三月上旬の東北は、コートなしだと昼間でもまだ寒い。最高気温は一桁。校庭の端には、溶けきれていない雪が固められている。春の訪れは、まだもう少し先だ。
教室が暑いからって、コートをリュックに詰め込んでしまった俺たちは「あー寒い」とアホみたいに声を揃えながら、校門目指して歩く。
ただ、俺の前を歩く二人は、気づいたらすぐに、やれ何が食べたい、やれ何のゲームがいいと押し問答を始める。
そんな相嶋と山本に若干呆れながらも、こんな時でも俺の頭には久登先輩が浮かんでしまう。
今、何してるかなとか。クラス会ってなにするんだろうかとか。
終始、頭の中は久登先輩でいっぱいだった。
今日は他の人たちと、俺と過ごす時みたいに柔らかく笑ったり、楽しそうにしたりするのだろうか。
そう考えただけで、胸がチクっと痛みを放つ。
「付き合ったら、こんなモヤモヤは解消するのかな」
久登先輩が真剣に告白をしてくれたあの時、勇気を出していたら……なんて、今さら後悔が募る。
「いつ伝えたらいいんだろ。……ホワイトデー……とか?」
ポソっと呟きながら、校門を抜けたその時だった。
「ちぃちゃん」
久登先輩のことを考えすぎて、とうとう先輩の声が聞こえ始めたらしい。
「うわ……久登先輩に会いたいからって、幻聴まで聞こえるって何……?」
「会いたいの? 俺に?」
「うん。会いたい──って、あれ?」
なんか普通に、返事をしてしまったけど、幻聴にしてはやたらとはっきりしてたような気がする。リアリティがありすぎて、おかしい。慌てて、左右を見た。けれど、そこに久登先輩の姿はない。
「いやいや。……いるわけないじゃん」
はぁとため息をこぼした矢先、つんつんと肩をつつかれるような感覚がした。
「ん……?」
振り返ると、今度こそ、そこに久登先輩がいた。
「うわっ、久登先輩。びっくりしたぁ……! 後ろに立つのは反則ですけど!?」
心臓が跳ねて、変な声が出てしまった。
そんな俺を見て、久登先輩は「反則なんだ? ごめんごめん」と言いながら、楽しそうに目を細める。
「……ちぃちゃんさ、ホワイトデーに告白するんだってね?」
完全に聞こえていたがゆえの、俺を揶揄うような声。誰に告白するのかも分かっている、逃がす気ゼロみたいな目で俺を見ている。
「うっ、あっ、あのっ! ちょ、ちょっと待ってください!」
慌てふためく俺に、久登先輩は容赦なく、近づいてくる。
「ねぇ、誰に?」
「……っ!」
「俺じゃないの?」
「〰〰〰〰っ!」
動揺しすぎて、声にならない。上手く息ができないし、久登先輩のせいで、体温が一度ならず二度くらい上がった気がする。
この人ほんと意地悪だ。俺の反応見て楽しんでる。
でも、今すぐ逃げ出したくなっていたら、久登先輩は俺に手を伸ばしてきた。ここでおしまい、とでも言うみたいに、頭をぐしゃぐしゃと撫でてから手を離す。
「ごめんね。待つって決めたのに、ちょーっと揶揄いすぎちゃった。……ちぃちゃんがなんか元気なさそうに見えたから、つい」
揶揄わられていたっていうのに、久登先輩のその言葉で怒る気なんて失せてしまう。
むしろ、どこから俺に気づいて、ついてきてくれていたのだろうかって。些細な変化も見逃さないようにしてくれているようで、顔が緩みそうになった。
でも、このまま肯定したら、久登先輩に迷惑かける。
このままどこにも行かずに俺といて欲しいなんて、そんなこと言えるわけがない。
「元気……なんでっ! 先輩は、気にしなくて大丈夫ですから……!」
心配してもらえて嬉しい気持ちも、一緒にいて欲しい気持ちも、俺は必死に押し殺してみせた。
だけど、やっぱり俺は隠すのが下手みたいだ。久登先輩はくすっと笑った。
「ちぃちゃんはほんと、顔に出るんだから。素直なのか、素直じゃないんだか分かんないね」
「……そこは見ないふりでもしてください」
「なんで?」
「最近、気にしてるんで」
「あははっ。そうだね。ごめんね? あ、そうそう。ちぃちゃん、テストどうだった?」
