事の顛末を話すこと、数分。俺はやっぱり、久登先輩を失望させてしまったらしい。
ベッドに並んで座る先輩は、額に手を当てて俯いたまま、微動だにもしない。
沈黙がちくちくと肌を刺して、痛い。もうずっとこの調子で、先輩の呼吸一つすら、気が気じゃなかった。
動悸がして、今にも倒れてしまいそうだ。何か……何か反応して欲しい。
そう心の底から願いながら、ごくりと唾を飲んだ、その時。久登先輩はどんだけ肺活量があるんだって思うほど長く「はぁ──────……」と深い息を吐いた。
嫌われたかもしれない。なんて、最悪の想像が頭をよぎる。
「ひ……久登先輩?」
そう恐る恐る名前を呼んだら、久登先輩は勢いよく顔を上げた。かと思ったら、俺の方を向いて、大きな声で嘆き出す。
「ちぃちゃんって、ほんっと自己完結型ぁ〰〰〰〰!」
うぐっと言葉を詰まらせる俺に、久登先輩はぐいと近づいて来た。畳みかけるように話しながら、迫ってくる。
「ねぇ、なんで俺に言わないの? 和久が俺のこと好きなわけないじゃん? あいつの俺への態度、なかなかだよ!? しょっちゅう、足踏まれてるからね!?」
「でも、俺にはそう見えて」
「も〰〰! ちぃちゃんの鈍感! 思い込み激しすぎ! 猪突猛進! 恋愛初心者! この頓珍漢!」
久登先輩は間髪入れずに、小学生みたいな悪口をわーっと言ってくる。ただ、意外と的確だ。その言葉が矢のように、グサグサッと俺に突き刺さる。
極めつけには「童貞!」とまで言われて、俺はぱたん、と後ろ向けに倒れた。
別に童貞なのは事実だし、仕方ないけど……。ボロクソに言われた言葉の数々が、クリーンヒットして、ほんと動けない。
ゲームみたいにパラメーターがあるなら、ちりつもダメージで、もはや俺のHPはゼロ。仰向けのまま、両手で顔を覆った。
そんな俺の上に、すぐに影が差してくる。
やっぱり、久登先輩は俺に甘いらしい。指の隙間から見上げれば、先輩が俺を覗き込んでいた。
「反省した?」
「……現在進行形でしてます」
「ふふっ。そっか」
久登先輩はもう機嫌がなおったようで、俺の頭に手を置いてくる。くしゃっと髪を撫でてくれながら「偉い偉い」なんて言ってくれた。なんか、すり切ったHPも少し回復した気がする。
「久登先輩、俺に甘くないですか」
顔から手を下ろして、そのまま久登先輩を見上げる。すると先輩は目を細めて「んー。だって、これで終わりじゃないし?」と、さらっと言ってのけた。
その顔は何か悪巧みでもしてそうな感じにも見えて、背筋がぞわっとした。嫌な予感しかしなくて、俺は慌てて上体を起こす。
「お、終わりじゃないって……何を」
若干、声が震える。ベッドに手をつきながら、俺はそろそろと後ずさった。
「えー? ちぃちゃんにはちゃーんと分からせないとなぁって?」
久登先輩はにっこり笑うと、後ずさりする俺の方に、じりじり近づいてきた。その度にマットレスが軋んで、何とも言えない空気感が生まれる。
どうしよう。だって、俺たちは今、密室に二人っきり。気づけば、あっという間に後ろは壁だ。背中に硬い感触が当たって、逃げ場はない。
「な、なんかヤバいことされそうな気がするんですけどっ!」
本能的に危機を察知した俺は、威嚇するように叫んでいた。次の瞬間、久登先輩はピタッと止まる。
「ん? ヤバいことって何のこと?」
「だ、だってほら! 今、俺たちはベッドの上だしっ、久登先輩なんか色気ありますしっ!」
そこまで言ったところで、はっとして両手で口を押さえた。
俺は自分で、何を言ってるんだ。この前もやらかしたのに、恥の上塗りしてどうする。
ほら見ろ。久登先輩なんて、呆気に取られてぽかんとしてる。
かと思えば、「あはははははっ」と笑い始めた。もう、どんだけ笑うんだよってくらい、ひーひー笑われるもんだから、顔から火が出そうだ。
「なーに、もう。また期待したの? ほんとちぃちゃんはすけべだねぇ」
ようやく笑うのを止めると、久登先輩は意地悪なことを言いながら、目尻を拭った。
「ちっ、ちがっ」
