猫かぶりな兄の親友はブラコンの俺を構いたい

 三月上旬の東北は、昼間でもまだ一桁前半の寒さだ。校庭の端には溶け残った雪があるってのに、前を歩く相嶋と山本は元気だ。やれ何が食べたい、やれ何のゲームがいいと押し問答をしていた。
 ただ、そんな二人の背を眺めながらも、やっぱり俺の頭には久登先輩が浮かんでいた。
 今、何してるかなとか。クラス会ってなにするんだろうかとか。
 せっかく友達との時間を楽しむって決めたのに、すぐ俺の頭を占めてくるんだから。
 ほんと……沼だよ、あの人は。

 はぁーとため息をついて、気分転換に空を見上げた。
 学校の上空は灰色の雲で覆われていて、太陽が隠れている。
 なんか、今の俺の心とリンクして見える気がする。あー、だめだだめだ。余計にしんみりしてくる。湿っぽい空気を取っ払うように首を振って、俺は再び前を向いた。

「付き合ったら、こういうモヤモヤとか寂しいのとか、解消するのかな」

 久登先輩が真剣に告白をしてくれた時に、あれこれ言い訳せず付き合ってたら……なんて、今さら後悔が募る。
 だって、すぐに久登先輩に会いたくなるし、しょっちゅう一緒にいるのだ。もう付き合ったっていいんじゃないか? なんて考える自分もいる。

「でも、伝えるなら、いつ伝えたらいいんだろ。……ホワイトデーとか?」

 自分自身に問いかけながら、校門を抜けたその時。

「ちぃちゃん」

 久登先輩のことを考えすぎて、とうとう先輩の声が聞こえ始めたらしい。

「会いたいからって、幻聴まで聞こえるって。ほんと俺、やばすぎるだろ……」
「会いたいの? 俺に?」
「うん。会いたい──って、あれ?」

 なんか普通に、返事をしてしまったけど、幻聴にしてはやたらとはっきりしてた気がする。リアリティがありすぎて、おかしい。慌てて、左右を見た。けれど、そこに久登先輩の姿はない。

「いやいや。……いるわけないじゃん」

 はぁとため息をこぼした矢先、つんつんと後ろから肩をつつかれる感覚がした。
 
「ん……?」

 振り返ると、今度こそ、そこに久登先輩がいた。

「うわっ、久登先輩。びっくりしたぁ……! 後ろに立つのは反則ですけど⁉︎」

 心臓が跳ねて、変な声が出てしまった。
 そんな俺を見て、久登先輩は「反則なんだ? ごめんごめん」と言いながら、楽しそうに目を細める。

「……ちぃちゃんさ、ホワイトデーに告白するんだってね?」

 完全に聞こえていたがゆえの、茶化すような声。

「うっ、あっ、あのっ! ちょ、ちょっと待ってください!」

 慌てふためく俺に、久登先輩は容赦なく、近づいてくる。

「ねぇ、誰に?」
「……っ!」
「俺じゃないの?」
「〰〰〰〰っ!」

 動揺しすぎて、声にならない。
 物凄く会いたかった久登先輩の顔が、目と鼻の先にある。ここまでの至近距離は、無理だ。俺の心臓がもたない。
 息を吸ったはずなのに、吐き方が分からなくなるし、体温が一度ならず二度くらい上がった気がする。
 そんな俺の反応を見て、久登先輩は「なーに? 聞こえないよー?」なんて言って、楽しんでる。
 この人、ほんと意地悪だ。
 だけど、今すぐ逃げ出したくなっていたら、久登先輩の方から、引き際を見つけてくれた。

「ごめんね。待つって決めたのに、ちょーっと揶揄いすぎちゃった。……ちぃちゃんがなんか元気なさそうに見えたから、つい」
 
 俺から離れて、ここでおしまいとでも言うみたいに、頭をぐしゃぐしゃと撫でてくれる。
 久登先輩のその言動で、怒る気なんて失せてしまう。
 むしろ、どこから俺に気づいて、ついてきてくれていたのだろうって気になった。
 些細な変化も見逃さないようにしてくれてるようで、顔が緩みそうになる。
 でも、このまま俺といてほしいなんて、言えるはずもない。
 
「元気なんでっ! 先輩は、気にしなくて大丈夫ですから……!」

 俺は、自分の頭に乗せられたままの手に腕を伸ばした。そっと下ろして、その手を離す。
 心配してもらえて嬉しい気持ちも、一緒にいてほしい気持ちも、必死に押し殺さなきゃいけない。まだ離れたくなかったけど、言いたいことは全部、ぐっと呑み込んだ。
 だけど、やっぱり俺は隠すのが下手みたいだ。

「ちぃちゃんはほんと、顔に出るんだから。素直なのか、素直じゃないんだか分かんないね」

 久登先輩はお見通しみたいに、くすっと笑った。
 
「……前も言いましたけど、見ないふりしてください」
「なんで?」
「最近、凄く気にしてるんで」
「あははっ。そうだね。ごめんね?」
「そうですよ」
「はいはい。分かったよ」

 久登先輩はまた軽く俺の頭を撫でて、何かを思い出したみたいに、手を離した。

「そうそう。ちぃちゃん、テストどうだった?」

 急にテストの話を振られて、俺は「そうだった!」と手を叩いた。
 今回のテストは手応えがあったのだ。
 もしかしたら、褒めてもらえるかもしれない。そう思ったら、自然と口元が緩む。
 