先輩からテストの話を振られて、俺はそうだった! と目を瞬かせた。
この二週間ずっと一緒に勉強してくれたから、テストが終わったら伝えたかった。
もしかしたら、久登先輩に褒めてもらえるかもしれない。そう思ったら、自然と口元が緩む。
「ん? なーに、その顔は」
「実は……できたんです。高校入ってから、初めて手応え感じられました」
「えっ、本当?」
久登先輩の声が、いつもより柔らかく聞こえた。
だから、どれだけ久登先輩のおかげでテストができたのかを伝えたくなった。
でも、目を見て言うのは恥ずかしくて、ほんの少し視線を落とす。
「久登先輩がたくさん教えてくれたから、試験中も一緒に問題解いてた時のこと思い出して、すらすら解けたんです。ここ覚えてなきゃだめだよーとか、はい、ここに図を書いてーとか言ってくれたの、めちゃくちゃ思い出してました。これでもう、久慈先生には怒られないはずです。本当に、ありがとうございました」
早口でお礼を伝えてから、久登先輩の顔を見たら、なんでだろう。
久登先輩は目を潤ませていた。
そんな顔をされているなんて思いもしなくて、俺はわたわたしながらズボンのポケットに手を突っ込んだ。
「こ、これ! これ使ってください!」
今日一度も使っていない、タオルハンカチを突き出す。ちなみに、数年前にワクチョコとコラボしたやつで、九尾の刺繍が入ったやつ。
久登先輩は俺の手からそれを受け取るなり、ふにゃりと笑った。
「ちぃちゃんがさ、和久とワクワクマンシール以外のことで早口になるとか、感動しかないよね。そんな風に言ってもらえるなんて思ってなかったからさ……ジーンときちゃった」
「久登先輩って涙脆いんですね?」
「いや、まーったく。全米が泣いた! みたいな感動映画すら、泣いたことない」
久登先輩は速攻で否定してきた。なんかもう既に、涙も引っ込んだようで、すんとした顔をしている。
それじゃあ、そのハンカチはいらないはずだ。
「じゃあ、ハンカチ返してください」
そう言って手を出したら、久登先輩がひょいとハンカチを持った手を上げた。
「もらっちゃだめ?」
「えっ、なんでですか」
「泣きそうになった記念に」
「えぇ……?」
それは、俺のお気に入り。でも、なんか欲しそうな久登先輩を見たら、ダメですとも言えない。
それに、久登先輩はたぶん、狐好き。メッセージアプリのアイコンも狐だし、仕方がないか。
「大事にするね」
久登先輩は俺の返事も待たずに、本当に大事そうにして、顔に持って行く。
「あ。これ、ちぃちゃんの匂いする。今日からこれ持ち歩こ〜」
「へっ、変態! 返してください!」
やばい。この人に渡したら、やばい。そう思って取り返そうとしたら、相嶋たちがようやく、俺がいないことに気づいたらしい。
「千茅、何してんの、置いてくぞー!」
どこからともなく、俺に向けて叫び声が飛んでくる。
それと共に、山本の「えっ、白川先輩までいるじゃん!」という声。
なんか最近、山本がやたらと久登先輩に絡もうとするのが気に食わない。
久登先輩は俺だけのものじゃないって分かってるけど、もやもやする。
「あ、みんなでどこか行く予定だった?」
「ちょっと──」
「千茅の家でゲームするんですよ」
久登先輩を早く帰そうと思ったのに、俺のすぐ後ろから、山本の声がした。
速すぎるぞ、山本の足。
「へーえ……」
久登先輩は俺の後ろ──たぶん、山本に視線を送った後、ほんの少し難しい顔をした。
「俺も行こうかな」
久登先輩のその一言で、胸が跳ねる。
でも、俺は性格が悪いんだろう。
山本の「白川先輩も来ますか!」という嬉々とした声が、耳障りに感じてしまった。
「でも、久登先輩、クラス会って……」
「どうせカラオケだし。和久に連絡するよ」
久登先輩がそう言うと、山本が「じゃあ俺、相嶋に伝えてきます」と駆けて行った。
山本、お前クール系じゃなかったのかよ……。そういうキャラじゃないじゃん……!
