「ミナミさん、ごめん。行こう! 絶対に、M氏の痕跡があるはず」
ririさんに袖をグッと引っ張られた。
「ちょっと、待ちなさ――」
取り乱す母を無視して、私たちはリビングから廊下に出た。
探すと言っても、どこを調べる。
「ミナミさん、迷ってる暇はない! 早く!」
「だったら、お父さんの書斎!」
幼い頃から一度も入ることを許されなかった、廊下の一番奥。
背後でお母さんの叫び声がする。だが、振り返っている暇はない。私たちは呼吸も忘れて駆けた。
重苦しい父の書斎。扉のノブは冷え切っていた。偶然にも、鍵は掛かっていない。勢いよく踏み込んだそこは――書斎などではなかった。
素早く内側から鍵を掛ける。すぐに、外側からドアが殴りつけられる音がした。
「あなたたち、開けなさい! そこだけは本当にダメ!」
ririさんが首を横に振る。
「気にせずに、調べよ。それより、ここ。発送用の作業場だね」
「そうみたい。なんで、お父さん、書斎なんて嘘を……」
窓一つない部屋の壁一面に、棚が組まれている。そこには、数えきれないほどのスマートフォンが、充電ケーブルを血管のように這わせて並んでいた。液晶画面が青白く発光し、狂ったように通知を表示し続けている。
『入金確認済み』
『発送期限超過』
『再出品不可』
その全てが、【バイバイ】の管理画面だ。
部屋の中央にある作業台には、見覚えのある銀色の太い針、うねる黒い糸。
「うっ……」
気持ち悪くなって、口元を押さえた。
視線の先に私の幼い頃の抜けた乳歯や、捨てたはずの衣服までが、丁寧に緩衝材で包まれて置かれている。台の隅。置かれたノートPCに、文字が浮かんでいた。
『特別品、ただいま実家に帰還(ライブ配信中)』

視界が歪んだ。
この書斎が、巨大な出品ブースだったんだ。
書斎が再びノックされる。お母さんの時とはリズムが明らかに違う。
重苦しく、規則正しいノックが二回。
「……ただいま、ミナミ。お母さんから聞いたよ。お友達と、帰ってるんだろ?」
逃げ場はない。
「お父さん……説明して! 深見家はこれまで何を配送してきたの? 何で私が自分の意思とは違う場所に商品なんて形で配送されなきゃなんないの? どうして、お母さんは、柩村から……聴きたいことが山ほどあるよ!」
「……聴きたいこと? そんなものは、仕様書を読めば分かることさ。出て来なさい。ここまで育てたんだ。悪いようにはしない」
ドアの向こうから響く父の声は、驚くほど澄んでいた。怒りも、焦燥も感じられない。
「嫌だ! この場で教えて。開けたら殺されるかもしれないんだもん」
しばらく沈黙が続いた。
だが、咳払いが聞こえたあと、お父さんがようやく重い口を開いた。
「……深見家が何を運んできたか? そうだな。この世のあらゆる『人には言えない所有欲』を、匿名で完結させるための『究極の代行屋』と言えば分かりやすいか」
父の気配が、扉の向こうで冷たく静止している。
「ミナミ。フリマアプリで他人の使い古した口紅や、意味のない抜け毛を買い漁る連中を見て、どう思った? 気持ち悪いか? だが、あれこそが人間の本質なんだよ。『誰かのプライベートを、安全な場所から一方的に支配したい』という飢えだ。深見家はね、その飢えを満たすためのモノを、何百年も運び続けてきた」
私は、震える手で作業台の縁を掴んだ。台の上に置かれた、私の乳歯さえも。
「意味が分からない」
「……何が分からないんだい、ミナミ。難しい話じゃない。この世にはね、『見せたくない人間』と『それを覗き見たい人間』の需要と供給が、君が思うよりずっと残酷なバランスで成り立っている。かつては密書や人身売買で行われていたことが、今はアプリという便利なツールに置き換わった。ただ、それだけのことだよ」
扉の向こうで、お父さんが重い溜息をついた。
「許されるはずがないよ。村が狂ってるから、そんな思想になっちゃったんだね」
「柩村は、その『覗き見たい』という欲望を商品化するプロだ。お父さんの仕事は、その商品を、誰にも見つからないルートで購入者の元へ送り届けること。お母さんはね、その取引を円滑にするために、村から我が家に『譲渡』されたんだ。彼女の『覗き』の才能は、発送ルートの障害を察知し、荷物を汚さずに届けるための、最高級のセンサーだからね」
私は、自分の指先が冷え切っていくのを感じた。
「でも、何で私まで……」
「ミナミ。君がストーカーに怯え、信頼していた彼氏に裏切られ、絶望に歪んでいく。その『過程』こそが、この市場における最高級の付加価値なんだよ。ただの女子大生には価値はない。だが、『逃げ場を失い、モノに成り果てたミナミ』には、何億円もの値がつく。今、画面の向こうで君の発送を心待ちにしている『購入者』たちが、どれほど熱狂しているか、想像もつかないだろう?」
吐き気を堪える。
狂っている、こんなの。
「近寄らないで。私たちは、普通に生きたい。人間として生きたいの!」
「ミナミ。我が家に生まれた時点で、君はもう『在庫』なんだ。理解できないなら、私の端末を、きちんと確認してみなさい」
