猫かぶりな兄の親友は、ブラコンの俺を構いたい

 久登先輩が俺のすぐ後ろを歩くものだから、それだけで落ち着かなくなる。別に、やらしいことなんてこれっぽっちも考えちゃいない。だけど、久登先輩に揶揄われた手前、余計に意識してしまう。後ろを全然、振り向けなかった。

 階段を上がってすぐの俺の部屋は、ベッドと机と、本棚という質素な家具だけの、シンプルなレイアウト。でも、部屋に入った瞬間、壁のアクリルボードに飾られた大量のワクワクマンシールたちがお出迎えしてくれる。

「……うわ、すごっ!」

 久登先輩はそれを目にした途端、壁の方に近づいていった。じっと見つめてから、なんか子どもみたいに、目を輝かせて俺の方を見てくる。
 
「ちぃちゃん、すごい綺麗に飾ってるんだね。ヤバすぎ!」
「これ、にいちゃんと父さんが飾ってくれたんですよ。でも、そこにあるのは二軍で……一軍はこっち」

 俺はクローゼットの前に行って、扉を開ける。
 ワクワクマンシールを綺麗な状態で残すなら、湿度と温度を適切に管理するのが大事だ。
 クローゼットの中には、中が見えるガラス戸付きの四角い黒い機械──防湿庫(ぼうしつこ)が置いてある。主にカメラを収納する時とかに使う、ちょっとした金庫みたいなやつだ。
 
「ここに、激レアな俺のお宝が眠ってます」

 ふふん、と胸を張って紹介してみたものの、なんかガチヲタなのを披露しただけな感じがする。
 それに気づいて久登先輩に目を向けると、防湿庫じゃなくて俺を見つめていた。その表情はなんていうか、やたらと甘い。
 自分で言うのもアレだけど、久登先輩は本気で俺が好きらしい。
 あー、むずむずする。胸の辺りも、顔も、ううん全身が。
 
「ねぇ、ちぃちゃん」

 久登先輩が、さらに柔らかな双眸で俺を見る。

「なんですか」
「自惚れてもいい?」
「何が……?」
「何がって、俺の渡したコラボのケットシーが一軍なのは分かるんだけどさ。座敷童子とか、ぬらりひょんとか、アーヴァンクとか……あれ、激レアじゃないはずなんだけど。俺と交換したから飾った?」

 久登先輩に指摘されて防湿庫を見た俺は、はくはくと唇を動かした。
 そこには、いつでも見えるよう、UVカット付きアクリルブロックに挟んだコレクションが並ぶ。
 でも、先輩に言われるまで、自覚なんてなかった。
 つい先日、並べ替えをしたコレクションなのに、その前面は、久登先輩と交換したシールたちが占める。一軍の中でもトップオブトップの配置。
 あまりの恥ずかしさで、全身がぶわっと熱くなる。腕を上げて、慌てて顔を隠した。

「ちぃちゃん、顔隠さないでよ」
「無理です」
「なんで?」
「無自覚にやってたとか、ほんと恥ずかしすぎる」
「そんなに俺が好き?」
「好きですよ。好きに決まって──って! うわっ、今のはちょっと! 待って!」

 自分で言っておきながら、物凄く驚いて慌てふためいた。
 腕を下ろして久登先輩を見たら、満面の笑みを浮かべている。

「ちぃちゃん、好きって言ったね? もうさ、付き合おうよ。待とうって思ってたけど、ちぃちゃん、俺のこと好きなのダダ漏れすぎて、もう耐えるの大変なんだけど」

 そんなに俺って、分かりやすいのかよ。
 久登先輩は獲物を見つけた猫みたいに、俺に近づいてくる。あっという間に距離を詰められて、まるで部屋の隅に追い詰められた鼠の気分だった。
 ごくり、と喉が鳴る。

「ちぃちゃんは、俺が彼氏なのはイヤ?」

 久登先輩の長くて綺麗な指が、俺の頰を優しく撫でてきた。
 心臓が早鐘を打ち、呼吸も浅くなる。でも、久登先輩に見つめられたら、目を逸らすことすらできない。
 もう我慢ならないって言っているみたいに、久登先輩の目が、熱を帯びてるような感じがした。

 久登先輩が彼氏になるって、イヤなわけがない。むしろ、嬉しい。
 ただ、俺にだって意地がある。
 久登先輩を好きだって、告白された時よりも自信を持って言える。だから、自分からちゃんと伝えたかった。付き合ってくださいって。
 何もかも久登先輩に甘えっぱなしの付き合い方は嫌で、思わず叫んでいた。