久登先輩って、罪な男すぎる。
あの山本が、従順な犬みたいになるなんて、なんとも言えないモヤつきが胸に残る。
「先輩はクラス会行った方がいいですよ」
「ダメなの?」
「だって、山本が」
絶対、久登先輩に絡もうとする。
だけど、そんなことを口に出したら、嫉妬しているのが丸わかりだ。言えるはずがなくて、口を閉ざした。
「ちぃちゃん、そんなに俺のこと好きなんだ? もっと嫉妬してくれていいよ」
「ち、違います!」
「えぇ? むしろ嫉妬してよ。ちぃちゃんがヤキモチやくの嬉しいのに〜!」
「しません!」
「まぁそうか。俺はもう、ちぃちゃんのものだもんね?」
久登先輩が俺の顔を覗き込んできて、俺の心臓も呼吸も止まりそうになる。
同じ高校生とは思えない、色気の滲み出る甘いマスク。垂れ気味の双眸が、俺を捉えて離してはくれない。
近すぎる距離にも、その言葉の威力にも、俺はノックアウトされそうで。
久登先輩に気持ちを伝えて付き合ったら、俺は死んでしまう気がした。
教室が暑いからって、コートをリュックに詰め込んでしまった俺たちは「あー寒い」とアホみたいに声を揃えながら、校門目指して歩く。
ただ、俺の前を歩く二人は、気づいたらすぐに、やれ何が食べたい、やれ何のゲームがいいと押し問答を始める。
そんな相嶋と山本に若干呆れながらも、こんな時でも俺の頭には久登先輩が浮かんでしまう。
今、何してるかなとか。クラス会ってなにするんだろうかとか。
終始、頭の中は久登先輩でいっぱいだった。
今日は他の人たちと、俺と過ごす時みたいに柔らかく笑ったり、楽しそうにしたりするのだろうか。
そう考えただけで、胸がチクっと痛みを放つ。
「付き合ったら、こんなモヤモヤは解消するのかな」
久登先輩が真剣に告白をしてくれたあの時、勇気を出していたら……なんて、今さら後悔が募る。
「いつ伝えたらいいんだろ。……ホワイトデー……とか?」
ポソっと呟きながら、校門を抜けたその時だった。
「ちぃちゃん」
久登先輩のことを考えすぎて、とうとう先輩の声が聞こえ始めたらしい。
「うわ……久登先輩に会いたいからって、幻聴まで聞こえるって何……?」
「会いたいの? 俺に?」
「うん。会いたい──って、あれ?」
なんか普通に、返事をしてしまったけど、幻聴にしてはやたらとはっきりしてたような気がする。リアリティがありすぎて、おかしい。慌てて、左右を見た。けれど、そこに久登先輩の姿はない。
「いやいや。……いるわけないじゃん」
はぁとため息をこぼした矢先、つんつんと肩をつつかれるような感覚がした。
「ん……?」
振り返ると、今度こそ、そこに久登先輩がいた。
「うわっ、久登先輩。びっくりしたぁ……! 後ろに立つのは反則ですけど!?」
心臓が跳ねて、変な声が出てしまった。
そんな俺を見て、久登先輩は「反則なんだ? ごめんごめん」と言いながら、楽しそうに目を細める。
「……ちぃちゃんさ、ホワイトデーに告白するんだってね?」
完全に聞こえていたがゆえの、俺を揶揄うような声。誰に告白するのかも分かっている、逃がす気ゼロみたいな目で俺を見ている。
「うっ、あっ、あのっ! ちょ、ちょっと待ってください!」
慌てふためく俺に、久登先輩は容赦なく、近づいてくる。
「ねぇ、誰に?」
「……っ!」
「俺じゃないの?」
「〰〰〰〰っ!」
動揺しすぎて、声にならない。上手く息ができないし、久登先輩のせいで、体温が一度ならず二度くらい上がった気がする。
この人ほんと意地悪だ。俺の反応見て楽しんでる。
でも、今すぐ逃げ出したくなっていたら、久登先輩は俺に手を伸ばしてきた。ここでおしまい、とでも言うみたいに、頭をぐしゃぐしゃと撫でてから手を離す。
「ごめんね。待つって決めたのに、ちょーっと揶揄いすぎちゃった。……ちぃちゃんがなんか元気なさそうに見えたから、つい」
揶揄わられていたっていうのに、久登先輩のその言葉で怒る気なんて失せてしまう。
むしろ、どこから俺に気づいて、ついてきてくれていたのだろうかって。些細な変化も見逃さないようにしてくれているようで、顔が緩みそうになった。
でも、このまま肯定したら、久登先輩に迷惑かける。
このままどこにも行かずに俺といて欲しいなんて、そんなこと言えるわけがない。
「元気……なんでっ! 先輩は、気にしなくて大丈夫ですから……!」
心配してもらえて嬉しい気持ちも、一緒にいて欲しい気持ちも、俺は必死に押し殺してみせた。
だけど、やっぱり俺は隠すのが下手みたいだ。久登先輩はくすっと笑った。
「ちぃちゃんはほんと、顔に出るんだから。素直なのか、素直じゃないんだか分かんないね」
「……そこは見ないふりでもしてください」
「なんで?」
「最近、気にしてるんで」
「あははっ。そうだね。ごめんね? あ、そうそう。ちぃちゃん、テストどうだった?」
先輩からテストの話を振られて、俺はそうだった! と目を瞬かせた。