「俺たち、この前と違って付き合ってるもんね? ちぃちゃんが考えてること、しても問題ないもんね?」
そう煽られたら、俺だって黙っちゃいられない。
「久登先輩が俺を追い詰めようとするから、勘違いしたんですけど⁉︎」
「そうだね〜? 俺が悪いね〜?」
「それ、悪いと思ってない言い方ですよ!」
「あははっ。ごめんごめん」
「いや絶対、ごめんって思ってないやつ!」
「バレた? ほーんとちぃちゃん、揶揄えば揶揄うほど可愛くなるんだもん〜」
久登先輩は、本当に俺と付き合えたことが嬉しいみたいだ。目元を緩めて、ベッドの上についていた俺の手をそっと取ってきた。
急に触れられて、喉がひゅっと鳴る。
でも、そんな動揺を誤魔化したくて、こほんと咳をひとつした。
「……そ、それで、さっきの。分からせるって、何を分からせる気なんですか」
恥ずかしさで少しだけ視線を落として、本題について聞いてみた。
「前にちぃちゃんがくれた、言うこと聞いてくれるって権利、使おうと思って」
「ワクチョコくれた時の……ですか?」
「うん。そう。あれで、ちぃちゃんに約束してもらいたくてね」
久登先輩はそう言いながら、俺の反応を楽しむみたいに指を絡めてくる。
なんか、手つきがやらしい気がして、呼吸が浅くなった。
「緊張、しないでよ」
「してない、です」
いや、してる。けど、精一杯強がった。
だって、俺は今にも溺れそうなのに、久登先輩ばかり余裕なのは悔しい。上手く、顔が見れない。
「そお? じゃあ、約束して」
「はい」
「ちゃんとできる?」
「ちゃんと」
「じゃあ、ちぃちゃん。これからはもう、自分の中だけで、完結しないで?」
「は……い……?」
俺が面を上げたら、久登先輩は分かってないな? とでも言いたげに、肩をすくめた。
「分かった?」
強く言い聞かせるように言われて、戸惑いながら「……あ、えっと、はい」と返事した。
またくすっと笑われて、繋がれた手に少しだけ力を入れられた。
「ちぃちゃん。よく聞いてね? ちぃちゃんは顔に出やすいよ? けど、残念ながら、俺はエスパーじゃないから、全部はわかんないんだよね。あんなメッセージ送られてもさ、顔見えないんだから、意図が分かんないって」
「す、すみません。久登先輩なら分かってくれるって……勝手に」
「んーん。そんな風に信頼してもらえるのは、嬉しいよ。ただ、全部は分かってあげられないからさ、これからは何かあったら、必ず俺に言って欲しいな」
緩く垂れた眦で、久登先輩は俺を慈しむように見つめてくれる。
こんな風に考えてくれていたのに、俺は変な方向に考えてたのか。申し訳なさが込み上げてくる。
「わかった?」
「はい。すみません……。そうします」
「うん。そうして。またこんなことがあったら、心臓何個あってももたないからね」
「はい」
「だから、ちぃちゃんはー、これから言うことも、ちゃーんと守ってね? 良い子だから、できるよね?」
久登先輩はふっと目を細めた。
あれ? 今のがお願いですよね? と思ったけど、そのまま話を続けるらしい。
「ヤキモチ妬いたときは素直に言って。寂しくなってもね。不安になってもちゃーんと、俺に言うこと。一人でぐるぐる考え込まない。些細なことでも、俺を頼って」
久登先輩はこれから先のことまで見越しているみたいに、優しく言い聞かせてくれる。
でも、たぶん……俺、恋愛レベル赤ちゃんなんだろうな。
久登先輩は「はい。ちぃちゃん、復唱〜」なんて、言い出した。
「えっ……い、今のですか?」
「うん。大事なことだから、ちゃーんと覚えたか、確認しなきゃ。ほら、言って?」
期待するような目でじーっと見られる。
正直、復唱するとか恥ずかしすぎる。でも、全部俺のために言ってくれたことだ。
仕方ない。俺がやらかしてしまったんだから。
「……ヤキモチ妬いたら、素直に言います。寂しくなっても……不安になっても、伝えます。些細なことでも久登先輩を頼ります──って、俺ばかり甘えてません?」
ためらいながら伝えて、はたと気づいたことを口にした。
