地下アイドル『監獄カルテット』が売れている本当の理由について①

「あー、もしもし。藍田です」

 電話の向こうで、警備会社の配車係が何かを怒鳴っているのが聞こえた。無断欠勤の咎めか、次のシフトの強要か。以前の藍田なら、その声に怯え、ペコペコと頭を下げていた。

「辞めます。ええ、今日で。制服? 捨てときます。給料はいりません。二度と連絡してこないでください」

 一方的に通話を切り、スマホの電源を落とす。

 藍田は、足元に転がっていたヨレヨレの制服をゴミ袋に突っ込み、強く口を結んだ。これで、未練はなかった。

 あの日、廃ビルでジョーカーからタブレットを受け取って以来、藍田の生活は一変した。

 今は有能な羊飼いだ。未零(みれい)という女神に捧げるべき、社会の不浄なゴミを探し出す巡礼者だ。
 だが、意気込んで街に出た藍田は、すぐに奇妙な壁にぶつかった。

「……意外と、いないもんだな」

 ここ数日、藍田は日払いの現場仕事や、怪しげな雑居ビルの清掃員など、底辺の職場を転々としていた。どこにでもゴミはいる。

 佐竹のような腐った人間が、必ずどこかに潜んでいるはずだ。そう信じていた。

 確かに、嫌な奴はいた。新人を怒鳴り散らす現場監督、仕事をサボってパチンコの話ばかりする同僚、電車で妊婦に席を譲らないサラリーマン。

 しかし、いざタブレットを取り出し、彼らの名前を入力しようとすると、指が止まるのだ。

 ――こいつは本当に、未零の手を煩わせるほどの『悪』か?

 基準が高くなっていた。ただ性格が悪いだけ、ただマナーがなっていないだけでは、物足りない。もっと決定的な、魂が腐りきったような本物」 でなければ、あの美しい未零に捧げる供物としては相応しくない。

 そんな奇妙なジレンマを抱え、藍田は今日も空振りだった。

 ――時刻は、深夜三時過ぎ。疲労と空腹が限界に達していた。

「今日はもう、諦めるか……」

 収穫ゼロの徒労感に肩を落とし、藍田は目についた一軒のコンビニに入った。晩飯代わりの廃棄寸前の弁当でも買おうと思った。

 店内は白い蛍光灯の光に満ちていて、客の姿はない。レジにも店員の姿が見当たらなかった。

 藍田が雑誌コーナーで立ち読みをしていると、バックヤードの方から、何かが倒れるような鈍い音と、押し殺したような短い悲鳴が聞こえた。

「……?」

 藍田は雑誌を棚に戻し、音のした方へ近づいた。『STAFF ONLY』の扉が少しだけ開いている。

 隙間から、中の様子が見えた。

 狭い事務所の中で、中年太りの男が、若いアルバイトの女性を壁際に追い詰めていた。男の名札には『店長』の文字。

 男はニヤニヤと脂ぎった笑みを浮かべ、嫌がる女性の制服の上から、執拗にその体を撫で回していた。

「お前、先週のレジ誤差、まだ補填してないだろ? 今日のこれでチャラにしてやるって言ってんだよ。なぁ、いい声出せよ……」

「やめてください、店長……離してっ……」

 女性は涙目で抵抗しているが、力の差は歴然だった。男の手が、スカートの中に伸びようとしている。それは、単なるセクハラの域を超えた、卑劣な暴行の現場だった。

 藍田の体の中を、熱い電流が駆け巡った。
 怒りではない。義憤でもない。
 それは、待ち望んでいた獲物を見つけた猟犬の歓喜だった。

 ――いた。

 ここにも、佐竹と同じゴミがいた。社会の片隅で、自分より弱い立場の人間の生気を啜って生きる、醜悪な寄生虫。

 藍田は震える手でスマホを取り出し、ドアの隙間からその光景を動画で撮影した。証拠としては十分だ。わざと足音を立ててレジに向かい、声をかけた。

「すいませーん、レジお願いします」

 バックヤードで慌ただしい音がして、数秒後、先ほどの店長が何食わぬ顔で出てきた。顔は赤く上気し、息が少し荒い。

「はいはい、お待たせしました」

 男のネームプレートの名前を、藍田はしっかりと網膜に焼き付けた。

 おにぎりを一つ買い、店を出る。冷たい夜風が心地よかった。

 藍田は路地裏に入ると、懐から支給されたタブレットを取り出した。

 もう、迷いはなかった。
 指先が画面の上を滑る。

【TARGET ENTRY】
名前:大久保 剛(コンビニエンスストア○○店 店長)
場所:東京都○○区……
罪状:立場を利用した従業員への性的暴行、常習的なパワハラ。

 推奨される結末の欄をプルダウン形式で選択する。『社会的地位の抹殺』、『その他』の欄に、二度と女性に触れられない形での肉体的排除と記した。

 送信ボタンを押す。

 画面に「ACCEPTED(受理)」の文字が浮かび上がった瞬間、藍田は自分の魂が震えるのを感じた。

 自分は今、女神の代行者として、この世界を一つ浄化したのだ。藍田は、暗い路地裏で、ホッケーマスクの下でしか見せたことのない歪んだ笑みを、月に向かって浮かべた。

   *

 ――翌日の深夜。

 いつもの匿名掲示板のスレッドは、奇妙なニュースで持ちきりになっていた。

435 :名無しさん@お腹いっぱい。:2026/02/26(木) 02:15:30.11 ID:KaMeN_H
おい、今のニュース見たか?
都内のコンビニで、店長が変死したってよ。

436 :名無しさん@お腹いっぱい。:2026/02/26(木) 02:16:45.55 ID:Shinjya_A
見た見たw
ウォークイン冷蔵庫の中で、全裸で凍死してたんだろ?
しかも、すげー幸せそうな笑顔で。
画像うpしておく。女の子の店員が慌ててペットボトル補充してて可哀想だったぞ



437 :名無しさん@お腹いっぱい。:2026/02/26(木) 02:18:10.22 ID:KaMeN_H
これってさぁ……例のアレじゃね?
前の建設現場の事故と、手口が完全に一致してる。

438 :名無しさん@お腹いっぱい。:2026/02/26(木) 02:20:55.88 ID:Huntaaaa
警察は「事件性なし」で処理する気満々らしいけどな。
どう見ても異常だろjk。

439 :JOKER ◆Mask/RaBiT:2026/02/26(木) 02:23:10.99 ID:???
ククク……。
どうやら、優秀な「羊飼い」が仕事を始めたようだな。

440 :名無しさん@お腹いっぱい。:2026/02/26(木) 02:25:30.11 ID:???

439
ジョーカー降臨キター!
ってことは、やっぱり今回の件も「救済」なのか?

441 :名無しさん@お腹いっぱい。:2026/02/26(木) 02:27:45.22 ID:???

 435
 被害者の店長、裏でバイトの子にエグいことしてたって噂あるぞ。
 まさに自業自得、因果応報ってやつだな。
 ミレイ様、マジで神だわ。

   *

 PC画面の前で、藍田は自分の仕事の成果を噛み締めていた。スレッドの住人たちが、自分の送った獲物の死に様を語り合い、熱狂している。

 彼らは知らない。この祭りを仕掛けたのが、あの冴えない警備員だった男だということを。

 藍田は、次の獲物を求めて、求人サイトのページを開いた。次は、どんなゴミ溜めに潜ろうか。

 歪んだ巡礼は、まだ始まったばかりだ。