トンネルを抜けた先。世界はすっかりと腐敗していた。
真昼間だったはずなのに、ここは常に薄暗い霧が漂い、湿った土と古紙が燃えたような匂いが鼻を掠める。
「……ミナミさん、あれ」
ririさんがバールを握り直し、指差した。
霧の向こう。あの生配信で見たお堂が鎮座している。無数の『三眼渦』の御札。
その裏側に仕込まれた無数のレンズが一斉にこちらを追尾し、機械が軋むような音でガサガサと不気味に震えていた。
一歩踏み出すごとに、足元で何かが割れる音がする。
視線を落とすと、石ころではなかった。粉々に砕かれたスマートフォンの残骸だ。何百、何千という端末が、この村の土壌の一部になっている。

――不意に、ギィィと重い音を立てて、お堂の扉が開いた。
「……来たんだね。予定通りの着荷だ」
祭壇の前。
あの動画と同じ場所に、ケントが立っていた。
彼はパーカーのフードを取り、私を見て、いつものように穏やかに微笑んだ。その手には、最新型のジンバルに固定されたビデオカメラが握られている。
「ケント……何してるの、ここで」
私の声は、自分でも驚くほど震えていた。
ケントはゆっくりとこちらに歩み寄る。
ririさんが前に出ようとしたが、彼は見向きもせず、カメラのレンズを私の顔に向けた。
「ミナミ、動かないで。ピントがずれるから」
「ふざけないで! あの動画は何? あの人たちの目に……あんなことして、ただで済むと思ってるの?」
「あんなこと?」
ケントは心底不思議そうに首を傾げた。
「ミナミ。僕はただ、彼らの更生をしてあげただけだよ。他人の秘密を盗み見ることでしか、自分の幸せを定義できない連中だから。ある意味、この穢れた世界を目にする必要がなくなるんだ。救済と思って、感謝して欲しいくらいだ」
「救済……? ケント、いつからこんなこと……」
「ミナミは知らなくていい。そんなことより、君は、このマーケットプレイスにおける『最高級の逸品』なんだ。こんな場所で怪我でもしたら大変じゃないか」
ケントが空いた方の手を伸ばし、私の頬に触れようとした。
私は反射的にその手を叩き落とした。彼の指先は、氷のように冷たかった。
「ミナミさんに触らないで……。あんた、狂ってる。フリマに変な出品してるのも、あんたでしょ」
ririさんが前に出る。
「おいおい、酷い言い草だな。ミナミはね、ダイヤモンドなんだ。でも、この汚い世界で、不必要なゴミがこびりつきすぎていたから、M氏様が出品してるんだよ」
「意味が分からない。ミナミさんの嫌がる気持ちが分からないの?」
ケントが歌うようなトーンで言葉を紡ぐ。
「派手な色のリップ、掃除もされない抜け毛、他人が勝手につけた成績……。あんなものは全部、ミナミを汚す不純物だよ。だから、M氏様が一つずつ剥ぎ取って、誰かに引き取らせる。君の食べかけの焼きそばも、そう。不純物を排除するたびに、ミナミは純粋な状態に近づいていく」
「ミナミさん、逃げよう。コイツ、狂ってる」
ケントが背後の祭壇を指し示した。そこには、私が バイバイ に出した『私の涙』のハンカチが、まるで国宝のように美しく額装されて飾られていた。
「君を、もう泣かさないから。さぁ、目を閉じて。完璧な梱包をして、君自身を出品してもらおう」
ケントが懐から取り出したのは、あの銀色に光る太い針だった。
黒い糸が、蛇のようにうねっている。
「ケント、二度と私の前に現れないで」
私のポケットでスマホが震えた。
圏外のはずなのに、少し遅れて通知音が鳴った。
【バイバイ】新着通知
『あなたが、発送準備中に設定されました』
「……ririさん、走って!!」
私は叫び、手近にあった木箱をケントに向かって投げつけた。
彼は避けることもしない。ただ、カメラを回し続けながら、悦びに満ちた声で囁いた。
「逃げていいよ、ミナミ。その『足掻き』こそが、商品の価値を上げる最高のスパイスだから」
私たちは背後の闇へと、無我夢中で駆け出した――。
