「だめだ……可愛すぎる。あぁ、なんでこんな可愛いの」
ちぃちゃんに告白した、翌週の月曜日。昼休みの教室で、俺はひたすらちぃちゃんとのメッセージのやりとりを眺めていた。
《さっき食べたワクチョコから、いったん木綿のシールが出て来ました。可愛かったです》
つい数分前に、ちぃちゃんから送られてきた、ワクワクマンシールの写真付きメッセージ。
いやいや、そんなこと送ってくるちぃちゃんこそが可愛いから。
俺は「やーばっ」と独りごちながら、ついにまにまと笑みをこぼした。
少し前まで、ちぃちゃんは棘があった。自分でもちょっとウザ絡みしちゃったなって、自覚はしてる。でも、ああしないとちぃちゃんはきっと、俺のことなんて和久の親友の枠から、絶対に外してくれなかった。
そんなちぃちゃんが、変わった。
このメッセージをどんな顔で送って来たのか。それを考えるだけで、顔が緩んでしまうくらい、俺はちぃちゃんの虜になっている。
「久登……キモい」
隣の席から、げんなりしたような和久の声が飛んできた。
「えっ、ひど」
「いや、学校では優等生でいるみたいなこと言ってたやつが、デレデレしてたらキモいでしょ」
隣を向けば、和久は呆れた顔をしながら、後ろの席の長谷川の口に、ひたすら餌付けのチョコを運んでいた。
和久だって、ちぃちゃんの前だと猫かぶりのくせに、自分のことはすぐに棚に上げる。
ちぃちゃんにバレてしまえ、この野郎。こっちはもうバレてるから、怖いものなんて何もないんだからなー!
なんて思うけど、まぁちぃちゃんの兄上様なので、俺は気に入られなければいけない。仕方ない。俺は、何も言わずにいよう。
ただ、一つムカつくのは、俺はちぃちゃんから返事をもらえなかったってのに──和久は、長谷川と付き合うことになったということだ。
ねぇー、なんで俺はちぃちゃんと付き合えないのー? って泣き叫びたい。でも、ちぃちゃんの前で格好つけた手前、口にすることは憚られた。
とはいえ、俺は絶対、幸せ者だと思う。
あのちぃちゃんから「俺……たぶん、好きになったらすごく重くなりますよ」とか言われたのだ。思い出すだけで、俺はいくらでもキモくなれる。
グフフとか声出しそうになるから、ほんと気を引き締めて学生生活を送らないと……。
あー、なんかちぃちゃんに会いたくなって来た。
会いに行っちゃ、ダメかな? もう両思いみたいなもんだし、許してもらえないかな。
そわそわしながら左手のスマートウォッチを見たら、あと10分くらい昼休みが残ってる。
全力疾走すれば、3分で会いに行けるはず。
俺が走ってる姿なんか先生たちが見たら、卒倒しそうだけど、まぁ一度くらいなら許されるだろう。
今朝引いたワクワクマンシールは、たしか子泣き爺だった。
思い返しただけで、全く可愛くない。可愛くはないけど、今のちぃちゃんなら、俺が渡せばなんだって喜んでくれる気がする。
「よし、一年の教室行ってくる。もし俺が帰って来なかったら、保健室に行ったとでも言って」
決意を固めた俺は立ち上がると、和久からの返事も聞かずに、すぐさま教室を飛び出した。
◆
廊下を走っていると、胸がじんじん熱くなる。
ちぃちゃんのことを考えたら、いつだって胸があったかくなるし、俺は生きてるんだって感じられる。
ずっと冷え切っていた俺の中に熱を与えてくれたのは、ちぃちゃんだった。
だから俺はきっと、これからいくらでも君のために頑張れるんだと思う──。
俺の実家は、市内でも大きな病院を二つ経営している。
母さんは後妻というのもあって、俺と二人の兄さんは半分しか血が繋がっていない。いや、半分も繋がっているっていうのに、俺たちの関係は希薄だった。
