歌舞伎町のネオンが、濡れたアスファルトに毒々しく反射している。
視線の先には、先ほど三〇二号ブースを出た黒いパーカーの男が、雑踏に紛れようとしていた。
「逃がさない……絶対に」
懐のタブレットは、まだ『入力待ち』の状態だ。男の顔写真は撮った。サイトのダッシュボードも記録した。だが、まだ足りない。
こいつが何者で、どこを根城にしているのか。確実な実体をジョーカーに送らなければ、未零の救済は発動しない。
男が足を止めたのは、看板すら出ていない古びたビルの地下階段だった。
(……行くしかない)
藍田は震える膝を叩き、男の数分後に階段を降りた。
重い防音扉を開けると、タバコの煙と、熱を帯びた異様な熱気が肺に流れ込んできた。
そこは、バカラの台が数台並ぶ『闇カジノ』だった。
入口に立つ筋骨隆々の男が、藍田を値踏みするように睨む。
「……あ、あの。大庭に言われて、今入店された方に三〇二号ブースの忘れ物を届けにきました」
藍田は、自分でも驚くほど自然に冴えない中年男を演じた。警備員時代に身につけた、存在感を消す技術だ。
「今? あぁ、上原か。あそこのソファにいるよ」
男が顎で示した先に、先ほどのパーカーの男がいた。彼はディーラーと親しげに話し、カバンから大量の一万円札をバラ撒いている。
上原――本名だろうか。
藍田は客を装って、カウンターの隅から男を観察した。だが、甘くはなかった。
「おい、お前」
背後から、先ほどの門番の男が声をかけてきた。
「お前、なぜ忘れ物をすぐに渡さねえ……何が目的だ?」
周囲の空気が一気に凍りつく。バカラの台にいた男たちが立ち上がり、藍田を囲んだ。
パーカーの男――上原も、冷酷な目でこちらを見ている。
「待て、違うんだ! 俺はただ……!」
藍田は奥の個室へ引きずり込まれそうになる。必死に片手を伸ばし、近くにあった酒瓶を掴み、酒を自分の服にぶちまけた。
男が怯んだ好きに、ポケットからライターを取り出した。
「俺はもう終わりなんだよ! 仕事もねえ、金もねえ、お前らみたいな幸せそうな奴らが憎くてたまらねえんだ!」
カジノ内が騒然となる。引火を恐れて、屈強な男たちが一歩下がった。その時、上原が鼻で笑いながら近づいてきた。
「……あぁ、漫喫の店員じゃん。お前、あそこでずっとダラダラしてるよな」
上原は藍田の震えるライターの火を、まるでロウソクでも消すかのように指先で消した。
「お前みたいな持たざる者の絶望はよくわかるよ。でもさ、ここで心中なんてコスパ悪すぎだろ。おい、こいつを外に連れ出せ。俺が少し話してやる」
上原は、藍田が自分を殺そうとしているなどとは夢にも思っていない。ただの精神を病んだ哀れな店員が、自分という成功者に救いを求めているのだと、残酷なまでの優越感に浸っていた。
ビルの外、冷たい夜風がアルコールの染みた服を冷やす。上原はポケットから一枚の名刺を取り出し、藍田の胸ポケットにねじ込んだ。
「揉め事は起こすなよ。どうしても食えなくなったら連絡しろ。俺の会社で清掃の仕事くらいなら回してやるからさ」
名刺には『株式会社アローズ・ソリューション 代表取締役 上原慎一』と記されていた。
「……ありがとうございます。上原さん……本当に、ありがとうございます」
藍田は地面に額を擦り付け、上原が去っていくのを待った。その背中が見えなくなった瞬間、藍田は名刺の情報をタブレットに叩き込んだ。
「……掃除されるのは、お前だ」
*
――三日後。
【閲覧注意】監獄カルテットの裏側を語るスレ Part 53
88 :名無しさん@お腹いっぱい。
速報。歌舞伎町の闇カジノでガサ入れ(?)があったらしい。
客が一人バカラの台の上で全裸で死んでたらしいんだけど、その遺体が……例の笑顔だったって。
91 :名無しさん@お腹いっぱい。
どうせ、闇カジノで大勝ちして、大麻でもキメたんだろ
92 :名無しさん@お腹いっぱい。
被害者の名前が出たぞ。上原慎一。
……おい、こいつ。例の晒しサイトの管理人じゃねーか!
特定班乙!
