涼風すい短編集

春のとある日の朝。
ピーチチチ…、チヨチヨチヨ、という鳥の声で目を覚まし、カーテンの揺れる脈動にふわりと心が弾んだ。
東京に来て間もなく二年になる。
のろのろとベランダに出て、空気をたっぷりと吸った。地元ではしなかった濃い排ガスのにおいにも、そろそろ慣れてきた。
空気は柔らかく、温かく。陽は優しく、麗しく。涙が出そうなほど良い日。
普段は昼間に出かけることなど、大学に行くくらいでその他に滅多にないのだけれど、今日は何の当てもなく外に出たくなって。
私はこんな日には似合わない服を着て、家を出た。
まだ桜は咲いていない。それでも町は桜色で染まっていた。しばらく歩いて、春を味わっていた。
すると、カフェの前に立っているのぼりに目が留まった。
「春季限定 桜フラッペ」という一言に惹かれ、私は店内に入った。
たまに行くカフェで、今まではコーヒーしか頼んだことがなかった。
それでも今日は、なぜか桜フラッペが魅力的だった。
桜色が見える透明なプラスチックの容器が汗をかいて出てきた。私のカサカサな手は、その汗を全て吸収した。
これで満足した気がしたけれど、自分の足は自然とコンビニへ向かっていた。
いつからかずっと続けている煙草を買うためだ。
「百三十五番ください」
吸い始めてから何回言ったかわからない、この言葉。
煙草を始めた時期も理由も、何もかも忘れたのに、この言葉だけは忘れずにいる自分をばかばかしく思う。
別に無くたって生きていけるのに、習慣化しているせいなのか、毎日から引き剥がすことのできない呪いだ。
私は煙草一箱と桜フラッペを両手に抱えて、ゆったりと家に戻った。
家に戻っても、外の気持ちよさを感じていたくて、すぐにベランダに出た。
少し溶けかかったフラッペを飲む。温かい風と共に、桜の華やかな香りが鼻を抜けていった。
なんだ、こんなに美味いのかよ。
昼下がり、私は一人で笑った。こんなおかしいと思うほどの美しい日があるだろうか。
空はこんな自分が恥ずかしくなるくらいに青く澄んでいて、木々はいらいらするほど未熟の美を纏っていて、なんだかもう、たった自分一人が暗い冬に置き去りにされているような感覚だけれど。
こんな日くらいは、煙草は吸わないでおこうと思った。