高校に受かった時、兄さんたちからの祝いの言葉はナシ。第一声は「俺たちに迷惑はかけるなよ」「問題を起こしたら、ただじゃ置かないからな」という何とも悲しいもの。
あの二人はそんな人たち。母さんのことが嫌いだし、そんな人が産んだ俺に、愛着を持つはずもなかった。
まぁ、兄さんたちに言われなくても、俺は問題を起こすようなヘマはしない。
俺は歌うことだけは苦手だけど、勉強も運動も何でそつなくできる。迷惑なんてかけるはずがない。
ただ、自分のために頑張る理由もなく、何かに夢中になる熱もなく、優等生の仮面を被って波風立てないように生きるだけの人生だった。
そんな俺だから、俺も兄さんたちみたいに、兄弟なんてものに思い入れなんてなかった。
でも、高校に入って仲良くなった和久からは毎日のように「弟がねー、もう可愛くて可愛くてー。俺のこと一番好きって言ってくれてさー」と、ウザいくらい聞かされる。
血が繋がってても仲悪い兄弟なんて山のようにいる。なのに、血の繋がらない弟なんて、可愛いのか? って正直、バカにしてた。
そんな血の繋がらない弟は、てっきり小学生だと思ってたのに。和久から「父さんと母さんが千茅の試合、急に行けなくなったから、久登が一緒に来てよ!」なんて連れて行かれたバスケの全国大会で、俺はちぃちゃんに出会った。
小学生の試合とか、絶対つまらないじゃん。
なんて思いながらついた遠くの会場は、まさかの中学生の大会。
興味ゼロで来たから、最初はえ? 小学生じゃないじゃん。中学生かよ? と驚きが隠せなかった。
ただ、引き込まれるのはあっという間だった。
和久が自慢するだけあって、ちぃちゃんはバスケの天才なんだと思う。
ハンドリングがえぐくて、めちゃくちゃ凄いプレーを連発。3Pはバンバン決めるし、何人抜くんだよってくらいドリブルも速いし、巧みだ。はぁ? そんなんありかよ? 中学生よな? って声が出そうなほど、視野が広すぎるパスまで繰り出す。
バスケの神様とやらが存在するなら、ああいう子を愛してやまないんだろうなって、本気で思った。
だけど、ベスト8が決まる試合で──チームの勝ちと引き換えに、ちぃちゃんは大好きなバスケを失った。
一瞬の、接触プレーだった。
相手はちぃちゃんより、遥かに体の大きい選手。ちぃちゃんは吹っ飛ばされて、膝を負傷したようだった。膝を抱えたまま、コート上から立ち上がれなかった。
ちぃちゃんの神技プレーではしゃいでいたはずの和久も、もう顔面蒼白だった。
ちぃちゃんが膝を怪我するのは、初めてじゃなかったらしい。担架で運ばれて行くちぃちゃんを前に、和久が号泣しながら、昔の怪我のことも話してくれて。俺は慌ててそんな和久を支えながら、救護室に向かった。
妙な焦燥感を抱えながら救護室に行けば、病院に行かないといけない膝の状態だったらしい。ちぃちゃんは顧問とタクシーで、近くの総合病院に向かうことになっていた。
和久は気が動転していたし、同じ車に乗せたらそれこそパニックになりそうだ。俺は自分のスマホでもう一台タクシーを呼んで、和久と病院に着いて行くことにした。
その日、出来る検査を一通りした結果、ちぃちゃんの怪我は、なかなかに酷いものだったらしい。ただ、怪我周辺の腫れも酷くて、すぐに手術はできなかったみたいだ。医師から絶対安静が言い渡されて、地元の病院で後日、手術を受ける運びとなった。
怪我をしたちぃちゃんこそが、心も体もボロボロで泣きたいはずだ。でも、和久があまりに泣くから、むしろちぃちゃんが慰めていた。
「にいちゃん、俺は大丈夫だよ。死ぬわけじゃないんだし、そんな泣かないでよ」
