役立たず……私は役立たずなのだろうか……。
何を言っているの? そうに決まっているじゃない。私は要らない子で、必要とされない子なのだから。
「ん……」
目を覚ました場所は、月光すらない場所だった。薄暗いどころか、灯りは蝋燭一本のみ。ここが組織の地下牢だとすぐに理解する。
「役立たず、か……」
私は鏡心花に要らないものだと判断された。命があるだけありがたいと思うべきだろうか。いや、きっと今から処罰されるのであろう。
「珀磨さま、申し訳ありません」
ついその名を呼んでしまう。ずっと貴方をお守りし続けたかったのに。その願いは叶いそうにない。
それでも、珀磨さまと過ごした日々の思い出が私の心を温かく灯している。あの日々があったから、私は後悔なくこの命を終えられるだろう。
そんなことを考えた時、地下牢の見張りの会話が聞こえた。
「あいつを人質に天王寺 珀磨を呼び出すんだろ? あんな元捨て子にそんな価値があるのか?」
「さぁ? 鏡心花の案だそうだ。まぁ、元捨て子でも最後に組織の役に立てるのなら幸せ者だろう」
ドクンッ、と心拍が大きく動いたのが分かった。
(そんなっ……!!! 何故、そのようなことになっているの……!?)
私は、心の中で自問自答のようにそう叫んでしまう。私が珀磨さまの護衛を任されていること、そして私が初めて指令を断ったこと。その二つが重なり、鏡心花は私が天王寺 珀磨のお気に入りだと勘違いしたらしい。
「珀磨さまがお優しいだけなのに」
珀磨さまは優しいお方、きっとあの日に私以外の者が刺客として訪れたとしても、珀磨さまは護衛を任せたのかもしれない。いや、例えあの日ではなくても、いつかはそうなっていただろう。珀磨さまが求めていたのは、ただの忠誠心の固い人間なのだから。
「今の私は……」
そんな自分の思考で気づくのだ。鏡心花を裏切った今の私は、珀磨さまの求める忠誠心の固さすら満たせていない。
いくら本質は変わっていないと私が叫んだとしても、今の私は鏡心花からすれば裏切り者で、珀磨さまからすれば……
「珀磨さまにとって、私は何者なのだろう……」
暗い地下牢で、珀磨さまのことだけを考えている。珀磨さまにとって私が何者であろうと、私の願いは珀磨さまをお守りすること。珀磨さまが生きていて下さること。
「どうかただの護衛のことなどお忘れ下さい」
彼が来るはずがない。私が珀磨さまを護衛するという契約だ。逆などあり得ない。
元より、私は誰かに必要とされるような人間ではない。珀磨さまの優しさに、ただ夢を見ただけ。指令をこなせなければ……仕事をこなせなければ、見捨てられる存在。そんな姿こそ、本来の私なのだろう。
その時、地下牢の扉がガチャリと開いた。姿を現すのは、鏡心花。
「志野、お前は愚かだ」
開口一番、鏡心花はそう述べた。
「お前の生きる意味は、組織の指令をこなすことのみ。にも関わらず、お前はそれに反した。ただの愚か者だ」
もうすぐ私の命は終わるだろうに、言い返す気も起こらなかった。次に鏡心花が口を開くまでは。
「しかし、天王寺 珀磨はもっと愚かだった。お前を助け出すためにすぐにこの場所に飛んで来た」
「っ! 珀磨さまに何をなさったのですか……!!!」
この状況ですぐに天王寺 珀磨の心配をした私に、鏡心花は蔑みを含んだ視線を向ける。
