猫かぶりな兄の親友はブラコンの俺を構いたい

 二月真っ只中の廊下は、凍えるくらい寒い。けど、ちぃちゃんのことを考えたら、すぐにあったかくなる。
 ずっと冷え切っていた俺に熱を与えてくれたのは、ちぃちゃんだった。
 廊下を走りながら、ちぃちゃんと出会った一昨年のことを思い出していた。


 俺の実家は、代々病院を経営している。医師の父と、歯科医の母。裕福な家庭という点では、親ガチャは大成功。
 だけど、一回り以上も歳の離れた二人の兄とは、あまりに希薄な関係だった。
 高校に受かった時も、祝いの言葉はナシ。第一声は「俺たちに迷惑はかけるな」「問題を起こすなよ」という何とも悲しいもの。
 まぁ、兄さんたちに言われなくても、俺は問題を起こすようなヘマはしない。いつもイイコの久登くんでいればいい。
 有難いことに、勉強も運動もそつなくこなせる。母さん譲りの整った顔立ちと、父さん譲りの恵まれた体格のおかげで、俺の人生イージーモード。何かに夢中になる熱もなく、優等生の皮を被って生きるだけの人生だった。
 
 そんな俺からすれば、兄弟なんて面倒くさい存在だ。なのに、高校に入って仲良くなった和久は、同じ猫かぶりのくせに、俺とは違った。
 毎日のように「弟が可愛い」「俺のこと一番好きってくれる」なんて、ウザいくらい聞かされる。
 血が繋がってても仲の悪い兄弟なんて、山のようにいるのだ。義理の弟が可愛いって、嘘だろって、正直いつも腹の中でバカにしてた。

 そんな、ある日の夏休み。和久から「父さんと母さんが試合に来れなくなったから、一緒に来て!」と、バスケの試合に連れて行かれた。
 俺はてっきり弟は小学生かと思ってたから、絶対見てもつまらないじゃんって憂鬱だった。でも、新幹線で県を跨いで向かった先は、中学生の全国大会。
 中学生でにいちゃん好きって、どんなだよ? てか全国レベルの選手がブラコン? って、驚きが隠せなかった。
 でも、試合が始まれば、ちぃちゃんに引き込まれるのはあっという間だった。
 和久が自慢するだけあって、彼はバスケの天才だった。
 ハンドリングはえぐくて、何人抜きするんだよってくらいドリブルが速い。3P(スリーポイント)は連発だし、とにかく目が離せない。
 バスケの神様が存在するなら、ああいう子を愛してやまないんだろうなって本気で思った。
 だけど、ベスト8が決まる試合で──ちぃちゃんは、チームの勝ちと引き換えに、大好きなバスケを失った。

 一瞬の接触プレーだ。
 相手は遥かに体格の良い選手。ちぃちゃんは吹っ飛ばされたっきり、右膝を抱えたまま立ち上がれなかった。
 担架で運ばれていくちぃちゃんを前に、和久は大号泣。ちぃちゃんが怪我するのは、初めてじゃなかったらしい。過呼吸になる和久を必死に宥めてから、二人で救護室に向かった。
 妙な焦燥感を抱えながら辿り着けば、ちぃちゃんは顧問とタクシーで、近くの総合病院に向かうことになっていた。
 和久は気が動転していて、同じ車に乗せたら、それこそパニックだろう。だから、俺がもう一台タクシーを呼んで、和久とついて行くことにした。

 その日、できる検査を一通りした結果、ちぃちゃんはなかなかに酷い怪我を負っていたらしい。ただ、怪我周辺の腫れがひどくて、後日、地元で手術を受ける運びとなった。
 本来なら、怪我したちぃちゃんこそが、心も体もボロボロで泣きたいはずだ。でも、待合の椅子で和久があまりに泣くから、右膝を固定したちぃちゃんの方が背中を撫でていた。

「にいちゃん、大丈夫だってば。俺は恵理子(えりこ)さんと違うし、死ぬわけじゃないんだから、そんな泣くなって〜」
「でもぉ」
「へーきだから。それより、にいちゃん顔ひどいことなってるし、洗ってきなよ」

 痛みと絶望感に苛まれているはずなのに、兄を気遣える優しさ。どれだけ我慢強いんだろうって思いながら、俺は少し離れた柱にもたれかかって、じっと見ていた。
 だけど、和久がトイレに立って、見えなくなった瞬間。

「あーもう、泣いちゃダメだって。泣いたら、にいちゃんを心配させる」

 天井を見上げながら、必死に涙を堪えるちぃちゃんを目撃してしまった。
 俺たちは同性で、ちぃちゃんはどこをどう見ても普通の男の子。これまでたくさん女子から告白されても、一度も心動かされたことなんてなかった。
 俺は誰も、好きになれないんだって思ってた。
 なのに、胸の高鳴りを覚えていて、あんな子に好きになってもらえたら……なんて自然と考えていた。
 でも、すぐに口元に手を当てながら、そんな自分に戸惑った。
 大怪我して涙を堪えてるのを見て惚れる──なんて、悪趣味すぎる。
 だけど、ちぃちゃんは魅力的だ。
 自分の方が辛いはずなのに、和久を心配する心の強さと、まっすぐさ。
 その姿に、惚れるなっていう方が無理だった。
 あんな風に想ってもらえたら、どれだけ幸せなんだろうって考えてしまったら、自分の気持ちが止められなくなった。
 隣に居られる和久が羨ましい。俺があの子を守ってあげたい。絶対幸せにするから、なんだってするから……まっすぐ、俺を見てほしい。そう願ってからというものの、俺は初めて会った親友の弟に夢中になってしまった。

