猫かぶりな兄の親友はブラコンの俺を構いたい

 事の顛末を話すこと、数分。俺はやっぱり、久登先輩を失望させてしまったらしい。
 ベッドに並んで座る先輩は、額に手を当てて俯いたまま、微動だにもしない。
 沈黙がちくちくと肌を刺して、痛い。もうずっとこの調子で、先輩の呼吸一つすら、気が気じゃなかった。
 動悸がして、今にも倒れてしまいそうだ。何か……何か反応して欲しい。
 そう心の底から願いながら、ごくりと唾を飲んだ、その時。久登先輩はどんだけ肺活量があるんだって思うほど長く「はぁ──────……」と深い息を吐いた。
 嫌われたかもしれない。なんて、最悪の想像が頭をよぎる。

「ひ……久登先輩?」

 そう恐る恐る名前を呼んだら、久登先輩は勢いよく顔を上げた。かと思ったら、俺の方を向いて、大きな声で嘆き出す。

「ちぃちゃんって、ほんっと自己完結型ぁ〰〰〰〰!」

 うぐっと言葉を詰まらせる俺に、久登先輩はぐいと近づいて来た。畳みかけるように話しながら、迫ってくる。
 
「ねぇ、なんで俺に言わないの? 和久が俺のこと好きなわけないじゃん? あいつの俺への態度、なかなかだよ!? しょっちゅう、足踏まれてるからね!?」
「でも、俺にはそう見えて」
「も〰〰! ちぃちゃんの鈍感! 思い込み激しすぎ! 猪突猛進! 恋愛初心者! この頓珍漢!」

 久登先輩は間髪入れずに、小学生みたいな悪口をわーっと言ってくる。ただ、意外と的確だ。その言葉が矢のように、グサグサッと俺に突き刺さる。
 極めつけには「童貞!」とまで言われて、俺はぱたん、と後ろ向けに倒れた。
 別に童貞なのは事実だし、仕方ないけど……。ボロクソに言われた言葉の数々が、クリーンヒットして、ほんと動けない。
 ゲームみたいにパラメーターがあるなら、ちりつもダメージで、もはや俺のHPはゼロ。仰向けのまま、両手で顔を覆った。
 そんな俺の上に、すぐに影が差してくる。
 やっぱり、久登先輩は俺に甘いらしい。指の隙間から見上げれば、先輩が俺を覗き込んでいた。

「反省した?」
「……現在進行形でしてます」
「ふふっ。そっか」

 久登先輩はもう機嫌がなおったようで、俺の頭に手を置いてくる。くしゃっと髪を撫でてくれながら「偉い偉い」なんて言ってくれた。なんか、すり切ったHPも少し回復した気がする。

「久登先輩、俺に甘くないですか」

 顔から手を下ろして、そのまま久登先輩を見上げる。すると先輩は目を細めて「んー。だって、これで終わりじゃないし?」と、さらっと言ってのけた。
 その顔は何か悪巧みでもしてそうな感じにも見えて、背筋がぞわっとした。嫌な予感しかしなくて、俺は慌てて上体を起こす。

「お、終わりじゃないって……何を」

 若干、声が震える。ベッドに手をつきながら、俺はそろそろと後ずさった。

「えー? ちぃちゃんにはちゃーんと分からせないとなぁって?」

 久登先輩はにっこり笑うと、後ずさりする俺の方に、じりじり近づいてきた。その度にマットレスが軋んで、何とも言えない空気感が生まれる。
 どうしよう。だって、俺たちは今、密室に二人っきり。気づけば、あっという間に後ろは壁だ。背中に硬い感触が当たって、逃げ場はない。

「な、なんかヤバいことされそうな気がするんですけどっ!」

 本能的に危機を察知した俺は、威嚇するように叫んでいた。次の瞬間、久登先輩はピタッと止まる。

「ん? ヤバいことって何のこと?」
「だ、だってほら! 今、俺たちはベッドの上だしっ、久登先輩なんか色気ありますしっ!」

 そこまで言ったところで、はっとして両手で口を押さえた。
 俺は自分で、何を言ってるんだ。この前もやらかしたのに、恥の上塗りしてどうする。
 ほら見ろ。久登先輩なんて、呆気に取られてぽかんとしてる。
 かと思えば、「あはははははっ」と笑い始めた。もう、どんだけ笑うんだよってくらい、ひーひー笑われるもんだから、顔から火が出そうだ。