「今も天王寺 珀磨は、この地下牢に辿り着くために構成員と戦っている。白榔国の時にくれば、お前を助けることも容易だっただろうに。よほどお前のことが心配だったらしい」
組織「響桜」は銀榔国の組織だ。組織を保つためにわずかに白榔国の人間も属しているが、ほとんどの構成員は銀榔国の住民である。だから……両国を生きられる特別な人間である珀磨さまならば、白榔国の時に組織を訪れる方が圧倒的に有利だった。いや、そうするべきだった。
「珀磨さまは無事なのですかっ……!?」
「お前に教えてやる義理はないが……まぁ、良い。天王寺 珀磨は強いが、組織の本拠であるこの場所で勝つことは不可能だろう。きっともうすぐ天王寺 珀磨を打ち負かしたという知らせが私の元に届くさ」
それでも、まだ珀磨さまは生きておられるということだ。珀磨さまが今まさに戦っている。
「鏡心花……! どうか珀磨さまだけはお助け下さいっ! 私の命はどうなっても良いから!」
「お前の命になど、とうの昔から興味はない。天王寺 珀磨の代わりにすらならない」
「っ!」
私はなんと無力なのだろう。大切で堪らない珀磨さまのことを守ることすら出来ない。いや、むしろ私のせいで彼の命を脅かしている。
「鏡心花! ここを開けて下さい!」
「人質を逃す馬鹿がどこにいる」
「どうかっ……!」
その時、鏡心花の体が動いた。そして、地下牢の扉を開ける。
「っ!?」
鏡心花も何が起きたか分からないようだった。鏡心花からしても、予想外に身体が動いたような反応だった。しかし、私はその隙をついてすぐさま地下牢を飛び出し、珀磨さまの元へ向かう。薄暗い廊下をバタバタと走り回って行く。
「珀磨さま!!!」
やっと見つけたその姿は、血だらけでとても見れるものではなかった。
「志野っ……!」
「珀磨さま、どうしてそんな無茶をなさるのですか!」
たくさん伝えたいことがあったはずなのに、そんな言葉が始めに出て来てしまう。
「無事で良かった……!!!」
そう叫んだ珀磨さまの声に、涙が溢れそうになる。しかし、まだ泣いていられない。
まだ組織の構成員との戦いは続いている。私と珀磨さまは背中合わせになり、次々と構成員を倒して行く。共にボロボロの身体であるはずなのに、お互いの姿を見ることが出来た私たちの身体は、喜びを噛み締めるように動いてくれる。
それでも、最後の一人を倒した時には、私たちはもう立っていることすら限界だった。敵を倒し終わり、珀磨さまが力強く私を抱きしめる。
「志野! 良く無事だった!」
「っ……!」
「よく生きていてくれた」
珀磨さまに抱きしめられたまま、堪えきれずポタポタと涙を溢してしまう。そして、私はそっと珀磨さまの背中に手を当て、ぎゅっと抱きしめ返す。
「珀磨さま……!」
「地下牢に捕えられていたのに、よく逃げ延びた」
珀磨さまが私を抱きしめる腕の力を緩めて、私の無事を確認するように私の顔を見つめている。
「それが、地下牢を開けてほしいと願ったら、鏡心花の身体が勝手に動いたのです。一体何が起きたのか……」
珀磨さまの表情は変わらなかった。
「……もしかしたら、以前俺の血を飲んだことで俺の異能の力が少しだけ移り、わずかに残っていたのかもしれない。俺の血と相性が良かったこともあるだろうが、志野の強い意志に反応したのだろう」
私の強い意志に反応した……?