足をサポーターで固定したちぃちゃんは、自分の方が痛みと絶望感に苛まれていたと思う。なのに、どれだけ我慢強いんだろう。
待合室の椅子で、わんわん泣いて抱きつく和久の背中を何度もさすっていた。
泣き止んだら、和久に「顔ひどいことなってるし、にいちゃん洗っておいでよ」って伝える優しさも待ち合わせていた。
そして、和久が立ち去った刹那、少し離れたところから見ていた俺はちぃちゃんの強さに胸が震えた。
「泣いちゃダメ。泣いたら、にいちゃんを心配させる」
天井を見上げながら、必死に涙を堪えるちぃちゃんを、俺は目撃した。
俺たちは同性で、ちぃちゃんはどこからどう見ても普通の男の子。これまでたくさん女子に告白されても一度として心動かされたことなんてない。
なのに、あんな子に好きになってもらえたら……なんて考えてしまっていた。そしてその時、俺は人生で初めて何かを欲しいという感情と、胸の高鳴りを覚えた。
人が怪我して涙してるのを見て惚れる──なんて、我ながら悪趣味だと思う。
でも、自分の方が辛いはずなのに、兄を心配するその真っすぐさと、心の強さには、惹かれざるを得なかった。目が、離せなかった。
しばらくして、和久が売店でワクチョコを買って戻って来た。それを差し出すと、ちぃちゃんは「にいちゃん慰め方下手くそ」とか、涙を我慢しながらもすごく嬉しそうに笑っていた。
その姿を見て、俺が和久と場所を変わりたくなった。
無性に、抱きしめたくなった。
そこで俺の中に、誰かを守ってあげたいなんて思える感情があったことに、初めて気づいた。
それからというものの、俺の心は一個下の男の子に夢中だった。
ただ、和久の弟だからといって、接点があるはずもない。しかも、相手は一歳差とはいえ、中学生。わざわざ和久に色々情報聞き出すわけにもいかないし、高校もどこに行くのか、不明。そんな相手に恋焦がれるなんて、絶望的だった。
半ば、諦めかけていた時、俺はちぃちゃんと再会した。
入学式の日。先生から手伝いを任されていた俺は、正門を閉めてくるように頼まれて、門を閉めているところだった。
「す、すみませーん!」
大きな声が聞こえて来て、門を閉める手を止めたら、一人の新入生が滑り込むように入ってきた。
素朴な雰囲気だけど、目がくりっと大きなその子を見た瞬間、あの時の……って、俺はすぐにちぃちゃんに気づいた。
全国大会の時よりも、さらに身長が伸びていて、ほんの少し俺との距離が近くなった、ちぃちゃん。
まさか同じ高校に来ているとは思ってもみなくて、心臓が止まるかと思った。
そんなちぃちゃんは、膝の手術は成功したとは聞いていたけど、後遺症でも残ってしまったのか。学校に来るまでに走って、無理したみたいだ。膝が痛いようだった。
「ありがとうございました」と言って、体育館へ向かい始めた後ろ姿は、見るからに痛そうな歩き方をしていた。
「ねぇ、待って」
俺は咄嗟にちぃちゃんの手を掴んでいた。
「え?」
「あの、膝っ……。膝、痛いんじゃない?」
心臓がばくばくと音を立てるのを感じながら、俺はちぃちゃんに話しかけていた。
「なんで……」
ちぃちゃんはどうして分かるの? みたいな顔をして、俺を見てきた。
くりくりの黒目に、俺が映っている。そう思ったらなんていうか、全身の血が煮えたぎるようで、いい意味でぞわぞわした。
「あ、ごめんね。なんか、ちょっと痛そうな気がして」
「……いえ」
「あ、もし痛いなら、保健室連れてくよ。入学式さ、立ったり座ったり忙しないかもだし、湿布貼ってあげるから」
ちぃちゃんは戸惑っていたようだった。
でも、俺は少しでもこの子の痛みを取っ払ってあげたい一心だったから。