だって、俺はただでさえ、好きになったらとことん一直線だ。負担に思われて、限界が来て、嫌われたらどうしようっていう一抹の不安が生まれる。
「あははっ。よく言えました。でも、俺もわがまま言うし、ちぃちゃん困らせる気満々だから大丈夫!」
久登先輩はさも当たり前みたいに、胸を張った。
「わがまま、言ってくれるんですか?」
「言う言う。いーっぱい言う。ていうか、今もいっぱい言ってるじゃん」
「たしかに?」
「でしょ。だから、ちぃちゃんも、俺にはわがまま言って。ちぃちゃんに甘えられたい」
久登先輩の目元も、口元も、ほどけるように和らぐ。穏やかな空気が、俺を包み込んでくれる。
そんな久登先輩と一緒なら、何だって乗り越えられそな気がしてくるから不思議だった。
きっと、今なら──。
「じゃあ、久登先輩……早速ついてきて欲しいところがあるんですけど、いいですか?」
俺は思わず、口にしていた。
「ついて来てほしいところ?」
「はい。ちょっと手……いいですか?」
「うん」
手を離してもらうと、俺はのそのそとベッドから降りて、机の方に向かった。引き出しの中から、2枚のチケットを取り出す。
振り返って、まっすぐ久登先輩を見つめる。先輩は首を傾げながらも、やっぱり俺を優しい目で見てくれていた。
チケットを持つ手に力が入る。
きっと久登先輩が一緒なら、大丈夫だ。そんな予感がする。
「久登先輩、来週……」
「来週?」
久登先輩の隣に戻って、俺は俯きながら地元のプロバスケの観戦チケットを差し出した。
あ、やばい。なんか急に緊張してきた。心臓が口から出てきそうで、言葉が喉につかえる。
手のひらが汗ばんで仕方ない。でも、覚悟を決めて顔を上げた。
「これ、一緒に行ってくれませんか。母さんが職場でもらって」
「これを……?」
久登先輩は俺の手元に視線を落として、目をしばたたかせた。すぐに俺の方を見てきたけど、その瞳は不安げに揺れている。
「ちぃちゃん、バスケの試合……大丈夫なの?」
「行こうか、迷ってて。……でも、久登先輩となら、またバスケも楽しめるかなって。嫌なら、別にいいんですけど」
そう伝えたら、久登先輩の喉仏が上下するのが分かった。ややあって。
「ちぃちゃん、それってデートのお誘い?」
ほんの少しの期待をはらんだような声がした。
「でっ、デート⁉︎」
「違うの?」
久登先輩の声のトーンが、ちょっとだけ下がる。
デートのつもりじゃなかったけど、俺たちが二人で行ったら、そうなるのか。
俺はいつも久登先輩にしてもらってばかりだ。デートってだけで喜んでもらえるなら、もっと特別なものにしたい。
「あの……久登先輩」
「ん?」
期待と不安が混ざったような目で見られて、一瞬だけ躊躇う。
でも、ちゃんと伝えなきゃ。久登先輩をもっと喜ばせたい。
「その……デート、なんですけど。久登先輩の誕生日のお祝いも……そこで、やり直させてもらえませんか」
「……え? 誕生日、ちぃちゃんのハンカチもらったよ?」
「あれは、欲しいって言われたから、勉強見てくれたお礼にあげただけで……。嫌なら、別にいいんですけど。久登先輩、誕生日にこだわりないみたいだし」
そう言ったら、久登先輩の目がぱちりと瞬いた。
「嫌なわけ……ない」
久登先輩がそう口にした次の瞬間、ふわっと目尻が下がる。
普段から甘い顔立ちをしてるのに、ことさら甘ったるい表情をするものだから、その破壊力に見惚れてしまった。
ビジュが良いのも大概にしてくれ。俺は息が止まりそうになった。いや、止まってたと思う。この顔面にはいつまで経っても慣れる気がしない。
でも、すぐにまたいつもの久登先輩に戻る。
「え、うわ〜、嬉しい! ちぃちゃんってば、積極的ぃ〜!」
軽口を叩き始めるものだから、俺はハッと我に返る。
「もー! ふざけてないでください!」
「ごめんごめん〜。嬉しすぎて、ね? 行こう、行こう。デート、楽しみにしてる」
久登先輩は幸せを噛み締めるような、くすぐったそうな顔をしていた。
こんな風に、笑ってくれる人が隣にいるのだ。
俺はもう、一人じゃない。自分だけで抱え込む必要なんて、もうどこにもなかった。