しかし、珀磨さまの異能は、自身に『好意』を持つ者を操れるというものであるはず。
その時、私のあとを追いかけて来た鏡心花が、私たちに追いつく。
「志野」
すぐに武器に手をかけた私たちに、鏡心花は「武器を下ろせ。戦う気はない」とはっきり述べた。
「もうこちらの負けは決まっている。私一人でお前たち二人に勝つことは出来ない」
鏡心花は負けると分かっている戦いを無意味に始める方ではない。
「鏡心花」
私の主だった人物。私の生きる意味だった人物。
私は鏡心花と目を合わせた。
「私は組織を抜けます。私の生きる意味は珀磨さまのそばにある」
鏡心花の返答は、一言だけだった。
「好きにするが良い。我は、指令を聞かない人間に用はない」
きっと鏡心花も不器用な人なのであろう。私を組織から解放し、自由に生きることを許してくれた。
だって、珀磨さまの異能は……。
鏡心花はわずかにでも私のことを信頼してくれていたのだろうか。
「志野、もうお前は要らない」
鏡心花はそれだけ述べると、踵を返して私たちの元から離れていく。
外はもう明るくなり始めていた。瞼が重くなり、眠気が襲ってくる。
「志野、このままここにいては危ない。だから、今日は俺の血を飲んで」
珀磨さまが傷だらけの身体のまま、また手首に刃を当てようとしている。
「何をなさっているのですか! もう沢山の血が流れておいででしょう……!?」
「しかし、少しでも綺麗な血を……」
これ以上、彼に血を流させたくなどなかった。
このお方をお守りしたい。このお方がどうしようもなく愛おしい。
もう太陽はすぐそこまで見え始めていた。時間がない。
「珀磨さま、どうかお許し下さい」
私は珀磨さまの口元に流れる血に、そっと口付けを落とした。
「珀磨さま、愛しております。ただ、ただっ……! 愛している、のです……」
涙を溢しながら、嗚咽で言葉にすら詰まってしまう。それでも、もう私は珀磨さまのそばにいる幸せを知ってしまった。もう知らなかった頃には戻れない。
珀磨さまの瞳も潤んでいた。そして、一粒の涙が溢れる。
「志野。どうして先に言ってしまうのだ」
珀磨さまがもう一度私を強く抱きしめ、そして、そのまま私を抱き抱えた。
珀磨さまが私を抱き抱えたまま、組織の本拠を飛び出す。外はもう陽に照らされ、白榔国へと姿を変えていた。珀磨さまは私を朝日がよく見える場所まで連れて行く。
「珀磨さまっ、そろそろ降ろして下さいませ……!」
「嫌だ、この嬉しさをもっと噛み締めさせてくれ」
珀磨さまが私に微笑みかける。近くで見た珀磨さまの笑顔は、あまりに輝いて見えた。
「志野。俺も志野を愛している」
朝日は私たちを照らしていた。
「どうしようもなく志野が愛おしいんだ。こんなにも誰かの隣が幸せなのだと知らなかった」
珀磨さまの視線が朝日に移る。私も釣られるように瞳に朝日を映した。
「珀磨さま。私はずっと陽に憧れていたのです。そして、珀磨さまに陽の美しさを教えて頂いた。しかし……」
もう心に迷いはない。
「月の美しさを教えて下さったのも、珀磨さまなのです。私は貴方の隣ならば、どこまでも強くなれる」
この本心を、どうか愛しい人に伝えさせて欲しい。
「志野、これ以上強くなってどうするのだ」
珀磨さまが私をからかうように笑う。
「珀磨さまをお守りすることが出来ます」
「……では、俺は志野を守る。そして、共に生きてくれ」
私は静かに頷いた。
眩しい白榔国も、薄暗い銀榔国ももう怖くない。珀磨さまの隣で、私は生きていく。そう朝日に誓った。
*
「志野」
珀磨さまは、今日も優しい声色で私の名を呼ぶ。
あの騒動の後、組織も、鏡心花も、珀磨さまから手を引いた。銀榔国随一の密偵組織である「響桜」が珀磨さまから手を引いたことで、珀磨さまを襲う刺客の数も大幅に減ってきていた。
「いただきます」