*
藍田はアパートの自室で、震える手でカップ麺を啜っていた。
ニュースでは闇カジノの摘発だけが報じられている。
だが、真実は違う。自分が送った情報が、JOKERを通じて執行されたのだ。
不意に、アパートの下でブレーキの音がした。
カーテンの隙間から覗くと、一台のセダンから、見覚えのあるトレンチコートの男が降りてくるのが見えた。
新宿署の村野刑事だ。
藍田は、部屋の隅に置いたホッケーマスクを、静かにクローゼットの奥へと隠した。
視線の先には、先ほど三〇二号ブースを出た黒いパーカーの男が、雑踏に紛れようとしていた。
「逃がさない……絶対に」
懐のタブレットは、まだ『入力待ち』の状態だ。男の顔写真は撮った。サイトのダッシュボードも記録した。だが、まだ足りない。
こいつが何者で、どこを根城にしているのか。確実な実体をジョーカーに送らなければ、未零の救済は発動しない。
男が足を止めたのは、看板すら出ていない古びたビルの地下階段だった。
(……行くしかない)
藍田は震える膝を叩き、男の数分後に階段を降りた。
重い防音扉を開けると、タバコの煙と、熱を帯びた異様な熱気が肺に流れ込んできた。
そこは、バカラの台が数台並ぶ『闇カジノ』だった。
入口に立つ筋骨隆々の男が、藍田を値踏みするように睨む。
「……あ、あの。大庭に言われて、今入店された方に三〇二号ブースの忘れ物を届けにきました」
藍田は、自分でも驚くほど自然に冴えない中年男を演じた。警備員時代に身につけた、存在感を消す技術だ。
「今? あぁ、上原か。あそこのソファにいるよ」
男が顎で示した先に、先ほどのパーカーの男がいた。彼はディーラーと親しげに話し、カバンから大量の一万円札をバラ撒いている。
上原――本名だろうか。
藍田は客を装って、カウンターの隅から男を観察した。だが、甘くはなかった。
「おい、お前」
背後から、先ほどの門番の男が声をかけてきた。
「お前、なぜ忘れ物をすぐに渡さねえ……何が目的だ?」
周囲の空気が一気に凍りつく。バカラの台にいた男たちが立ち上がり、藍田を囲んだ。
パーカーの男――上原も、冷酷な目でこちらを見ている。
「待て、違うんだ! 俺はただ……!」
藍田は奥の個室へ引きずり込まれそうになる。必死に片手を伸ばし、近くにあった酒瓶を掴み、酒を自分の服にぶちまけた。
男が怯んだ好きに、ポケットからライターを取り出した。
「俺はもう終わりなんだよ! 仕事もねえ、金もねえ、お前らみたいな幸せそうな奴らが憎くてたまらねえんだ!」
カジノ内が騒然となる。引火を恐れて、屈強な男たちが一歩下がった。その時、上原が鼻で笑いながら近づいてきた。
「……あぁ、漫喫の店員じゃん。お前、あそこでずっとダラダラしてるよな」
上原は藍田の震えるライターの火を、まるでロウソクでも消すかのように指先で消した。
「お前みたいな持たざる者の絶望はよくわかるよ。でもさ、ここで心中なんてコスパ悪すぎだろ。おい、こいつを外に連れ出せ。俺が少し話してやる」
上原は、藍田が自分を殺そうとしているなどとは夢にも思っていない。ただの精神を病んだ哀れな店員が、自分という成功者に救いを求めているのだと、残酷なまでの優越感に浸っていた。
ビルの外、冷たい夜風がアルコールの染みた服を冷やす。上原はポケットから一枚の名刺を取り出し、藍田の胸ポケットにねじ込んだ。
「揉め事は起こすなよ。どうしても食えなくなったら連絡しろ。俺の会社で清掃の仕事くらいなら回してやるからさ」
名刺には『株式会社アローズ・ソリューション 代表取締役 上原慎一』と記されていた。
「……ありがとうございます。上原さん……本当に、ありがとうございます」
藍田は地面に額を擦り付け、上原が去っていくのを待った。その背中が見えなくなった瞬間、藍田は名刺の情報をタブレットに叩き込んだ。
「……掃除されるのは、お前だ」
*
――三日後。
【閲覧注意】監獄カルテットの裏側を語るスレ Part 53
88 :名無しさん@お腹いっぱい。
速報。歌舞伎町の闇カジノでガサ入れ(?)があったらしい。
客が一人バカラの台の上で全裸で死んでたらしいんだけど、その遺体が……例の笑顔だったって。
91 :名無しさん@お腹いっぱい。
どうせ、闇カジノで大勝ちして、大麻でもキメたんだろ
92 :名無しさん@お腹いっぱい。
被害者の名前が出たぞ。上原慎一。
……おい、こいつ。例の晒しサイトの管理人じゃねーか!
特定班乙!
*
藍田はアパートの自室で、震える手でカップ麺を啜っていた。
ニュースでは闇カジノの摘発だけが報じられている。
だが、真実は違う。自分が送った情報が、JOKERを通じて執行されたのだ。
不意に、アパートの下でブレーキの音がした。
カーテンの隙間から覗くと、一台のセダンから、見覚えのあるトレンチコートの男が降りてくるのが見えた。
新宿署の村野刑事だ。
藍田は、部屋の隅に置いたホッケーマスクを、静かにクローゼットの奥へと隠した。