ベッドに並んで座る先輩は、額に手を当てて俯いたまま、微動だにもしない。
沈黙がちくちくと肌を刺して、痛い。もうずっとこの調子で、先輩の呼吸一つすら、気が気じゃなかった。
動悸がして、今にも倒れてしまいそうだ。何か……何か反応して欲しい。
そう心の底から願いながら、ごくりと唾を飲んだ、その時。久登先輩はどんだけ肺活量があるんだって思うほど長く「はぁ──────……」と深い息を吐いた。
嫌われたかもしれない。なんて、最悪の想像が頭をよぎる。
「ひ……久登先輩?」
そう恐る恐る名前を呼んだら、久登先輩は勢いよく顔を上げた。かと思ったら、俺の方を向いて、大きな声で嘆き出す。
「ちぃちゃんって、ほんっと自己完結型ぁ〰〰〰〰!」
うぐっと言葉を詰まらせる俺に、久登先輩はぐいと近づいて来た。畳みかけるように話しながら、迫ってくる。
「ねぇ、なんで俺に言わないの? 和久が俺のこと好きなわけないじゃん? あいつの俺への態度、なかなかだよ!? しょっちゅう、足踏まれてるからね!?」
「でも、俺にはそう見えて」
「も〰〰! ちぃちゃんの鈍感! 思い込み激しすぎ! 猪突猛進! 恋愛初心者! この頓珍漢!」
久登先輩は間髪入れずに、小学生みたいな悪口をわーっと言ってくる。ただ、意外と的確だ。その言葉が矢のように、グサグサッと俺に突き刺さる。
極めつけには「童貞!」とまで言われて、俺はぱたん、と後ろ向けに倒れた。
別に童貞なのは事実だし、仕方ないけど……。ボロクソに言われた言葉の数々が、クリーンヒットして、ほんと動けない。
ゲームみたいにパラメーターがあるなら、ちりつもダメージで、もはや俺のHPはゼロ。仰向けのまま、両手で顔を覆った。
そんな俺の上に、すぐに影が差してくる。
やっぱり、久登先輩は俺に甘いらしい。指の隙間から見上げれば、先輩が俺を覗き込んでいた。
「反省した?」
「……現在進行形でしてます」
「ふふっ。そっか」
久登先輩はもう機嫌がなおったようで、俺の頭に手を置いてくる。くしゃっと髪を撫でてくれながら「偉い偉い」なんて言ってくれた。なんか、すり切ったHPも少し回復した気がする。
「久登先輩、俺に甘くないですか」
顔から手を下ろして、そのまま久登先輩を見上げる。すると先輩は目を細めて「んー。だって、これで終わりじゃないし?」と、さらっと言ってのけた。
その顔は何か悪巧みでもしてそうな感じにも見えて、背筋がぞわっとした。嫌な予感しかしなくて、俺は慌てて上体を起こす。
「お、終わりじゃないって……何を」
若干、声が震える。ベッドに手をつきながら、俺はそろそろと後ずさった。
「えー? ちぃちゃんにはちゃーんと分からせないとなぁって?」
久登先輩はにっこり笑うと、後ずさりする俺の方に、じりじり近づいてきた。その度にマットレスが軋んで、何とも言えない空気感が生まれる。
どうしよう。だって、俺たちは今、密室に二人っきり。気づけば、あっという間に後ろは壁だ。背中に硬い感触が当たって、逃げ場はない。
「な、なんかヤバいことされそうな気がするんですけどっ!」
本能的に危機を察知した俺は、威嚇するように叫んでいた。次の瞬間、久登先輩はピタッと止まる。
「ん? ヤバいことって何のこと?」
「だ、だってほら! 今、俺たちはベッドの上だしっ、久登先輩なんか色気ありますしっ!」
そこまで言ったところで、はっとして両手で口を押さえた。
俺は自分で、何を言ってるんだ。この前もやらかしたのに、恥の上塗りしてどうする。
ほら見ろ。久登先輩なんて、呆気に取られてぽかんとしてる。
かと思えば、「あはははははっ」と笑い始めた。もう、どんだけ笑うんだよってくらい、ひーひー笑われるもんだから、顔から火が出そうだ。
「なーに、もう。また期待したの? ほんとちぃちゃんはすけべだねぇ」
ようやく笑うのを止めると、久登先輩は意地悪なことを言いながら、目尻を拭った。
「ちっ、ちがっ」
「俺たち、この前と違って付き合ってるもんね? ちぃちゃんが考えてること、しても問題ないもんね?」
