年末年始は正直修羅場だった――まぁ、主に燈が、だが。
それでもクリスマス、大晦日、初詣と節目のイベントを燈を含めてちゃんとやったのは、燈がウチに居ても良いという父さんと俺からの暗黙の許可に他ならなかった。
勉強をするにも環境っていうのは大事で、落ち着ける場所で勉強するのとそうでない場所で勉強するのとでは脳への定着率に大きく関わってくる。
俺も父さんも燈を疎む理由がないからこそ、この家が燈にとって安全な場所なのだと言葉ではなく行動で示したのだった。
それにしても、初詣でおみくじを引いた燈のリアクションは面白かった。
小さく折り畳まれた紙をカサカサと開き、結果を見ること数秒。忙しなく瞬きをしたかと思えば一気に分厚い悲壮感を纏った。
「凶…………僕の、運勢はもう終わってるんでしょうか……」
今にも水っぽく震えそうな声に誘われて燈の手元を覗き込んだら、確かにおみくじの上にはデカデカと『凶』の文字。
しかしその下の小さな文字は願い事のところには叶う、とあったし、学業のところには努力次第、とある。
「燈、凶って案外逆に縁が良いんだぞ?」
知らないか? と唇の片端を上げて見せる。
「もうそれ以上下に落ちることはない。あとは上がっていくのみ……って。そう考えたら、伸び代しかないってことになるだろ?」
それに個別のところには良いことが書いてある。
つまり、ラストスパートの努力次第で幾らでも上がっていけるってこと……そう解釈したら寧ろ超ラッキーな運勢じゃね? と続けたら、眉を八の字にしていた燈の表情がパァア……とゆっくり花開いていった。
「…………つ、つまり……今の僕にはもう、怖いものはない、と……」
大真面目に、そしてどこか強気に噛み締めるような台詞を聞いて、さっきまでの悲愴さはどこにやった? と笑いそうになった。
良く云えば素直。悪く云えば単純。
そういうところが憎めないところなんだが。
年が明ければ程なくしてマーク、そして一次、二次と試験が続く。
俺が燈の進学先として候補に出した大学は二次試験の面接で人柄重視の採用を謳い文句にしていたからというのも理由のひとつ。
自身の人柄と熱意を滞りなく伝えることが出来れば、地域枠でも燈ならそれなり戦えるだろうと思ったのだ。
マーク試験の結果は予想より悪くなかった。行ってしまう一月を振り返る暇もなく逃げていく二月を追い掛けた燈はどうにか二次試験の合格発表を待つところまで漕ぎ着けた。
マーク試験の結果も一次試験の結果も俺は事後報告を受けただけだったが、二次試験の結果発表は一人じゃ心細いから付き合って欲しいなどとしおらしいことを云う燈。
燈からの頼み事はそう多くないし、二次試験の結果を見る時の不安と焦燥は自分にも覚えがあるから俺がそれを断る理由はなかった。
「…………うぅ……口から、心臓が飛び出そうです……」
自分の受験番号を握り締めている燈の呼吸は浅い。
「安心しろ。もし飛び出てきたら俺がそのまま口に押し込んで元に戻してやるから」
「その時は手違いないようお願いします……」
俺の冗談をそのまま受け取る燈は相当緊張している様子。
そもそも、だ。本当は別に寒空の下わざわざ大学に赴いて掲示板を確かめずとも、俺の携帯で特設サイトに繋げば合否は判るのだが。
まぁ、現地の掲示板の方が確実だし実感もひとしおだろうと野暮な助言はしないでおいた。
掲示板にずらりと並んでいる番号の羅列からまず近い番号を探し出す。
あ、と俺が腕を上げて指を差そうとした横で息を呑む音。次の瞬間、着ていたダッフルコートのポケットに指を引っ掛けられた。
「………………あ、った……ぁ」
殆ど吐息の、力の抜けた声。
視線はまだ掲示板から離れない。
「…………あった、な」
過剰に反応せず、うん、とだけ頷く。
「高一の冬から死ぬ程俺にしごかれて勉強してきた甲斐、あったな」
「………………あり、ま、した……ぁ」
語尾が湿って聞こえたのは気の所為か。
燈の受験番号はきちんと地域枠での合格欄に掲載されていた。
「よかっ…………た……ぁ……」
俺のコートのポケットに指を引っ掛けていなければそのままへにゃへにゃ座り込んでいたんじゃないかと思うような燈の声。
どれだけその場に立ち尽くしていたか。ゆるりと燈が俺を見上げてきた。出会った当初よりも目線の高さの差は少ない。
「零司さんの、お陰です……ありがとうございました」
「……別に、合格したのはお前の努力の結果だろ」
「零司さんが居なかったら僕はその努力する方向すら判りませんでしたから……」
本当にありがとうございます、と妙に改まって頭を下げられると落ち着かなかった。
だから、下げられた頭に手を乗せてわしゃわしゃと髪の毛を掻き乱してやる。
「わ……っ! れ、零司さん……っ!」
「そんなに感謝する気持ちがあるんなら、国試まで絶対行けよ」
途中で方向転換した自分が云えたことではないかも知れないが。
「…………絶対、合格します」
医者になる、と。燈の決意を確かに聞いた俺は満足して手を退かす。
「取り敢えず、父さんに報告だな。んで、高い寿司でも強請れ」
「んん……それなら僕、前に一度連れて行ってもらった天ぷらの方が良いです……」
「…………あのな、お前。それ地味に寿司より贅沢だからな?」
「……えっ、そうなんですかっ?」
じゃあ前言撤回しますと慌て出す燈に、必要ないだろとカラカラ笑う。
