猫かぶりな兄の親友は、ブラコンの俺を構いたい【改稿作業中・4話まで済】

 二日後、バレンタイン前日の金曜日。俺は帰りのLHRで、担任の久慈(くじ)先生から苦言を呈されていた。

「おい、相良。この結果はなんだ?」

 教壇に立つ先生の手元には、抜き打ちで行われる実力テストの結果だ。
 居心地の悪い視線を一身に浴びて、口の中に苦いものが広がっていく。
 でも、こんなところで説教くらうなんて、公開処刑だ。さっさと撤退しようと、笑って誤魔化す。

「あははっ。すみません。遊びすぎちゃいました」
「お前なぁ……一年だからって気を抜きすぎだ」

 はぁ、とため息をつかれる。
 腹の中では、うるさいなぁと毒づきながらも「すみません」と謝っておいた。

「もういい。あとで職員室に来い。個別で話がある」
「はーい」

 軽く返事をしながら、テスト結果を受け取る。自分の席に戻って、成績表を見た俺は絶句した。
 は? 何これ、嘘だろ?
 クラス順位は35人中33位。前回は15位だったのに、落ちすぎだ。そりゃ、怒られるわな。
 まぁ、こんなに成績が落ちるのも仕方がなかった。
 今の俺は、勉強を頑張る理由が見つからないからだ。
 将来も見えなくて、ただ惰性で学校に来る。そして、趣味にばかり逃げる。その繰り返し。
 だけど、怒られるのはもちろん嫌なわけで。
 LHRが終わって「最悪だぁ〜」と机に伸びていたら、相嶋と山本に「どんまーい」って肩を叩かれた。

「死んだわ、俺。職員室でボコされる」

 顔を上げたら、二人は他人事だと思ってニヤニヤしていた。

「おう、ボッコボコになって来い」
「相嶋と骨だけは拾ってやるよ」
「お前ら、楽しんでんだろ! もういい! ワクチョコ100個くらいお供えしてくれ!」

 俺は二人とそんな軽口を叩いてから、教室を後にした。
 
 職員室前の廊下は薄暗くて、余計に足取りが重くなる。マジで、今すぐ家に帰りたい。

「失礼します」

 そっと扉を開けて、忍者のように息を潜めながら職員室に入った。
 職員室って、なんでこんなに緊張するんだろうな。いや、怒られに来たから当たり前なんだけど。
 入るなり、緊張で視野がギュッと狭くなる。だけど、急に耳慣れた声が聞こえてきて、遠くに目が行った。
 職員室の奥には、久登先輩。
 学校での先輩は、優等生だ。俺とは違うから、何か頼み事でもされているらしい。近くにいた若い女の先生から、ぺこぺこと頭を下げられていた。

 うわ、最悪だ。説教されてるとこ、久登先輩には見られたくない。お願いだから、俺には気づかないでくれ。格好悪いところばっか、この人にだけは見られたくない。
 だけど、心と裏腹に、俺の目は久登先輩に奪われていて、勢いよく先生の怒号が飛んできた。

「おい! 相良! 何をボーッとしとる! 早く来い!」
「あっ、はい。すみません」

 慌てて、久慈先生の元に向かう。
 先生は俺の成績表のコピーを手に、盛大なため息をこぼした。

「お前なぁ、最近たるみすぎじゃないか?」

 久慈先生は眉をひそめながら、俺を見上げてくる。座ってるはずなのに、先生の肉付きが良すぎて、威圧感が凄い。

「あー、はい。すみません」
「謝るくらいなら、ちゃんと勉強しろ。お前のにいちゃんは──」

 去年、にいちゃんの担任だったらしい久慈先生は、すぐ俺たちを比べる。
 俺はにいちゃんと違って、出来損ない。そんなの俺が一番分かってるんだから、わざわざ現実を突きつけなくていいっての。ほんと面倒くさい。
 でも、変に突っかかっても、火に油を注ぐだけだ。
 説教は右から左に聞き流しながら「はぁ」と相槌だけ打った。
 だけど、久慈先生は小言が多いで有名だ。
 嫌な予感がした。

「にいちゃんと違うからって腐るなよ? そのー…なんだ? ワクワクマンシール? だったか。そのせいで、カラオケに出入りしてたって、岩渕先生に聞いたぞ。そんなもんに夢中になる暇があれば──」

 久慈先生の言葉は、耳に届いている。なのに、ワクワクマンシールのことが聞こえた瞬間、耳に膜が張られたようだった。うるさい声が、少し遠のく。

 ワクワクマンシールは、俺の心の拠り所だ。
 どんなに辛いことがあっても、シールが俺を癒してくれた。
 大事なものが、そんなもん扱いされるなんて、許せるはずがない。
 簡単に言うなよ。何も知らないくせに。
 否定されたのが悔しくて、ぐっと奥歯を噛み締めた。
 でも、言い返したいのに、できない。むしろ、胃がキリキリと痛んで、俺はみぞおち辺りを押さえた。

「相良、聞いてるのか?」

 訝しげな目を向けられて、咄嗟に「聞いてます」と返す。
 久慈先生はそんな俺に言い聞かせるみたいに、いつもより優しい声を出した。

「相良。本来のお前は、バスケで全国ベスト8に行けるくらいの努力家なんだ。あの中学のバスケ部は成績も上位じゃないと、試合にも出られないんだろう? 怪我したのは可哀想だが、お前は勉強の頑張り方も知ってる。だから、この高校にも入れたんだ。なら、次は勉強に身を入れたらどうだ? シールなんかにかまけず。帰宅部なんだし、今から頑張れば、旧帝大も夢じゃ──」

 きっとこの人は、励ましのつもりで言っているんだろう。
 先生くらい教師生活も長ければ、俺にポテンシャルがあるとか思うのかもしれない。

 だけど、そういう期待は、ウザすぎる。
 俺は、好きでバスケを辞めたわけじゃない。膝が脆くなかったら、何度も怪我を繰り返さなかったら、今だって続けてた。まだコートで走り回りたかった。
 でも、もう俺の足じゃあ、前のようなプレーはできない。
 だから、この高校に来たんだ。にいちゃんが「うちの高校、バスケ部ないよ」って教えてくれて。
 大好きなものを、嫌いになりたくなかったから。
 別に、いい大学に行きたいからこの学校に来たわけじゃない。
 そんな俺を癒してくれたのが、大好きなワクワクマンシールだった。集めてると、心が落ち着く。

 でも、それだけじゃあ、どうやって頑張ればいいか分からなくて……。今の俺は、勉強にも身が入らない。
 そんな俺に、勝手に期待を寄せられても、困る。
 あぁ、もう無理。何も考えたくない。
 早く、誰もいないところに行きたい。
 胃だけじゃなくて、古傷の膝までズキズキと痛み始める。
 こんな自分が悔しくて、情けなくて、視線が下を向いた時だった。

「先生。俺もワクワクマンシール集めてるんですけど」

 背後から、冷たい響きを孕んだ声がした。
 振り返った先にいた久登先輩は、久慈先生を軽蔑するような険しい表情をしていた。