地下アイドル『監獄カルテット』が売れている本当の理由について①

「……で、志望動機は?」

 歌舞伎町の片隅、ヤニと埃が沈着したネットカフェ『ディストピア』の事務室。

 藍田は、自分より一〇歳は若そうな茶髪の男の前に座っていた。

 男の名札には『店長・大庭』とある。

「……警備員を辞めて、夜勤で黙々と働ける場所を探していました。清掃も補充も、人一倍やります」

 大庭はスマホをいじりながら、藍田の履歴書を指先で弾いた。

「うち、客層最悪だよ。個室で何してても基本スルー。警察呼ぶのは最終手段。まぁ、バックレないなら明日から来れば? 時給一〇〇〇円な」

 最低賃金以下を平気で提示する。
 次の潜伏先としては最適か。

「よろしくお願いします」

 藍田は深く頭を下げた。求めているのは生活費ではない。あの日、JOKERから手渡されたタブレットに刻むべき『羊』だ。

   *

 ――勤務開始から三日が経った。

 藍田はモップをかけながら焦っていた。個室の扉を開けるたびに、腐った体臭と汚物にまみれた『底辺の日常』が露わになる。

 なのに、ここには『未零に捧げるべき悪』がいない。

 借金に追われ震える若者、孤独死を待つだけの老人。

 ……違う。これらはただの『弱者』だ。掃除する価値もない。

 藍田はバックヤードの隅で、震える手で5ちゃんねるのスレッドを開いた。

   *

【閲覧注意】監獄カルテットの裏側を語るスレ Part 52

612 :名無しさん@お腹いっぱい。:2026/03/05
おい、銀座の会員制クラブで、経営者が『ワイン片手に笑顔で毒殺』されてたってマジか?

613 :名無しさん@お腹いっぱい。

 612
 もう怖くてワイン飲めねえw

614 :名無しさん@お腹いっぱい。
いや、怖いのは横浜だ。ラブホのベッドで男女が『糸で一塊に縫い合わされてた』って。

615 :名無しさん@お腹いっぱい。
昨夜の地下アイドルのライブハウスの火災も異常だ。
誰かが歌い出した瞬間に客がパニックになって、気がついたら火の海とか

616 :名無しさん@お腹いっぱい。
……で、未零ヲタはどうした? あのライブの時に騒いでた「27」とかいう奴。

617 :名無しさん@お腹いっぱい。
カッコつけてたけど、結局、オフ会にも参加してないんだろw

   *

 藍田は唇を噛み締めた。

 ガスマスク(焔推し)、翁面(沙希推し)、ペストマスク(莉央推し)。奴らはもう、動き出している。

 それぞれの推しの美学を模倣し、社会に絶望の刻印を刻んでいる。

 それに引き換え、自分はどうだ。自分だけが、未零に何も捧げられていない。

「……ここにはいないのか」

 藍田は、清掃の合間に誰もいない受付カウンターに忍び込むようになった。防犯カメラの死角に立ち、店の管理PCを操作する。

 帳簿、会員リスト、個室のブラウザ履歴。

 店長の大庭がバイトの女の子を口説いているような『矮小な悪』ではない。未零が自らの手を汚してまで救済すべき、真に魂の腐りきった羊を探さなければならない。

 深夜、藍田は会員リストをスクロールし続けた。偽名、偽造された身分証。この街の住人たちは皆、何かから逃げている。

 店長室のゴミ箱。シュレッダーにかけられ損ねた紙屑を拾い集めた。それは、店長の大庭が裏で特定の客と交わしていた、口外できない『特別料金』のメモだった。

 警察の介入を拒む店。
 それを、隠れ蓑にする客。

 違う。もっと深くだ。もっと奥に、本物が隠れているはずだ。

 藍田の目は血走り、頬はこけていた。もはや清掃員としての仕事など、情報の海に潜るためのカモフラージュに過ぎない。

   *

 二週間が過ぎた。

 収穫はない。大庭からのパワハラは日に日に激しさを増し、藍田の精神は限界に達していた。

「……もう、無理だ。ここは外れだったんだ」

 藍田は、ポケットの中の退職届を握りしめ、店長に別れを告げようとレジに向かった。その時、一人の客が退店処理のためにカウンターに立った。

 黒いパーカーのフードを深く被り、一度も目を合わせない若い男。

 藍田は無意識に、彼が使っていた三〇二号ブースの清掃に向かった。

 そこには、一通の封筒が落ちていた。

 中には、数十枚に及ぶ隠し撮り写真と、ある女性の住所、勤務先、そして家族の連絡先が記されたリスト。

 男がログアウトし忘れたPCの画面には、リベンジポルノを販売する海外サイトの管理者用ダッシュボードが開いたままになっていた。



「……あ」

 藍田の口から、乾いた声が漏れた。リストの一番上にあった写真は、震えている少女だった。

 藍田は退職届をゴミ箱に捨てた。指が、これまでで最も激しく震えていた。恐怖ではない。未零に、最高に美しい報告ができるという歓喜の震えだった。

 藍田は、まだ店を出たばかりであろう黒いパーカーの背中を追い、夜の歌舞伎町へと飛び出した。