「ほら、俺に掴まって。体重、俺にかけてくれていいから。膝痛いなら、無理しないで」
ちぃちゃんの都合なんかお構いなしで、保健室へと連れて行った。
緊張せずに話せたと思っていたけど、湿布を貼る手は震えたし、呼吸は浅くなるし、手汗もひどければ、心臓の音もうるさかった。
それなのに、湿布を貼り終えた後のちぃちゃんは「助かりました。ありがとうございます」って、物凄く可愛い顔して笑ってくれた。俺の心臓はさらに撃ち抜かれて、息も絶え絶えになった。
ただ、俺は学校では優等生で猫をかぶってるから、接点がなければ、自分から話しかけられない。
気になるし、目で追ってしまうけど、俺は和久の友人。先輩だし、怖がらせたら嫌だなって、ひよって話しかけるわけにもいかない。遠い距離から、ちぃちゃんをただ眺めるだけの生活が続いた。
その間も、和久はまぁ、俺に自慢の嵐。
ちぃちゃんが何してくれた〜、こうしてくれた〜、こんなことしてて可愛かった〜という話を聞くだけの生活。
ギリギリと奥歯を何度噛み締めたことか。
まぁ、恋焦がれるジレンマに陥ったけど、ちぃちゃんの近況を教えてくれる和久の情報提供は有り難かった。
ただ、話を聞けば聞くほど、俺は二人の仲を怪しんでしまった。
前は、なんだこのブラコンって感じだったのに、和久がバイだと教えられてから、気が気じゃなくなった。
だから、あのクリスマスの日。つい、聞いてしまった。
ちぃちゃんが、和久を好きじゃなければいいのにと思って。俺にチャンスはあるのか、知りたかった。
そしたら、うん。見事に怒らせてしまった。
ただ、その時に俺は悟った。ただ普通に良い先輩をしていたって、ちぃちゃんは俺に靡いてくれない。俺は、和久の数多くいる友人の一人に過ぎない。
怒らせてはしまったけど、ちぃちゃんの中に入り込むなら、これまでの自分じゃダメだと思った。
そして、素の自分でちぃちゃんに絡みまくったら、少しは印象に残るんじゃないかという考えに至った。
それに……単純だけど、優等生の俺じゃなくて、本来の俺を好きになって貰いたかった。
あの瞳に、どうしても俺だけを映して欲しかった。
好きなものにまっすぐな君に、俺はどうしても好かれたかったんだ。
ちぃちゃんに告白した、翌週の月曜日。昼休みの教室で、俺はひたすらちぃちゃんとのメッセージのやりとりを眺めていた。
《さっき食べたワクチョコから、いったん木綿のシールが出て来ました。可愛かったです》
つい数分前に、ちぃちゃんから送られてきた、ワクワクマンシールの写真付きメッセージ。
いやいや、そんなこと送ってくるちぃちゃんこそが可愛いから。
俺は「やーばっ」と独りごちながら、ついにまにまと笑みをこぼした。
少し前まで、ちぃちゃんは棘があった。自分でもちょっとウザ絡みしちゃったなって、自覚はしてる。でも、ああしないとちぃちゃんはきっと、俺のことなんて和久の親友の枠から、絶対に外してくれなかった。
そんなちぃちゃんが、変わった。
このメッセージをどんな顔で送って来たのか。それを考えるだけで、顔が緩んでしまうくらい、俺はちぃちゃんの虜になっている。
「久登……キモい」
隣の席から、げんなりしたような和久の声が飛んできた。
「えっ、ひど」
「いや、学校では優等生でいるみたいなこと言ってたやつが、デレデレしてたらキモいでしょ」
隣を向けば、和久は呆れた顔をしながら、後ろの席の長谷川の口に、ひたすら餌付けのチョコを運んでいた。
和久だって、ちぃちゃんの前だと猫かぶりのくせに、自分のことはすぐに棚に上げる。
ちぃちゃんにバレてしまえ、この野郎。こっちはもうバレてるから、怖いものなんて何もないんだからなー!