共に食事を取り、他愛のない会話をして、共に笑い合う。そんな日々を幸せだと実感し続ける日々。
「珀磨さま、今日は一緒に食事の買い出しに行きませんか?」
「ああ。何か食べたいものがあるのか?」
「いえ、私も珀磨さまと共に料理を作りたくなったのです」
茶碗を運ぶだけでなく、珀磨さまと共に献立を考えたかった。温かな料理を自分で作ってみたかった。
「志野、買い出しのついでに他に欲しいものがあったら教えてくれ」
「他に欲しいもの……?」
「以前簪をあげてから、しばらく経っただろう?」
「そういうことでしたら必要ありません。この簪より大切のものはありませんから」
今日も私の髪では、美しい簪が煌めいている。
「珀磨さま、志野は幸せでございます」
珀磨さまが顔を上げ、和やかに微笑む。
「ああ。俺もだ」
ずっと自分が必要のない人間だと思っていた。しかし、もうそうは思わない。だって、貴方が必要としてくれる。
美しい月の元、美しい陽の元。今日も私は貴方の隣で、幸せを噛み締める。
〈了〉
何を言っているの? そうに決まっているじゃない。私は要らない子で、必要とされない子なのだから。
「ん……」
目を覚ました場所は、月光すらない場所だった。薄暗いどころか、灯りは蝋燭一本のみ。ここが組織の地下牢だとすぐに理解する。
「役立たず、か……」
私は鏡心花に要らないものだと判断された。命があるだけありがたいと思うべきだろうか。いや、きっと今から処罰されるのであろう。
「珀磨さま、申し訳ありません」
ついその名を呼んでしまう。ずっと貴方をお守りし続けたかったのに。その願いは叶いそうにない。
それでも、珀磨さまと過ごした日々の思い出が私の心を温かく灯している。あの日々があったから、私は後悔なくこの命を終えられるだろう。
そんなことを考えた時、地下牢の見張りの会話が聞こえた。
「あいつを人質に天王寺 珀磨を呼び出すんだろ? あんな元捨て子にそんな価値があるのか?」
「さぁ? 鏡心花の案だそうだ。まぁ、元捨て子でも最後に組織の役に立てるのなら幸せ者だろう」
ドクンッ、と心拍が大きく動いたのが分かった。
(そんなっ……!!! 何故、そのようなことになっているの……!?)
私は、心の中で自問自答のようにそう叫んでしまう。私が珀磨さまの護衛を任されていること、そして私が初めて指令を断ったこと。その二つが重なり、鏡心花は私が天王寺 珀磨のお気に入りだと勘違いしたらしい。
「珀磨さまがお優しいだけなのに」
珀磨さまは優しいお方、きっとあの日に私以外の者が刺客として訪れたとしても、珀磨さまは護衛を任せたのかもしれない。いや、例えあの日ではなくても、いつかはそうなっていただろう。珀磨さまが求めていたのは、ただの忠誠心の固い人間なのだから。
「今の私は……」
そんな自分の思考で気づくのだ。鏡心花を裏切った今の私は、珀磨さまの求める忠誠心の固さすら満たせていない。
いくら本質は変わっていないと私が叫んだとしても、今の私は鏡心花からすれば裏切り者で、珀磨さまからすれば……
「珀磨さまにとって、私は何者なのだろう……」
暗い地下牢で、珀磨さまのことだけを考えている。珀磨さまにとって私が何者であろうと、私の願いは珀磨さまをお守りすること。珀磨さまが生きていて下さること。
「どうかただの護衛のことなどお忘れ下さい」
彼が来るはずがない。私が珀磨さまを護衛するという契約だ。逆などあり得ない。
元より、私は誰かに必要とされるような人間ではない。珀磨さまの優しさに、ただ夢を見ただけ。指令をこなせなければ……仕事をこなせなければ、見捨てられる存在。そんな姿こそ、本来の私なのだろう。
その時、地下牢の扉がガチャリと開いた。姿を現すのは、鏡心花。
「志野、お前は愚かだ」
開口一番、鏡心花はそう述べた。
