もなにもないBGMに、マフィアさんの嬉しいゲージがまた上がる。
流行りの曲を流す店が嫌という訳ではないが、やっぱり聞き流せる音楽を流すお店に出会うと、少し嬉しくなるのだ。
店内の席は窓際の2人席、店の真ん中に4人席が2組、カウンターに3席、テラスに4人席。各席には荷物を入れるカゴと、ひざ掛けが置かれている。
どうやらテラス席にはペット同伴可能らしく、リードを繋いでおくための金具が床に取り付けられていた。
広くなく、狭くもなく、窮屈感は感じないが、閑散とした心細さは感じない。なんとも居心地のいい絶妙なレイアウト。
そしてなにより、各テーブルにはクジラさんだけでなく、クラゲさんやおサカナさんが可愛らしく描かれたメニュー表が置かれている。心の中の広々ホールはスタンディングオベーションの嵐である。
「ご注意お決まりですか?」
「ケーキセット1つ。ショートケーキとホットコーヒーで 」
「はぁい 」
少々お待ちください、とお水を置いてカウンターに戻っていく。ひとりで切り盛りしているのか、他のスタッフの姿はない。
静かで落ち着く良いお店だ。
特になにかするでもなく、カチャカチャとカウンターから聞こえてくる作業の音を聞きながらぼんやりと微睡んでいると、自分がカタギの人間でないことを忘れそうになる。
もし自分がマフィアではなかったら……何をしていただろう。うまく想像ができない。
まあでも、何度うまくもできない想像を繰り返しても、やっぱりマフィアとして生きていくことを選んでしまうのだ。きっとそれが答えなんだろう。
表の世界では生きていけない己の歪を、悲しいかな、自分が一番よく理解してるのだから。
「お待たせしました。ケーキセットです 」
ことりと置かれたケーキと珈琲に意識を戻し、本日何回目かの衝撃が走る。
ショートケーキにもたれ掛かるように、あのクジラさんのアイシングクッキーがちょこんっと鎮座している。さらに苺の隣にはチョコの小さなお魚さんが、ホイップクリームの波でスイミングを楽しんでいた。
マフィアさんは心に決める。
この店通おう、と。
「……このクッキーって 」
「海の生き物クッキーです。珈琲を注文してくださったお客さんにはサービスで出してるんですよ 」
自信作です!と心なしか得意げに笑う店員さんに、マフィアさん思わず感涙で咽び泣いてしまいそうになる。ありがとう。世界にありがとう。
しっかりスマホで写真に収めてから一口、クッキーを齧る。
さっくりとした食感にバターの風味がシンプルながら大変美味。好。
ケーキも甘さ控えめで軽いクリームとスポンジに、苺の酸味がとてもよく合う。特別なことは何もなく、特徴がない、といえばその通りなのだろう。
だがその飾り気のなさが、変に気を使わなく、気軽に口に運ぶことができる。そんな優しさを感じた。
珈琲も濃すぎず薄すぎず、特徴はないが大変飲みやすく、ほぅ……と静かに息を吐いた。
全てにおいて気軽で親しみやすい。冬の朝に微睡むような暖かさに似た美味しさが、マフィアさんのハートを遺憾無くブレイクしていく。
これがグルメ漫画とかなら、今頃マフィアさんは全裸で宇宙へ打ち上げられ、クジラさんやお魚さん達と星の海を漂っている。
流石にアウトな部分を煌めかせながら星空に浮かぶマフィアさんの図を事細かに説明するのは幅かれるので割愛させて頂く。
「すごく美味しいです。このケーキもあなたが?」
「はい。さすがに全部ではないですけど、クッキーといくつかのケーキは、私が作りました 」
褒められて嬉しいのか、ほのかに顔を染めた店員さんに、心の中で赤スパをぶん投げる。
クジラさんも可愛いし店員さんもなんだか愛嬌があって可愛い。この店ちょっとよすぎる。
仕事の残りを引き受けてくれた部下達にお土産のアイシングクッキーを購入し、大満足で代金を払う。正直チップを支払いたいが、そんな文化はここには無いため我慢するしかない。
なぜ現実世界にはフリーチャットがないのだろう。投げ銭したい。切実に。
「ご馳走様でした。また来ますね 」
「はい、また何時でもいらっしゃってください 」
眼鏡の奥でパッと嬉しそうに顔をほころばせる店員さんに軽く頭を下げ、店を後にする。
暖かい日差しの表の世界から、少し薄暗い裏の世界へと帰る。
その足取りはどこか軽く、暖かい海を泳いでいる魚のようだった。

