「……やってはいけないこと? お母さん……それ、誰が決めたの? もう、いい加減にしてよ!」
私の叫びが、何百台というスマートフォンの青白い光に反射して、無機質な部屋に反響した。
画面の中では、一円で出品された国家の汚物たちが、凄まじい速度で拡散され続けている。数百年かけて築き上げられた深見家の秘匿という価値が、指先一つで、ただのゴミへと成り下がっていく。
「ミナミ、すぐに止めなさい! ちょっと、あなた退いて!」
ririさんがバールを構えて、母の前に立ちはだかってくれた。その背中は驚くほど闘志に満ちているように見えた。ふと、父がこの場にいないことに気づき、心臓が嫌な音を立てた。なぜ、母と交代したのか。扉の外にいたはずの父はどこへ行ったのか。
「お母さん、もう遅いよ。世界中の人間が、お父さんの隠していたリストをダウンロードしてる。深見家はもう、誰にも何も届けられない。秘密を守れない運び屋なんて、市場には必要ないでしょ?」
私がそう言い放った瞬間、母の顔から人間らしい表情が消えた。
獣のような咆哮。
母は手に持っていた包丁を振りかざし、ririさんに猛然と襲い掛かった。
狭い書斎の中で、二人の体が激しくぶつかり合う。母の狂気は凄まじく、ririさんの肩に刃が突き刺さり、鮮血が飛び散った。
「ririさん!」
「ミナミさんを解放しろ……この、化け物が!」
ririさんが痛みに顔を歪めながら、咄嗟にバールを横に振り抜いた。
――グチュ。
生々しい、重い音が響いた。鉄の塊が母の側頭部を捉え、衝撃で母の身体がくの字に折れ曲がる。母は声も上げず、作業台のスマートフォンたちをなぎ倒しながら床に沈んだ。
「お母、さん……?」
私の声は、震えて出なかった。
床に広がる赤黒い海。母の眼は開かれたままだが、そこにはもう、光は宿っていない。
「……ごめん! ミナミさん、私――」
ririさんが血のついたバールを握りしめ、蒼褪めた顔で私を振り返った瞬間。
背後のドアが、暴力的な勢いで蹴破られた。
「何だ、これは。私がちょっと席を外した瞬間に何が……」
入ってきたのは、お父さんだった。床に横たわるお母さんの姿を見て凍りついている。
「……何をした」
父の瞳が、怒りと絶望でドス黒く濁る。
ririさんが手に持っているバールから血が滴っていた。
「お前が殺したのか!」
お父さんは、悲鳴とも怒号ともつかぬ叫び声を上げ、ririさんに飛びかかった。屈強な運び屋の力は、女子大生の抵抗を容易くねじ伏せる。ririさんを床に押し倒し、その太い両手で彼女の細い首を全力で絞め上げた。
「お父さん、やめて! 死んじゃう!」
「黙れ! 俺の妻が殺されたんだぞ!」
ririさんの顔がみるみるうちに紫に変色していく。
舌が突き出し、宙を掻く指先が次第に力を失っていく。
「……もう止めて!」
――鈍い音。
気が付けば私もバールを振り抜いていた。骨が砕けた嫌な感触。お父さんが床で痙攣している。
私は訳も分からず、叫んだ。
「助かった。大丈夫だよ、ミナミさんがやったんじゃない」
ririさんの言葉が聞こえたかと思うと、彼女はお父さんの頭部に自分の持っていたバールを振り抜いた。
やがて、沈黙が訪れた。
書斎は、凄惨な事件現場と化していた。
「………ミナミさん、逃げよう」
ririさんが私の手を取った。
私の手から、血まみれのバールが滑り落ちる。
「もう、何が何だか分からないよ」
私たちは、倒れた両親の死体を乗り越え、土砂降りの雨の中へ飛び出した。
*
深い闇の中を、私たちは宛てもなく走り続けた。
雨が血を洗い流してくれる気がしたが、掌にこびりついた『骨と肉を砕く感触』だけは消えない。
「……警察に、行かなきゃ。自首しよう、ririさん。私が二人ともやったって言えば……」
私が歩道橋の上で立ち止まり、嗚咽を漏らすと、ririさんが私の両肩を掴んだ。
彼女は、街灯の光の下で、驚くほど頼りになる、聖母のような笑顔を浮かべた。
「ミナミさん、落ち着いて。警察なんて行かなくていい。あんな親、死んで当然だったんだよ。ミナミさんは何も悪くない」
「でも……」
「大丈夫。あとは、全部私に任せて。私が『処理』してあげるから」