なんて思うけど、まぁちぃちゃんの兄上様なので、俺は気に入られなければいけない。仕方ない。俺は、何も言わずにいよう。
ただ、一つムカつくのは、俺はちぃちゃんから返事をもらえなかったってのに──和久は、長谷川と付き合うことになったということだ。
ねぇー、なんで俺はちぃちゃんと付き合えないのー? って泣き叫びたい。でも、ちぃちゃんの前で格好つけた手前、口にすることは憚られた。
とはいえ、俺は絶対、幸せ者だと思う。
あのちぃちゃんから「俺……たぶん、好きになったらすごく重くなりますよ」とか言われたのだ。思い出すだけで、俺はいくらでもキモくなれる。
グフフとか声出しそうになるから、ほんと気を引き締めて学生生活を送らないと……。
あー、なんかちぃちゃんに会いたくなって来た。
会いに行っちゃ、ダメかな? もう両思いみたいなもんだし、許してもらえないかな。
そわそわしながら左手のスマートウォッチを見たら、あと10分くらい昼休みが残ってる。
全力疾走すれば、3分で会いに行けるはず。
俺が走ってる姿なんか先生たちが見たら、卒倒しそうだけど、まぁ一度くらいなら許されるだろう。
今朝引いたワクワクマンシールは、たしか子泣き爺だった。
思い返しただけで、全く可愛くない。可愛くはないけど、今のちぃちゃんなら、俺が渡せばなんだって喜んでくれる気がする。
「よし、一年の教室行ってくる。もし俺が帰って来なかったら、保健室に行ったとでも言って」
決意を固めた俺は立ち上がると、和久からの返事も聞かずに、すぐさま教室を飛び出した。
◆
廊下を走っていると、胸がじんじん熱くなる。
ちぃちゃんのことを考えたら、いつだって胸があったかくなるし、俺は生きてるんだって感じられる。
ずっと冷え切っていた俺の中に熱を与えてくれたのは、ちぃちゃんだった。
だから俺はきっと、これからいくらでも君のために頑張れるんだと思う──。
俺の実家は、市内でも大きな病院を二つ経営している。
母さんは後妻というのもあって、俺と二人の兄さんは半分しか血が繋がっていない。いや、半分も繋がっているっていうのに、俺たちの関係は希薄だった。
高校に受かった時、兄さんたちからの祝いの言葉はナシ。第一声は「俺たちに迷惑はかけるなよ」「問題を起こしたら、ただじゃ置かないからな」という何とも悲しいもの。
あの二人はそんな人たち。母さんのことが嫌いだし、そんな人が産んだ俺に、愛着を持つはずもなかった。
まぁ、兄さんたちに言われなくても、俺は問題を起こすようなヘマはしない。
俺は歌うことだけは苦手だけど、勉強も運動も何でそつなくできる。迷惑なんてかけるはずがない。
ただ、自分のために頑張る理由もなく、何かに夢中になる熱もなく、優等生の仮面を被って波風立てないように生きるだけの人生だった。
そんな俺だから、俺も兄さんたちみたいに、兄弟なんてものに思い入れなんてなかった。
でも、高校に入って仲良くなった和久からは毎日のように「弟がねー、もう可愛くて可愛くてー。俺のこと一番好きって言ってくれてさー」と、ウザいくらい聞かされる。
血が繋がってても仲悪い兄弟なんて山のようにいる。なのに、血の繋がらない弟なんて、可愛いのか? って正直、バカにしてた。
そんな血の繋がらない弟は、てっきり小学生だと思ってたのに。和久から「父さんと母さんが千茅の試合、急に行けなくなったから、久登が一緒に来てよ!」なんて連れて行かれたバスケの全国大会で、俺はちぃちゃんに出会った。
小学生の試合とか、絶対つまらないじゃん。
なんて思いながらついた遠くの会場は、まさかの中学生の大会。
興味ゼロで来たから、最初はえ? 小学生じゃないじゃん。中学生かよ? と驚きが隠せなかった。
ただ、引き込まれるのはあっという間だった。
和久が自慢するだけあって、ちぃちゃんはバスケの天才なんだと思う。
