デジタル・ゴーストライター ――幽霊の僕と、親友が刻む最後の旋律――

デジタル・ゴーストライター

序章:幽霊になった日

松山(マツヤマ)の部屋は、電子回路の死骸のような機材が散乱する、無機質な混沌に支配されていた。そのデスクの隅で唯一、青と白のトルコギキョウだけが、静謐な湿り気を帯びて呼吸している。それは、俺が学校で「幽霊」と呼ばれ引きこもっていた頃から、マツヤマが絶やさず届けてくれた友情の証だった。

その花瓶の前に、俺の霊体は立っていた。 喉は鳴らず、伸ばした手はマツヤマの肩を、空気を掻くようにすり抜ける。菓子パンを掴もうとすれば、霊体はパンの粒子を透過し、指先には無機質な空虚だけが残った。

俺は、かつてトラウマから名乗ったアカウント名、「幽霊」そのものになってしまったのだ。 絶望の底で、俺はPC画面を見つめる。未完成の三部作。これだけは、この世に遺さなければならない。霊体の力をマウスに集中させると、俺の輪郭が朱色に燃え上がるような熱を帯び、メモ帳が開いた。

『タスケテ。オレハ、ホントウノユウレイニナッタ』

マツヤマはヘッドホンを外し、驚愕で青ざめた。 「お前は……あの、アカウントの……」

『ソウダ。オレノサイゴノサンキョクヲ、オワラセテクレ。サビヲツクルト、オレノソンザイガケズレル。イノチガケノサクヒンダ』

マツヤマは花瓶を見つめた。その生ぬるい水と、瑞々しい花びら。彼は震える手でキーボードを引き寄せた。 「わかったよ。お前がそこまでして遺したいものなら。……俺がお前のデジタル遺産を、この世に繋ぎ止めてやる」

第二部:魂のレコーディング

制作は、異様な緊張感の中で進んだ。 幽霊(俺)の声には、息継ぎも唇が触れ合う湿った音もない。0と1に分解された、剃刀のように鋭いノイズだ。

二曲目『レクイエム・ゼロ』の制作中、マツヤマがぼやいた。 「幽霊。頼むからもう少し人間らしく歌え。聴いてる方が凍えそうだ」 『ムリダ。オレノタマシイハ、コウイウオンダ』 「知るか。あと、歌詞の誤字を霊力で直せ。俺は徹夜で限界なんだ」

しかし、サビに入ると冗談は消えた。 俺の霊体が血のような赤に変色し、部屋の物理法則を歪ませる。**蛍光灯が激しく瞬き、部屋の温度が氷点下まで急落した。**デスクの上の花瓶の水が、**沸騰しているかのように激しく波打ち、水滴が飛び散る。**トルコギキョウの白い花びらが、霊的な消耗にさらされ、端からどす黒く枯死していった。

波形が完成した瞬間、俺の霊体は血の気が引いたように青白く透けた。 「見たか、マツヤマ。これが、魂を削る意味だ」 マツヤマは、飛び散った水滴を拭いながら、自分の孤独な食卓を思い出し、奥歯を噛み締めた。

第三部:最後の夜

「松山さん、夜中に部屋が氷みたいに冷たくなるって苦情が出てるのよ! もう限界よ、立ち退いて頂戴」 管理人の田中さんからの厳しい通告。さらにPCには**『規約違反:72時間以内にアカウント停止』**の無慈避な赤文字が躍っていた。

マツヤマは、早朝のキッチンで冷え切ったコーヒーを飲み干し、自嘲気味に笑った。自分の人生が、消えゆく友のデジタル遺産を守るためだけに摩耗していく。 その時、俺の霊体が青い光を放ち、最後の意識を取り戻した。

『イマ、キタ。サイゴノキョク、エターナル・エコーノカンゼンナイデアガ』

俺は、核に残されたトラウマ、友情、執念のすべてを伝えた。 「これをやれば、お前は本当に消えるんだな?」 『ソウダ。オレハ、ヒカリノツブニナル。……スベテガ、オワル』 マツヤマは決意し、ヘッドホンを頭に押し込んだ。画面の隅で、無機質なカウントダウンが刻まれる。残り00時間05分30秒。

終焉:デジタル幽霊の昇華

最後の歌声は、宇宙のように静かで切ない鎮魂歌だった。 俺の霊体は、水面から蒸発するように輪郭を崩し始める。マツヤマは、カウントダウンと俺の消滅、二つの時計を見つめながら、狂ったように編集を続けた。

残り10秒。 サビの最後の音に、俺の全存在を注ぎ込んだ。 その瞬間、部屋の電球がフィラメントの焼ける匂いとともに弾け飛んだ。暗闇の中、唯一光るのは液晶の冷たいブルーライトと、激しく燃え上がる俺の朱色の光だけだ。

最後の音が波形に記録された瞬間、俺の光はプツンと消えた。 同時に画面は、赤と黒の無機質なエラー表示に切り替わる。

『アカウントは、利用規約に基づき停止されました』

幽霊は、デジタル的にも、霊的にも、この世から抹消された。 静寂の中、マツヤマはただ静かに泣いた。彼の頬を伝う熱い涙だけが、この部屋で唯一の「生」の証だった。隣には、波打ちが完全に止まり、静かに澄み渡った水の花瓶だけが残された。

数日後、世間は匿名クリエイター『幽霊』の沈黙に熱狂していた。 マツヤマは、冷え切ったアパートの廊下で田中さんに会うと、冷たく乾いた嘘をついた。 「電球は交換しました。デジタルな問題は、すべて解決です」

彼のポケットの中、指先にはまだ、あの夜に触れた凍りつくような、けれど確かな魂の質感がこびりついている。 ハードディスクに保存された『幽霊』の波形と、静かな花瓶。それこそが、この世界に残された、唯一にして永遠の「デジタル幽霊」なのだ。

#短編小説 #創作小説 #SF #ファンタジー#音楽 #DTM #幽霊 #友情 #デジタル遺産 #サイバーパンク #切ない#0と1の物語 #魂のレコーディング #最後の一曲#AI補助利用