ririさんの瞳の奥に、言葉では説明できないほどの優しい光を感じた。
そのまま、ririさんと別れた。
私は行く宛てを失い、路上をさまよった。
久しぶりにスマートホンを見る。
着信履歴が一件。ユカからだった。
私はすぐに電話した。
「ユカ!」
「ミナミ、この間はごめんね。ネットで見たけど、何か大変なんでしょ? とりあえず、うちにおいでよ。話したいこともたくさんあるし」
予想外の友人からの提案に私はこらえきれずに泣いた。
*
「大変だったね。とりあえず、寝よっか。事情は明日、聞かせて。あと、私ね、タクミと別れたから。馬鹿みたい、あんなプリクラ一枚でミナミと喧嘩しちゃって。ごめんね」
ユカが用意してくれたベッドに、私たちは潜り込んだ。
「ううん、私こそ。あっ、私もケントと別れたよ」
「えっ……あんなに仲良かったのに! って、ごめん。疲れてるのに。また、明日、話そ。大学サボって一日、カフェにでも行こうよ」
「うん」
ごめんね、ユカ。私、逮捕されると思う。
言えない言葉を飲み込んで、私は無理やり目を閉じた。
――深夜三時。
激しい雨音で目が覚めた。
ユカは寝息を立てていた。ふと、枕元に置いたスマートフォンの青白い光を放っていることに気が付いた。
嫌な予感がして、私はスマホを手に取った。
【バイバイ】からの通知。
両親が死んで、もう終わったはずなのに――何?
*
【新着出品】
商品名:
解剖用検体・元特殊搬送者夫婦(二体セット)
価格:
¥ 100,000,000
出品者:
R
説明:
希少なプロの配送業者とその共犯者の遺体です。
保存状態:新鮮(死後12時間以内)。
医学研究、あるいは個人的なコレクションにどうぞ。
※匿名配送にて、ご希望の場所へお届けします。
*
その瞬間、私は理解した。
「……もしかして、ririさん?」
M氏は消えた。
恐る恐る、画面をスライドする。
商品画像には、あの書斎の床で、冷たく重なり合った父と母の姿があった。
遺体の影には、血のついたバールと仏像が映り込んでいた。

私は呼吸ができなくなり、意識を失うようにベッドに倒れ込んだ――。
(了)
私の叫びが、何百台というスマートフォンの青白い光に反射して、無機質な部屋に反響した。
画面の中では、一円で出品された国家の汚物たちが、凄まじい速度で拡散され続けている。数百年かけて築き上げられた深見家の秘匿という価値が、指先一つで、ただのゴミへと成り下がっていく。
「ミナミ、すぐに止めなさい! ちょっと、あなた退いて!」
ririさんがバールを構えて、母の前に立ちはだかってくれた。その背中は驚くほど闘志に満ちているように見えた。ふと、父がこの場にいないことに気づき、心臓が嫌な音を立てた。なぜ、母と交代したのか。扉の外にいたはずの父はどこへ行ったのか。
「お母さん、もう遅いよ。世界中の人間が、お父さんの隠していたリストをダウンロードしてる。深見家はもう、誰にも何も届けられない。秘密を守れない運び屋なんて、市場には必要ないでしょ?」
私がそう言い放った瞬間、母の顔から人間らしい表情が消えた。
獣のような咆哮。
母は手に持っていた包丁を振りかざし、ririさんに猛然と襲い掛かった。
狭い書斎の中で、二人の体が激しくぶつかり合う。母の狂気は凄まじく、ririさんの肩に刃が突き刺さり、鮮血が飛び散った。
「ririさん!」
「ミナミさんを解放しろ……この、化け物が!」
ririさんが痛みに顔を歪めながら、咄嗟にバールを横に振り抜いた。
――グチュ。
生々しい、重い音が響いた。鉄の塊が母の側頭部を捉え、衝撃で母の身体がくの字に折れ曲がる。母は声も上げず、作業台のスマートフォンたちをなぎ倒しながら床に沈んだ。
「お母、さん……?」
私の声は、震えて出なかった。
床に広がる赤黒い海。母の眼は開かれたままだが、そこにはもう、光は宿っていない。
「……ごめん! ミナミさん、私――」
ririさんが血のついたバールを握りしめ、蒼褪めた顔で私を振り返った瞬間。
背後のドアが、暴力的な勢いで蹴破られた。
「何だ、これは。私がちょっと席を外した瞬間に何が……」
入ってきたのは、お父さんだった。床に横たわるお母さんの姿を見て凍りついている。