 ただ、和久の弟だからといって、相手は中学生だ。接点なんてあるはずがない。わざわざ和久に高校はどこに行くのかとか聞くわけにもいかなくて、そんな相手に恋焦がれるなんて、不毛だった。
 そもそも、俺たちは男同士。この気持ちは忘れた方がいいんじゃないか──と、半ば諦めていた時、ちぃちゃんと再会した。

 入学式の日。先生から手伝いを任されていた俺は、正門を閉めてくるように頼まれた。めんどくせーなんて思いながら、門に手をかけた時。

「すみませーん! すみませーん、そこの人ー!」

 どこからともなく大きな声がして、俺は手を止めた。すると、一人の新入生が門の間を滑り込むようにして、学校の敷地内に入ってくる。
 素朴な雰囲気だけど、目がくりっとしたその子を見た瞬間、俺の世界はスローモーションになった。
 いつもうるさい和久は、何も言ってなかった。なのに、目の前には、全国大会の時よりさらに身長が伸びたちぃちゃん。
 まさか同じ高校だとは思わなくて、心臓が縮んだ。

 そんなちぃちゃんの手術は、成功したって聞いてた。けど、学校に来るまでに走って、無理したらしい。
「ありがとうございました!」と言って、体育館に向かう後ろ姿は、見るからに足が痛そうな歩き方をしていた。

「ねぇ、待って」
 
 咄嗟に、ちぃちゃんの腕を掴んでいた。

「え?」
「膝」
「ひざ?」
「膝、痛いんじゃない?」

 心臓が飛び出そうなくらいバクバクさせながら、口にした。

「なんで……」

 ちぃちゃんはどうして分かるの? みたいな顔をして、俺を見てきた。
 くりくりの黒目に、俺が映っている。それを目の当たりにしたら、全身の血が煮えたぎるようで、いい意味でぞわぞわした。

「あ、ごめんね? なんかちょっと、痛そうな気がして」
「……いえ」
「あのさ、もし痛いなら、保健室連れて行くよ。入学式、立ったり座ったり大変だしさ。湿布した方がいいかなって」

 初めて会った上級生にそんなこと言われたら、普通は警戒するだろう。俺だったらする。
 だけど、少しでも痛みを取り除いてあげたい一心で、暴走してしまった。

「ほら、俺に掴まって。体重もかけていいから。膝痛いなら、無理しないで」

 ちぃちゃんの都合なんてお構いなしに、俺は保健室に連れて行った。
 ただ、この時の俺は緊張しすぎてやばかった。
 湿布を貼る手は震えるし、手汗もひどい。呼吸も浅くなって、完全不審者。正直、やばい先輩でしかなくて、今思い返しても死にたくなる。
 でも、ちぃちゃんはあの頃から、俺の下心には全く気づかない鈍い子だった。

「助かりました。ありがとうございます」

 まるで俺を凄くいい先輩みたいに、思ってくれたんだろう。物凄く可愛い顔して、無防備な笑顔を見せてくれた。
 俺は見事に、心臓を撃ち抜かれた。息も絶え絶えになって、あぁほんとに俺はこの子が好きなんだなって、再確認した。
 
 その後は一応、和久のお陰で、改めて挨拶する機会はあった。ちぃちゃんから「あの時はどうも」って言われた時は、飛び跳ねるように嬉しかった。
 けど、それ以外で関わることはない。
 俺は和久の友人で、それ以上でもそれ以下でもない。
 先輩だし、話しかけて怖がらせたら嫌だなって、ひよって話しかけられず。遠くから、いつも眺めるだけだった。
 とはいえ、ちぃちゃんが同じ高校に入ってから、和久の自慢は一層増して、近況をたくさん知ることは出来た。
 ただ、話を聞けば聞くほど、二人はただのブラコンじゃない気がしてくる。仲を怪しんでしまって、あのクリスマスの日に、やらかしてしまった。

 ──千茅くんって、和久のことそういう意味で好きなの?

 俺にチャンスはあるのか、和久を好きじゃなければいいのに。そんな気持ちが俺を焦らせて、口からついて出た。
 そしたら、見事にちぃちゃんを怒らせてしまった。
 だけど、俺は悟った。
 最終的には逃げちゃったけど、ちぃちゃんは怒らせたら──俺をまっすぐ見てくれる。
 ただ普通に良い先輩でいたって、ちぃちゃんは俺には靡かない。和久のたくさんいる友人の一人に過ぎない。
 でも、優等生の皮を剥いで、ありのままの自分を見せれば、こうしてちぃちゃんの中に、傷跡を残せるんじゃないかって思った。
 自分でも、キモいのは分かってる。
 だけど、止められなかった。
 あの瞳に、どうしても俺だけを映してほしい。
 好きなものにまっすぐで、優しいあの子に愛されてみたい。
 そう強く願ったら、体裁なんか気にしちゃいられなかった。
 ただ、怒らせた段階で、ちぃちゃんの警戒心はマックスだ。最初から好きって気持ちを全面に押し出しても、不審がられるだろうし、すぐに逃げられそう。
 まずは一歩ずつ、距離を縮めていこう。
 それでウザ絡みする先輩だって、思われたっていい。
 いつか、ちぃちゃんの気持ちを俺に向けてもらえるように、後から必死に頑張ればいい。
 ちぃちゃん、俺の気持ちに気づいて。俺を見て。そのままの俺を好きになってよ。
 そう願いながら──ちぃちゃんに近づいた。