「なーに、もう。また期待したの? ほんとちぃちゃんはすけべだねぇ」

 ようやく笑うのを止めると、久登先輩は意地悪なことを言いながら、目尻を拭った。

「ちっ、ちがっ」
「俺たち、この前と違って付き合ってるもんね? ちぃちゃんが考えてること、しても問題ないもんね?」

 そう煽られたら、俺だって黙っちゃいられない。

「久登先輩が俺を追い詰めようとするから、勘違いしたんですけど⁉︎」
「そうだね〜? 俺が悪いね〜?」
「それ、悪いと思ってない言い方ですよ!」
「あははっ。ごめんごめん」
「いや絶対、ごめんって思ってないやつ!」
「バレた? ほーんとちぃちゃん、揶揄えば揶揄うほど可愛くなるんだもん〜」

 久登先輩は、本当に俺と付き合えたことが嬉しいみたいだ。目元を緩めて、ベッドの上についていた俺の手をそっと取ってきた。
 急に触れられて、喉がひゅっと鳴る。
 でも、そんな動揺を誤魔化したくて、こほんと咳をひとつした。

「……そ、それで、さっきの。分からせるって、何を分からせる気なんですか」

 恥ずかしさで少しだけ視線を落として、本題について聞いてみた。

「前にちぃちゃんがくれた、言うこと聞いてくれるって権利、使おうと思って」
「ワクチョコくれた時の……ですか?」
「うん。そう。あれで、ちぃちゃんに約束してもらいたくてね」

 久登先輩はそう言いながら、俺の反応を楽しむみたいに指を絡めてくる。
 なんか、手つきがやらしい気がして、呼吸が浅くなった。

「緊張、しないでよ」
「してない、です」

 いや、してる。けど、精一杯強がった。
 だって、俺は今にも溺れそうなのに、久登先輩ばかり余裕なのは悔しい。上手く、顔が見れない。

「そお? じゃあ、約束して」
「はい」
「ちゃんとできる?」
「ちゃんと」
「じゃあ、ちぃちゃん。これからはもう、自分の中だけで、完結しないで?」
「は……い……?」

 俺が面を上げたら、久登先輩は分かってないな? とでも言いたげに、肩をすくめた。

「分かった?」

 強く言い聞かせるように言われて、戸惑いながら「……あ、えっと、はい」と返事した。
 またくすっと笑われて、繋がれた手に少しだけ力を入れられた。

「ちぃちゃん。よく聞いてね? ちぃちゃんは顔に出やすいよ? けど、残念ながら、俺はエスパーじゃないから、全部はわかんないんだよね。あんなメッセージ送られてもさ、顔見えないんだから、意図が分かんないって」
「す、すみません。久登先輩なら分かってくれるって……勝手に」
「んーん。そんな風に信頼してもらえるのは、嬉しいよ。ただ、全部は分かってあげられないからさ、これからは何かあったら、必ず俺に言って欲しいな」

 緩く垂れた眦で、久登先輩は俺を慈しむように見つめてくれる。
 こんな風に考えてくれていたのに、俺は変な方向に考えてたのか。申し訳なさが込み上げてくる。

「わかった?」
「はい。すみません……。そうします」
「うん。そうして。またこんなことがあったら、心臓何個あってももたないからね」
「はい」
「だから、ちぃちゃんはー、これから言うことも、ちゃーんと守ってね? 良い子だから、できるよね?」

 久登先輩はふっと目を細めた。
 あれ? 今のがお願いですよね? と思ったけど、そのまま話を続けるらしい。

「ヤキモチ妬いたときは素直に言って。寂しくなってもね。不安になってもちゃーんと、俺に言うこと。一人でぐるぐる考え込まない。些細なことでも、俺を頼って」

 久登先輩はこれから先のことまで見越しているみたいに、優しく言い聞かせてくれる。
 でも、たぶん……俺、恋愛レベル赤ちゃんなんだろうな。
 久登先輩は「はい。ちぃちゃん、復唱〜」なんて、言い出した。

「えっ……い、今のですか?」
「うん。大事なことだから、ちゃーんと覚えたか、確認しなきゃ。ほら、言って?」

 期待するような目でじーっと見られる。
 正直、復唱するとか恥ずかしすぎる。でも、全部俺のために言ってくれたことだ。
 仕方ない。俺がやらかしてしまったんだから。

「……ヤキモチ妬いたら、素直に言います。寂しくなっても……不安になっても、伝えます。些細なことでも久登先輩を頼ります──って、俺ばかり甘えてません?」

 ためらいながら伝えて、はたと気づいたことを口にした。
 だって、俺はただでさえ、好きになったらとことん一直線だ。負担に思われて、限界が来て、嫌われたらどうしようっていう一抹の不安が生まれる。
 