「ん? なーに、その顔は」
「実は……できたんですよ。高校入ってから、初めて手応え感じられました」
「えっ、本当?」

 久登先輩の声が、いつもより柔らかく聞こえた。
 でも、直接目を見て言うのは恥ずかしくて、ほんの少し視線を落とす。

「久登先輩がたくさん教えてくれたから、試験中も一緒に問題解いてた時のこと思い出したんですよね。すらすら解けて。ここ覚えてなきゃだめだよとか、はい、ここに図を書いてとか言ってくれたの、めちゃくちゃ思い出しましたよ。これでもう、久慈先生には怒られないはずなんで。本当に、ありがとうございました」

 早口でお礼を伝えてから、久登先輩の顔を見たら、なんでだろう。目を潤ませていた。
 そんな顔をされているなんて思いもしなくて、俺はわたわたしながらズボンのポケットに手を突っ込んだ。

「ちょ! これ! これ使ってください!」

 今日一度も使っていない、タオルハンカチを突き出した。数年前にワクチョコとコラボしたやつで、九尾の刺繍が入っている。

「ちぃちゃんがさ、和久とワクワクマンシール以外のことで早口になるとか、感動しかないよね」

 久登先輩は俺の手からそれを受け取るなり、ふにゃりと笑った。

「感動……?」
「うん。そんな風に言ってもらえるなんて思ってなかったからさ……ジーンときちゃった」
「久登先輩って涙脆いんですか?」
「いや、まーったく。全米が泣いた! みたいな犬の感動映画すら、泣いたことない」

 久登先輩は速攻で否定してきた。なんかもう既に、涙も引っ込んだようで、すんとした顔をしている。
 それじゃあ、そのハンカチはいらないはずだ。

「じゃあ、返してください」

 そう言って手を出したら、久登先輩はひょいとハンカチを持つ腕を挙げてしまった。

「もらっちゃだめ?」
「えっ、なんでですか」
「泣きそうになった記念に」
「えぇ……?」

 それは、俺のお気に入り。でも、なんか欲しそうな久登先輩を見たら、ダメですとも言えない。
 それに、先輩はたぶん、狐が好きだ。メッセージアプリのアイコンも狐だし、スタンプもいつもそう。
 そういうとこが、ちょっと可愛く見える。

「そんなにほしいんですか? 狐だから」
「え? 違うよ。狐も好きだけど、ちぃちゃんのだから」

 そんな風に言われたら、危うくにやけそうになった。俺はこういう、久登先輩の特別扱いに弱いのかもしれない。

「……し、仕方がないですね。わかりました。テスト勉強みてくれたお礼に、あげます」
「ほんと? 大事にするね」

 久登先輩はそう言って、ハンカチを大事そうに顔に近づける。そして、すんと鼻を鳴らしてから、目をぱちぱちさせた。

「あ。これ、ちぃちゃんの匂いする。今日からこれ持ち歩こ〜」
「──ちょ! この変態! やっぱ返してくださいっ!」

 やばい。この人に渡したら、やばい。そう思って取り返そうとしたら、相嶋たちがようやく、俺がいないことに気づいたらしい。

「千茅、何してんの、置いてくぞー!」

 どこからともなく、俺に向けて叫び声が飛んでくる。
 それと共に、山本の「えっ、白川先輩までいるじゃん!」という声。
 なんか最近、山本がやたらと絡もうとしてくるのが気に食わない。
 久登先輩は俺だけのものじゃないって分かってるけど、もやもやする。

「あ、みんなでどこか行く予定だった?」
「ちょっと──」
「千茅の家でゲームするんですよ」

 久登先輩を早く帰そうと思ったのに、俺のすぐ後ろから、山本の声がした。
 速すぎるぞ、山本の足。

「へーえ……」

 久登先輩は俺の後ろ──たぶん、山本に視線を送った後、ほんの少し難しい顔をした。

「俺も行こうかな」
 
 久登先輩のその一言で、胸が跳ねる。
 でも、俺は性格が悪いんだろう。
 山本の「白川先輩も来ますか!」という嬉々とした声が、耳障りに感じてしまった。
 友達にそう思う自分が嫌になる。
 
「でも、久登先輩、クラス会って……」
「どうせカラオケだし。和久に連絡するよ」

 久登先輩がそう言うと、山本が「じゃあ俺、相嶋に伝えてきます」と駆けて行った。
 ほんとこの人って、罪な男すぎる。
 あの山本が、従順な犬みたいになるなんて、なんとも言えないモヤつきが胸に残る。

「先輩はクラス会行った方がいいですよ」
「ダメなの?」
「だって、山本が」
 
 絶対、久登先輩に絡もうとする。
 だけど、そんなことを口に出したら、嫉妬しているのが丸わかりだ。言えるはずがなくて、口を閉ざした。

「ちぃちゃん、そんなに俺のこと好きなんだ? もっと嫉妬してくれていいよ」
「ち、違いますけど⁉︎」
「えぇ? むしろ嫉妬してよ。ちぃちゃんがヤキモチやくの嬉しいのに〜!」
「しませんって!」
「まぁそうか。俺はもう、ちぃちゃんのものだもんね?」
「……っ!」

 久登先輩がまた、俺の顔を覗き込んできて、心臓も呼吸も止まりそうになる。
 同じ高校生とは思えない、色気の滲み出る甘いマスク。垂れ気味の双眸が、俺を捉えて離してはくれない。
 近すぎる距離にも、その言葉の威力にも、俺はノックアウトされそうで。
 久登先輩と付き合ったら、俺はすぐにでも死んでしまいそうな気がした。
 だけど、その腕の中で死ねるなら、本望かもしれない──なんて思ってしまったから、俺も大概だ。