猫かぶりな兄の親友はブラコンの俺を構いたい

 今日ばかりは、この駄菓子屋に誰か来てくれと本気で願った。
 久登先輩からシールを渡されて、早十分。俺はコタツから出て、小上がりの奥で膝を抱えていた。

「ちぃちゃーん、こっち向いてよぉ〜」

 久登先輩は何度もしつこく、後ろから俺の肩をつついてくる。
 勉強を見てくれたし、進路相談にも乗ってくれた。だから、こんな態度とっちゃいけないことくらい、分かってる。
 でも、その指先が触れてくるだけで心臓が破裂しそうなのだから、久登先輩の方を向けるはずがない。

「絶対に嫌ですよ!」

 そう断固拒否する他、選択肢がなかった。

「えぇ〜? なんで〜?」
「別にいいじゃないですか」
「よくなーい。昨日みたいなちぃちゃん、見たいもん」
「昨日みたいって……」
「ケットシーで喜んでたちぃちゃん、可愛かったなぁ〜」

 久登先輩の声は随分とおどけて、楽しそうだった。
 なんだよ。俺のことが好きなら、そんな風に揶揄うなよ──って。いや、なんだ好きって。口ではっきり告げられていないのに、何を考えてるんだ。
 自分の思考に恥ずかしさを覚えて、俺は口元に手を当てた。
 あぁ、もう。色んなものがダダ漏れになる前に、とにかく久登先輩から離れよう。じゃないと、また久登先輩で頭がいっぱいになってしまう。
 
「無理なんで! 俺、ちょっと店の方見て来ます! 店番しなきゃなんでっ」
「えー? ここにいるのも店番じゃないのー?」

 久登先輩の言葉は、その通りだ。だけど、二人でこの小上がりにいるわけにはいかない。

「それでもです!」

 俺は慌てて、立ち上がった。振り返って、久登先輩を避けて店に向かおうとした、次の瞬間。近くに置いてあったリュックの肩紐に、足が引っかかってしまった。

「あっ──」

 やばいと思った時には、もう遅い。視界が揺れた。あっという間に、俺は久登先輩の方へ倒れていく。

「ちぃちゃん!」

 久登先輩は俺を庇うように、咄嗟に手を伸ばしてくれる。筋肉質な腕が俺を支えてくれた──と思ったのに、勢い余って巻き込んでしまった。
 気づけば、俺は久登先輩の胸の上。
 ドドドドッと、警報レベルの速さで心臓が大暴れした。
 急いで降りなきゃって分かってるのに、やばい。腰が抜けた。すぐに立ち上がれない。
 そんな俺の肩を抱いて、久登先輩はくすっと小さく笑う。

「ちぃちゃんってば、逃げようとして飛び込んでくるとか、大胆だね? これって俺へのご褒美?」
「なっ、なわけないでしょ!」

 俺は叫びながら、下半身に力が入らないなりに、なんとか上体を起こす。
 すると、久登先輩のこちらを探るような双眸と目が合った。

「じゃあ、何? ちぃちゃんは、そんなに俺から逃げたい?」

 久登先輩は腕で俺を支えながら、起き上がらせてくれる。

「……え?」
「ちぃちゃん、逃げないでよ」

 久登先輩は、畳でへたり込む俺の頰に、そっと触れてくる。あまりに優しい手つきと、切なげに揺れる瞳が俺を離してくれなくて、静かに息を詰めた。
 
「…………逃げて、ない」
「嘘だぁ、逃げてるよ」
「だって」
「ちぃちゃん」

 久登先輩は俺の言葉を阻むように、名前を呼んできた。

「流石にもう、気づいてるよね」
「……何が」
「俺が、ちぃちゃんを好きだって。……お願い、逃げないでよ」

 初めて聞く、久登先輩の懇願するような声に、俺は目を見開いた。
 俺にとって、たぶんこれが人生初の告白だ。
 それが、色気ダダ漏れのこの人からのものだなんて──俺には、刺激が強すぎる。
 久登先輩は凄く真剣な眼差しを向けてくれていて、俺ははくはくと唇を動かした。何度も、声にならない息が口から漏れる。
 どうしたらいいか、分からない。
 だけど、今ひとつわかることがある。体の反応とは裏腹に、なぜか心がどんどん冷えていくのを俺は感じていた。
 
