こんな白を、私は知らない。
蔵で見る白は、埃をかぶってくすんでいた。
けれどこれは、白いのに、光っている。
「食べるといい」
「こ、これを……私が、ですか……?」
驚きから、訊き返してしまった。
こんなに整った皿を崩すのが怖い。
一人で食べるなど考えたこともない。
家では、取り分ける以前に、私の前に皿が置かれない。
崩していいと、誰にも教わってこなかった。
「足りないか?」
「た、足りないどころか……!」
慌てて首を振る。頬が熱い。
足りないなんて言葉、使ったこともないのに。
改めて、まじまじと目の前に置かれたものを見てしまう。
な、なにこれ……?
白いクリームに、ふわふわの白い生地。
その上に赤い苺がちょこんと乗っている。
食べ物なのに、飾り物みたいだ。
これが、しょーと……けーき。
「崩していい。形より、感想を聞かせろ」
「……かん、そう……」
さっきの飲み物も、この食べ物も……いったいいくらするんだろう。
そんな悲しい計算が頭の隅で勝手に始まるけれど、値段なんて想像もできない。
もったいないと、怖いが同じ形で喉に詰まるのが、嫌になる。
恐る恐るフォークを入れると、ふわりと沈み、クリームが柔らかく形を変えた。
――壊してしまった。
罪悪感が胸に走って、でも。
フォークの先に乗った白と赤が、宝石みたいに揺れて、逃げ場を塞ぐ。
覚悟を決めて口に運ぶ。
「……っ」
甘い。
けれど、ただ甘いだけじゃない。
ふわりと消える食感と、冷たいクリーム。
苺の酸味が、紅茶の香りと一緒に鼻へ抜けていく。
胸の奥が、ふっと軽くなる。
「どうだ」
「……美味しいです」
自分でも驚くほど、素直な声が出た。
もっと気の利いた言葉を探していたはずなのに、出てきたのはそれだけ。
そう思うのに、言葉を探しているうちに頬が熱くなってくる。
でも、五条様は笑わない。
冷たくもない。
ただ、確かめるように見つめて――小さく頷いた。
こんな宝石箱のような食べ物があるなんて。
「……美味しい」
どんなに考えても、やっぱりこんな簡単な言葉しか出てこない。
つぶやいた言葉は、誰に聞かせるつもりもなかったのに、目を開けると、五条様がこちらを見ていた。
笑ってはいない。けれど、冷たくもない。真剣に、確かめるみたいに。
「次に来たとき、また頼もう」
「……え?」
「嫌か?」
『次』。
胸が、どくん、と大きく鳴った。そこだけ時間が遅くなる。
本当にそんな日がくるんだろうか。
そんな日を、私なんかが望んでいいのだろうか……。
眼を見開き、首を振る。
振り方が必死で、きっと子供みたいだった。
「……嫌では、ないです」
声が震えた。言い切っただけで、胸の奥が痛いほど熱くなる。
五条様は、ふっと息を吐いてカップを持ち上げる。
その仕草が、許された合図みたいで、またフォークを握り直し、ケーキを掬う。
もう一口、紅茶を飲む。
さっきより香りが分かる。
渋さの奥に、ほのかな甘さがあることも。
「……レモンも、入れてみてもいいですか」
「好きにしろ」
好きに。
その言葉が、怖いほど優しい。
輪切りのレモンをそっと浮かべる。
香りがぱっと変わり、琥珀色が少しだけ明るくなる。
甘いケーキと、香る紅茶。
それだけなのに――ここはもう蔵じゃない、と泡のように胸の中で弾けた。
なのに同時に、遠くないいつか手放す日が来る影も、テーブルの端に落ちる気がして。
溶けていくクリームの白を見つめながら思った。
溶けてしまう前に。
もう少しだけ――この甘さと香りを、覚えていたい。
蔵で見る白は、埃をかぶってくすんでいた。
けれどこれは、白いのに、光っている。
「食べるといい」
「こ、これを……私が、ですか……?」
驚きから、訊き返してしまった。
こんなに整った皿を崩すのが怖い。
一人で食べるなど考えたこともない。
家では、取り分ける以前に、私の前に皿が置かれない。
崩していいと、誰にも教わってこなかった。
「足りないか?」
「た、足りないどころか……!」
慌てて首を振る。頬が熱い。
足りないなんて言葉、使ったこともないのに。
改めて、まじまじと目の前に置かれたものを見てしまう。
な、なにこれ……?
白いクリームに、ふわふわの白い生地。
その上に赤い苺がちょこんと乗っている。
食べ物なのに、飾り物みたいだ。
これが、しょーと……けーき。
「崩していい。形より、感想を聞かせろ」
「……かん、そう……」
さっきの飲み物も、この食べ物も……いったいいくらするんだろう。
そんな悲しい計算が頭の隅で勝手に始まるけれど、値段なんて想像もできない。
もったいないと、怖いが同じ形で喉に詰まるのが、嫌になる。
恐る恐るフォークを入れると、ふわりと沈み、クリームが柔らかく形を変えた。
――壊してしまった。
罪悪感が胸に走って、でも。
フォークの先に乗った白と赤が、宝石みたいに揺れて、逃げ場を塞ぐ。
覚悟を決めて口に運ぶ。
「……っ」
甘い。
けれど、ただ甘いだけじゃない。
ふわりと消える食感と、冷たいクリーム。
苺の酸味が、紅茶の香りと一緒に鼻へ抜けていく。
胸の奥が、ふっと軽くなる。
「どうだ」
「……美味しいです」
自分でも驚くほど、素直な声が出た。
もっと気の利いた言葉を探していたはずなのに、出てきたのはそれだけ。
そう思うのに、言葉を探しているうちに頬が熱くなってくる。
でも、五条様は笑わない。
冷たくもない。
ただ、確かめるように見つめて――小さく頷いた。
こんな宝石箱のような食べ物があるなんて。
「……美味しい」
どんなに考えても、やっぱりこんな簡単な言葉しか出てこない。
つぶやいた言葉は、誰に聞かせるつもりもなかったのに、目を開けると、五条様がこちらを見ていた。
笑ってはいない。けれど、冷たくもない。真剣に、確かめるみたいに。
「次に来たとき、また頼もう」
「……え?」
「嫌か?」
『次』。
胸が、どくん、と大きく鳴った。そこだけ時間が遅くなる。
本当にそんな日がくるんだろうか。
そんな日を、私なんかが望んでいいのだろうか……。
眼を見開き、首を振る。
振り方が必死で、きっと子供みたいだった。
「……嫌では、ないです」
声が震えた。言い切っただけで、胸の奥が痛いほど熱くなる。
五条様は、ふっと息を吐いてカップを持ち上げる。
その仕草が、許された合図みたいで、またフォークを握り直し、ケーキを掬う。
もう一口、紅茶を飲む。
さっきより香りが分かる。
渋さの奥に、ほのかな甘さがあることも。
「……レモンも、入れてみてもいいですか」
「好きにしろ」
好きに。
その言葉が、怖いほど優しい。
輪切りのレモンをそっと浮かべる。
香りがぱっと変わり、琥珀色が少しだけ明るくなる。
甘いケーキと、香る紅茶。
それだけなのに――ここはもう蔵じゃない、と泡のように胸の中で弾けた。
なのに同時に、遠くないいつか手放す日が来る影も、テーブルの端に落ちる気がして。
溶けていくクリームの白を見つめながら思った。
溶けてしまう前に。
もう少しだけ――この甘さと香りを、覚えていたい。