「今年は受験追い込み真っ只中でお前の誕生日祝いもしてねーし。父さんも喜んで連れてってくれるだろーよ」
メールしとくか? なんてわざとらしい仕草で携帯を取り出したら、燈はふるふると首を左右に振った。
「直接、僕から結果報告……します」
「ん、よし。それなら帰るか」
「……はい」
先に踵を返した俺に、燈が続く。
空は薄曇りだったけれど、だからこそかいつもよりも世界が柔らかく白く、明るかった。
燈と帰宅し、父さんが仕事から帰ってくるのを待っている間に受験勉強に使っていた参考書やノートたちの整理を手伝った。
これは残しておいた方が良い、これは捨てて良い等々……ただでさえこれからテキストが増えるのだ。不要なものは可能な限り減らしておいた方が良い。
不要な分を纏めて資源ゴミに出す為ビニール紐で縛りながら、ふと思う。
そうか、何だかんだと付きっきりで二年ちょっと勉強を教えてきたあの時間がもうなくなるのか……。
それは何だか少し、寂しい気がする……。
そう思ってから、いや寂しいって何だ、と頭を振る。
燈はこの家から大学に通うのだから毎日顔を合わせることには変わらない。
寧ろ自分もやっと勉強脳から解放されるじゃないかと思い直してみるが、胸の片隅に棲まう淡い霞のような空虚感はどうしてか拭いきれなかった。
晴れて燈も大学受験を合格という結果で終えたことだし、と。
俺は燈が寝てからリビングで晩酌を始めた父さんの斜向かいに座ってなぁと声を掛けた。
「父さんさ……葬儀屋の知り合い、居る?」
『あの夜』からずっと燻らせていた衝動を、やっと口にする。
ただその問い掛けは唐突だった筈なのに、父さんは刹那すらキョトンともせずにあぁと頷いた。
「……それって前、俺たちが手伝いに行った時電話してた、人だったりするか?」
「そうだな。マキノという……そろそろアイツとも十年くらいの付き合いになるか」
成程、それは結構な付き合いの長さだ。
そのよしみで、なんていうのは些か狡いのかも知れないが。
「そこ、さ……この前人手足りないって云ってたし……その、働かせてもらえたりとか……しねぇかな……」
珍しくおずおずと本題を切り出した俺を一瞥した父さんは、ふぅと細長く息を吐いてから燈が起きている間は吸わない煙草に手を伸ばした。
「知らん。人手不足は今時どの業界でも云えることだ。あそこで働けるかどうかは自分で聞くんだな」
火を点けた煙草を咥えながら、父さんは俺に紙とペンを持って来いと短く一言。
素直にキャビネットからペンとメモ帳を取ってローテーブルに置いたら、父さんは神経質な文字でメモ帳に『牧埜辺總本舗』と記した
「牧……なに、本舗?」
「牧『のべ』『そう』本舗。總本舗の総は、総括するとかの総の字の旧字体だ」
「あぁ、これ旧字体か……」
「電話帳何なりでそこの番号だか住所だかを自分で調べてみるんだな」
後の面倒を見る気はないと云わんばかりに紫煙を燻らせながらソファに深く座り直した父さんは如何にも我が父らしかった。
「ん……ありがとう」
メモをスウェットのポケットに滑り込ませ、もう不要になったペンとメモ帳を片付ける。
「俺、そろそろ寝るけど……」
「好きにしろ、こっちも好きにする」
本当に、この人はブレないな……と呆れるくらいの感心が込み上げる。
「あぁ……じゃあ、おやすみ」
その一言を残してリビングを出た俺は、ベッドの上で携帯をいじった。
勿論、牧埜辺總本舗という葬儀屋の連絡先を調べる為に。
「量、えっぐ……」
三日後、俺は牧埜辺總本舗の事務デスクの片隅でひたすらキーボードを叩いていた。
父さんから名前を聞いたこの葬儀屋に連絡を取ったのはあの翌昼。
事務員から人事担当に代わるなり、相手の第一声は
「君、パソコン打つの早い?」
だった。
長いレポートを打ち慣れていたし、まぁ人並みには打てますと返したら、取り敢えず今繁忙期で情報入力するだけのバイトでも助かるから直近来れる日は? と、採用面接の『め』の字もなかった。
情報入力するだけのバイトでも良い、と云っていた通り、キーボードの横に積まれた書類の束はまあまあ分厚い上に、減ったと思ったらまた増える、の繰り返しで一向に打ち込みの仕事が終わらない。
「いやぁもうほんっと、パソコン出来る若い人が来てくれてありがたいわぁ。私含めてウチの人たち、みーんな電卓持たせたら強いんだけどねぇ……」
パソコン相手になるとからっきしで……と苦笑しながら緑茶のペットボトルを傍に置いてくれたのは年配の女性事務員だった。
湯呑みでもマグカップでもなくペットボトルなのは、どうやら先人たちがこぞって書類にお茶をひっくり返す事案を引き起こした結果、当面デスクには蓋付きの飲み物しか置いてはならないというルールになったらしい。
「事務所、暖房で乾燥してるから水分はこまめにねぇ」
「お気遣いありがとうございます」
一瞬だけモニターから視線を外して軽く会釈をすれば、判らないことがあったら何でも聞いてちょうだいねぇと女性事務員は事務所の奥へと消えて行った。
繁忙期、とは本当のようで、常に誰かしらが席を不在にして――或いは俺以外の全員が――ゆっくりと腰を落着けている暇などないという様子。
そんな中で情報入力に専念出来る人間が一人居るだけでも御の字とは確かにその通りなのだろう。
こうして俺は何だか曖昧なまま牧埜辺總本舗に入り浸るようになるのだった。



