猫かぶりな兄の親友はブラコンの俺を構いたい

 会場に響くボールの音も、応援の熱気も、どれもが羨ましく感じて、最初は少し切なかった。
 でも、久登先輩が手を繋いでくれたから、気づいたら最後まで夢中になって試合を観戦できた。
 心配だった膝の痛みもない。むしろ、久登先輩から「テンションたっか!」って笑われてしまうくらい、俺はまた、大好きなバスケに熱中できた。
 だけど、そうなるのも仕方がないと思う。
 だって、第4(クォーター)で奇跡の大逆転だ。胸が熱くなるに決まってる。

 そんな試合の興奮もまだ少し胸に残したまま、俺たちは夕方の公園を歩いていた。
 あれから、ずっと手を繋いだまま。夕焼けに照らされた久登先輩の横顔も、心なしか満足げに見える。
 そんな顔を見るだけで安心するし、胸がじんわりと温かくなってくすぐったい。
 ただ、この公園を通り抜けたら、すぐそこはばあちゃんの駄菓子屋だ。
 久登先輩にプレゼントを渡すために向かってるけど、もうすぐこの時間も終わるんだって思ったら、少し寂しい。
 そんな俺の心と連動してるみたいに、春先の冷たい風がふっと吹く。それに合わせて俯いたら、久登先輩がギュッと手に力を入れてきた。

「ちぃちゃん。今日はたくさん歩いたけど、膝は大丈夫?」
「え……?」

 久登先輩の方をもう一度見たら、不安げに眉尻を下げていた。
 その表情を見た瞬間、なぜか初めて話しかけられた日のことを思い出した。

 ──膝、痛いんじゃない?

 入学式の日。校門で、俺の腕を掴んできた先輩は、今と同じような顔してた。
 ただ、今思えば──これまで一言も、怪我した箇所が膝だって、俺は伝えていない。
 もしかして……久登先輩って、ずっとこの膝のこと知ってた?
 その上で、ずっと何も聞かずに、ただ寄り添ってくれてた?

 軽口叩いて、俺の反応を見て楽しむのが好きな人なのに。久慈先生に説教された時も、駄菓子屋で告白してくれた時も、決して踏み込んでくることはなかった。お節介を焼くことなく、さりげなく振る舞ってくれていた。
 普段は無駄口ばっかりでウザいくらい構ってくるのに、こういう肝心なことは自分から言わない。そっと、見守ってくれてる。

 もしかして、入学式で会った時にはもう……俺のことを……?
 なんていうか……ほんと、この人は。
 俺が気づかなかったら、一生言う気なかっただろ。
 不器用な優しさが胸に沁みて、静かに久登先輩を見上げた。

「久登先輩、膝のこと、いつから知ってました?」
「うっ……ん?」

 久登先輩は取り繕ったように「何のこと?」と、歩きながら笑った。

「誤魔化そうとしなくていいですよ」
「あー……えっと」

 久登先輩は右手の甲で、口元を押さえた。
 だけど、俺のじっと見つめる視線に、耐えきれなかったらしい。しばらくして公園の中央で立ち止まると、観念したように手を下ろして、おずおずと口を開いた。

「ちぃちゃんが怪我した時、会場にいた……し、ちぃちゃんは覚えてないだろうけど。和久連れて、病院にも行った」

 たしか、にいちゃんの隣にぼんやりとだけど、身長の高い人がいたのを記憶してる。

「ん……? って、あ、あの時にいたの、久登先輩だったんですか⁉︎」
「覚えてるの?」
「なんとなーく。うわぁ、でっかって思った記憶が」

 そう言った瞬間、久登先輩は俺と手を繋いだまま、ずるずると地面にしゃがみ込んだ。突拍子もない行動に、思わずギョッとしてしまう。

「何してるんですか⁉︎」
「……自己嫌悪してるとこ。ごめん。俺のせいで嫌な記憶を思い出させて」

 久登先輩はそう言いながら、右手で顔を覆う。

「いや、別に謝る必要ないですよ。今日だってバスケ見られたし、随分と平気になったと思うんですけど」
「でも」
「大丈夫です。久登先輩のお陰で、大丈夫になったから」

 恥ずかしいけど、ちゃんと伝えたかったことを口にして、へへっと笑ってみせた。
 すると、久登先輩は手を下ろして、俺を見上げてきた。信じられないというみたいに、瞬きを何度も繰り返してる。

「俺のお陰……?」

 静かに問われて、俺はこくりと頷いた。

「はい。久登先輩がいてくれるから、俺、今は他のことも頑張ろうって思えてるんです。それに、こうしてバスケを見に来られた。久登先輩は俺の彼氏だけど……恩人でもあるんですよ。色んなものをもらって、どう返したらいいのかなって考えてて」

 照れくさくて、頰をぽりぽり掻く。
 すると、久登先輩の瞳が揺れたような気がした。その刹那、先輩から手をぐいと引かれた。
 あ、やばい。体勢を崩して、一瞬ヒヤッとする。だけど、優しい香りが俺を包んでいた。
 久登先輩が尻餅をつきながら、腕の中にしっかりと抱きとめてくれていた。