「あははっ。よく言えました。でも、俺もわがまま言うし、ちぃちゃん困らせる気満々だから大丈夫!」

 久登先輩はさも当たり前みたいに、胸を張った。

「わがまま、言ってくれるんですか?」
「言う言う。いーっぱい言う。ていうか、今もいっぱい言ってるじゃん」
「たしかに?」
「でしょ。だから、ちぃちゃんも、俺にはわがまま言って。ちぃちゃんに甘えられたい」

 久登先輩の目元も、口元も、ほどけるように和らぐ。穏やかな空気が、俺を包み込んでくれる。
 そんな久登先輩と一緒なら、何だって乗り越えられそな気がしてくるから不思議だった。
 きっと、今なら──。

「じゃあ、久登先輩……早速ついてきて欲しいところがあるんですけど、いいですか?」

 俺は思わず、口にしていた。

「ついて来てほしいところ?」
「はい。ちょっと手……いいですか?」
「うん」

 手を離してもらうと、俺はのそのそとベッドから降りて、机の方に向かった。引き出しの中から、2枚のチケットを取り出す。
 振り返って、まっすぐ久登先輩を見つめる。先輩は首を傾げながらも、やっぱり俺を優しい目で見てくれていた。
 チケットを持つ手に力が入る。
 きっと久登先輩が一緒なら、大丈夫だ。そんな予感がする。

「久登先輩、来週……」
「来週?」

 久登先輩の隣に戻って、俺は俯きながら地元のプロバスケの観戦チケットを差し出した。
 あ、やばい。なんか急に緊張してきた。心臓が口から出てきそうで、言葉が喉につかえる。
 手のひらが汗ばんで仕方ない。でも、覚悟を決めて顔を上げた。

「これ、一緒に行ってくれませんか。母さんが職場でもらって」
「これを……?」

 久登先輩は俺の手元に視線を落として、目をしばたたかせた。すぐに俺の方を見てきたけど、その瞳は不安げに揺れている。

「ちぃちゃん、バスケの試合……大丈夫なの?」
「行こうか、迷ってて。……でも、久登先輩となら、またバスケも楽しめるかなって。嫌なら、別にいいんですけど」

 そう伝えたら、久登先輩の喉仏が上下するのが分かった。ややあって。

「ちぃちゃん、それってデートのお誘い?」

 ほんの少しの期待をはらんだような声がした。

「でっ、デート⁉︎」
「違うの?」

 久登先輩の声のトーンが、ちょっとだけ下がる。
 デートのつもりじゃなかったけど、俺たちが二人で行ったら、そうなるのか。
 俺はいつも久登先輩にしてもらってばかりだ。デートってだけで喜んでもらえるなら、もっと特別なものにしたい。

「あの……久登先輩」
「ん?」

 期待と不安が混ざったような目で見られて、一瞬だけ躊躇う。
 でも、ちゃんと伝えなきゃ。久登先輩をもっと喜ばせたい。

「その……デート、なんですけど。久登先輩の誕生日のお祝いも……そこで、やり直させてもらえませんか」
「……え? 誕生日、ちぃちゃんのハンカチもらったよ?」
「あれは、欲しいって言われたから、勉強見てくれたお礼にあげただけで……。嫌なら、別にいいんですけど。久登先輩、誕生日にこだわりないみたいだし」

 そう言ったら、久登先輩の目がぱちりと瞬いた。

「嫌なわけ……ない」

 久登先輩がそう口にした次の瞬間、ふわっと目尻が下がる。
 普段から甘い顔立ちをしてるのに、ことさら甘ったるい表情をするものだから、その破壊力に見惚れてしまった。
 ビジュが良いのも大概にしてくれ。俺は息が止まりそうになった。いや、止まってたと思う。この顔面にはいつまで経っても慣れる気がしない。
 でも、すぐにまたいつもの久登先輩に戻る。

「え、うわ〜、嬉しい! ちぃちゃんってば、積極的ぃ〜!」

 軽口を叩き始めるものだから、俺はハッと我に返る。

「もー! ふざけてないでください!」
「ごめんごめん〜。嬉しすぎて、ね? 行こう、行こう。デート、楽しみにしてる」
 
 久登先輩は幸せを噛み締めるような、くすぐったそうな顔をしていた。
 こんな風に、笑ってくれる人が隣にいるのだ。
 俺はもう、一人じゃない。自分だけで抱え込む必要なんて、もうどこにもなかった。