柩村から何とか離脱した。
深夜の住宅街は、死に絶えたように静まり返っていた。
タクシーを降り、見慣れた門扉をくぐる。背後には無言のririさん。心身ともに疲れ切っているように見えた。
玄関の鍵を開けるとすぐに、懐かしい実家の香りがした。幼い頃から私の世界の全てだったこの場所。
今はなんだか、気持ち悪い。
「ミナミ……! ミナミなのね!」
廊下の奥から、お母さんが駆け寄ってきた。
乱れた髪、赤く腫らした目。お母さんは、私を力一杯抱きしめた。その体温は驚くほど高く、震えていた。
「良かった……無事で本当に良かった。お父さんの会社の方からも連絡があったのよ。実家のあった村で、何か不審な動きがあったそうで。ミナミが巻き込まれたかもしれないなんて、言うから。あら、その方は?」
「……友達のririさん。助けてくれたの」
「そう、本当にありがとう……。さあ、二人とも上がって。お父さんも、もうすぐ戻るわ」
「こんな深夜に、仕事?」
「うん。ちょっと、ね」
リビングに通されると、テーブルには湯気を立てた緑茶が二つ、用意してあった。まるで、私たちが来ると分かっていたかのようだ。
私は湯呑みには手をつけず、テーブルの端に置いてあるメモ帳に鮮明な記憶を書き綴った。
*
『商品名:美濃由紀子/状態:特上品・未開封』
*
「これ、お母さんのことでしょ。お母さんは、あの村から発送されてきたの? 何でそんな……」
お母さんの動きが、ぴたりと止まった。ゆっくりと対面に座り、力なく顔を覆った。
「……そっか。隠し通せると思っていたけれど。村にまで行ったのなら、もう無理ね」
お母さんの声は、掠れていた。
「ちゃんと話してよ」
「私はね、あの村の贄だった。他人の秘密を覗き見る監視役として、外の世界へ売られる。私は分家だった深見の家に……お父さんのもとに発送されたの」
「……お父さんは、何者なの?」
私の問いに、母さんが大きなため息をついた。
「深見家はね、代々『深見特殊搬送』という物流を担ってきたの。警察も検問も通さない、絶対に中身を暴かれない特殊なルート。あの村が『特殊な商品』を日本中に届けるための、唯一の動脈……それがお父さんの家系なのよ」
お母さんは震える指で、私の髪を撫でた。
ririさんが心配して、私の袖を掴んでいる。
「村には、人の秘密を覗き見る『千里眼』の信仰があった。他者の生活の監視は、神にも近い行為でしょ? でも、時代と共にそれが難しくなってきて、村は私たち『目』を直接、外に送り込むようになった」
「だからって、訪れた人の目を、何であんな風に縫うの? あんなの犯罪じゃん」
お母さんの瞳に、底知れない暗い色が宿る。
「……人間の目はね、嫌でも見てしまう。選ばれた柩村以外の人間が、村の中を興味本位で覗くべきじゃないの。だから、見てしまったものは、封じないと。見なかったことにはできないけど、それ以上、見ないようにはしてあげられる。見ることは、私たちに与えられた特権だから」
人の秘密を媒介にして、汚い金を稼ぐ。そんな金で育てられてきたのかと、吐きそうになる。千里眼? 覗き見? 言い訳だ。やっていることは犯罪そのもの。
国家がそれを許していたとしても、私は許せない。
私は、自分の瞼が熱くなるのを感じた。
「おかしいよ、そんなの! 何を言ってるのか、さっぱり理解できない!」
「ミナミには分からないのも、無理はないよ。世の中、綺麗事だけじゃ回らないから。お父さんのように、深見特殊搬送の仕事をした者にしか分からない。それに、ミナミだって、人の生活を覗き見して、売り買いしてきたでしょ? バイバイで」
お母さんの告白は、冷たい雨のように私の心を凍らせた。バイバイ。フリマアプリ。自分の一部を切り売りしながら、他人の生活を覗く。
私も同罪なのか?