そう煽られたら、俺だって黙っちゃいられない。
「久登先輩が俺を追い詰めようとするから、勘違いしたんですけど⁉︎」
「そうだね〜? 俺が悪いね〜?」
「それ、悪いと思ってない言い方ですよ!」
「あははっ。ごめんごめん」
「いや絶対、ごめんって思ってないやつ!」
「バレた? ほーんとちぃちゃん、揶揄えば揶揄うほど可愛くなるんだもん〜」
久登先輩は、本当に俺と付き合えたことが嬉しいみたいだ。目元を緩めて、ベッドの上についていた俺の手をそっと取ってきた。
急に触れられて、喉がひゅっと鳴る。
でも、そんな動揺を誤魔化したくて、こほんと咳をひとつした。
「……そ、それで、さっきの。分からせるって、何を分からせる気なんですか」
恥ずかしさで少しだけ視線を落として、本題について聞いてみた。
「前にちぃちゃんがくれた、言うこと聞いてくれるって権利、使おうと思って」
「ワクチョコくれた時の……ですか?」
「うん。そう。あれで、ちぃちゃんに約束してもらいたくてね」
久登先輩はそう言いながら、俺の反応を楽しむみたいに指を絡めてくる。
なんか、手つきがやらしい気がして、呼吸が浅くなった。
「緊張、しないでよ」
「してない、です」
いや、してる。けど、精一杯強がった。
だって、俺は今にも溺れそうなのに、久登先輩ばかり余裕なのは悔しい。上手く、顔が見れない。
「そお? じゃあ、約束して」
「はい」
「ちゃんとできる?」
「ちゃんと」
「じゃあ、ちぃちゃん。これからはもう、自分の中だけで、完結しないで?」
「は……い……?」
俺が面を上げたら、久登先輩は分かってないな? とでも言いたげに、肩をすくめた。
「分かった?」
強く言い聞かせるように言われて、戸惑いながら「……あ、えっと、はい」と返事した。
またくすっと笑われて、繋がれた手に少しだけ力を入れられた。
「ちぃちゃん。よく聞いてね? ちぃちゃんは顔に出やすいよ? けど、残念ながら、俺はエスパーじゃないから、全部はわかんないんだよね。あんなメッセージ送られてもさ、顔見えないんだから、意図が分かんないって」
「す、すみません。久登先輩なら分かってくれるって……勝手に」
「んーん。そんな風に信頼してもらえるのは、嬉しいよ。ただ、全部は分かってあげられないからさ、これからは何かあったら、必ず俺に言って欲しいな」
緩く垂れた眦で、久登先輩は俺を慈しむように見つめてくれる。
こんな風に考えてくれていたのに、俺は変な方向に考えてたのか。申し訳なさが込み上げてくる。
「わかった?」
「はい。すみません……。そうします」
「うん。そうして。またこんなことがあったら、心臓何個あってももたないからね」
「はい」
「だから、ちぃちゃんはー、これから言うことも、ちゃーんと守ってね? 良い子だから、できるよね?」
久登先輩はふっと目を細めた。
あれ? 今のがお願いですよね? と思ったけど、そのまま話を続けるらしい。
「ヤキモチ妬いたときは素直に言って。寂しくなってもね。不安になってもちゃーんと、俺に言うこと。一人でぐるぐる考え込まない。些細なことでも、俺を頼って」
久登先輩はこれから先のことまで見越しているみたいに、優しく言い聞かせてくれる。
でも、たぶん……俺、恋愛レベル赤ちゃんなんだろうな。
久登先輩は「はい。ちぃちゃん、復唱〜」なんて、言い出した。
「えっ……い、今のですか?」
「うん。大事なことだから、ちゃーんと覚えたか、確認しなきゃ。ほら、言って?」
期待するような目でじーっと見られる。
正直、復唱するとか恥ずかしすぎる。でも、全部俺のために言ってくれたことだ。
仕方ない。俺がやらかしてしまったんだから。
「……ヤキモチ妬いたら、素直に言います。寂しくなっても……不安になっても、伝えます。些細なことでも久登先輩を頼ります──って、俺ばかり甘えてません?」
ためらいながら伝えて、はたと気づいたことを口にした。
だって、俺はただでさえ、好きになったらとことん一直線だ。負担に思われて、限界が来て、嫌われたらどうしようっていう一抹の不安が生まれる。