ririさんに袖をグッと引っ張られた。
「ちょっと、待ちなさ――」
取り乱す母を無視して、私たちはリビングから廊下に出た。
探すと言っても、どこを調べる。
「ミナミさん、迷ってる暇はない! 早く!」
「だったら、お父さんの書斎!」
幼い頃から一度も入ることを許されなかった、廊下の一番奥。
背後でお母さんの叫び声がする。だが、振り返っている暇はない。私たちは呼吸も忘れて駆けた。
重苦しい父の書斎。扉のノブは冷え切っていた。偶然にも、鍵は掛かっていない。勢いよく踏み込んだそこは――書斎などではなかった。
素早く内側から鍵を掛ける。すぐに、外側からドアが殴りつけられる音がした。
「あなたたち、開けなさい! そこだけは本当にダメ!」
ririさんが首を横に振る。
「気にせずに、調べよ。それより、ここ。発送用の作業場だね」
「そうみたい。なんで、お父さん、書斎なんて嘘を……」
窓一つない部屋の壁一面に、棚が組まれている。そこには、数えきれないほどのスマートフォンが、充電ケーブルを血管のように這わせて並んでいた。液晶画面が青白く発光し、狂ったように通知を表示し続けている。
『入金確認済み』
『発送期限超過』
『再出品不可』
その全てが、【バイバイ】の管理画面だ。
部屋の中央にある作業台には、見覚えのある銀色の太い針、うねる黒い糸。
「うっ……」
気持ち悪くなって、口元を押さえた。
視線の先に私の幼い頃の抜けた乳歯や、捨てたはずの衣服までが、丁寧に緩衝材で包まれて置かれている。台の隅。置かれたノートPCに、文字が浮かんでいた。
『特別品、ただいま実家に帰還(ライブ配信中)』

視界が歪んだ。
この書斎が、巨大な出品ブースだったんだ。
書斎が再びノックされる。お母さんの時とはリズムが明らかに違う。
重苦しく、規則正しいノックが二回。
「……ただいま、ミナミ。お母さんから聞いたよ。お友達と、帰ってるんだろ?」
逃げ場はない。
「お父さん……説明して! 深見家はこれまで何を配送してきたの? 何で私が自分の意思とは違う場所に商品なんて形で配送されなきゃなんないの? どうして、お母さんは、柩村から……聴きたいことが山ほどあるよ!」
「……聴きたいこと? そんなものは、仕様書を読めば分かることさ。出て来なさい。ここまで育てたんだ。悪いようにはしない」
ドアの向こうから響く父の声は、驚くほど澄んでいた。怒りも、焦燥も感じられない。
「嫌だ! この場で教えて。開けたら殺されるかもしれないんだもん」
しばらく沈黙が続いた。
だが、咳払いが聞こえたあと、お父さんがようやく重い口を開いた。
「……深見家が何を運んできたか? そうだな。この世のあらゆる『人には言えない所有欲』を、匿名で完結させるための『究極の代行屋』と言えば分かりやすいか」
父の気配が、扉の向こうで冷たく静止している。
「ミナミ。フリマアプリで他人の使い古した口紅や、意味のない抜け毛を買い漁る連中を見て、どう思った? 気持ち悪いか? だが、あれこそが人間の本質なんだよ。『誰かのプライベートを、安全な場所から一方的に支配したい』という飢えだ。深見家はね、その飢えを満たすためのモノを、何百年も運び続けてきた」
私は、震える手で作業台の縁を掴んだ。台の上に置かれた、私の乳歯さえも。
「意味が分からない」
「……何が分からないんだい、ミナミ。難しい話じゃない。この世にはね、『見せたくない人間』と『それを覗き見たい人間』の需要と供給が、君が思うよりずっと残酷なバランスで成り立っている。かつては密書や人身売買で行われていたことが、今はアプリという便利なツールに置き換わった。ただ、それだけのことだよ」
扉の向こうで、お父さんが重い溜息をついた。
「許されるはずがないよ。村が狂ってるから、そんな思想になっちゃったんだね」
「柩村は、その『覗き見たい』という欲望を商品化するプロだ。お父さんの仕事は、その商品を、誰にも見つからないルートで購入者の元へ送り届けること。お母さんはね、その取引を円滑にするために、村から我が家に『譲渡』されたんだ。彼女の『覗き』の才能は、発送ルートの障害を察知し、荷物を汚さずに届けるための、最高級のセンサーだからね」
私は、自分の指先が冷え切っていくのを感じた。
「でも、何で私まで……」
「ミナミ。君がストーカーに怯え、信頼していた彼氏に裏切られ、絶望に歪んでいく。その『過程』こそが、この市場における最高級の付加価値なんだよ。ただの女子大生には価値はない。だが、『逃げ場を失い、モノに成り果てたミナミ』には、何億円もの値がつく。今、画面の向こうで君の発送を心待ちにしている『購入者』たちが、どれほど熱狂しているか、想像もつかないだろう?」
吐き気を堪える。
狂っている、こんなの。
「近寄らないで。私たちは、普通に生きたい。人間として生きたいの!」
「ミナミ。我が家に生まれた時点で、君はもう『在庫』なんだ。理解できないなら、私の端末を、きちんと確認してみなさい」