「あ──もうっ! もっと、かっこよく返事したかったのに!」

 恥ずかしさと悔しさが、一気に込み上げてくる。

「えっ、と、ちぃちゃん?」

 久登先輩が寸秒、戸惑ったような声をあげた。
 でも、もう逃げる気はない。前みたいに、なあなあな関係にはしないって決めたんだ。
 久登先輩の目をまっすぐ見て、覚悟を決めて息を吸ったその瞬間。
 
「久登────っ! おいこら、白川久登──っ!」

 激怒したにいちゃんの声が、家中を轟かせた。そんな家中を揺らす怒号の後、ドタドタと階段を駆け上がってくる足音が聞こえてくる。
 そのあまりのにいちゃんの怒り具合に驚きすぎて、次の言葉が出てこない。
 目の前にいる久登先輩も、いつも余裕綽々とした表情から、ヤベェとでも言いたげな顔に変わっていた。

 にいちゃんはただでさえ開いている部屋のドアを、ダーンと勢いよく叩いた。
 その音に驚いて、俺たちの体は跳ねる。その一瞬で、にいちゃんはズカズカと部屋に入ってくると、久登先輩の首根っこに掴み掛かった。

「久登、お前なんでウチにいんの? てか、千茅に何しようとしてんだよ! この変態っ!」

 にいちゃんは久登先輩より圧倒的に身長が低い。なのに、怒気をはらんだにいちゃんは、俺から久登先輩を引き離していく。

「変態ってひどくない? ただワクワクマンシール見てただけで。って……なんでここにいるってわかった感じ?」
「長谷川が久登が千茅たちといるの見てたんだよ。んで、長谷川が相嶋くんに連絡とったら、ウチにいるって聞いたわけ!」
「へぇー……あの二人って知り合い……」
「あのさぁ、そもそもお前な、誕生日パーティーに主役が来なくて何してんの? せっかく()がサプライズでケーキ用意したのにさぁ! なんか他のやつが食べ始めてカオスなんだけど!?」

 いつもの穏やかなにいちゃんは、どこへやら。完全にブチギレたにいちゃんの怒涛の説教モードは、大迫力だった。
 ただ、久登先輩が誕生日パーティーの主役と聞いて、俺は黙っていられなかった。

「久登先輩、今日が誕生日だったんですか!?」

 隙を見て口を挟む。すると、久登先輩はにいちゃんに急所を押さえられたまま、俺の方を見た。

「あー、うん。そうみたい?」
「久登さぁ! ほんと自分の誕生日に興味ないよね!? 会場セッティングして、ケーキもクラッカーも用意して、皆を呼んで……俺の苦労を水の泡にする気!?」
「……ごめん。でも、ちぃちゃんが……」
「ちぃちゃんが、じゃないから! いいから来る!」

 青筋を浮かべた般若顔のにいちゃんの目には、もはや俺すらも映っていない。
 誕生日おめでとうございますも言う間も無く、にいちゃんは久登先輩を引きずっていく。
 二人がいなくなった部屋は、嵐が過ぎ去った後のようだ。静まり返った部屋に、俺だけが取り残されてしまう。
 そんな俺の部屋に、相嶋と山本が遅れたようにやってくる。

「俺のせいだよな、この状態」

 山本は申し訳なさそうに、こめかみをポリポリと掻く。

「てか、千茅のにいちゃんってほわほわ〜可愛い〜って感じだったよな? あんなに怒るって、やっぱ親友だから?」
「……もしかして、好きだからだったりして」

 山本がぼそっと呟いた言葉で、ハッとした。
 なんで今まで、忘れてたんだろう。
 にいちゃんが、久登先輩のことが好きなのかもって、ずっと思っていたのは俺だ。
 いや、忘れてたんじゃない。見ないふりをしていただけだ。
 だって、俺は……久登先輩の隣に居られるにいちゃんが、羨ましかったから。
 カラオケに行った時だって、バレンタインのことだって、俺はにいちゃんに隠した。

 それらを思い出した途端、にいちゃんへの申し訳なさが込み上げてきて、口元を手で覆った。
 にいちゃんの好きな人に、惹かれていたなんて。
 俺は……なんて事を?
 俺の胸に、その事実がずしんと落ちてきて、胃が気持ち悪くなった。
 先ほどまで覚えていた体の熱が、一気に冷えていく。冷たくなった指先が、震えて仕方がない。

「好き? んなわけないだろー、男同士だろ?」
「は? 相嶋の頭ん中、化石みたいになってんのか。脳内アップデートしろや。俺がお前のこと好きっつったらどーすんだよ」

 俺の前で言い合う、相嶋と山本。だけど、二人の言葉は耳から耳へと、抜けていく。
 ただ罪悪感だけが、俺の中を静かに埋めていった。