ハンドリングがえぐくて、めちゃくちゃ凄いプレーを連発。3Pはバンバン決めるし、何人抜くんだよってくらいドリブルも速いし、巧みだ。はぁ? そんなんありかよ? 中学生よな? って声が出そうなほど、視野が広すぎるパスまで繰り出す。
バスケの神様とやらが存在するなら、ああいう子を愛してやまないんだろうなって、本気で思った。
だけど、ベスト8が決まる試合で──チームの勝ちと引き換えに、ちぃちゃんは大好きなバスケを失った。
一瞬の、接触プレーだった。
相手はちぃちゃんより、遥かに体の大きい選手。ちぃちゃんは吹っ飛ばされて、膝を負傷したようだった。膝を抱えたまま、コート上から立ち上がれなかった。
ちぃちゃんの神技プレーではしゃいでいたはずの和久も、もう顔面蒼白だった。
ちぃちゃんが膝を怪我するのは、初めてじゃなかったらしい。担架で運ばれて行くちぃちゃんを前に、和久が号泣しながら、昔の怪我のことも話してくれて。俺は慌ててそんな和久を支えながら、救護室に向かった。
妙な焦燥感を抱えながら救護室に行けば、病院に行かないといけない膝の状態だったらしい。ちぃちゃんは顧問とタクシーで、近くの総合病院に向かうことになっていた。
和久は気が動転していたし、同じ車に乗せたらそれこそパニックになりそうだ。俺は自分のスマホでもう一台タクシーを呼んで、和久と病院に着いて行くことにした。
その日、出来る検査を一通りした結果、ちぃちゃんの怪我は、なかなかに酷いものだったらしい。ただ、怪我周辺の腫れも酷くて、すぐに手術はできなかったみたいだ。医師から絶対安静が言い渡されて、地元の病院で後日、手術を受ける運びとなった。
怪我をしたちぃちゃんこそが、心も体もボロボロで泣きたいはずだ。でも、和久があまりに泣くから、むしろちぃちゃんが慰めていた。
「にいちゃん、俺は大丈夫だよ。死ぬわけじゃないんだし、そんな泣かないでよ」
足をサポーターで固定したちぃちゃんは、自分の方が痛みと絶望感に苛まれていたと思う。なのに、どれだけ我慢強いんだろう。
待合室の椅子で、わんわん泣いて抱きつく和久の背中を何度もさすっていた。
泣き止んだら、和久に「顔ひどいことなってるし、にいちゃん洗っておいでよ」って伝える優しさも待ち合わせていた。
そして、和久が立ち去った刹那、少し離れたところから見ていた俺はちぃちゃんの強さに胸が震えた。
「泣いちゃダメ。泣いたら、にいちゃんを心配させる」
天井を見上げながら、必死に涙を堪えるちぃちゃんを、俺は目撃した。
俺たちは同性で、ちぃちゃんはどこからどう見ても普通の男の子。これまでたくさん女子に告白されても一度として心動かされたことなんてない。
なのに、あんな子に好きになってもらえたら……なんて考えてしまっていた。そしてその時、俺は人生で初めて何かを欲しいという感情と、胸の高鳴りを覚えた。
人が怪我して涙してるのを見て惚れる──なんて、我ながら悪趣味だと思う。
でも、自分の方が辛いはずなのに、兄を心配するその真っすぐさと、心の強さには、惹かれざるを得なかった。目が、離せなかった。
しばらくして、和久が売店でワクチョコを買って戻って来た。それを差し出すと、ちぃちゃんは「にいちゃん慰め方下手くそ」とか、涙を我慢しながらもすごく嬉しそうに笑っていた。
その姿を見て、俺が和久と場所を変わりたくなった。
無性に、抱きしめたくなった。
そこで俺の中に、誰かを守ってあげたいなんて思える感情があったことに、初めて気づいた。
それからというものの、俺の心は一個下の男の子に夢中だった。
ただ、和久の弟だからといって、接点があるはずもない。しかも、相手は一歳差とはいえ、中学生。わざわざ和久に色々情報聞き出すわけにもいかないし、高校もどこに行くのか、不明。そんな相手に恋焦がれるなんて、絶望的だった。
半ば、諦めかけていた時、俺はちぃちゃんと再会した。
