猫かぶりな兄の親友は、ブラコンの俺を構いたい

 今日ばかりは、この駄菓子屋に近所の子達が遊びにきてくれないかと、俺は心底願った。

「ちぃちゃーん、こっち向いてよ〜」

 久登先輩は構ってよとでも言いたげに、俺の肩をツンツンとつついてくる。
 先輩が構ってちゃんなのは、知っている。でも、俺はその指が触れてくる度に体が跳ねそうになるし、顔を合わせるのはあまりに恥ずかしい。
 今はただ、耐えるように背を向けて「絶対に、嫌です!」と、断固拒否するほかなかった。

「えー、なんでー」
「別にいいじゃないですか!」
「よくなーい。昨日みたいに、ケットシー見て喜んでるちぃちゃんの可愛い顔、見たいな〜」

 久登先輩の声はおどけていて、随分と楽しげだ。
 なんなんだよ、俺のこと好きなら揶揄うのはやめてくれよ──って。いや、なんだ、好きって。久登先輩から、はっきりと告げられていないのに、何を考えているんだろう。
 俺は自分を落ち着かせるべく、頰を軽くペチペチと叩いた。
 とにかく、今は久登先輩から距離を取ろう。そうしないと、きっと先輩のことで頭がいっぱいになる。
 俺は分かりやすいって言われるから、このままじゃあ色んなものがダダ漏れになりかねない。

「む、無理です! 俺、ちょっと店の方見てきますっ! 店番しなきゃなんで!」
「えー? ちぃちゃん、ここにいるのも店番だよ?」

 うん。先輩の言う通り、小上がりにいるのも店番には違いない。だけど、俺は「それでもです!」と言って、慌ててこたつから立ち上がった。

 俺は決して、運動神経が悪いわけじゃない。ドジなわけでもない。むしろ、体を動かすのは得意だ。
 なのに──運だけは、悪いのかもしれない。
 近くに置いていた自分のリュックの肩紐に、見事に足を引っ掛けた。

「あっ──」

 やばいと思った瞬間、視界が揺れた。
 人間って、自分が転けそうになる時、なんでスローモーションに見えるんだろう。
 最悪だ。久登先輩の方に、見事に俺の体は倒れていく。
 久登先輩だって、まさか俺が転びそうになるなんて思いもしなかったんだろう。先輩の目が、まん丸になっているのが分かった。

「ちぃちゃん!」

 久登先輩は咄嗟に俺の肩を掴もうと、手を伸ばしてくれる。その腕が俺を支えてくれた──と思ったのに、俺の体は勢いよく先輩を押し倒してしまった。
 
 気づけば、俺は久登先輩の胸の上だ。
 なんてこった。俺は、何をしてるんだよ。
 急いで降りなきゃって思うのに、なぜか腰が抜けたみたいに立てない。
 なんか先輩、物凄く良い匂いするし、心臓も落ち着きを取り戻すどころか、警報レベルで鼓動を打つ。暑いわけじゃないのに、背中に汗が滲んだ。
 そんな俺の肩を抱きながら、久登先輩は小さく笑う。

「ちぃちゃんってば、逃げようとして俺の胸に飛び込んで来るとか大胆だね? これ、俺へのご褒美?」
「ち、違います!」

 腰には力が入らないけど、なんとか上体を起こした。
 久登先輩のどこか探るような双眸と目が合う。

「じゃあ……何? ちぃちゃんは、そんなに俺から逃げたい?」

 久登先輩は、俺を支えるように起き上がらせてくれながら、問いかけてくる。

「……え?」
「ちぃちゃん、逃げないでよ」

 久登先輩は右肩に添えていた手を離して、畳の上でへたり込んだ俺の頬を触ってきた。
 優しい手つきに、息を呑んでしまった。

「…………逃げて、ない」
「嘘だぁ、逃げてるよ」
「……だって」
「ちぃちゃん」

 久登先輩は俺の言葉を阻むように、名前を呼んできた。

「流石に、もうちゃんと気づいてるでしょ? 俺が、ちぃちゃん好きって。……お願い、逃げないでよ」
 
 久登先輩の甘く囁くような声に、俺は目を見開いた。
 俺にとって、生まれて初めての告白。
 それなのに、色気ダダ漏れな久登先輩とのこの状況なんて、俺には刺激が強すぎる。
 久登先輩は、本当に俺が好きみたいな甘い顔をして、こちらを見ていた。
 はくはくと唇を動かして、俺の口から声にならない息が何度も漏れる。
 あぁ、もうどうしたらいいんだ。
 絶対に今、俺はゆでだこみたいになっているはずだ。頭から湯気が出ていても、おかしくない。

