組まれた五条様の腕が、わずかに強く力を込める。
「顔を上げろ。心配するな」
心配……そんな軽い言葉じゃない。
彼らの視線が、『無華』である私の瞳の奥を覗き込み、私の存在そのものを否定している気がする。
今すぐにでも振袖の裾で顔を隠してしまいたくて仕方がない。
やはり、この場にいる誰もが、『無華』である私を、場違いだと思っているに違いない。
足が、恐怖で震えているのがわかる。
膝の内側が勝手に小刻みに揺れて、草を踏むたびに、足裏だけが空回りするみたいだ。
ここで立ち止まり、振り返って、逃げ出したい。
けれど——五条様から離れて、一人この場所に残されることのほうが、もっと恐ろしい。
五条様の歩幅に合わせて進むことしかできない。自分の足で歩いているはずなのに。
振袖の袖が、五条様の深く濃い紺色の礼装の裾に触れるたびに、胸が焼けるように熱くなる。
その触れ合い一つで、五条様の隣にいると改めて実感させられて、息が詰まる。
私なんかが……!
こんなふうに五条様に扱われていいわけがないのに。
腰に回された手の温もりも、組まれた腕の確かさも、ぜんぶ分不相応で、いつか罰として剥がされる予感がする。
それでも、五条様は人々の視線やざわめきに少しもうろたえず、止まることなく堂々と歩を進めていく。
この庭園の空気ごと、すべてを従わせるみたいに。
私はただ、置いていかれないように、芝生を踏みしめるだけだった。
やがて、人々の鋭い視線の波が少しだけ遠のいていく。
庭園の奥、招待客が比較的まばらな場所へと進むにつれ、色とりどりの人々の間から、深く穏やかな木々の緑が目に入り始めた。
葉擦れの音が、ざわめきの隙間に落ちる。少しだけ、息が戻る。
「ここなら、まだ静かなほうだ」
そう言って、五条様は芝生の端、大きな木陰に近い場所まで私を連れていってくれた。
振袖の裾が柔らかな草を撫で、春の少し冷たい風が袖口のあいだから、汗ばんでいた肌を静かに冷ます。
冷えるはずなのに、五条様の腕を掴む手の平だけが熱い。
すぐそばには、白いテーブルとテントがいくつか並んでいた。
磨き上げられた銀のトレーには、シャンパンゴールドのグラスや、色とりどりの小さな菓子、上品なサンドイッチが整然と並んでいる。
係の方が五条様に静かに頭を下げ、深く一礼した。
「お飲み物はいかがなさいますか、殿下」
「彼女に、喉越しがよい甘いものを。……すみれ?」
ふいに、優しく名を呼ばれ、びくりと肩が震えた。
まだ意識が周囲に囚われていて、どこを見ても『見られている」ような気がしてくる。
「な、何でも……結構です……」
「何でもは困るだろう。とにかく何か飲め」
そう言われても……とてもじゃないけれど選ぶことなんて……
五条様はわずかに目を細め、用意されたメニューにちらりと視線を落とした。
「それでは、柑橘系の果実水を。甘さは控えめで頼む」
「かしこまりました」
渡されたグラスは、手の平にひんやりと冷たく、指先の微かな震えが少しだけ紛れた。
透き通った水のなかで、小さく切られた鮮やかなオレンジ色の果肉が光を浴びて、きらきらと揺れている。
「喉が渇いているだろう。少しずつでいいから、飲め」
すすめられるまま口をつける。
ほんのりとした品のよい甘さと酸味が広がり、強張っていた喉をやっと通っていくのを感じた。
喉が開く。肺が膨らむ。
——やっと、深く息ができた気がする。
周囲からは、絶え間なく人の声が聞こえてくる。
どこかの貴族のご婦人が大声で笑う声、功労者の名前が仰々しく呼ばれる声、遠くで奏でられる音楽——。
そのすべてが、やはり私とは何の関係もない、遠い別世界の音に思えた。
五条様がそばにいてくれるおかげで、視線はさっきほど刺さらなくなったはずなのに、胸のざわめきは収まらない。
いつでも、次の瞬間には刃がこちらへ向く。そんな予感が消えない。
私、何てところに来てしまったんだろう。
五条様のお隣で、こんなに綺麗な振袖を着て……
どこかにいる、令嬢のようなふりをして。
「……私、本当に、ここにいていいのでしょうか」
気づけば、抑えきれない不安が、弱々しい言葉となって漏れる。
五条様の礼装の袖を、指でぎゅっと掴んでしまった。
「さっきも言っただろう、すみれ」
五条様は、グラスを置き、少しだけ身を屈めて私の顔を覗き込まれる。
その瞳は、相変わらず深く、そしてすべてを受け入れるように穏やかだった。
「ここに連れてきたのは、俺だ。他の誰にも文句など言わせない」
それは、皇族の宮家嫡男として、簡単に言える言葉ではないはずなのに。
なのに、五条様は、当たり前のように言い切ってしまう。
そんな言葉をもらうたびに、どうしたらいいのか、やっぱりわからなくなる。
それでも、周囲のざわめきは私の心から消えてくれない。
少し離れた場所から、親しげに、あるいは嘲るように、誰かがひそひそと囁く『無華』という声が聞こえるような気がした。
「顔を上げろ。心配するな」
心配……そんな軽い言葉じゃない。
彼らの視線が、『無華』である私の瞳の奥を覗き込み、私の存在そのものを否定している気がする。
今すぐにでも振袖の裾で顔を隠してしまいたくて仕方がない。
やはり、この場にいる誰もが、『無華』である私を、場違いだと思っているに違いない。
足が、恐怖で震えているのがわかる。
膝の内側が勝手に小刻みに揺れて、草を踏むたびに、足裏だけが空回りするみたいだ。
ここで立ち止まり、振り返って、逃げ出したい。
けれど——五条様から離れて、一人この場所に残されることのほうが、もっと恐ろしい。
五条様の歩幅に合わせて進むことしかできない。自分の足で歩いているはずなのに。
振袖の袖が、五条様の深く濃い紺色の礼装の裾に触れるたびに、胸が焼けるように熱くなる。
その触れ合い一つで、五条様の隣にいると改めて実感させられて、息が詰まる。
私なんかが……!
