猫かぶりな兄の親友はブラコンの俺を構いたい

 にいちゃんが隣にいてくれた方が、俺としては安心する。
 でも、対面キッチンでは父さんと母さんが夕飯の準備をしていて、いつもの賑やかな空気がリビングに漂っている。
 こんな家族がいる中で話す──なんて、久登先輩に失礼でしかない。俺は「部屋で電話してくる」って、廊下に出た。
 階段を駆け上がって、部屋のドアノブを握る。手が汗ばんでいて、自分が凄く緊張していることに気づいた。
 部屋に入ってすぐに、俺はズボンで手汗を拭いてから、スマホロックを解除した。
 ドアの前に立ったまま、深呼吸をしてメッセージアプリを開く。
 次の瞬間、思わず「ひっ……」と声が漏れた。
 久登先輩の狐アイコンの隣には三十通もの未読数が表示されている。
 あまりの数に慄いて、心臓が早鐘を打ち始める。

「ど、どうしよう⁉︎」

 焦りながら画面をタップしたら、入力欄に残った文字が目に入った。

《今度改めて、ちゃんとお祝いしますね》

 一昨日、送ったはずのメッセージ。

「……え? は? はぁぁぁぁ? 嘘だろ? 俺、これ送ってなかった⁉︎」

 急に、足の力が抜ける。ドアに背を預けながら、その場にずるずるとしゃがみ込んだ。
 送ったつもりで、送れてなかった。やばい。やばすぎる。
 誕生日おめでとうございますと、距離置きましょう的なメッセージだけなら、さすがの久登先輩でも、察するのも無理な話だ。
 そりゃ、こんなメッセージ数にもなる。

「俺の馬鹿野郎……!」

 慌てて、俺は久登先輩のメッセージに目を通した。

《え? 何かの冗談?》
《笑えないよ〜》

 最初は、そんな軽口めいたメッセージが続いていた。
 でも、途中から「返事はまだ?」とこっそり覗き見る狐のスタンプたちが何個も並んでいて──。
 途中から、ガラリと雰囲気が変わった。軽口の余韻なんて、どこにもない。

《ちぃちゃん、何かあった?》
《大丈夫?》
《距離置くってどういうこと?》
《俺が何かしてしまった?》
《ちぃちゃんの嫌がることしたんだよね、ごめん》

 久登先輩の余裕さは微塵も感じられず、言葉の端々に焦りが滲んでいた。
 画面をスクロールして行くほど、罪悪感と緊張が増して、喉が渇く。スマホに触れる指先が、情けないほど震えた。
 
 後で改めてお祝いしますってメッセージをちゃんと送ってたら、きっとこんなことになってない。
 いや、そもそも、理由を話すと言っておきながら、終わってから話せばいい──と説明せずいた、俺が悪い。
 なのに、久登先輩はそれを責めていなかった。むしろ、自分に問題があったみたいに、俺を心配してくれている。
 久登先輩を傷つけたくないって、思っていたのに。自分が一番、傷つけている現実に胸が詰まって、苦しい。
 しかも、久登先輩の17歳の誕生日は、あの日だけなのに。俺はなんてことをしでかしたんだろう。

《誕生日のこと言わなかったから?》
《それならごめん》
《お願いだから連絡して》

 久登先輩の言葉はすべて、自身を責めているように見えて、余計に胸が締め付けられた。
 誰よりもちゃんと祝わないといけない人の誕生日に、プレゼント渡すどころか、傷つけるようなことをするなんて。なんてドジをしてしまったんだろう。
 こんなの、恋愛初心者だからとか、そんな言葉で片付けていい問題じゃない。
 俺は周りが見えていないにも、程がある。
 こんなの、来世はミジンコどころか、存在すら許されないレベルだ。

 だけど、久登先輩は俺を責めなかった。とことん優しかった。

《ちぃちゃん、お願い。俺は大丈夫だから、メッセージ見てよ》

 その言葉が、耳元で聞こえたような気がして、視界が滲んだ。
 こんな優しい人を、俺はどれだけ傷つけたんだろう。それをこれ以上、知るのが怖い。だけど、全部、俺がやらかしたことだ。
 震える指で、さらにスクロールする。

《今日、駄菓子屋行ったけどちぃちゃんいなかった》
《俺のせいだよね》
 
 その言葉を見て、ぴたりと指を止めた。

「違う……久登先輩のせいじゃない」

 喉の奥がひりつくのを感じながら、俺は首を左右に振った。
 昨日はたまたま、用事があってばあちゃんの駄菓子屋に行けなかっただけだ。だけど、毎週土曜日は必ず顔を出していたから、久登先輩が不安になるのも当然だ。
 それすらも言い忘れていたことに、自分で自分が嫌になる。
 あの店の前でしばらく待っていた久登先輩が、思い浮かんで、ぐっと拳を握った。

「あーもう、俺は!」

 自分の馬鹿さ加減に我慢の限界が来て、叫んだ。その声が静かな部屋に反響して、余計に惨めさが胸に広がって行く。
 この数日間の俺を、殴り倒したい。

「ほんと……なんでこんなに、間違えてしまうんだよ……」

 俺はスマホを膝に乗せて、俯きながら頭を抱えた。
 久登先輩のこと、もう凄く凄く、好きなのに。なんで、傷つけるようなことしたんだろう。
 ちゃんと、メッセージを確認しておけば。
 ちゃんと、説明しておけば。
 久登先輩に申し訳なさすぎて、もう涙腺が限界だった。
 だけど、泣きたいのは久登先輩の方だ。俺が泣いたら、先輩をもっと苦しめる。
 泣いちゃダメだって、奥歯を必死に噛み締めた。
 顔を上げて、もう一度スマホを見た時、ふと今日のメッセージが目についた。

《家に行ってもいい? しつこくてごめん》
《我慢できないから、行くね》

 送信時刻は、今から二十分前。それを見た瞬間、俺は立ち上がって、ドアを開けていた。
 勢いよく、部屋を飛び出す。
 俺が傷つけたなら、あの人を……大好きな人をこれ以上、苦しめちゃいけない。
 久登先輩に会いに行かなきゃいけないのは、俺の方だ。
 ごめんなさいって伝えて、それから、それから──。
 俺は通話ボタンを押しながら、階段を駆け下りた。