――それにしても、深見特殊搬送。そんな秘密を家族が抱えていたなんて。

それは、誰にも知られずに必要な何かを発送し続けてきた運び屋。
「ミナミさん、ここを出ようよ。変だよ、こんな……。おばさん、喪服のあの人でしょ?」
横でずっと黙っていたririさんが、静かに口を開いた。
「だとしても、他人に何がわかるの?」
「分かるよ。おばさんは村の因習で人生を狂わされた。だからって、自分の子供のミナミさんにあんな嫌がらせ。理由があるなら、ちゃんと説明してみて!」
お母さんが俯いて、両肩を震わせた。
なぜだかその姿が、今まで見てきた何よりも怖かった――。
深夜の住宅街は、死に絶えたように静まり返っていた。
タクシーを降り、見慣れた門扉をくぐる。背後には無言のririさん。心身ともに疲れ切っているように見えた。
玄関の鍵を開けるとすぐに、懐かしい実家の香りがした。幼い頃から私の世界の全てだったこの場所。
今はなんだか、気持ち悪い。
「ミナミ……! ミナミなのね!」
廊下の奥から、お母さんが駆け寄ってきた。
乱れた髪、赤く腫らした目。お母さんは、私を力一杯抱きしめた。その体温は驚くほど高く、震えていた。
「良かった……無事で本当に良かった。お父さんの会社の方からも連絡があったのよ。実家のあった村で、何か不審な動きがあったそうで。ミナミが巻き込まれたかもしれないなんて、言うから。あら、その方は?」
「……友達のririさん。助けてくれたの」
「そう、本当にありがとう……。さあ、二人とも上がって。お父さんも、もうすぐ戻るわ」
「こんな深夜に、仕事?」
「うん。ちょっと、ね」
リビングに通されると、テーブルには湯気を立てた緑茶が二つ、用意してあった。まるで、私たちが来ると分かっていたかのようだ。
私は湯呑みには手をつけず、テーブルの端に置いてあるメモ帳に鮮明な記憶を書き綴った。
*
『商品名:美濃由紀子/状態:特上品・未開封』
*
「これ、お母さんのことでしょ。お母さんは、あの村から発送されてきたの? 何でそんな……」
お母さんの動きが、ぴたりと止まった。ゆっくりと対面に座り、力なく顔を覆った。
「……そっか。隠し通せると思っていたけれど。村にまで行ったのなら、もう無理ね」
お母さんの声は、掠れていた。
「ちゃんと話してよ」
「私はね、あの村の贄だった。他人の秘密を覗き見る監視役として、外の世界へ売られる。私は分家だった深見の家に……お父さんのもとに発送されたの」
「……お父さんは、何者なの?」
私の問いに、母さんが大きなため息をついた。
「深見家はね、代々『深見特殊搬送』という物流を担ってきたの。警察も検問も通さない、絶対に中身を暴かれない特殊なルート。あの村が『特殊な商品』を日本中に届けるための、唯一の動脈……それがお父さんの家系なのよ」
お母さんは震える指で、私の髪を撫でた。
ririさんが心配して、私の袖を掴んでいる。
「村には、人の秘密を覗き見る『千里眼』の信仰があった。他者の生活の監視は、神にも近い行為でしょ? でも、時代と共にそれが難しくなってきて、村は私たち『目』を直接、外に送り込むようになった」
「だからって、訪れた人の目を、何であんな風に縫うの? あんなの犯罪じゃん」
お母さんの瞳に、底知れない暗い色が宿る。
「……人間の目はね、嫌でも見てしまう。選ばれた柩村以外の人間が、村の中を興味本位で覗くべきじゃないの。だから、見てしまったものは、封じないと。見なかったことにはできないけど、それ以上、見ないようにはしてあげられる。見ることは、私たちに与えられた特権だから」
人の秘密を媒介にして、汚い金を稼ぐ。そんな金で育てられてきたのかと、吐きそうになる。千里眼? 覗き見? 言い訳だ。やっていることは犯罪そのもの。
国家がそれを許していたとしても、私は許せない。
私は、自分の瞼が熱くなるのを感じた。
「おかしいよ、そんなの! 何を言ってるのか、さっぱり理解できない!」
「ミナミには分からないのも、無理はないよ。世の中、綺麗事だけじゃ回らないから。お父さんのように、深見特殊搬送の仕事をした者にしか分からない。それに、ミナミだって、人の生活を覗き見して、売り買いしてきたでしょ? バイバイで」
お母さんの告白は、冷たい雨のように私の心を凍らせた。バイバイ。フリマアプリ。自分の一部を切り売りしながら、他人の生活を覗く。
私も同罪なのか?
――それにしても、深見特殊搬送。そんな秘密を家族が抱えていたなんて。

それは、誰にも知られずに必要な何かを発送し続けてきた運び屋。
「ミナミさん、ここを出ようよ。変だよ、こんな……。おばさん、喪服のあの人でしょ?」
横でずっと黙っていたririさんが、静かに口を開いた。
「だとしても、他人に何がわかるの?」
「分かるよ。おばさんは村の因習で人生を狂わされた。だからって、自分の子供のミナミさんにあんな嫌がらせ。理由があるなら、ちゃんと説明してみて!」
お母さんが俯いて、両肩を震わせた。
なぜだかその姿が、今まで見てきた何よりも怖かった――。