「俺の方こそ、ちぃちゃんにいっぱいもらってる」

 背中に腕が回されて、ぎゅっと力が込められた。
 驚いたからなのか、久登先輩に抱きしめられたからなのか。心臓がドクン、ドクンと大きな音を奏で始める。
 ただ、その音は俺だけじゃなかった。久登先輩からも、確実に聞こえていた。
 俺の耳元で、久登先輩が声を震わせる。

「ちぃちゃんがいなかったら……俺はこんな風に、自分らしくいられなかった。あの日、ちぃちゃんを好きになって、俺もね、救われたんだよ。いっぱい助けてもらったよ」

 そんなの初耳で、つい「俺も……久登先輩を救えたんですか……?」って、聞き返してしまった。

「うん。つまらなかった毎日がね、急にパッと明るくなって、幸せなんだ。ちぃちゃんがいてくれるから、毎日が凄く楽しくなった。世界がね、変わった。ほんと、ちぃちゃんのお陰」

 久登先輩はそう言いながら、俺の背中を優しく撫でてくれる。
 俺が、久登先輩を……と思ったら、嬉しかった。もう俺には何もないと思っていたのに。
 こんな俺でも、久登先輩を救えてるなんて、嬉しい。
 ふっと笑みが溢れてしまう。
 その時、急に久登先輩がいつ俺を好きになってくれたのかが気になった。

「久登先輩、もしかしてあの日の俺のプレー見て惚れたんですか?」
「……っ」

 久登先輩の息を呑む音が、耳元でした。そして、急にぱっと俺を離して、また手で顔を隠そうとした。

「図星?」
「えっと、ちょっと違う……かも」

 いつもと違うその反応が、少し気になった。

「違うんだ? 俺の一番かっこいい姿なのに?」
「いや、たしかにかっこよかったし、ちぃちゃんに興味はもったよ!」
「でも、それじゃあ好きになってくれなかったってことじゃん」
「あの姿も凄く良かった!」
「でも〜?」

 って言ったところで、久登先輩はなんか驚いたみたいに、口をぱくぱくさせた。

「……待って! 今思ったけど、ちぃちゃんがタメ口!?」
「タメ口が嬉しいって言ってたんで」
「言ったけど! でも待って、なんかちぃちゃん揶揄ってない? 嬉しいのに、なんか嬉しくない!」
「あははっ。バレたか。これならポロッと言ってくれるかなって思ったのに」
「もー! ちぃちゃん、可愛い。可愛いんだけど! でも、これ言ったら、ちぃちゃんに嫌われそうで言えないんだよ!」

 久登先輩は、よっぽど言えない理由で俺を好きになったらしい。頑なに話そうとはしてくれない。
 なんか、嫌われそうで言えないって……俺が、久登先輩のこと軽い気持ちで好きみたいに聞こえる。もやっとして、胸が重くなった。
 
「そんなに、俺が信用できないですか?」

 つい拗ねたみたいな声が出てしまった。

「いや! そう言うわけじゃなくて!」
「俺、久登先輩のこと、どんなことがあっても好きでいられると思いますよ」
「ほんとに……?」

 久登先輩は訝しむように、聞いてくる。
 先輩はかっこいいし、なんでも出来る。なのに、なんで、そんな反応になるんだろう。
 もしかして、実はあまり自信がないとか?
 なら、余計に安心させたい。
 久登先輩は俺に救われたって言うけど、そばにいるだけじゃ足りない気がする。
 そもそも俺は、久登先輩にいっぱい助けてもらったんだ。今度は俺の番だと思った。

「当たり前じゃないですか!」

 そう強く、返した。でも、こんな言葉だけじゃ、足りない気がする。ちゃんと話を聞いてから、答えないと……。
 その時、ふと一つの考えが浮かんだ。

「あの……ばあちゃんとこで、どっちレア度の高いシール引けるか、勝負しませんか」
「勝負?」
「そうです、勝負。それでもし、俺が勝ったら、好きになった時のこと教えてください」
「えぇ〜……」

 なんて、久登先輩は乗り気じゃなさそうだった。

「でも、それくらいしないと久登先輩、後ろめたい気持ちのまんま俺と付き合うつもりでしょ?」
「そうだけど。……ほんとちぃちゃんに嫌われるもん。キモいって言われる」

 久登先輩は拗ねた子どもみたいに、口を尖らせた。

「嫌わないですし、キモいって言わないですから!」
「ちぃちゃんにゴミクズ見るみたいな目向けられたら生きていけない〜」
「見ないですから! そんな目しない!」

 なんて、俺たちは公園のど真ん中で、ひたすらそんな押し問答を繰り返した。
 だけど、埒があかないし、俺はどうしても聞きたかったから、こんなこと言うのは嫌だけど、強硬手段に出ることにした。

「勝負に乗ってくれなかったら、それこそ嫌いになりますけど⁉︎」

 ──って。
 俺だって、どんなことがあっても久登先輩を嫌いにならないって、証明したかったから。