呪われた軍神は「無能」と呼ばれた身代わり花嫁を離さない

「俺がお前を選ぶことなど、ない」
「……え?」

 沙那恵の間の抜けた声が落ちる。両親もまた言葉を失い、面食らったように煌仁を見つめていた。

「俺の呪いは、力を使うほどに命を削るものだった。もしお前が言う通り、その『増幅』の異能で俺を支えていたなら……」

 翡翠の瞳が氷のように冷たく細められる。

「俺は、とっくに死んでいる。お前がこの屋敷に来ていれば、今頃俺は呪い諸共、この世から消滅していただろうな」

 煌仁をまとう空気が、静かに沈んでいく。殺気──そう肌で感じ取れるほど、ひりひりと凍てついていた。
 沙那恵の顔から血の気が引いていく。しかし、彼女は(すが)り付くような笑みを浮かべて食い下がった。

「……で、ですが! 今はもう、その呪いはないのでしょう? でしたら、今後はわたくしの力が……!」
「不要だ」

 煌仁が短く、そして鋭く沙那恵の言葉を遮った。

「『増幅』などという底の浅い力は、俺には必要ない。俺に必要なのは、俺を生かしてくれる存在だ」
「そんなの……! なにも姉様じゃなくったって……!」
「勘違いするな。呪いを解いたから梢を(めと)ったのではない。梢だったから、俺はこの家を、この身を、すべて彼女に捧げ、守ると決めたんだ」

 そう告げると、煌仁は梢と繋いでいた手をそっと解き、愛おしむように彼女の肩を引き寄せた。翡翠の瞳を細めたその表情に宿るのは、揺るぎない決意と、ただ一人の女性にのみ注がれる深い慈愛。沙那恵たちがどれほど願おうと、決して手に入れられないものだった。
 煌仁は梢を抱く腕をそのままに、沙那恵へと視線だけを配る。梢に向けられていた温もりは、沙那恵へと向けられた瞬間、跡形もなく消え失せた。

「俺は、梢以外の女などいらない。お前のような死神、視界に入るだけで不快だ」
「し、死神……? 私が……私の異能こそが至高だと……祝福だと、あれほど言われてきたのに……!」
「それを決めるのは宝条家ではない。この俺だ」

 煌仁は(ちり)を払うかのように冷たく吐き捨てた。

「……では!」

 絶望に顔を歪ませる沙那恵の横から、それまで黙って見守っていた両親が顔色を変えて身を乗り出した。

「呪いを解いた梢も、宝条家の宝です!」
「それほどの力を隠していたとは露知れず、改めて、我が家への援助を相談させていただければ、梢を正式に堂徳寺家の妻として認め……!」
「いい加減にしろ」

 御託を並べる両親の前に、煌仁の落雷のような声が落ちる。その怒気の凄まじさに二人は言葉を失い、畳に這いつくばった。

「なにが『宝』、だ。お前たち宝条家がしてきた梢への仕打ち、俺が知らないとでも?」

 煌仁は梢の細い肩をさらに抱き寄せる。包み込む腕は温かいが、三人を見据える視線は冷え切っていた。

「価値がないと決めつけ、死地へ追いやり、今さら都合よく『宝』などと呼ぶ。その口で、二度と梢の名を呼ぶな」

 うろたえる彼らに、煌仁は追い打ちをかけるように告げる。

「宝条家について、いろいろと調べさせてもらった。『増幅』の異能……。それは、対象者の命を前借りした一時の全盛にすぎん。本来なら数十年かけて使うはずの生命力を無理やり引き出し、削り取っているだけだ」

 言い切った煌仁の言葉に、梢は息を呑んだ。知らなかった真実──いや、知らされていなかった真実。
 梢の視界の端で、宝条家の三人の顔色がゆっくりと変わっていく。もはや取り繕うことすらできない。そこに浮かんでいたのは、逃げ場を失った者だけが浮かべる真の絶望の色だった。
 
「欠陥を隠し、人々に『祝福』だと偽って多額の金を受け取ってきた。その罪は、あまりにも重い。お前たちが他人の命を削って築き上げたその富は、見るに耐えないほど醜い血の色をしている」

 煌仁は、低く断じた。

「まさに、死神のような一族だ」

 その言葉が落ちた瞬間、応接間の空気が凍りついた。彼の一言で、宝条家が誇ってきた異能も名声も、ただの罪の積み重ねへと成り下がったのだ。
 いよいよ事の重大さを悟った両親が、膝で這いずりながら梢へと近寄ってきた。

「梢……助けてくれ! お前は優しい子だろう、煌仁様に()り成してくれ、なっ?」
「そうよ、誰がなんと言おうとあなたは私たちの娘よ! こんなところで親を見捨てるなんて、そんな親不孝なことできないわよね!?」

 秘密を暴かれ、追い詰められた末の、あまりに身勝手な懇願。自分を「無能」と蔑んできたその口で、今度は「家族」という言葉を盾に取る。足元へ伸びてくる手が、今はただ哀れな怪物にしか見えなかった。

「梢こそ……そんな異能を隠してたなんて……! あんただって、私たちと同罪……!」

 妹は妹で、現実を受け入れられぬまま必死に毒を吐き散らす。
 あまりに醜悪な言葉の数々に、煌仁の周りの空気は爆ぜる寸前だった。彼が容赦のない一撃を見舞おうと口を開くより早く、梢は一歩、身体を前に進めた。
 
「……お父様、お母様、それと、沙那恵」

 梢の声は、透き通るように静かだった。

「私はあの日、あなたたちに捨てられたときに、宝条家の娘として一度死にました。……今ここにいるのは、堂徳寺家の妻として、この方を支える梢というひとりの人間です。あなたたちが呼ぶような名は、もうありません」

 それは梢が人生で初めて口にした、過去との決別の宣言だった。縋るような叫びを上げていた三人の声は、もうどこにも届かない。
 
「そいつらを摘み出せ。二度と、この地の土を踏ませるな」

 煌仁の冷徹な号令が、引導を渡すように放たれた。控えていた護衛たちが、虫を払うように無造作に両親と沙那恵の腕を掴み、引きずり始める。
 廊下に響く沙那恵の悲鳴や、両親の泣き喚く声が、次第に遠ざかっていく。
 他人の命を食い潰し、娘の心を踏みにじって築いた虚飾(きょしょく)の家は、今、跡形もなく崩れ去った。