 久登先輩に好きだって言われて、嬉しくないはずがない。俺だって……久登先輩が気になって、ここ最近はずっと先輩のことばかり、考えてる。
 だけど、いざ告白されたら、嬉しさよりも怖さが上回ってしまった。
 だって、俺は、久登先輩みたいに魅力のある人間じゃない。
 何もない人間だし、ついこの前まで久登先輩への当たりも強かった。
 好きになってもらえる要素なんて、見当たらない。

「俺のこと好きって……正気ですか?」

 こんな返ししたくないのに、つい口に出していた。
 久登先輩はまっすぐ俺を見てくれてる。でも、一度でもこぼれ落ちた不安は、止まることを知らない。

「俺……空っぽなんですよ」

 そう吐き出した瞬間、膝の上で握った拳が震えた。

「怪我でバスケ辞めてから、俺って、何にも頑張れないんですよ。久登先輩は助けてくれたけど……久慈先生に説教されてたのも、ほんとは自業自得なんです。だから、先輩に好きって言ってもらえる資格……俺にはなくて……」

 そこまで吐き出したところで、久登先輩の目が見れなくなって、瞼を伏せた。
 先輩の気持ちをすぐに否定するなんて、酷い人間だと思う。
 だけど、これで諦めてくれたら……とも思っていた。
 きっと、これ以上、この人が踏み込んできたら、俺は絶対この人から離れられなくなる。
 だけど、バスケが突然できなくなった時みたいに、久登先輩が俺の前からいなくなる日が来たら──どうしよう。そんな恐怖がある。
 あの時みたいに、心にぽっかり穴が空いたらって考えただけで、胃がギュッと痛む。
 大事なものが自分の手からこぼれていくのを、もう二度と味わいたくない。
 だから、これ以上、俺の中に入り込まないで欲しい。今ならまだ、間に合うから。
 そう願いながら、ぐっと唇を噛み締めて俯いた。
 だけど、久登先輩は俺を逃してはくれないらしい。
 
「ちぃちゃんが空っぽ? そんなわけないよ」

 そう言いながら、俺をギュッと抱きしめてくれた。

「ちぃちゃんがさ、何を怖がってるのか、俺には分かんないけどね。俺はね、ちぃちゃんだから好きになったんだよ。好きなところ、軽く100個くらい言えそうだけど、聞く?」
「ひゃ、100個⁉︎」
「うん。まず、笑顔が可愛いところでしょー。すぐ感情が顔に出ちゃうところでしょー。結構素直なところでしょー」

 久登先輩は茶化したような言い方で、すらすらと口にし始める。
 耳元をくすぐるような声が、すっと俺の中に入り込もうとする。
 
「猫かぶってない素の俺に、懐いてくれたのも凄く好き。あと、鈍感なとこも魅力的だしー、真面目に俺のこと心配してくれるとこも好き。たまに不安な顔する時は、守ってあげたくなる」

 聞けば聞くほど恥ずかしくなってきて、つい俺は「やめてください」と言ってしまった。離してほしくて、久登先輩の胸を押す。
 でも、びくともしない。むしろ、より強く抱きしめられてしまった。

「えぇ? ちぃちゃんの魅力の1%も伝えられてないんだけど?」
「それでも、やめてください」
「あははっ。そういう案外ハッキリ物言うところも好きだよー。でも……ほんとに、最後にひとつ、言わせて。ちぃちゃんのね、好きなものにまっすぐなところが一番好き」

 久登先輩はそう言って、ようやく俺の体を離してくれた。
 軽口を叩くみたいに、俺の好きなところを次々と口にしていたのに今、目にする久登先輩は、いつになく真剣な表情だ。
 俺がごくりと唾を飲んだ、その時。久登先輩は人の心が読めるんじゃないだろうかって思った。
 
「だから……いつか、その好きを俺に一番向けてよ。ワクワクマンシールでも和久でも、バスケでもなくて……俺を一番にしてよ。絶対、ちぃちゃんから離れないし、俺はちぃちゃんがいたら、なんでも頑張れるから」

 その言葉で、呼吸が浅くなった。
 じわじわと涙が滲んできて、久登先輩の顔が霞んで見える。
 我慢したいのに、心も、涙腺も、すぐに限界を迎えそうだった。なのに、久登先輩はさらに追い打ちをかけてくる。