入学式の日。先生から手伝いを任されていた俺は、正門を閉めてくるように頼まれて、門を閉めているところだった。
「す、すみませーん!」
大きな声が聞こえて来て、門を閉める手を止めたら、一人の新入生が滑り込むように入ってきた。
素朴な雰囲気だけど、目がくりっと大きなその子を見た瞬間、あの時の……って、俺はすぐにちぃちゃんに気づいた。
全国大会の時よりも、さらに身長が伸びていて、ほんの少し俺との距離が近くなった、ちぃちゃん。
まさか同じ高校に来ているとは思ってもみなくて、心臓が止まるかと思った。
そんなちぃちゃんは、膝の手術は成功したとは聞いていたけど、後遺症でも残ってしまったのか。学校に来るまでに走って、無理したみたいだ。膝が痛いようだった。
「ありがとうございました」と言って、体育館へ向かい始めた後ろ姿は、見るからに痛そうな歩き方をしていた。
「ねぇ、待って」
俺は咄嗟にちぃちゃんの手を掴んでいた。
「え?」
「あの、膝っ……。膝、痛いんじゃない?」
心臓がばくばくと音を立てるのを感じながら、俺はちぃちゃんに話しかけていた。
「なんで……」
ちぃちゃんはどうして分かるの? みたいな顔をして、俺を見てきた。
くりくりの黒目に、俺が映っている。そう思ったらなんていうか、全身の血が煮えたぎるようで、いい意味でぞわぞわした。
「あ、ごめんね。なんか、ちょっと痛そうな気がして」
「……いえ」
「あ、もし痛いなら、保健室連れてくよ。入学式さ、立ったり座ったり忙しないかもだし、湿布貼ってあげるから」
ちぃちゃんは戸惑っていたようだった。
でも、俺は少しでもこの子の痛みを取っ払ってあげたい一心だったから。
「ほら、俺に掴まって。体重、俺にかけてくれていいから。膝痛いなら、無理しないで」
ちぃちゃんの都合なんかお構いなしで、保健室へと連れて行った。
緊張せずに話せたと思っていたけど、湿布を貼る手は震えたし、呼吸は浅くなるし、手汗もひどければ、心臓の音もうるさかった。
それなのに、湿布を貼り終えた後のちぃちゃんは「助かりました。ありがとうございます」って、物凄く可愛い顔して笑ってくれた。俺の心臓はさらに撃ち抜かれて、息も絶え絶えになった。
ただ、俺は学校では優等生で猫をかぶってるから、接点がなければ、自分から話しかけられない。
気になるし、目で追ってしまうけど、俺は和久の友人。先輩だし、怖がらせたら嫌だなって、ひよって話しかけるわけにもいかない。遠い距離から、ちぃちゃんをただ眺めるだけの生活が続いた。
その間も、和久はまぁ、俺に自慢の嵐。
ちぃちゃんが何してくれた〜、こうしてくれた〜、こんなことしてて可愛かった〜という話を聞くだけの生活。
ギリギリと奥歯を何度噛み締めたことか。
まぁ、恋焦がれるジレンマに陥ったけど、ちぃちゃんの近況を教えてくれる和久の情報提供は有り難かった。
ただ、話を聞けば聞くほど、俺は二人の仲を怪しんでしまった。
前は、なんだこのブラコンって感じだったのに、和久がバイだと教えられてから、気が気じゃなくなった。
だから、あのクリスマスの日。つい、聞いてしまった。
ちぃちゃんが、和久を好きじゃなければいいのにと思って。俺にチャンスはあるのか、知りたかった。
そしたら、うん。見事に怒らせてしまった。
ただ、その時に俺は悟った。ただ普通に良い先輩をしていたって、ちぃちゃんは俺に靡いてくれない。俺は、和久の数多くいる友人の一人に過ぎない。
怒らせてはしまったけど、ちぃちゃんの中に入り込むなら、これまでの自分じゃダメだと思った。
そして、素の自分でちぃちゃんに絡みまくったら、少しは印象に残るんじゃないかという考えに至った。
それに……単純だけど、優等生の俺じゃなくて、本来の俺を好きになって貰いたかった。
あの瞳に、どうしても俺だけを映して欲しかった。
好きなものにまっすぐな君に、俺はどうしても好かれたかったんだ。