 ただ、そんな動揺をしながらも、なぜか心がどんどん冷えていくのを、俺は密かに感じていた。

 久登先輩に好きだと面と向かって言われて……嬉しくないはずがない。
 俺だって……久登先輩のこと、気になってるから。
 だけど、いざ告白をされたら、嬉しさよりも怖さが上回ってしまった。
 
 だって、今の俺は自慢できるものを何も、持ってない。普通の、高校生だ。
 性別だって、久登先輩と同じ男だし、昨日のバレンタインチョコの女の子みたいに華奢でもない。
 それどころか、ついこの前まで物凄く、久登先輩に態度が悪かった。
 久登先輩に好きになってもらえる要素が、俺には見つからない。胸の奥がひやりと冷たくなるのを感じた。

「……俺のこと好きって……正気ですか?」

 俺はつい、口に出していた。
 でも、一度でも口から不安が飛び出したら、次々と出てくるというものだ。
 
「俺……空っぽなんですよ」

 そう吐き出した瞬間、膝の上で握った拳が震えた。

「怪我でバスケ辞めてから、何にも頑張れなくて、ワクワクマンシールばかりに逃げて……。久登先輩は助けてくれたけど……久慈先生に説教されてたのも、あれ、本当は自業自得なんです。だから、先輩に好きって言ってもらえる資格……俺にはなくて……」

 そこまで吐き出したところで、俺の話を静かに聞いてくれる久登先輩の目が見れなくなって、瞼を伏せた。
 先輩の気持ちを、すぐに否定してしまうなんて、俺は酷い人間だと思う。
 だけど、これで、久登先輩が諦めてくれたら……とも思っていた。
 きっと、これ以上、久登先輩が踏み込んできたら、俺は絶対この人から離れられなくなるから。
 好きになったものを、また手放さなきゃいけなくなる日が来たら──俺は耐えられない。
 
 にいちゃんは家族だし、ワクワクマンシールは物で、俺の前からいなくならないって安心できた。
 でも、久登先輩は……?
 バスケみたいに、突然全部なくなる日が来たら?

 あの時みたいに、心にぽっかり穴が空いたらって考えたら、胃がギュッと痛みを放つ。久登先輩がこれ以上、俺の中に入り込んでくるのが怖かった。
 俺は俯いて、ぐっと唇を噛み締めた。
 だけど、久登先輩は俺を逃してはくれないらしい。
 
「ちぃちゃんが空っぽ? そんなわけないよ」

 久登先輩から、そう言われた瞬間。俺の体は、先輩からギュッと抱きしめられていた。

「ちぃちゃんがさ、何を怖がってるのか、俺には分かんないけどね。俺はね、ちぃちゃんだから好きになったんだよ。好きなところ、軽く100個くらい言えそうだけど、聞く?」
「ひゃっこ……?」
「まず、笑顔が可愛いところでしょー。すぐ感情が顔に出ちゃうところでしょー。結構素直なところでしょー」

 久登先輩は茶化したような言い方で、すらすらと口にし始める。
 耳元をくすぐるような声が、なんとも羞恥を煽った。
 
「猫かぶってない素の俺に、懐いてくれたのも凄く好き。あと、鈍感なとこも魅力的だしー、真面目に俺のこと心配してくれるとこも好き。たまに不安げになるところは、守ってあげたくなる」

 聞けば聞くほど恥ずかしくなってきて、つい俺は「やめてください」と言ってしまった。

「えぇ? ちぃちゃんの魅力の1%も伝えられてないんだけど?」
「それでも、やめてください」
「あははっ。そういう案外ハッキリ物言うところも好きだよー。でも……ほんとに、最後にひとつ、言わせて。ちぃちゃんのね、好きなものにまっすぐなところが一番好き」