「ちぃちゃんが、俺と同じ気持ちになってくれるまで、時間がかかっていいから。いつか……俺がいたら、頑張れるって思ってくれたら、嬉しい。ちぃちゃんが今、疲れて頑張れないなら、頑張る理由になれるような……そんな存在になりたい」

 久登先輩は、ふとした時に頭の中に浮かぶ存在だ。そんな人から、こんな風に言われて落ちない人間っているんだろうか。
 久登先輩の言葉が、全身に染み込んでくる。誰にも言えず、触れられたくなかった場所に、そっと優しく触れてくれたような気がする。
 胸が震えて、涙が頬を伝った。

「……俺、男ですよ?」

 ぽつりと零した言葉に、久登先輩は瞬きもせずに「そうだね?」って、笑った。

「そうだねって──」
「男を好きになるとは思ってなかったけど、ちぃちゃんだから好きになった」

 そう言いながら、久登先輩は俺の涙を指ですくってくれる。
 優しい声で紡がれる言葉に、触れてくる指先に、胸の奥がじんわり熱くなる。

 最初は、にいちゃんの親友でも、遠くから見るだけのかっこいい先輩だった。
 でも、いざ絡むようになったら、揶揄われてばかりで、面倒くさい人で。正直嫌だなって思うこともたくさんあった。
 だけど、いつの間にか俺は久登先輩に頼っていたし、この人のお陰で前を向けそうだって思えた。
 俺も……きっと久登先輩だから、こんなにも惹かれるんだ。

 この人の優しさに甘えてきた俺に、何か返せるものはあるんだろうか。
 それが、もし……久登先輩の言うものなら、俺は──。
 思わず、言葉が口からついて出た。

「俺……たぶん、好きになったらすごく重くなりますよ。ブラコンだし、ワクワクマンシールもめちゃくちゃ集めてるし、久登先輩のこともしつこいくらい、追い回すかもしれません。同じ大学行きたいとか言い出すかもだし、久登先輩がもう疲れた、嫌だって言っても離れられないかも。それでも……いいんですか?」

 絶対に今、凄く重いことを言ってる自覚はある。
 だから、久登先輩は俺の言葉を聞いて、呼吸が止まったみたいに固まっていた。
 やってしまった──そう思って、逃げ出したくなった時、久登先輩が息を漏らすのが分かった。

「ちぃちゃん……今、ちょっと俺見るのやめてもらえる? にやつきが止まらん」

 そう言って、久登先輩は顔を隠すように、横を向く。その横顔は先輩の言う通り、口元が緩んでいた。

「え……?」
「ちぃちゃん、それ最高すぎるって」

 久登先輩は顔が緩み切ったまま、また俺の方を向いた。

「最高……なんですか?」
「最高! もうほんとちぃちゃんの口からそんな言葉かけるとか、えー? もう、幸せすぎる。早くちぃちゃんに重くなってもらえるように頑張るよ〜、俺。あーほんと可愛い。ちぃちゃん、たまらん」

 そんなに喜ばれるなんて思わなくて、全身が震えた。
 あぁ、もうダメだ。認めるしかない。
 絶対、もう俺は久登先輩を好きになってる。
 きっと、これからどんどん好きになる。
 久登先輩はニヤニヤとだらしなく笑ってるのに、俺の目には物凄くかっこよく見える。本当に困った。
 
 でも、今はまだ、久登先輩にちゃんと「好き」とは伝えられそうにない。
 ただでさえ、今の俺は久登先輩の前になると、心臓が追いつかないのだ。
 もし、このまま付き合ったら、ぜぇぜぇ息切れして、一人で疲れてしまうのが目に見える。
 だから、今はまだ、自覚したばかりの気持ちを大事にしたい。
 久登先輩の気持ちに追いつくまでには、まだ少し時間がかかりそうだから。付き合うなら、ちゃんと100%の気持ちを渡したい。

「今すぐは無理です。でも……久登先輩から逃げる気はないんで。気持ちが追いつくまで、待っててくれますか?」

 そう言ったら、久登先輩は満面の笑みを浮かべてくれた。

「そんなの、当たり前じゃん〜! 待つ待つ! いくらでも待つ〜!」

 久登先輩に、またギュッと抱きしめられた。
 早くこの人の気持ちに、追いつきたい。
 そっと、俺も久登先輩の広い背中に腕を回して、釣られて笑みを溢した。