「お前の生きる意味は、組織の指令をこなすことのみ。にも関わらず、お前はそれに反した。ただの愚か者だ」
もうすぐ私の命は終わるだろうに、言い返す気も起こらなかった。次に鏡心花が口を開くまでは。
「しかし、天王寺 珀磨はもっと愚かだった。お前を助け出すためにすぐにこの場所に飛んで来た」
「っ! 珀磨さまに何をなさったのですか……!!!」
この状況ですぐに天王寺 珀磨の心配をした私に、鏡心花は蔑みを含んだ視線を向ける。
「今も天王寺 珀磨は、この地下牢に辿り着くために構成員と戦っている。白榔国の時にくれば、お前を助けることも容易だっただろうに。よほどお前のことが心配だったらしい」
組織「響桜」は銀榔国の組織だ。組織を保つためにわずかに白榔国の人間も属しているが、ほとんどの構成員は銀榔国の住民である。だから……両国を生きられる特別な人間である珀磨さまならば、白榔国の時に組織を訪れる方が圧倒的に有利だった。いや、そうするべきだった。
「珀磨さまは無事なのですかっ……!?」
「お前に教えてやる義理はないが……まぁ、良い。天王寺 珀磨は強いが、組織の本拠であるこの場所で勝つことは不可能だろう。きっともうすぐ天王寺 珀磨を打ち負かしたという知らせが私の元に届くさ」
それでも、まだ珀磨さまは生きておられるということだ。珀磨さまが今まさに戦っている。
「鏡心花……! どうか珀磨さまだけはお助け下さいっ! 私の命はどうなっても良いから!」
「お前の命になど、とうの昔から興味はない。天王寺 珀磨の代わりにすらならない」
「っ!」
私はなんと無力なのだろう。大切で堪らない珀磨さまのことを守ることすら出来ない。いや、むしろ私のせいで彼の命を脅かしている。
「鏡心花! ここを開けて下さい!」
「人質を逃す馬鹿がどこにいる」
「どうかっ……!」
その時、鏡心花の体が動いた。そして、地下牢の扉を開ける。
「っ!?」
鏡心花も何が起きたか分からないようだった。鏡心花からしても、予想外に身体が動いたような反応だった。しかし、私はその隙をついてすぐさま地下牢を飛び出し、珀磨さまの元へ向かう。薄暗い廊下をバタバタと走り回って行く。
「珀磨さま!!!」
やっと見つけたその姿は、血だらけでとても見れるものではなかった。
「志野っ……!」
「珀磨さま、どうしてそんな無茶をなさるのですか!」
たくさん伝えたいことがあったはずなのに、そんな言葉が始めに出て来てしまう。
「無事で良かった……!!!」
そう叫んだ珀磨さまの声に、涙が溢れそうになる。しかし、まだ泣いていられない。
まだ組織の構成員との戦いは続いている。私と珀磨さまは背中合わせになり、次々と構成員を倒して行く。共にボロボロの身体であるはずなのに、お互いの姿を見ることが出来た私たちの身体は、喜びを噛み締めるように動いてくれる。
それでも、最後の一人を倒した時には、私たちはもう立っていることすら限界だった。敵を倒し終わり、珀磨さまが力強く私を抱きしめる。
「志野! 良く無事だった!」
「っ……!」
「よく生きていてくれた」
珀磨さまに抱きしめられたまま、堪えきれずポタポタと涙を溢してしまう。そして、私はそっと珀磨さまの背中に手を当て、ぎゅっと抱きしめ返す。
「珀磨さま……!」
「地下牢に捕えられていたのに、よく逃げ延びた」
珀磨さまが私を抱きしめる腕の力を緩めて、私の無事を確認するように私の顔を見つめている。
「それが、地下牢を開けてほしいと願ったら、鏡心花の身体が勝手に動いたのです。一体何が起きたのか……」
珀磨さまの表情は変わらなかった。
「……もしかしたら、以前俺の血を飲んだことで俺の異能の力が少しだけ移り、わずかに残っていたのかもしれない。俺の血と相性が良かったこともあるだろうが、志野の強い意志に反応したのだろう」
私の強い意志に反応した……?