真昼間だったはずなのに、ここは常に薄暗い霧が漂い、湿った土と古紙が燃えたような匂いが鼻を掠める。
「……ミナミさん、あれ」
ririさんがバールを握り直し、指差した。
霧の向こう。あの生配信で見たお堂が鎮座している。無数の『三眼渦』の御札。
その裏側に仕込まれた無数のレンズが一斉にこちらを追尾し、機械が軋むような音でガサガサと不気味に震えていた。
一歩踏み出すごとに、足元で何かが割れる音がする。
視線を落とすと、石ころではなかった。粉々に砕かれたスマートフォンの残骸だ。何百、何千という端末が、この村の土壌の一部になっている。

――不意に、ギィィと重い音を立てて、お堂の扉が開いた。
「……来たんだね。予定通りの着荷だ」
祭壇の前。
あの動画と同じ場所に、ケントが立っていた。
彼はパーカーのフードを取り、私を見て、いつものように穏やかに微笑んだ。その手には、最新型のジンバルに固定されたビデオカメラが握られている。
「ケント……何してるの、ここで」
私の声は、自分でも驚くほど震えていた。
ケントはゆっくりとこちらに歩み寄る。
ririさんが前に出ようとしたが、彼は見向きもせず、カメラのレンズを私の顔に向けた。
「ミナミ、動かないで。ピントがずれるから」
「ふざけないで! あの動画は何? あの人たちの目に……あんなことして、ただで済むと思ってるの?」
「あんなこと?」
ケントは心底不思議そうに首を傾げた。
「ミナミ。僕はただ、彼らの更生をしてあげただけだよ。他人の秘密を盗み見ることでしか、自分の幸せを定義できない連中だから。ある意味、この穢れた世界を目にする必要がなくなるんだ。救済と思って、感謝して欲しいくらいだ」
「救済……? ケント、いつからこんなこと……」
「ミナミは知らなくていい。そんなことより、君は、このマーケットプレイスにおける『最高級の逸品』なんだ。こんな場所で怪我でもしたら大変じゃないか」
ケントが空いた方の手を伸ばし、私の頬に触れようとした。
私は反射的にその手を叩き落とした。彼の指先は、氷のように冷たかった。
「ミナミさんに触らないで……。あんた、狂ってる。フリマに変な出品してるのも、あんたでしょ」
ririさんが前に出る。
「おいおい、酷い言い草だな。ミナミはね、ダイヤモンドなんだ。でも、この汚い世界で、不必要なゴミがこびりつきすぎていたから、M氏様が出品してるんだよ」
「意味が分からない。ミナミさんの嫌がる気持ちが分からないの?」
ケントが歌うようなトーンで言葉を紡ぐ。
「派手な色のリップ、掃除もされない抜け毛、他人が勝手につけた成績……。あんなものは全部、ミナミを汚す不純物だよ。だから、M氏様が一つずつ剥ぎ取って、誰かに引き取らせる。君の食べかけの焼きそばも、そう。不純物を排除するたびに、ミナミは純粋な状態に近づいていく」
「ミナミさん、逃げよう。コイツ、狂ってる」
ケントが背後の祭壇を指し示した。そこには、私が バイバイ に出した『私の涙』のハンカチが、まるで国宝のように美しく額装されて飾られていた。
「君を、もう泣かさないから。さぁ、目を閉じて。完璧な梱包をして、君自身を出品してもらおう」
ケントが懐から取り出したのは、あの銀色に光る太い針だった。
黒い糸が、蛇のようにうねっている。
「ケント、二度と私の前に現れないで」
私のポケットでスマホが震えた。
圏外のはずなのに、少し遅れて通知音が鳴った。
【バイバイ】新着通知
『あなたが、発送準備中に設定されました』
「……ririさん、走って!!」
私は叫び、手近にあった木箱をケントに向かって投げつけた。
彼は避けることもしない。ただ、カメラを回し続けながら、悦びに満ちた声で囁いた。
「逃げていいよ、ミナミ。その『足掻き』こそが、商品の価値を上げる最高のスパイスだから」
私たちは背後の闇へと、無我夢中で駆け出した――。



