猫かぶりな兄の親友は、ブラコンの俺を構いたい

「久登先輩、なんでチョコもらわなかったんですか? 可愛い子だったし……チョコ嫌いじゃないですよね?」

 何を話せばいいか迷いに迷った挙句、駅に向かう橋を渡りながら、俺はそう聞いていた。
 久登先輩は「えー」と言いながら、俺を見る。

「だって、ああいうのもらったら、お返ししなきゃでしょ。知らない子だったし、困るじゃん」
「そういうもの……ですか?」

 やっぱり、モテるとバレンタインの感覚も違うんだろうか。
 普通は、チョコをもらいたい男子の方が多い気がする。
 中学の頃はチョコを誰が一番もらえるか、周りは競っていた。うちのクラスのやつらも「絶対チョコもらえねぇし、共学行けばよかった〜」って嘆いていた。
 相嶋なんて「チョコ分けろ!」って、登校中にチョコをもらった山本をポカポカ殴ってたっけ。

「俺はもらうより、バレンタインは好きな子にはあげたい派かなぁ」
「出た。久登先輩の貢ぎ癖」
「え〜? そう?」
「ほんといつか、騙されそうです」

 軽口のつもりで言ったつもりだった。だけど、なぜか胸がざわりとする。
 あげたい派って……。
 やっぱり、にいちゃんにあげる感じ?

 久登先輩が俺に優しくしてくれている理由を、改めて思い出してしまう。
 久登先輩は、俺を俺として見てくれているとは思う。
 
 だけど、久登先輩とこうして仲良くなったのも、すべては俺が『にいちゃんの弟』だからだ。
 
 そうだった。にいちゃんと久登先輩は両想いだ。
 久登先輩はにいちゃんが好きだから、ブラコンであるラスボスの俺に近づいてきた。
 なんで、俺はこんな大事なことを忘れていたんだろう。

 そのことを思い出した瞬間、俺は急に久登先輩の隣にいることが、居た堪れなくなった。
 あれ、なんか胸が、苦しい。久登先輩の方が見られない。

 だけど、変に黙り込むのもおかしな気がして、話題を変えることにした。

「そういえば、久登先輩……」

 自分でもびっくりするくらい、声が少しだけ上ずってしまった。

「ん?」
「あ、えっと……明日は、カラオケどうしますか? 今日は行かないことにしましたけど、もう行きづらいですよね」

 俺は久登先輩の方を見られないまま、言葉を紡いだ。

 ワクチョコのバレンタインコラボは、明日で終わる。
 久登先輩と縮まった距離も、もうすぐまた元に戻る。

「そうだね〜。無理そうだね。久慈先生に、ちぃちゃんのフォローするって言った手前、勉強も見なきゃだし?」
「……久登先輩まで、勉強って……」

 テスト結果を思い出して、つい拗ねた声が出てしまった。
 
「カラオケ行きたかった?」
「行きたかったというか……シークレットシールに心残りが」
「それじゃ、良かった。明日は、ちぃちゃんの勉強みてあげる。それでね、ちゃんと頑張れたら──これを、あげる」

 その柔らかな声に導かれるように、俺は自然と久登先輩を向いていた。
 そして、久登先輩は俺の前に左手を出している。

 どこに持っていたのだろうか。その手には、衣服を着た、猫の妖精の星型シール。猫はカラオケのマイクを持っていた。

 まさにそれは、SNSで見た、ワクチョコとカラオケのシークレットシール。

 驚きすぎて一瞬、心臓が止まるかと思った。
 俺は咄嗟に、叫んでいた。

「ケットシーだ……! ケットシー! 可愛すぎる! え! なんで久登先輩が!?」

 久登先輩の手を勢いよく、両手で掴んでしまう。ただ、あまりに激しく手に触れてしまったからか、久登先輩を驚かせてしまったみたいだ。先輩の手がビクッと跳ねたのに気づいて、サッと手を離した。

「すみません! 急に手を掴んじゃって。……でも、久登先輩、これ、どうしたんですか?」
「あー…… 実はさ。ほんとは、この前ね、一人でカラオケ行ってたんだよね」

 一人でカラオケに行ってた……?
 久登先輩の言葉が、聞き間違えかと思った。
 なぜ、歌が苦手な久登が一人で?
 ぱちぱちと瞬きを繰り返して、先輩に「今、なんて……?」と聞き返す。

「えっと……一人でカラオケ行って、引いてたんだよね」
「嘘ですよね?」
「いや、ほんとです。……だって、ちぃちゃん、当日出なかったら絶対落ち込むでしょ。だから、保険で引きに来てた」

 照れくさそうに、久登先輩は自分の頰をぽりぽりと掻く。
 俺のために? 落ち込むからって……?
 なんで、そこまで──って思ったところで、久登先輩が、ふっと柔らかく笑った。

「これ、明日のバレンタインの……チョコ代わりね」
「………………え?」

 久登先輩の言葉が、うまく飲み込めない。
 さっき、バレンタインは『好きな子にはあげたい派』だって言っていたはずだ。
 
 待って……バレンタインの、チョコ代わりって。
 まるで、それは久登先輩の好きな人が、俺だと言っているみたいじゃないか。

 あれ。そういえば、俺は久登先輩の口から、一度たりともにいちゃんが好きだとは聞いていない。

 ──和久のこと、恋愛的に好きなの?

 そう言われたけど、あれは俺の勘違い……?
 
 顔どころか、全身に火がついてしまったみたいに、熱が回っていく。
 心臓が早鐘みたいに激しく鳴って、死にそうだ。

 なのに、当の久登先輩は涼しい顔をしている。
 いや、むしろ──。

「ちぃちゃん、明日が楽しみだね?」

 久登先輩は俺を揶揄うみたいに、物凄く悪い顔をしていた。 

 俺の頭はキャパオーバーだったらしい。
 その後の、俺が家に帰るまでの記憶は見事にあやふやだった。