しかし、珀磨さまの異能は、自身に『好意』を持つ者を操れるというものであるはず。
その時、私のあとを追いかけて来た鏡心花が、私たちに追いつく。
「志野」
すぐに武器に手をかけた私たちに、鏡心花は「武器を下ろせ。戦う気はない」とはっきり述べた。
「もうこちらの負けは決まっている。私一人でお前たち二人に勝つことは出来ない」
鏡心花は負けると分かっている戦いを無意味に始める方ではない。
「鏡心花」
私の主だった人物。私の生きる意味だった人物。
私は鏡心花と目を合わせた。
「私は組織を抜けます。私の生きる意味は珀磨さまのそばにある」
鏡心花の返答は、一言だけだった。
「好きにするが良い。我は、指令を聞かない人間に用はない」
きっと鏡心花も不器用な人なのであろう。私を組織から解放し、自由に生きることを許してくれた。
だって、珀磨さまの異能は……。
鏡心花はわずかにでも私のことを信頼してくれていたのだろうか。
「志野、もうお前は要らない」
鏡心花はそれだけ述べると、踵を返して私たちの元から離れていく。
外はもう明るくなり始めていた。瞼が重くなり、眠気が襲ってくる。
「志野、このままここにいては危ない。だから、今日は俺の血を飲んで」
珀磨さまが傷だらけの身体のまま、また手首に刃を当てようとしている。
「何をなさっているのですか! もう沢山の血が流れておいででしょう……!?」
「しかし、少しでも綺麗な血を……」
これ以上、彼に血を流させたくなどなかった。
このお方をお守りしたい。このお方がどうしようもなく愛おしい。
もう太陽はすぐそこまで見え始めていた。時間がない。
「珀磨さま、どうかお許し下さい」
私は珀磨さまの口元に流れる血に、そっと口付けを落とした。
「珀磨さま、愛しております。ただ、ただっ……! 愛している、のです……」
涙を溢しながら、嗚咽で言葉にすら詰まってしまう。それでも、もう私は珀磨さまのそばにいる幸せを知ってしまった。もう知らなかった頃には戻れない。
珀磨さまの瞳も潤んでいた。そして、一粒の涙が溢れる。
「志野。どうして先に言ってしまうのだ」
珀磨さまがもう一度私を強く抱きしめ、そして、そのまま私を抱き抱えた。
珀磨さまが私を抱き抱えたまま、組織の本拠を飛び出す。外はもう陽に照らされ、白榔国へと姿を変えていた。珀磨さまは私を朝日がよく見える場所まで連れて行く。
「珀磨さまっ、そろそろ降ろして下さいませ……!」
「嫌だ、この嬉しさをもっと噛み締めさせてくれ」
珀磨さまが私に微笑みかける。近くで見た珀磨さまの笑顔は、あまりに輝いて見えた。
「志野。俺も志野を愛している」
朝日は私たちを照らしていた。
「どうしようもなく志野が愛おしいんだ。こんなにも誰かの隣が幸せなのだと知らなかった」
珀磨さまの視線が朝日に移る。私も釣られるように瞳に朝日を映した。
「珀磨さま。私はずっと陽に憧れていたのです。そして、珀磨さまに陽の美しさを教えて頂いた。しかし……」
もう心に迷いはない。
「月の美しさを教えて下さったのも、珀磨さまなのです。私は貴方の隣ならば、どこまでも強くなれる」
この本心を、どうか愛しい人に伝えさせて欲しい。
「志野、これ以上強くなってどうするのだ」
珀磨さまが私をからかうように笑う。
「珀磨さまをお守りすることが出来ます」
「……では、俺は志野を守る。そして、共に生きてくれ」
私は静かに頷いた。
眩しい白榔国も、薄暗い銀榔国ももう怖くない。珀磨さまの隣で、私は生きていく。そう朝日に誓った。
*
「志野」
珀磨さまは、今日も優しい声色で私の名を呼ぶ。
あの騒動の後、組織も、鏡心花も、珀磨さまから手を引いた。銀榔国随一の密偵組織である「響桜」が珀磨さまから手を引いたことで、珀磨さまを襲う刺客の数も大幅に減ってきていた。
「いただきます」
共に食事を取り、他愛のない会話をして、共に笑い合う。そんな日々を幸せだと実感し続ける日々。
「珀磨さま、今日は一緒に食事の買い出しに行きませんか?」
「ああ。何か食べたいものがあるのか?」
「いえ、私も珀磨さまと共に料理を作りたくなったのです」
茶碗を運ぶだけでなく、珀磨さまと共に献立を考えたかった。温かな料理を自分で作ってみたかった。
「志野、買い出しのついでに他に欲しいものがあったら教えてくれ」
「他に欲しいもの……?」
「以前簪をあげてから、しばらく経っただろう?」
「そういうことでしたら必要ありません。この簪より大切のものはありませんから」
今日も私の髪では、美しい簪が煌めいている。
「珀磨さま、志野は幸せでございます」
珀磨さまが顔を上げ、和やかに微笑む。
「ああ。俺もだ」
ずっと自分が必要のない人間だと思っていた。しかし、もうそうは思わない。だって、貴方が必要としてくれる。
美しい月の元、美しい陽の元。今日も私は貴方の隣で、幸せを噛み締める。
〈了〉