「……何をした」
父の瞳が、怒りと絶望でドス黒く濁る。
ririさんが手に持っているバールから血が滴っていた。
「お前が殺したのか!」
お父さんは、悲鳴とも怒号ともつかぬ叫び声を上げ、ririさんに飛びかかった。屈強な運び屋の力は、女子大生の抵抗を容易くねじ伏せる。ririさんを床に押し倒し、その太い両手で彼女の細い首を全力で絞め上げた。
「お父さん、やめて! 死んじゃう!」
「黙れ! 俺の妻が殺されたんだぞ!」
ririさんの顔がみるみるうちに紫に変色していく。
舌が突き出し、宙を掻く指先が次第に力を失っていく。
「……もう止めて!」
――鈍い音。
気が付けば私もバールを振り抜いていた。骨が砕けた嫌な感触。お父さんが床で痙攣している。
私は訳も分からず、叫んだ。
「助かった。大丈夫だよ、ミナミさんがやったんじゃない」
ririさんの言葉が聞こえたかと思うと、彼女はお父さんの頭部に自分の持っていたバールを振り抜いた。
やがて、沈黙が訪れた。
書斎は、凄惨な事件現場と化していた。
「………ミナミさん、逃げよう」
ririさんが私の手を取った。
私の手から、血まみれのバールが滑り落ちる。
「もう、何が何だか分からないよ」
私たちは、倒れた両親の死体を乗り越え、土砂降りの雨の中へ飛び出した。
*
深い闇の中を、私たちは宛てもなく走り続けた。
雨が血を洗い流してくれる気がしたが、掌にこびりついた『骨と肉を砕く感触』だけは消えない。
「……警察に、行かなきゃ。自首しよう、ririさん。私が二人ともやったって言えば……」
私が歩道橋の上で立ち止まり、嗚咽を漏らすと、ririさんが私の両肩を掴んだ。
彼女は、街灯の光の下で、驚くほど頼りになる、聖母のような笑顔を浮かべた。
「ミナミさん、落ち着いて。警察なんて行かなくていい。あんな親、死んで当然だったんだよ。ミナミさんは何も悪くない」
「でも……」
「大丈夫。あとは、全部私に任せて。私が『処理』してあげるから」
ririさんの瞳の奥に、言葉では説明できないほどの優しい光を感じた。
そのまま、ririさんと別れた。
私は行く宛てを失い、路上をさまよった。
久しぶりにスマートホンを見る。
着信履歴が一件。ユカからだった。
私はすぐに電話した。
「ユカ!」
「ミナミ、この間はごめんね。ネットで見たけど、何か大変なんでしょ? とりあえず、うちにおいでよ。話したいこともたくさんあるし」
予想外の友人からの提案に私はこらえきれずに泣いた。
*
「大変だったね。とりあえず、寝よっか。事情は明日、聞かせて。あと、私ね、タクミと別れたから。馬鹿みたい、あんなプリクラ一枚でミナミと喧嘩しちゃって。ごめんね」
ユカが用意してくれたベッドに、私たちは潜り込んだ。
「ううん、私こそ。あっ、私もケントと別れたよ」
「えっ……あんなに仲良かったのに! って、ごめん。疲れてるのに。また、明日、話そ。大学サボって一日、カフェにでも行こうよ」
「うん」
ごめんね、ユカ。私、逮捕されると思う。
言えない言葉を飲み込んで、私は無理やり目を閉じた。
――深夜三時。
激しい雨音で目が覚めた。
ユカは寝息を立てていた。ふと、枕元に置いたスマートフォンの青白い光を放っていることに気が付いた。
嫌な予感がして、私はスマホを手に取った。
【バイバイ】からの通知。
両親が死んで、もう終わったはずなのに――何?
*
【新着出品】
商品名:
解剖用検体・元特殊搬送者夫婦(二体セット)
価格:
¥ 100,000,000
出品者:
R
説明:
希少なプロの配送業者とその共犯者の遺体です。
保存状態:新鮮(死後12時間以内)。
医学研究、あるいは個人的なコレクションにどうぞ。
※匿名配送にて、ご希望の場所へお届けします。
*
その瞬間、私は理解した。
「……もしかして、ririさん?」
M氏は消えた。
恐る恐る、画面をスライドする。
商品画像には、あの書斎の床で、冷たく重なり合った父と母の姿があった。
遺体の影には、血のついたバールと仏像が映り込んでいた。

私は呼吸ができなくなり、意識を失うようにベッドに倒れ込んだ――。
(了)