 久登先輩はそう言って、俺の体を離した。
 軽口を叩くみたいに俺の好きなところを次々と口にしていたのに、俺の目にした久登先輩の表情はいつになく真剣だった。
 俺がごくりと唾を飲んだ、その時。俺は、久登先輩は人の心が読めるんじゃないだろうかって思った。
 
「だから……いつか、その好きを、俺に一番向けてよ。ワクワクマンシールでも和久でも、バスケでもなくて……俺を一番にしてよ。絶対、ちぃちゃんから離れないし、俺はちぃちゃんがいたら、なんでも頑張れるから」

 その言葉で、呼吸が浅くなった。
 じわじわと涙が滲んできて、久登先輩の顔が霞んで見える。
 我慢したいのに、心も、涙もすぐに限界を迎えそうだった。なのに、久登先輩はさらに追い打ちをかけてくるらしい。

「ちぃちゃんが、俺と同じ気持ちになってくれるまで、時間がかかっていいから。いつか……俺がいたら、頑張れるって思えるようになってくれたら嬉しい。ちぃちゃんが今、疲れて頑張れないなら、いつか君が頑張る理由になれるような……そんな存在になりたい」

 ほぼ好きになりかけてる相手からこんな風に言われて、落ちない人間っているんだろうか。
 久登先輩の言葉が、全身に染み込んでくる。誰にも言えず、触れられたくなかった場所に、久登先輩がそっと優しく触れてくれたような気がして、胸が震えた。

 最初は、にいちゃんの親友でも、遠くから見るだけのかっこいい先輩だった。
 でもいざ絡むようになって、蓋を開けてみたら、揶揄われてばかりで、面倒くさい人で、正直嫌だなって思うこともあった。
 だけど、いつの間にか、俺は久登先輩にばかりに頼って、この人のおかげでたくさん前を向けた。
 そんな久登先輩の優しさに甘えてきた俺に、何か返せるものはあるんだろうか。
 それが、もし……久登先輩の言うものなら。
 思わず、言葉が口からついて出た。

「俺……たぶん、好きになったらすごく重くなりますよ。ブラコンだし、ワクワクマンシールもめちゃくちゃ集めてるし、久登先輩のこともしつこいくらい、追い回すかもしれません。同じ大学行きたいとか言い出すかもだし、久登先輩がもう疲れた、嫌だって言っても離れられないかもしれません。それでも……いいんですか?」

 絶対に今、凄く重いことを言ってる自信がある。
 だから、久登先輩は俺の言葉を聞いて、呼吸が止まったみたいに固まっていた。
 だけど、すぐに、久登先輩はちょっと息を漏らした。

「ちぃちゃん……今、ちょっと俺見るのやめてもらえる? にやつきが止まらん」

 そう言って、久登先輩は顔を隠すように、横を向く。その横顔は先輩の言う通り、口元が緩んでいた。

「え……?」
「ちぃちゃん、それ最高すぎるって」

 久登先輩は顔が緩み切ったまま、俺の方を向く。

「最高……なんですか?」
「最高! もうほんとちぃちゃんの口からそんな言葉かけるとか、えー? もう、幸せすぎる。早くちぃちゃんに重くなってもらえるように頑張るよ〜、俺。あーほんと可愛い。ちぃちゃん、たまらん」

 そんなに喜ばれるなんて思わなくて、胸の奥がじんわり熱くなる。
 あぁ、もうダメだ。認めるしかない。
 気になる人、じゃない。絶対、もう俺は久登先輩を好きになっている。
 きっと、これからどんどん好きになる。

 ニヤニヤとだらしなく笑ってるっていうのに、俺の目には久登先輩が、物凄くかっこよく見えてしまって本当に困った。
 
 でも、今はまだ、久登先輩にちゃんと「好き」とは伝えられそうにない。
 ただ、はっきりと自覚した気持ちを自分の中で大事にしたいと思った。
 久登先輩の気持ちに追いつくまでには、まだまだ時間はかかりそうだから。
 もう少しだけ待っててください。
 心の中でそう呟いて、俺は久登先輩につられて、笑った。