こんなふうに五条様に扱われていいわけがないのに。
腰に回された手の温もりも、組まれた腕の確かさも、ぜんぶ分不相応で、いつか罰として剥がされる予感がする。
それでも、五条様は人々の視線やざわめきに少しもうろたえず、止まることなく堂々と歩を進めていく。
この庭園の空気ごと、すべてを従わせるみたいに。
私はただ、置いていかれないように、芝生を踏みしめるだけだった。
やがて、人々の鋭い視線の波が少しだけ遠のいていく。
庭園の奥、招待客が比較的まばらな場所へと進むにつれ、色とりどりの人々の間から、深く穏やかな木々の緑が目に入り始めた。
葉擦れの音が、ざわめきの隙間に落ちる。少しだけ、息が戻る。
「ここなら、まだ静かなほうだ」
そう言って、五条様は芝生の端、大きな木陰に近い場所まで私を連れていってくれた。
振袖の裾が柔らかな草を撫で、春の少し冷たい風が袖口のあいだから、汗ばんでいた肌を静かに冷ます。
冷えるはずなのに、五条様の腕を掴む手の平だけが熱い。
すぐそばには、白いテーブルとテントがいくつか並んでいた。
磨き上げられた銀のトレーには、シャンパンゴールドのグラスや、色とりどりの小さな菓子、上品なサンドイッチが整然と並んでいる。
係の方が五条様に静かに頭を下げ、深く一礼した。
「お飲み物はいかがなさいますか、殿下」
「彼女に、喉越しがよい甘いものを。……すみれ?」
ふいに、優しく名を呼ばれ、びくりと肩が震えた。
まだ意識が周囲に囚われていて、どこを見ても『見られている」ような気がしてくる。
「な、何でも……結構です……」
「何でもは困るだろう。とにかく何か飲め」
そう言われても……とてもじゃないけれど選ぶことなんて……
五条様はわずかに目を細め、用意されたメニューにちらりと視線を落とした。
「それでは、柑橘系の果実水を。甘さは控えめで頼む」
「かしこまりました」
渡されたグラスは、手の平にひんやりと冷たく、指先の微かな震えが少しだけ紛れた。
透き通った水のなかで、小さく切られた鮮やかなオレンジ色の果肉が光を浴びて、きらきらと揺れている。
「喉が渇いているだろう。少しずつでいいから、飲め」
すすめられるまま口をつける。
ほんのりとした品のよい甘さと酸味が広がり、強張っていた喉をやっと通っていくのを感じた。
喉が開く。肺が膨らむ。
——やっと、深く息ができた気がする。
周囲からは、絶え間なく人の声が聞こえてくる。
どこかの貴族のご婦人が大声で笑う声、功労者の名前が仰々しく呼ばれる声、遠くで奏でられる音楽——。
そのすべてが、やはり私とは何の関係もない、遠い別世界の音に思えた。
五条様がそばにいてくれるおかげで、視線はさっきほど刺さらなくなったはずなのに、胸のざわめきは収まらない。
いつでも、次の瞬間には刃がこちらへ向く。そんな予感が消えない。
私、何てところに来てしまったんだろう。
五条様のお隣で、こんなに綺麗な振袖を着て……
どこかにいる、令嬢のようなふりをして。
「……私、本当に、ここにいていいのでしょうか」
気づけば、抑えきれない不安が、弱々しい言葉となって漏れる。
五条様の礼装の袖を、指でぎゅっと掴んでしまった。
「さっきも言っただろう、すみれ」
五条様は、グラスを置き、少しだけ身を屈めて私の顔を覗き込まれる。
その瞳は、相変わらず深く、そしてすべてを受け入れるように穏やかだった。
「ここに連れてきたのは、俺だ。他の誰にも文句など言わせない」
それは、皇族の宮家嫡男として、簡単に言える言葉ではないはずなのに。
なのに、五条様は、当たり前のように言い切ってしまう。
そんな言葉をもらうたびに、どうしたらいいのか、やっぱりわからなくなる。
それでも、周囲のざわめきは私の心から消えてくれない。
少し離れた場所から、親しげに、あるいは嘲るように、誰かがひそひそと囁く『無華』という声が聞こえるような気がした。