「あははっ。よく言えました。でも、俺もわがまま言うし、ちぃちゃん困らせる気満々だから大丈夫!」
久登先輩はさも当たり前みたいに、胸を張った。
「わがまま、言ってくれるんですか?」
「言う言う。いーっぱい言う。ていうか、今もいっぱい言ってるじゃん」
「たしかに?」
「でしょ。だから、ちぃちゃんも、俺にはわがまま言って。ちぃちゃんに甘えられたい」
久登先輩の目元も、口元も、ほどけるように和らぐ。穏やかな空気が、俺を包み込んでくれる。
そんな久登先輩と一緒なら、何だって乗り越えられそな気がしてくるから不思議だった。
きっと、今なら──。
「じゃあ、久登先輩……早速ついてきて欲しいところがあるんですけど、いいですか?」
俺は思わず、口にしていた。
「ついて来てほしいところ?」
「はい。ちょっと手……いいですか?」
「うん」
手を離してもらうと、俺はのそのそとベッドから降りて、机の方に向かった。引き出しの中から、2枚のチケットを取り出す。
振り返って、まっすぐ久登先輩を見つめる。先輩は首を傾げながらも、やっぱり俺を優しい目で見てくれていた。
チケットを持つ手に力が入る。
きっと久登先輩が一緒なら、大丈夫だ。そんな予感がする。
「久登先輩、来週……」
「来週?」
久登先輩の隣に戻って、俺は俯きながら地元のプロバスケの観戦チケットを差し出した。
あ、やばい。なんか急に緊張してきた。心臓が口から出てきそうで、言葉が喉につかえる。
手のひらが汗ばんで仕方ない。でも、覚悟を決めて顔を上げた。
「これ、一緒に行ってくれませんか。母さんが職場でもらって」
「これを……?」
久登先輩は俺の手元に視線を落として、目をしばたたかせた。すぐに俺の方を見てきたけど、その瞳は不安げに揺れている。
「ちぃちゃん、バスケの試合……大丈夫なの?」
「行こうか、迷ってて。……でも、久登先輩となら、またバスケも楽しめるかなって。嫌なら、別にいいんですけど」
そう伝えたら、久登先輩の喉仏が上下するのが分かった。ややあって。
「ちぃちゃん、それってデートのお誘い?」
ほんの少しの期待をはらんだような声がした。
「でっ、デート⁉︎」
「違うの?」
久登先輩の声のトーンが、ちょっとだけ下がる。
デートのつもりじゃなかったけど、俺たちが二人で行ったら、そうなるのか。
俺はいつも久登先輩にしてもらってばかりだ。デートってだけで喜んでもらえるなら、もっと特別なものにしたい。
「あの……久登先輩」
「ん?」
期待と不安が混ざったような目で見られて、一瞬だけ躊躇う。
でも、ちゃんと伝えなきゃ。久登先輩をもっと喜ばせたい。
「その……デート、なんですけど。久登先輩の誕生日のお祝いも……そこで、やり直させてもらえませんか」
「……え? 誕生日、ちぃちゃんのハンカチもらったよ?」
「あれは、欲しいって言われたから、勉強見てくれたお礼にあげただけで……。嫌なら、別にいいんですけど。久登先輩、誕生日にこだわりないみたいだし」
そう言ったら、久登先輩の目がぱちりと瞬いた。
「嫌なわけ……ない」
久登先輩がそう口にした次の瞬間、ふわっと目尻が下がる。
普段から甘い顔立ちをしてるのに、ことさら甘ったるい表情をするものだから、その破壊力に見惚れてしまった。
ビジュが良いのも大概にしてくれ。俺は息が止まりそうになった。いや、止まってたと思う。この顔面にはいつまで経っても慣れる気がしない。
でも、すぐにまたいつもの久登先輩に戻る。
「え、うわ〜、嬉しい! ちぃちゃんってば、積極的ぃ〜!」
軽口を叩き始めるものだから、俺はハッと我に返る。
「もー! ふざけてないでください!」
「ごめんごめん〜。嬉しすぎて、ね? 行こう、行こう。デート、楽しみにしてる」
久登先輩は幸せを噛み締めるような、くすぐったそうな顔をしていた。
こんな風に、笑ってくれる人が隣にいるのだ。
俺はもう、一人じゃない。自分だけで抱え込む必要なんて、もうどこにもなかった。