この二週間ずっと一緒に勉強してくれたから、テストが終わったら伝えたかった。
もしかしたら、久登先輩に褒めてもらえるかもしれない。そう思ったら、自然と口元が緩む。
「ん? なーに、その顔は」
「実は……できたんです。高校入ってから、初めて手応え感じられました」
「えっ、本当?」
久登先輩の声が、いつもより柔らかく聞こえた。
だから、どれだけ久登先輩のおかげでテストができたのかを伝えたくなった。
でも、目を見て言うのは恥ずかしくて、ほんの少し視線を落とす。
「久登先輩がたくさん教えてくれたから、試験中も一緒に問題解いてた時のこと思い出して、すらすら解けたんです。ここ覚えてなきゃだめだよーとか、はい、ここに図を書いてーとか言ってくれたの、めちゃくちゃ思い出してました。これでもう、久慈先生には怒られないはずです。本当に、ありがとうございました」
早口でお礼を伝えてから、久登先輩の顔を見たら、なんでだろう。
久登先輩は目を潤ませていた。
そんな顔をされているなんて思いもしなくて、俺はわたわたしながらズボンのポケットに手を突っ込んだ。
「こ、これ! これ使ってください!」
今日一度も使っていない、タオルハンカチを突き出す。ちなみに、数年前にワクチョコとコラボしたやつで、九尾の刺繍が入ったやつ。
久登先輩は俺の手からそれを受け取るなり、ふにゃりと笑った。
「ちぃちゃんがさ、和久とワクワクマンシール以外のことで早口になるとか、感動しかないよね。そんな風に言ってもらえるなんて思ってなかったからさ……ジーンときちゃった」
「久登先輩って涙脆いんですね?」
「いや、まーったく。全米が泣いた! みたいな感動映画すら、泣いたことない」
久登先輩は速攻で否定してきた。なんかもう既に、涙も引っ込んだようで、すんとした顔をしている。
それじゃあ、そのハンカチはいらないはずだ。
「じゃあ、ハンカチ返してください」
そう言って手を出したら、久登先輩がひょいとハンカチを持った手を上げた。
「もらっちゃだめ?」
「えっ、なんでですか」
「泣きそうになった記念に」
「えぇ……?」
それは、俺のお気に入り。でも、なんか欲しそうな久登先輩を見たら、ダメですとも言えない。
それに、久登先輩はたぶん、狐好き。メッセージアプリのアイコンも狐だし、仕方がないか。
「大事にするね」
久登先輩は俺の返事も待たずに、本当に大事そうにして、顔に持って行く。
「あ。これ、ちぃちゃんの匂いする。今日からこれ持ち歩こ〜」
「へっ、変態! 返してください!」
やばい。この人に渡したら、やばい。そう思って取り返そうとしたら、相嶋たちがようやく、俺がいないことに気づいたらしい。
「千茅、何してんの、置いてくぞー!」
どこからともなく、俺に向けて叫び声が飛んでくる。
それと共に、山本の「えっ、白川先輩までいるじゃん!」という声。
なんか最近、山本がやたらと久登先輩に絡もうとするのが気に食わない。
久登先輩は俺だけのものじゃないって分かってるけど、もやもやする。
「あ、みんなでどこか行く予定だった?」
「ちょっと──」
「千茅の家でゲームするんですよ」
久登先輩を早く帰そうと思ったのに、俺のすぐ後ろから、山本の声がした。
速すぎるぞ、山本の足。
「へーえ……」
久登先輩は俺の後ろ──たぶん、山本に視線を送った後、ほんの少し難しい顔をした。
「俺も行こうかな」
久登先輩のその一言で、胸が跳ねる。
でも、俺は性格が悪いんだろう。
山本の「白川先輩も来ますか!」という嬉々とした声が、耳障りに感じてしまった。
「でも、久登先輩、クラス会って……」
「どうせカラオケだし。和久に連絡するよ」
久登先輩がそう言うと、山本が「じゃあ俺、相嶋に伝えてきます」と駆けて行った。
山本、お前クール系じゃなかったのかよ……。そういうキャラじゃないじゃん……!
久登先輩って、罪な男すぎる。
あの山本が、従順な犬みたいになるなんて、なんとも言えないモヤつきが胸に残る。
「先輩はクラス会行った方がいいですよ」
「ダメなの?」
「だって、山本が」
絶対、久登先輩に絡もうとする。
だけど、そんなことを口に出したら、嫉妬しているのが丸わかりだ。言えるはずがなくて、口を閉ざした。
「ちぃちゃん、そんなに俺のこと好きなんだ? もっと嫉妬してくれていいよ」
「ち、違います!」
「えぇ? むしろ嫉妬してよ。ちぃちゃんがヤキモチやくの嬉しいのに〜!」
「しません!」
「まぁそうか。俺はもう、ちぃちゃんのものだもんね?」
久登先輩が俺の顔を覗き込んできて、俺の心臓も呼吸も止まりそうになる。
同じ高校生とは思えない、色気の滲み出る甘いマスク。垂れ気味の双眸が、俺を捉えて離してはくれない。
近すぎる距離にも、その言葉の威力にも、俺はノックアウトされそうで。
久登先輩に気持ちを伝えて付き合ったら、俺は死んでしまう気がした。

