園遊会から戻ると、女中さんに手伝われ、重く、華美だった振袖からようやく解放された。
帯がほどけるたび、身体の芯まで締めつけられていたものが少しずつ緩み、息が戻ってくる。
自室に戻った途端、緊張の糸がぷつりと切れ、膝がガクガクと笑い始め、その場に立っているはずなのに、足裏の感覚だけが頼りない。
まだ、足が地面にしっかりと着いていない……。
ふわふわと、雲の上を歩いているみたいに。
耳の奥には、園遊会のざわめきが残響としてまとわりつき、誰かの視線だけが遅れて追いかけてくる。
一日中、見知らぬ高貴な人々の好奇の目に晒されていたせいだろう。
五条様の隣に立っていたあの時間は、夢だったのか、それとも現だったのか。
境界線が曖昧になって、胸の内だけがずっと揺れている。
「顔色が優れませんね、すみれ様。少し蒼白でいらっしゃいます」
女中さんが心配そうに、私の顔を覗き込む。
その声が優しいほど、私は自分が弱っていることを思い知らされて、情けなくなる。
「熱めのお湯の支度をいたしますので、身体を温めて、すぐに横になってお休みくださいませ」
「……はい」
湯殿に案内され、衣を脱ぐ。
櫛でまとめられていた髪がほどけ、肩へ落ちたとき、やっと『終わった』と思ったはずなのに、心臓の鼓動はまだ速い。
鏡に映った自分の痩せた身体が、振袖を纏っていた華やかな姿とあまりにもかけ離れていて、酷くみすぼらしく見えた。
鎖骨の尖り、細すぎる腕、薄い胸。
——こんな、なんの『華』を持たない、価値のない身体を、五条様は。
園遊会で、ふと向けられた五条様の横顔を思い出す。
誰かに挨拶を返しながら、片手で守るように私の腰を支えてくれた、あの大きな手の温もり。
振袖の裾を踏みそうになった瞬間、耳もとに落ちてきた低く、甘い声。
『すみれ』
優しく、丁寧に名前を呼ぶお声。
私のような『無華』にかけるには、あまりにも優しすぎる。
甘さに溺れたら、きっとあとで後悔する——そんな予感が、舌の裏に苦く残る。
『お前のような『無華』が、宮家の嫡男のお側にいていいわけないだろう!!』
先ほど父から投げつけられた、憎悪に満ちた言葉が、頭の中で鋭い刃のように何度も私の胸を刺してくる。
刺さって、抜けなくて、呼吸のたびに痛む。
……だから、いけない。こんな夢を見ては。
こんなふうに、期待しては。
かき混ぜられた胸の内を振り払うように、熱めの湯船に身を沈めた。
湯気が頬を撫で、濡れた肌にじん、と熱が染みていく。
張っていた緊張と疲れが、ゆっくり、ほどけていく……はずだった。
熱い湯が全身を包み込み、滞っていた血の巡りが戻ってくる——はず、だった。
「……あれ」
湯気に霞むはずの視界の端が、不自然に滲みだす。
耳鳴りが一気に高くなり、頭の奥で鈍い痛みが膨らむと、胸の奥がきゅう、と締めつけられ、息が浅くなる。
息が……何一つ、肺に空気が入ってこない。
——だめ。立たないと。
そう思って立ち上がろうとした瞬間、足から一気に力が抜けた。
重力が消えたように身体がぐらつき、湯面が大きく揺れて、世界が傾く。
まずい……
そう思ったときには、もう遅くて。
手を伸ばした先の湯船の縁は、果てしなく遠い。
指先が空を掻くだけで掴めず、視界が白く弾ける。
「っ——」
湯船に身体が落ちる大きな水音さえ、まともに耳へ届かなかった。
熱も痛みも、すべてが遠のいていく。
私の意識は、そこで暗闇へと閉ざされた。
帯がほどけるたび、身体の芯まで締めつけられていたものが少しずつ緩み、息が戻ってくる。
自室に戻った途端、緊張の糸がぷつりと切れ、膝がガクガクと笑い始め、その場に立っているはずなのに、足裏の感覚だけが頼りない。
まだ、足が地面にしっかりと着いていない……。
ふわふわと、雲の上を歩いているみたいに。
耳の奥には、園遊会のざわめきが残響としてまとわりつき、誰かの視線だけが遅れて追いかけてくる。
一日中、見知らぬ高貴な人々の好奇の目に晒されていたせいだろう。
五条様の隣に立っていたあの時間は、夢だったのか、それとも現だったのか。
境界線が曖昧になって、胸の内だけがずっと揺れている。
「顔色が優れませんね、すみれ様。少し蒼白でいらっしゃいます」
女中さんが心配そうに、私の顔を覗き込む。
その声が優しいほど、私は自分が弱っていることを思い知らされて、情けなくなる。
「熱めのお湯の支度をいたしますので、身体を温めて、すぐに横になってお休みくださいませ」
「……はい」
湯殿に案内され、衣を脱ぐ。
櫛でまとめられていた髪がほどけ、肩へ落ちたとき、やっと『終わった』と思ったはずなのに、心臓の鼓動はまだ速い。
鏡に映った自分の痩せた身体が、振袖を纏っていた華やかな姿とあまりにもかけ離れていて、酷くみすぼらしく見えた。
鎖骨の尖り、細すぎる腕、薄い胸。
——こんな、なんの『華』を持たない、価値のない身体を、五条様は。
園遊会で、ふと向けられた五条様の横顔を思い出す。
誰かに挨拶を返しながら、片手で守るように私の腰を支えてくれた、あの大きな手の温もり。
振袖の裾を踏みそうになった瞬間、耳もとに落ちてきた低く、甘い声。
『すみれ』
優しく、丁寧に名前を呼ぶお声。
私のような『無華』にかけるには、あまりにも優しすぎる。
甘さに溺れたら、きっとあとで後悔する——そんな予感が、舌の裏に苦く残る。
『お前のような『無華』が、宮家の嫡男のお側にいていいわけないだろう!!』
先ほど父から投げつけられた、憎悪に満ちた言葉が、頭の中で鋭い刃のように何度も私の胸を刺してくる。
刺さって、抜けなくて、呼吸のたびに痛む。
……だから、いけない。こんな夢を見ては。
こんなふうに、期待しては。
かき混ぜられた胸の内を振り払うように、熱めの湯船に身を沈めた。
湯気が頬を撫で、濡れた肌にじん、と熱が染みていく。
張っていた緊張と疲れが、ゆっくり、ほどけていく……はずだった。
熱い湯が全身を包み込み、滞っていた血の巡りが戻ってくる——はず、だった。
「……あれ」
湯気に霞むはずの視界の端が、不自然に滲みだす。
耳鳴りが一気に高くなり、頭の奥で鈍い痛みが膨らむと、胸の奥がきゅう、と締めつけられ、息が浅くなる。
息が……何一つ、肺に空気が入ってこない。
——だめ。立たないと。
そう思って立ち上がろうとした瞬間、足から一気に力が抜けた。
重力が消えたように身体がぐらつき、湯面が大きく揺れて、世界が傾く。
まずい……
そう思ったときには、もう遅くて。
手を伸ばした先の湯船の縁は、果てしなく遠い。
指先が空を掻くだけで掴めず、視界が白く弾ける。
「っ——」
湯船に身体が落ちる大きな水音さえ、まともに耳へ届かなかった。
熱も痛みも、すべてが遠のいていく。
私の意識は、そこで暗闇へと閉ざされた。



